笑うノコギリエイ 後編15
右腕を奪うのは残酷な行為。それでも命を奪うよりは慈悲深い選択。イーダは今回のような契約において、悪魔の王が迷わず相手を殺めると思っていたため、よけいにそう感じられた。
が、それは少々甘い考え。今彼女はシニッカたちの言葉に、「慈悲深い」という思いを吹き飛ばされたところだ。
「イーダは食べないの?」
「いらないよ!」
魔王は布がまかれた勇者の右腕を、アイノは同じくヴァランタンの右腕をかかえ、これ以上にないほど満足げな顔をしている。これから宿屋の厨房を借りるのだそう。横には「後でわけてあげるからね」という言葉に嬉しそうなバルテリも。
(この人たち悪魔だったの忘れてたよ!)
3人のウキウキ気分たるや、周囲へ花畑を湧き出たせんばかり。切り落とされた腕を、ツバメの巣でもかかえるかのように大切に持つ。モンタナス・リカスには魔界よりおいしいご飯がたくさんあるのに、なんでまた人の腕なんか食べるんだと頭をかかえたくなる。
それに、無視できないほど気になることも。シニッカが大切そうに持っている勇者の腕は、切り落とした時よりもずいぶん短くなっている気がするのだ。「固有パークを分析する」などと言っていたが……まさか食べたのか。そう考えてしまい、よけいに背中がぞわぞわしてくる。
「私はひとりでお昼に行ってくる!」
「もったいねぇな。合法で食う機会なんてかぎられてるんだぜ?」
バルテリの言うことは本当なんだろう。が、それはただの事実であってテーブルにならべる理由にはならない。
「それでもいらないよ! そもそもさ、シニッカは食べるためだけに右腕をもらったの?」
直感では別の理由があると思った。もしくは、残酷な行為に食欲以外の理由を求めたかっただけなのかもしれないが……。
「利き腕を選んだのは、娘を公務に就かせるためだろうな」
「どういうこと?」
「『辺境』なんて言葉がついているから知らねぇやつには軽く見られがちだが、辺境伯は国境線を守る重要な役割だ。国王に信頼されていなきゃあたえられない地位なのさ。我が国でいえば、ベヒーモスのヴィルヘルミーナがその役だ」
「じゃ、それに恩を売るっていうこと?」
「そうだ。利き腕を奪えば公務に支障が出る。あの娘のことだ、甲斐甲斐しく親の仕事を手伝ってくれるだろう。優秀らしいから仕事はできるだろうし、このまま年月が経って辺境女伯に任命されたら今よりも太いパイプになるだろ?」
「解任されちゃったりしないよね?」
「だから爵位をはく奪されないように、これから国王のところへあいさつに行くのさ」
シニッカがバルテリに「書類を持ってきて」と言っていたのを思い出した。あの時出てきたラウールという名は、ネメアリオニア王国の王様かもしれない。なら書類はきっと、王様が王様へ宛てる公文書の作成用だ。イーダは出発前に蒔かれていた伏線を回収された気分になり、舌を巻いた。
「……結構計算高いんだね」
「当然」、ニッと笑う顔がなんとも頼もしい。よく考えたらシニッカとバルテリは、それぞれカールメヤルヴィ王国の国王と国防大臣なのだ。小国とはいえ世界を相手にしているふたりだ。このくらいは計算のうちに入らないのかもしれない。
そう感心しつつ、もうひとつの疑問にも答えてもらう必要があると、イーダは思う。
「なんで食べるの」
「もったいないだろ」
予想された返事。あきらめたイーダは、食料となった右腕たちのことを考えないようにして、サンドイッチを求め街へ出かけて行った。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
モンタナス・リカス市街地の西側、商館が立ちならぶ区画。大通りに面している建物たちは、どれもこれもが立派な面構えで整列していた。あるものは「武器なら私にまかせておけ」と言っているし、あるものは「衣料品でも食料品でも、なんでもござれが本館のモットーです」と口上を語っている。もちろん「となりにない物、ありますよ」なんて、あやしげな笑いを浮かべるものも。
けれどその裏路地側は様相が少々違った。そこは商人同士が秘密の商談を行う場所であり、商人たちのクラン――地球でいうところの企業の垣根を超えた情報交換が行われる場所。だから表通りのような華やかさもないし、建物の入り口たちは接客の笑みを浮かべてもいない。水はけが悪いのか石畳の通路は湿っぽく、狭い道へせり出した軒が日陰を作る。そこへ時々ネズミが走るから、陰鬱な印象すら感じる。
ゆえに、そこでされている会話では明度と彩度の落ちた議題があつかわれていた。集まった数名の商人たちが、かわるがわる口を開く。
