笑うウミヘビ 56
古城に設置された新たな悪魔召喚魔法陣。絨毯を使った簡易魔法陣の効果が切れる前に設置し直したもの。そこをとおれば住み慣れた魔界が、トリグラヴィアより涼しい空気を存分に提供してくれる。
とはいえ国家間を行き来しているのは温冷交代浴を味わうためではない。書類を作るのに必要な部材を持ってきたり、手ひどく破壊してしまった錬金術工房の復旧支援のためだったり。つまりお仕事を円滑に進めるためなのだ。
本来悪魔の召喚が目的だった魔法陣も、今や国同士をむすぶ便利な回廊。日になんども利用されるたび、「俺はこんなことのために存在するんじゃねぇぞ」とぼやくようにぼんやり光っていた。とくに魔界の連中はサウナを楽しむためだけに使用することも多い。人の姿を取れたなら、舌打ちのひとつもしたいところ。けれど今は誰もいない。利用者は先ほど魔界へと旅立っていった。
2022年9月15日木曜日のお昼前。イーダはカールメヤルヴィの一角、錬金術師たちの湖にいた。行き先はドクの工房。今日も曇り空の不機嫌な空へ、たくさんの錬金術工房が灰色の煙を溶かしている、そんな道の上をテクテク歩く。
戦いが終わって1か月以上、その間ずっと事務作業。魔女のイーダは事務員イーダへ劇的なジョブチェンジをせんばかり。けれど、そろそろ終わりの段階だ。そう思うと足取りも軽い。仕事が終われば2日に1回だったサウナへ毎日入れるわけだし、7日に1回だった読書時間もおおいに取れる。かわりにあまりおいしくないご飯を咀嚼する日々がはじまるので、その点は頭の中からほうきでササッと掃き出しておこう、なんて考えていた。
(事後処理とはいえ、いろいろなことがあったなぁ)
戦いが終わって半月くらい経過してから先日まで、メスト・ペムブレードーの街の広場では毎日のように処刑が行われていた。貴族も商人も、傭兵も冒険者も。ウミヘビに荷担してしまった多くの人がギロチンで首を落とされて、そのたびに見物人たちから歓声が上がるのだ。
処刑が一種のお祭りであることを知ってはいたのだが、やはりあまり気持ちのよい光景といえなかった。反面、人々へ騒乱の責任の所在をあきらかにしたり、心の区切りをつけさせたりする役割を持つことにかんしては理解もできる。
物騒なお祭りのあとは、おめでたいお祭りも。今週末はヤネス2世とアム・レスティングの結婚式が予定されている。夢魔にとっては心の整理が必要だっただろう。実際、本人から何回か相談を受けた。「私は正しいことをしていると思う?」なんて。
彼女はこうも言っていた。「ねえ魔女さん。私さ、富とか名声とかにかなり興味があるんだ。好きだって言い切れるくらいに。でもさ、それがグリーシャとレインの犠牲の上に立っているって思うと、素直に享受できないんだよね」
「ふたりに感謝しながら享受すれば、あなたにとって正しくなるよ」、そう答えた。アムの言いぐさからすると、背中を押してほしいんじゃないかな、と感じたから。「彼らのことを忘れなければ、彼らは死体じゃなく死者になれる。そして彼らのために祈るのは、一番近くにいた、あなたがもっとも適していると思うんだ。ゆえに、それがあなたの義務だと思う。逆にいえば、それ以外のことについて義務なんてない。全力で楽しむのがいいよ」
「本当に? グリーシャたちは怒らないかな?」
「今はたしかめるすべがないね! 人生を最後まで謳歌したのちに、ニヴルヘイムに行って聞くといいかな。怒っていたなら、謝るのはその時でもいいんじゃない?『ごめんなさい、魔女にたぶらかされたの』って」
「あはは! あなたはおもしろい人ね!」
なんだかんだで1か月、アムはちゃんと立ち直ってくれた。生きている人はそのほうがいい。これで結婚式も、その後の生活もうまくやれるだろう。
ヤネス2世の妻になる、『Rea Sigmntさん』だったら、きっと。
(ああ、そうだ。トマーシュさんも元気になってよかったな)
次に考えるのは勇者のこと。悪辣なほうじゃなく、被害者だったほう。結局赤黒くひび割れた皮膚は元に戻らなかったけれど、彼にはおおきな目標ができた。
「白樺の魔女イーダ。私は地球に戻ることを決してあきらめないことにした。今後、もしかしたら君やドクター、それからサカリへ手紙を出すかもしれない。戻る方法があるのなら世界樹経由だろうし、その樹の近くにいる君たちへ力を貸してほしいと思うだろうから」
