笑うゲシュタルトのオバケ 1
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
そびえる尖塔が空に突き立てた牙ならば、その城は獅子の頭なのだろう。証拠に、それの横顔を模した旗があちらこちらにかかげられ、風を受け、誇り高くなびいている。
空から見るとよくわかるのは、体が名をあらわすこともあるのだということ。たとえばその城壁は四肢をのばし多くの屋敷を抱え、我が子を守るライオンに見える。たとえばそこからあふれてしまった大量の家々は、尖塔が落とす影の範囲から出ておらず、つまり牙の間合いで守護されていた。
ゆえにこの国の国家守護獣がネメア谷のライオンであることへ、異議を唱える者などいない。『ネメアリオニア王国』という名をあたえられているのは当然のことだ、と。
空から見た時の記憶をたどり、思考を働かせるその男も、今は人の姿で街を歩いていた。そうすると、長く鋭い牙のもたらす恩恵が街に安心と活気をあたえているのに気づく。
かかげる看板に陽の光を受け、堂々と身分を証明している建物たち。洒落た服を着て気取った歩きかたで、我々こそが文化であると胸を張っている街の人たち。日々に必要な栄養だけでなく、幸福に必要な見た目と味を「あたりまえのことさ」と主張している食べ物たち。
王都と呼ばれるこの街は、栄光と栄華を幾重にも着こむ誇り高き1頭の獅子だ。
しかし男は悪魔だった。魔界の住人でもあった。だからそのネメアリオニア王国を、カールメヤルヴィ風に表現するならば皮肉が混じる。「高慢さが鼻につく、肉と毛皮の塊だ」などと。
その彼は今日、珍しいことにひとりで行動していなかった。黒ぶち眼鏡の枠の中にいる異世界からきた少女へ、どう接するべきか悩みながら歩みを進めていた。
(ただ街を歩いているだけなのに、そんなに楽しいものなのか?)
自分の横で、あれはなに、これはなにと指さし、はねるように歩く少女の姿。髪の色は自分と同じ黒。魔王が「また黒が増えてしまったわ。魔界は寒色の集まるところなのかしら?」なんて言っていた、その転生者。彼女があまりに楽しそうにキョロキョロとするものだから、コートにしつけられたフードが親の仇のように後頭部をなんども叩く。パシンパシンと音まで鳴って、フードのしわが「おい、落ち着けよ」と苦笑いを浮かべている。が、彼女は気にするそぶりもない。
魔王の取り巻きの中でこんなに無邪気な者はいなかった。だから男は少々の困惑すら覚えていた。
北欧神話の主神オージン、彼に仕えた2羽のワタリガラスを『思考と記憶』という。その力を持つ悪魔種であるサカリ・ランピは、潜水艦少女と転生者の少女とともに3人で街を歩いている。魔王の命により、大国の王都であるこの街を案内しているからだ。
(……まあいい。どのみち命令は断れん)
執事を思わせる黒い衣装に身を包み、顔には太い黒ぶちの眼鏡。髪の色も目の色も同じ。けれど陰鬱さはなくて、清潔さが服を着て歩いているような外見だった。同じく4大魔獣のフェンリル狼――バルテリと比し、彼は落ち着いた印象を他人へ植えつける。同じように整った顔立ちをしているから、ふたりがならんでいる時には「どちら派か?」なんて話が、婦人がたや婦人の心を持った者たちの共通話題になっていた。
とはいえ今日、背すじをのばして歩く彼を、行き交う人々が気にする様子はない。ルンペルスティルツヒェンが周囲に影響をおよぼし、認識を阻害しているからだ。
(つまらん魔法だ)
自分も含めたカールメヤルヴィの首脳部は、インテリジェント・デザイン――神のご意思――によって創られた外見を持っている。おそらくそれは、諜報を行うことが多い自分にとって少々目立ちすぎるほどのものだ。そもそも『魔界の4大魔獣』などという安っぽく不本意な肩書を持つのだから、容易に姿を明かすことは避けるべきだ。魔王が魔法をかけたのも当然のことではある。