「ヴァランタンの失敗は、失脚するほどにおおきいといえるか? 口撃の的にはなろうが、ネメアリオニアの貴族どもはこの機会をうまく使えるだろうか」
「同意ですが、ちいさくはありません。ゆえに鎧どおしにはならなくても、樫のこん棒くらいにはなるのではないでしょうか? つまり今回は手傷を負わせたという結果に落ち着くのでは?」
「うまくいったとして、やつが失脚するには時間がかかろう。もう少し失点がおおきければ、御しやすい者を後釜に据えられたものを。……忌々しきは魔王よ。我々が本件へ干渉するより早く、事件を解決したのだからな」
密談の内容は政治的なこと。勇者イズキに娘を誘拐された辺境伯のすきにつけこんで、彼を失脚させられないかとたくらんでいたのだ。しかしそれは干渉の機を逃し、ゆえに彼らは胡椒の仕入れ値を低く抑えようとしている時より深い谷間を眉間へ作っている。
「イズキなる者は『勇者』といっていい強さの者だったらしいわ。警吏を蹴散らして、禁輸品の輸送をしていた我が老商人を助けてくれました。本人は知らなかったでしょうけれど、いい人だったわね」
「そう思うのなら、やつが辺境伯の娘をさらった後、なぜもっと強力に支援しなかったのだ。『魔王が近くにきているかもしれない』などと情報を流す程度で、支援といえたのか?」
「お忘れなの? 私は冒険者連中が普段使わない宿屋を彼らに提供したわ」
「それはたまたまフローレンス嬢が連れてきたというだけだろう?」
「でも事実に違いないじゃない。あなたこそ本件にどんな貢献を? まさか『ことがはじまる前に宝石を売りました』なんて言わないわよね?」
「やつに食う場所と食う物を提供した。辺境伯の目の届かない食堂だ。これからごひいきにしてもらうところだったのだ」
ふたりの言いあいへ、3人目が会話を落ち着かせるために口を開く。
「結局、迷わず魔王を頼ったヴァランタンと、迷わず勇者を殺した魔王の速度に、私たちはタイミングを逸したというわけですな。あなたたちの言うとおり、これは忌々しいことでしょう」
3名での会話は、いつしか愚痴の混じるものに変容していた。やろうと思ったが折り悪くそうできなかったと、言い訳をするかのようでもあった。
すると、かたわらで聞いていた4人目――身なりのよいひとりの商人が、ふぅっとため息をつく。自然、視線は彼に集まって、彼がそうした理由を問う空気に。
「ヨーエンセン殿、いかがでしょうか。タイミングは去ったと思うのですが、我々の認識は正しいですか?」
慎重な物言い。質問へ少々の恐れが混じっている。それはヨーエンセンという商人が4名の中で特別な地位にあり、同時に他の3人へ害をなせる立場であると語っている。
彼は人当たりのよさそうな微笑みを顔に張りつけ、両腕を軽く開いたまま、暗い裏路地に似合わないほどのにこやかな声で言った。
「正しいでしょう。『やむおえぬ理由』という名のいいわけが正しいのなら」
強烈な皮肉をひとつ放って、彼は3名の商人に「聞く姿勢」を取らせる。
「ですがあなたたちも知ってのとおり、我らが盟主が好む仕事は、以下のいずれか。つまりですね、噛みつく蛇の頭のように早い仕事か、からみつく蛇の体のように執拗な仕事か、そのどちらかなんです」
「よ、ヨーエンセン殿。すでに勇者イズキは死んでおりますが」
「これはあくまで私見であって、あなたたちの行動とは関係ありませんけれども、前者が無理なら後者になるべきではないですか? 私が思うにですね、魔王たちはこのまま王都へむかってラウール2世に会うでしょう」
「謁見を妨害せよと⁉︎ いやそれは無茶なお話だ。我々は一介の商人ですぞ?」
「謁見を妨害してどうするんですか。誰もあなたにそんな大それたことを望みませんよ。せっかく魔王が魔界から出てきているんですから、つけてまわって情報を集めてはどうですか、と言っているんです。これはアドバイスですよ。あなたも点数を稼ぎたいでしょう?」
「ヨーエンセン殿、お言葉を返すようですが、狙いはヴァランタンの失脚であって、魔王の情報収集ではないのでは?」
「え、知らなかったんですか?」、ヨーエンセンはいったん言葉を区切った。彼がそうしたのは、よりいっそう笑った顔へ、口元を変えるためだった。
三日月のように口角を上げた彼は、夜空のように暗い目元をしたまま、商人たちに伝えた。
「ヴァランタンの失脚より、魔王の死のほうが、我が盟主は喜びますよ? 枝嚙み蛇よりウミヘビが、大陸を取りまく蛇にふさわしいと思いませんか?」