「もちろんだよ、トマーシュさん。刺激的な研究題材をくれてありがとう! 仮説だけど、地球側にも召喚機があれば可能だと思うんだ。地球で魔法が使えるのかとか、どうやって枝を遡上するかとか、問題は山積みだけどね」
ありがたい、そう言って笑った彼の表情は、ゴツゴツした皮膚に似合わないほどやわらかかった。自分が地球に戻りたいかと問われれば「No」なのだけれど、彼を地球へ戻してあげたいかと聞かれたら「Yes」だ。それこそ魔界の魔女らしいかもなんて、勝手にワクワクしてしまうのだし。
考えごとをしていると、いつの間にかドクの工房が目の前に。扉につけられたドアノッカー(おおきなノック音を出すための装飾具)へ手をかけようとする。そしていつもどおり、いったん止まってしまうのだ。
(怖い……)
なにがというと、デザインが怖い。ノッカーは縄でしばられつるされた男性の形。これはトネリコにつるされたオージンを模した北欧神話由来の物ではなくて、ギリシャ神話の由来の物。男は医療の象徴アスクレピオスの患者であり、ご丁寧に開腹手術の真っ最中だった。だからお腹がパックリ割れていて、中から内臓が「こんにちは」しているのだ。
とはいってもこれを鳴らさなければならない。意を決してガシッとつかみ、ベースプレートへガンッ、ガンッ、と打ちつけた。なんたる暴力的(というよりも冒涜的)な光景だろう。そう頬を引きつらせながらしばらく待っていると、分厚いドアがゆっくり開き、すきまからペストマスクが鼻を出す。
魔界のマッドなお医者さんが登場。いつもながら、嘘をたずさえて。
「僕は、あ……ビオンは留守だよ。僕はいとこだ」「じゃあ、あなたの名前は?」「ビ……ベオンだよ」、知性を忘れた会話をはさみ、イーダは工房への入室を許される。あいかわらず散らかっていて、劇物とか人骨とかを踏み抜かないよう歩くのにも一苦労。やっとこさ奥の机にたどり着いた彼女へ、魔界の天使は机の上を指さした。
「あの袋に入っているよ。防腐処理はすんでいる。いくらか肉を切り取ったから、ちょっと短くなっているけれど」
レモンを自動でしぼっている用途不明の魔法具と、どこから持ってきたかわからない宝箱の間。生鮮食品の保存袋がひとつあった。今日はこれを取りにきたのだ。
「ありがとう、ドク。王宮の宝物庫に入れておくから、もう少しお肉が欲しくなったら言ってね」
そそくさと受け取って、腰のベルトへキュっとはさむ。となりには骨53号に作ってもらったお弁当の袋。保存袋の中身が中身だけに、ならべて身に着けるのが正しいとは思えない。
にもかかわらず、少々お腹が空いてきた。
「じゃ、私は戻るね、ベオン」「わかったよ、ビオンに会ったらよろしく言っておいて」、虚偽の会話も早々に、魔女は天使の工房を出る。魔界の9月は暖かくない。風が吹くと肌寒いほど。
来た道をテクテク戻りながら、イーダはふたたび物思いにふける。
このカールメヤルヴィ王国へ転生してきたのは、2021年の9月5日。事務処理ですっかり忘れていたけど、異世界転生して1年がすぎていた。
(すっごい濃い1年だったなぁ)
はじめての戦いは9月7日。カールメヤルヴィ南の旧街道で、盗賊型害獣と戦った時。この世の厳しさを知った貴重な日だ。
はじめて勇者災害に関与したのは同月11日。15日には勇者イズキの暗殺に一役買った。自分は彼の対抗召喚でこの世へきた。
23日の夜にはマルセル・ルロワの死にも立ち会った。今でも「彼女が生きていれば、もしかして友達になれたのかも」なんて思う。
10月にはギジエードラゴンと勇者エリックの事件。勇者アールに会ったのもこの時。年末はブラックサンタと一緒にヨウルの夜におおさわぎ。そろそろヨウルの勇者ニーロ・オスカリ・コルホネンさんに会っておきたいところ。
翌年2022年3月は一生忘れられない月になった。勇者レージを自身の手で殺めたから。はじめての殺人、そして自分が魔女になった月でもある。
5月は天界での調停会議。勇者・天使連合との戦いは刺激的だった。6月もやっぱり刺激的な野球の試合。イヴォさんとエイヴァさんは元気だろうか?
