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笑うウミヘビ 55

 玉座の座りのなんと悪いことか。過去にこれほどまで「ここに座るのは骨が折れる」と思ったことがあっただろうか?


 ヤネス2世は今日もトリグラウ城の謁見の間にいた。まわりには誰もおらず、ひとりきり。別に誰かと会う予定があるわけでもない。ただ「座りが悪い」と思いつつも、ここを離れてはならない気がしていたのだ。


 今後処刑されるスラヴコが、命を賭して奪おうとしたこの席から。


(もっとうまくやれたであろうに、な。彼も、儂も)


 今回の反乱について、王は自身の責任を痛感していた。国内の動乱の気配に対し楽観的すぎた。それに国家守護獣の力を引き出すためとはいえ、あまりにも人心からかけ離れた振る舞いをしていたのだろう、と。でなければウミヘビの連中につけこまれることもなかったに違いないし、スラヴコだって王位継承者のままでいたはずだ。


 王たる自分にはおおきな過失がある。国家へ安全な航海をさせなければならなかったのに、どうにも舵取りは危うかった。ゆえに――


(儂は成功しつつあるのだろう)


 虚勢ではない。明確な外敵があらわれたことによって、この国の者は危機感を覚えた。貴族たちは私兵を拡充し、国外の輩から領地を守ろうとするだろう。平民たちは「王はスースラングスハイムへの報復戦争を考えているのではないか?」と多少なりとも恐怖してくれるに違いない。実際、ウミヘビの国へ特使をすでに派遣している。「今回の騒乱の裏に貴国の影が見えていること、極めて遺憾に思う。流された血の量を考えると、賠償金程度ですませるのが常識的判断か、疑問に思う」なんていう文書をたずさえて。


 自身が狙ってこの状況を作ったわけではない。怪我の功名というものだ。ゆえにしっかり利用させてもらうしかない。転んだとてただで起きてたまるものか。地面へ着いた手に、都合よく落ちていたいくばくかの金貨くらい握りしめて立ち上がらなくては。


 そう思いながら、彼はふと自分の手を見た。そこには取り返されたロケットペンダントがひとつ。キラキラと無垢に輝いていて、いじわるな外交に頭を悩ませている自分へ「まあ、そんな顔しないでよ!」なんて笑いかけているかのよう。


 パチリ、片手でふたを開く。たばねられた遺髪が一束、銀色の光を放っていた。


 死んだ前王、つまり兄の髪だ。


「ああ、ディミトリよ」、彼の名を呼ぶ。そうしたところで返事はないが、こちらの言葉は届いていると思うのだ。この髪は感染呪術によって、冥府にいる兄へつながっているはず。ならば彼はガルムなりケルベロスなりのとなりに座って、自分の髪を耳へ当てているに違いないと思うのだ。海辺にいる者が貝殻へ耳をすまし、遠くから聞こえるなにかを感じ取ろうとするように。


 不思議な感覚といえた。ヤネス自身にかけられていた呪いは、兄の利益のためだったのだ。けれどヤネスはどうしても兄を恨む気持ちになかった。


 だって彼は、いつもやさしく笑っていたから。


 だから家族にだけしかむけない、穏やかたる表情で語りかける。


「今回こそ、儂はもうだめかと思った。冥府へ旅立ち、君からそこのすごしかたを教わるものだとばかり。が、魔王がそうさせてくれなんだ。やつは、儂こそがトリグラヴィアの安定に必要なのだと言う。この気分屋で、裏があって、こざかしい生きかたしかできない儂が、だ」


 自虐をいくつか、ぽつり、ぽつり。こんなこと死んだ者以外に聞かせられたものではない。王という重責は――国内において――金でできた重い冠と、幾重にも縫われた重厚なマントを身につけながら、気高くいることを強要されるのだから。


 もう少し、この役割を演じ続ける必要がある。とはいえ戦争はかしこい選択肢でない。自国民の死は、嫌なものだから。


「やさしいお前のこと、すごしているのはニヴルヘイムかハーデースであろうな。まかり間違って、オージンが儂を戦死者の館(ヴァルホッル)へ導くことのないよう、余生は戦乱などとは無縁にすごしたいものだ」


 ふっと笑ってペンダントを閉じた。自分で雑に直した留め具がはずれないよう注意しながら、それを首元へちゃらりとかける。これも金、やはり重い。重量に首が引っ張られ、ついつい姿勢が悪くなりそうなほど。


(ああ、素の自分でいたい。そうだ! 来年にもその機会があるではないか!)


 来年の5月を楽しみに思った。調停会議は完全なる()()。1年にいちどだけ、この重責から解放される。本来の姿――好好爺のまま座って、透きとおるような青空を存分に味わうのだ。国々のいさかいなんか気にせずに。


 その時は、あの魔王もあいさつにきてくれるだろう。今年と同じく、となりには白樺の魔女の姿もあるだろう。


(……いや、来年は大変か)


 よく考えたら(よく考えなくても)、トリグラヴィアはれっきとした紛争当事国になってしまった。来年のスースラングスハイムの弁舌官はイヴェルセンのかわりに誰を出すのか。まあ、誰であろうとこちらの胃を痛めつけるような者に違いないだろうが……。


「――はぁぁ」、王らしからぬ、深いため息。「ぁぁぁ……」と長く息を吐いたせいで、老人の体は若干酸欠に。


 せっかくひろった命を窒息死という結末に終わらせるのも困るので、すぅっとおおきく息を吸った。口も鼻も総動員。すると、そこにほのかに甘くやわらかい香りが。


 知っている香りだ。「……アムよ、そこにいるのか?」


「ええ、いますよ」


 桃色の髪をたわませて、柱の影から少女が出てきた。ストリーミングがなくなったとはいえ、その爪あとたる夢魔が消えるわけでもなし。彼女をはじめ、国内には多くの夢魔が産み落とされた。彼ら彼女らの対処にもひと工夫が必要だろう。移民という形で魔王の力を借りることになるかもしれない。


 もちろんアム・レスティングにおいては、王たる自分が進路を決めているのだが。


 ヤネスはペロリと手を上げた。若者が「よう」なんて、あいさつするようなそぶり。それを見て、少女は肩をすくめながら言った。


「どうしたっていうんです? ずいぶん元気がないご様子で」


「言わなくたってわかっておろう。儂はこの国の未来を憂いていたのだ」


「憂いているのは、その、あなた自身の未来ではないですか? 私が……いるっていうのにもかかわらず」


 丁寧な言葉でしゃべるアムは、でもやはり慣れていない様子だ。いきなり王妃になるのだから当然か。が、ヤネスの目にはそれも好ましく映った。自分を殺そうとした女へ気づかいなどする必要もなく、だから妙に自然体でいられるからだ。


 可憐な外見。相手に前科があるぶん、こちらが優位な関係性。そんな打算で選んだ王妃もなかなかに悪くないと、ヤネスは彼の性格のもっとも悪い部分をさらけ出していた。


 もっとも実際に会って話をしてみると、庇護欲こそがもっともおおきな感情だと気づいてもいる。


「まあよい。儂のため息は内緒にしておけ。民草のアネクドートを増やしてやる必要もない」


「はい、わかってます、私の王様。けれど国民を笑わせるのはいいことですよ?」


 むろん彼女も負けてはいない。トップに君臨していた配信者のなごりは色濃く残る。


 ぎこちなくはじまった彼と彼女の王族生活は、その後1年を経ずして3人の家族生活になるのだが、今はそれを知る者はいなかった。

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