それでも心が不満に鳴くのは、神よりあたえられしものを魔王風情に粗末にされた気分となるから。魔王といえど、神の前では1個人にすぎないと、彼は考えていた。
と、はしゃぐ少女から質問が。「あのおおきな建物は?」
サカリの思考を知るはずもなし。イーダという名の少女は、まわりの建物より真新しく、変わったデザインの施設を無邪気に指さした。誰がどう見ても田舎娘が大都会へ心を躍らせているふるまいだ。せっかくの認識阻害魔術がだいなしにならなければいいが、と思うも、彼女は楽しみの真っ最中。水を差すより、質問に答えてやらなくてはならない。
「あれはル・シュールコー魔法大学図書館だ。20年前に造られた図書館だが、いまだに古い図書館から蔵書の移動を行っている。あの斬新な建築方式はフランソワ・ミッテラン式というらしい。四隅にある『開いた本を立てたような』4階建ての書庫に蔵書がおさめられ、中庭で読書を楽しめる、というわけだ」
「そうなんだ。わざわざ読む場所を屋外に設けてあるって、陽の光で蔵書痛まないかな……」
どうせ大衆むけのあやしげでくだらない本ばかりだと伝えるのはやめる。
「この街もシュールコーって名前だよね?」
「そうだ。王都ル・シュールコーは『サーコート』という意味だ。それこそ『陽の光』で金属鎧が熱されないように、鎧の上から着ける薄手のコートだ。騎士はそこに家の紋章や国旗を描いていた。今となっては古い話だが」
「図書館、名前と有り様が逆になっちゃってるんだね……。シュールコーっていうのが街の名前に入るってことは、それの製造がさかんだったの?」
「おおきな街だから多くのサーコートが作られたのは事実だろうが、名前の由来かといわれると疑わしいな。ここ『ネメア谷のライオンの王国』の王は代々武人だ。そのお国柄をあらわすように、国内には武器や鎧にかかわる名前の街が多くある。ここもそのひとつなのだ」
「首都にその名前をつけたのは、紋章が入っていて胴体を守る、重要な服だからかな?」
「そうかもしれんが、過去の王のみぞ知るところだろう」
(意外と人の話をよく聞いているな)
この少女に対して、先ほどまでは「どう接したものか」などと思っていたが、会話を進めるとその印象が変わっていった。意外なことに、彼女は頭を働かせて楽しんでいる。この姿勢は好感が持てると思いはじめていたのだ。
ここはカールメヤルヴィよりもずっと都会で、建物は高く、施設は多く、街並みは広い。彼女は言わばおのぼりさんで、大都市特有の情報量の多さに面食らうのが普通だ。しかしそれに臆することなく、街のあれこれへ関心を持ち、思考を働かせて記憶している。そんな姿を見るのは悪い気分ではない。
ただ……同時に、切りそろえられた髪――ボブカットなる髪型を左右に振って喜ぶその後頭部へ、むずかゆさを感じた。まるで上機嫌に森を駆けるリスのようだ。そしてワタリガラスである自分が小動物を見る時は、多くが欲求を満たす時。
みぞおちのあたりを羽でくすぐられているような、もやもやとした感触が湧く。世の中の怖さを知らずに人生を楽しくすごす、かわいらしい毛と肉の塊が、鋭い牙に貫かれるのを想像してしまう。
あの無垢な腹にくちばしを突き立ててたら、彼女はどのような声で鳴いてくれるのだろうか。この笑顔を曇らせたら、どれだけ甘いだろうか、などと。
魔族特有の嗜虐心が、口の中に毒蜜をためた。
「イーダ! 疲れたよ!」
「あぁぁ、やめてぇ」
アイノがイーダにだきつき視線をさえぎる。彼女はイーダに曳航されながらこちらへ目をむけて、ムッとした表情を浮かべた。どうやら意図を感づかれていた様子だ。
鼻をふんっと鳴らし、サカリは潜水艦へ言う。「なにもしない」
「そうは見えないよ」、しかし潜水艦は警戒心を解こうとしなかった。話題の中心にいる当の本人は「アイノ、なにぃぃ?」と、これまた気づく気配もないが。