そして7月末から8月にかけて。グリゴリーさんは彼の恋人とともに、最初は敵対状態だった。けれどそうでない状態へできたことには手ごたえもあった。それが彼らの死という形で未来を断たれてしまったのには、まだ心に切なさが残るけれど。
そのかわり、因縁深い相手との決着を見た。勇者ディランは彼の恋人とともにこの世を去り、もう二度と会うこともない。
思い起こせば、なんとも多くの勇者と出会ってきたのだ。
(だというのにもかかわらず、私は自分がなにものかわからなくなったんだな)
1年間のおおいなるオチ。イーダ・ハルコはイーダ・ハルコじゃない、という。
でも心にあるのは不安じゃなく、
(さてさて、おもしろくなってきたぞ)
絶対無敵の楽しさなのだ。
魔女が考えごとをしている時、とくに魔界においては以下のふたつが邪魔をする。ひとつは悪童潜水艦。しかししばらく前からどこかしらへ行方をくらませており、今日も魔女の元へとあらわれなかった。
もうひとつは空きっ腹。ぐぅ、とひとつ、お腹が鳴った。
(ご飯にしよう)
湖の見えるベンチへ、イーダは座る。食べ損ねたお昼をここですませることにした。「骨53号さんは、お弁当になにを入れてくれたんだろう?」と思うも、あまり期待をするのはよくなさそう。
ボソボソと袋を開けて、その中身を取り出した。1品目は肉の燻製をはさんだパン。待ちきれずに口にふくむと、麦穂と牛肉が燃えてだいなしになったのを知る。ボリボリというパンにあるまじき食感が、午後に必要な気力を遠ざけて……。生産者たちの嘆きの声が、料理人の無遠慮な笑い声にかき消されていった。
「食べられるタイプの廃墟かな」なんて、魔王のまねして皮肉をひとつ。
2品目はマッシュポテト。相席したビーツとともに、ちいさく切られた人参の葉で着飾られていた。ベチャっという生前は芋だったものの食感、そして妙に歯へ反抗してくる硬いビーツ。顎に入れる力加減を迷ってしまう。味だって全体的に無味。「素材の味を生かした」という苦しまぎれのほめ言葉すら、使う余地を残さないというもの。
「……共同墓地」
口からため息を吐きながら、紙につつまれた3品目を手に取った。ちいさく黒いグミのようなもの。日本で食べていたものよりも硬く、色も相まって強者感がすごい。
(なんだろう、これ)
舌の上にポイとおいてみる。時間差を経てじわっと広がる、奇妙奇天烈、独特な味。
ダイオウイカの浮袋、古来より使われた咳止め。自分の故郷では工業製品にも使われた、つまり塩化アンモニウム。
(――これは食べ物じゃない! これは食べ物じゃない! 食べても害のない、食べられるよう配慮された、食べ物以外のなにかだ!)
なんとか飲みこみ、魔界の食事に肩を落とす。腰にぶら下げた皮水筒に手をのばすと、一緒にならぶのは戦利品の入った袋。
開けて中を見る。袋の中は暗い井戸のよう。その中、いくつか指の欠けた勇者ディランの右手が、こちらに手のひらをむけていた。
「…………」
むやみに力を振りかざし、神様を馬鹿にし、この世界を踏みにじった『勇者』の体の一部。よく保存されたそれからは、まだ新鮮な血の匂いが香る。
感じることは多々あった。あれだけ悪辣な彼に対してさえ、言い分というものがあったのではないかと考えてしまうほどに。
同時に、彼は敵らしい敵だった。もっといってしまえば、悪い勇者らしい勇者といえたのだ。
だから――
「あなたみたいな勇者がいるから、本物の勇者が迷惑するんだよ?」
怨嗟を吐く右手を笑顔で見おろす。私は魔界の魔女なのだ。
きっとシニッカたちが同じことをしたら、口の中へ蜜の味が広がっただろう。他人の不幸でできた、魔界屈指の嗜好品の味が。
今自分はそうじゃないけれど、ふさわしい言葉は知っている。
これは魔族にとって一番おいしいだろう食べ物なんだから。
「ごちそうさま」
声をかけて、袋を閉じた。
白樺の魔女の冒険が、またひとつ幕をおろした。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
ここは俗にいうIsekai。
星に大陸がひとつしかないせいで、その調整に四苦八苦している魔の星。
けれども兄弟星の地球と世界樹の梢で接続されて、今日も同じ歩調で楽しくまわる。
まるで「私も一緒につれていってよ」と、せがむようによりそっているのだ。
そんな中――
白樺の魔女イーダもまた、魔王シニッカとともに世界を歩く。
前世では手に入れられなかった愛情を、決して長くない両手に目いっぱいかかえて、実に楽しそうにステップをきざんで。
のちに、彼女が「本物の魔女」となるとは、本人すらも予想していなかった。
けれどそれはまた、別のお話。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
『笑う枝嚙み蛇 魔女のイーダと魔王シニッカ ~転生勇者の殺め手たち~』
第一部 完




