笑うノコギリエイ 後編13
馬車がガタガタ音を立てているのは、起伏のある道に文句を言っているから。それが人だとするのなら、彼は作成されてもう15年の老骨だ。ずいぶん酷使され、あちらこちらにガタがきている。だから前の所有者だった商人は新しい馬車を購入し、用済みになったこの個体は引退を迎えた。人々へ火の温もりを提供するために、解体され木材となるはずだった、のだが。
木材の加工場へ送られた老人の前に、青い乱れ髪の男があらわれて、同量の薪よりもずっと高い値段を提示した。聞けば彼が新しい所有者になるという。馬車の側としては「そろそろこの老いぼれを楽にしてくれ」という気持ちだったものの……今は生涯最後の仕事に大はりきり。
なにせ、小国とはいえ1国の国王を乗せているのだから。つまり彼が起伏のある道に文句を言っていたのは、地面の凹凸へ「図が高い!」と凄んでいたのだ。
ご機嫌なご老体の馬車にゆられながら、イーダたちはモンタナス・リカス卿の屋敷へとむかう。火照りの抜けない魔腺のせいで、はじめての戦いを終えた黒髪の少女はよく眠れていない。目の下のわだちのようなくまが、眼球を地面の凹凸よりも押し出して、彼女を雨上がりの土道のごとき表情にしてしまっていた。
「あと半刻くらいだ」
ぼうっとする彼女の耳に、御者台からバルテリの声。イーダは「歩かないですむなんて、ありがたいなぁ」と思う。カールメヤルヴィからモンタナス・リカスまでは、馬車を乗り継いで40日くらい。しかしフェンリル狼になって駆けてきた彼は、たったの4日で追いついてきた。その上、疲れている自分たちのために現地で馬車まで調達してきた彼へ、感謝するしかない。
そんな狼の言葉も、やっぱり遠くに聞こえる。
(眠い……)
「寝ていていいのよ?」と言われているのだから、できればそうしたい。そうしたいのだが、巻物を使った後遺症によって体が熱くなり、うまく寝られない。これが魔法の代償というなら、なかなかにやっかいなものだった。
どうせ寝られないのだからと、イーダは今回の任務を思い出す。
(忙しかったな)
勇者が死んでからの仕事は思いのほか多かった。駆けつけた警吏や自警団への状況説明、街の長への報告と協力要請、不可逆の爪痕だらけになった広場の復旧提案。シニッカはテキパキとそれらをこなし、鋭利で危険な黒い水晶を柵で覆うことや、国王への報告書の作成などを取りまとめた。イーダとアイノは勇者の仲間だった女性3名のために宿を探し、彼女たちに顛末を説明した。
一番大変だったのは勇者の死体の処理だ。周囲に広がる血のりを掃除してから装備品を引きはがし、上下に分かれた体をひとつの棺に入れる作業。そして自分と同じ火傷あとのある右腕を、ノコギリで切り落として保存袋に入れる作業。
ペストマスクとノコギリがどんな役割を持つ道具なのかを知った。とくに臭気を緩和させるマスクがなかったら、もう2、3回は吐く回数が多かっただろう。それでも胃の中身が空っぽになるくらいには嘔吐したのだけど。
(腕……)
シニッカの横に置かれた、冷凍魔法が付与された保存袋。あの中には、まだ勇者イズキの体の一部が入れられている。分析し、どんな能力を持っていたのかを知るためだったそうだ。とはいえ、それも昨日シニッカが終わらせてしまっているから、今やただの戦利品扱い。なんとも深い業に、ため息が出てしまった。
「大丈夫だよイーダ。今日あたり治るよ!」
「うん、そう願うよ」、アイノの言葉へ、土の地面と同じ顔色で無表情に答えた。
天蓋つきの6頭引き馬車の中には8人ほどが座れるスペース。アイノは後ろの入口近くに、イーダは書類を書くシニッカとむき合って御者台側の入口横にいた。囲まれた空間には3人の女性。フルール、フェリシー、そして今回の目標であったフローレンスという、名前を聞いただけだと区別が難しい面々。みんなおとなしく、口数も少ない。
(この人たちも、大変だったろうなぁ)
勇者の仲間、つまり自らの敵ではあったのだが、イーダは彼女たちを憎む気にはなれなかった。シニッカいわく、勇者の能力は『君の右腕』という名で、認識阻害をもたらすもの。少しでも仲良くなった状態でこの力を使われたら、盲目的に慕ってしまう。それは一種の洗脳といってよかった。能力は『固有永続役得』などと銘打たれているらしいが、どこからどう見ても呪いそのものだ。
実際、勇者が死んでその影響下から解放された彼女たちは混乱し、困惑していた。「なんでこんなことに」というセリフをなんど聞かされたことだろう。楽しかったはずの日々が嘘によってできていたことに気づいたのだから、そんなことを言ってしまうのは当然かもしれない。他者にたぶらかされていたという不名誉も、自尊心を傷つけるのには十分だ。なにより、勇者イズキにいだいていた恋愛感情――おそらく人生で一番深い愛情が否定されたのは、おおきな精神的ダメージとして残っているように見えた。
思い悩む顔にかける言葉も見つからなかったが、異世界転生したての自分が苦しい思いをしていたのと重なって……。だから自分がしてもらったように、まずは彼女たちのそばにいたのだ。「心配しないで、大丈夫だから」という言葉だけをかけて、涙をさえぎるのはやめにして。
(みんな大丈夫かな?)