アイノに「分別はある」と伝え、彼は案内を続けることにした。魔王はイーダに多くの知識を持つよう望んでいる。その点においては魔王の意見に同調してやってもいい。知識を伝えるというのは、思考と記憶の獣である自分にとって気分がよいものだ。
目線をイーダから外し、3人で歩き続ける。通りを抜け、都市にいくつもある広場の1つに出た。円形の広場の中心には過去の王の像が居座り、外周には露店が立ちならぶ、そんな場所だった。しかし一角には、いつもは見慣れぬ人だかり。
「あれ? サカリ、あの人だかりは?」
「どうやら決闘の告知の立て看板があるようだな。フェーデはもともと自力救済を目的としたものなのだが――」
言葉を続けながら魔界の面々を頭に浮かべる。魔王、フェンリル狼、ベヒーモスに潜水艦。そして錬金術師や司書、夢魔の連中などなど。彼女らはこの黒髪の少女と同じく、自分のところへ知識を求めにくるだろうか。
魔王はだめだ。彼女は知識よりも情報を求める。そもそも、今この街の案内役となっている自分より、多くのものを知っている節すらある。
「あっちのお屋敷。庭にいる仙人みたいな人は?」
「庭園隠者だ。家主に雇われて隠者のふりをしている、生きた装飾とも言える。オブジェであるから意思の疎通は――」
狼男は――その外見に反して――頭がいいものの、求める知識は戦いのものが多い。錬金術師のドクも知識層だが、医療や魔術にかたよっている。……潜水艦は知識を求めるタイプではない。
「ここの通貨ってどうなっているの?」
「カールメヤルヴィとそれほど違わないが、こちらのほうが価値は高いな。金が少ないから、金貨というのは――」
ベヒーモスは聞き役にはいいが、知的好奇心を積極的に満たすことはしない。話をしていて常に快適なのは、司書くらいか……。
「すごいね、サカリ。この世界の先生みたい」、少女の言葉に、魔界のカラスはふと我に返った。
(先生?)
「そうだよイーダ。サカリはねぇ、あそこの図書館よりも級が高いんだよ。服を着た識別表だよ」
「識別表? 先生のほうがよくない?」
(先生か……)
魔界においてそのような役割を必要とした者がいなかったせいで、先生などと呼ばれるのははじめてだった。そう呼ばれるのはドクくらいなものだと。それが自分へむけられたから、少々不思議な気持ちになる。
ありふれた職業だろうに。
「ということでサカリ先生! お腹がすいてきました!」
「私もです! サカリ識別表!」
4つの瞳が輝いて、ひな鳥のような顔をむけてくる。腹をすかせていて、親鳥の帰りを歓迎している。おそらく餌を食べた後、今日の空模様なんかを土産話にせがむのだろう。
「……わかった。ネメアリオニアといえば美食の国。最近流行しているランチセットとやらを食べに行こう」
カラス男は、狼男が「俺は気に入った」と言っていたのを思い出した。フォルミュルのことではなく、イーダのことだ。
この転生者は知識に貪欲になっている。異世界なるこの世に興味津々で、目に入るものすべてが楽しい時期なのだ。だから魔界においてもあれこれと関心を持つ。そんなふるまいは、魔界の住人たちへ好印象をあたえるに違いない。
(転生直後は泣いて落ちこみ、コミュニケーションも苦手そうだったが……2週間程度でこうも明るくなるとは。死線をくぐったからか、魔王たちの接しほうがよかったからなのか)
そして自分も悪い気はしない。
「うまいかどうかは、私もこれから確認することになるが?」
「お供します、先生!」
最先端の『フォルミュル』という文化に老人のような警戒心をいだきつつも、偵察と実益をかねてそこに行くことにする。
生徒ふたりを引き連れて先生という肩書をつけられた彼は、少々ほころびのある無表情で「こちらだ」と歩き出した。