赤紫色の髪をしたフルールと水色の髪のフェリシーは、だいぶ回復している様子。負の感情ばかりだった表情に、いくらか明るい兆しが見えている。ご飯を差し出せば微笑んでお礼を言ってくれるし、「これからどうしようか?」なんて相談もしている。
でも今回の依頼対象、モンタナス・リカス卿の一人娘であるフローレンスはいまだ立ち直っていない。立場が立場なだけに、家におおきな迷惑をかけてしまっているだろう。それに高い身分の女性が大切にしなければならないであろうものも、勇者に奪われてしまっていたから。出会って数日で行為を許してしまうなんて……。洗脳をもたらした能力へ、「『君の右腕』っていうのは女性をだくためのものなんだね」と皮肉を言ってやりたくなった。
「フルールとフェリシーは、これからどうするの?」、本当はフローレンスに話しかけてあげたい、けれど少し遠まわりをしようと、まずはふたりに話しかけた。
「私たちは、一度故郷に帰ってみようと思うわ。出身地が同じだから」
「そうだねぇ。ちょっと心を整理したいからねぇ」
受け答えははっきりとしている。イーダは自分に話しかけられた時、彼女たちが少しだけほっとした表情をうかべたのに気づいた。
(……黙っているよりも、お話をしたいのかな?)
「そうなんだ。……そこは、どんなところ?」
出身地を聞いて、どんなところか聞いて、どんな食べ物がおいしいか聞いて……。彼女たちの顔の筋肉がこわばらないように、つとめて話題を振る。転生時、自分は一緒に横へいてくれた、シニッカとアイノに救われた。ならば自分も誰かのためにそうしたいと思ったのだ。あの時と同じように黙ってとなりにいるよりも、彼女たちふたりには会話が必要だろうとも思った。
話を続けると、フルールもフェリシーも少しずつ頬がゆるんでくる。自分の予想は当たっていて、応急処置も成功したよう。
(後は、ちゃんとかばってあげなきゃ)
「魔王様から渡された『勇者災害の被災証明書』は、ちゃんと持ち歩くんだよ? 心ない言葉から、あなたたちを守ってくれるはずだから」
つい2日前に存在を知ったそれの使い方を知っているかのように振る舞う。どれくらい効果があるかわからないけど、前をむいてもらうためには必要に思えた。
「ありがとう、イーダ。少し気が楽になったわ」
「ホントねぇ、助かったよ」
この顔なら安心してもいいだろう。
「ねえフローレンス。あなたもきっと大丈夫だから。そうでしょ? 魔王様」
そんなふうに話を振るのは、ちょっと卑怯だっただろうか。少々心配して反応を待つ。すると、シニッカは書類に走らせているペンを止めた。
「雨具を忘れ濡れた者を、避けるようにかかる虹はない」
顔も上げずにそう言って、ふたたび手を仕事に戻す。
(雨に濡れても虹はかかる、か……)
言葉が響いたのか、フローレンスの目に涙がにじんだ。
(いくらでも泣いていいと思うよ)
さんざん泣き明かした自分も、それでなんとか立ち直ったのだ。彼女もきっと、そうなってくれるだろう。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
イーダは屋敷の前でフルールとフェリシーにお別れを告げた。バルテリとアイノが冒険者ギルドまで送って、そこで彼女たちをおろすからだ。
「元気でね、イーダ。ありがとう!」
「感謝してるよぉ。たぶん一生忘れないからぁ!」
シニッカへ手厚い感謝の気持ちを伝えたふたりは、イーダにもそんな言葉をかけた。うん、と短く応じた彼女は手を振って見送り、ペストマスクを顔にかぶる。「元気になってよかった」なんてぽつりと言いながら、次の仕事の準備をはじめた。今からしばらく、魔王の従者だ。
3人で門をくぐり、広い庭を進む。震えるフローレンスをはさむようにして、ゆっくりと。
玄関の外には戦士のように立つ家主の姿がある。遠くからでも、ヴァランタンの顔が苦悩の谷を眉の間に作っているのがわかった。
彼から少しだけ離れた位置で、魔王が「連れてきたわ」と口を開く。フローレンスの背中に当てた手に、そっと力を入れながら。
フラフラと父親の前に進む女性は、まるで風の下の木の葉だ。イーダはヴァランタンがフローレンスを叩くのであれば、止めようと両脚に力を入れた。しかし――
「無事で、よかった」、父親は我が子をだきしめ、背中をさする。
「……お父様」
「なにも言わなくていい」
(ああ、よかった。ちゃんと父親だったんだ)
親に対する不信感は、自分の環境がそうさせたからか。
だきしめられて泣く娘と、太い腕で不器用にさする男に、くまのできた目のまわりが熱くなるのを感じた。




