笑うノコギリエイ 後編12
3分15秒前。彼女は広場で牙を研いでいた。とっくに広場へ到着し、待機時間はもう1時間以上。姿を消し、じっとして、その時がくるのを待っていた。
(はじまった、はじまった)
魔力の波に視界がぼやけるのは、潜望鏡ごしだから。潜水艦である彼女は魔素の海へ姿を消して、空中という名の海中に浮かぶ。
(あれ⁉︎ 魔王様とイーダ、バレちゃったの? 偽物の時計を見抜かれたのかな?)
地上に響く秒針の音は、彼女の魔術の詠唱だ。それをごまかすため、わざわざ古物商に行って懐中時計を買った。うまく鳴りはじめたはいいものの、どうやら露見した様子。せっかくの偽装がだいなしになったっちゃったなぁと、少し残念な気持ちになった。
(ん? いや、違う。勇者がイーダのことを知ってたんだ! うわぁ、これまずいかも!)
だからバタバタと急に騒々しくなったのもわかった。戦いのはじまる音だ。もちろん地上の音はよく聞こえる。聴音機がついているから。
予想外の危険な事態になにかしてやれればいいのだが……今の自分にはできない。自分の役割は、動かずこの場にとどまって、詠唱を続ける以外にないのだ。
かわりに心ばかりの応援を。
(イーダ頑張って! イーダはできる子だよ!)
決して届かないだろうけど、お気に入りの少女へ思念を飛ばす。そしてうまくやっているか耳をすますのだ。視界の悪い潜望鏡より、音を聴くほうがよく見えるから。
けれども聞こえてくるのは、破裂音、金属音、魔法の音に怒鳴り声。
(ああ! ちょっとちょっと、もう2枚もスクロール使っちゃって!)
心配ばかりがつのっていくから、いっそのこと姿をあらわし援護したい気持ちに。「ザバァ!」と音を立てて浮上するのだ。とはいうものの、浮上した潜水艦なんて陸に上がった魚と同じ。口をパクパクさせながら、ピチピチもがいて死にゆくのが目に見えている。
とにかく待つしかないのだ。だから音のひとつひとつを分析し、彼女は牙を研ぎ続けていた。
我慢しながら気をもんでいると、ふと一旦音が止む。
(お? なんとか身を隠したのかな? 一安心だね、イーダ! 深呼吸、深呼吸)
どうやらふたりとも無事な様子。勇者側も思ったより動いていない。4人で一斉に襲いかかると思っていたのに。
(うーん、動きが早い足音は勇者だけ、か。どうも取り巻きたちは動きが鈍いな。なにやってんだろ、あいつら)
聞こえる足音に彼女らのものは混じっていなかった。「どういうことだろう?」なんて耳をすますと、おおきな羽音とともに「きゃぁぁ!」という悲鳴。どうやらカラスが彼女らへ襲いかかり、足止めをしている様子だ。
(いいねサカリ! いい援護だよ!)
任務がはじまってからずっと近くにいた魔界の住人。カラスの姿で情報収集をしていたサカリという仲間。どうやら3人の取り巻きをひとりで相手取っている。
(あの取り巻きたち、サカリ相手じゃ3対1でも勝てないんだ。無様無様。そういえば、あいつらの名前なんだっけ? たしかフルールにフェリシーと、殺しちゃだめなのはフローレンスだっけ?)
みんなFからはじまる名前に少し混乱する。同じパーティー内で、そろいもそろってそんなこと。「頭文字が一緒だね! 記念にパーティーを組もうか!」とか盛り上がっちゃったわけでもないだろうに。
(みんな頭文字がFか……)
反面、その名前に懐かしさを感じてもいた。人間でもこんなことってあるんだなぁ、軍艦だけだと思っていたよ、なんて。
短い舌でペロリと唇をなめる。音を聞くと、あいかわらず戦っているのは勇者だけだ。きっと取り巻きの女たちは事態に翻弄されている。突発的な事態に対応できず、どうしたものかとオロオロしている。そう想像して、心と口に毒がたまった。
(あーあ、あの子たち。ぜんぜん勇者の盾になってないじゃん。ちゃんと護衛しなきゃだめでしょ?)
勇者という重要目標の動きについていけない、護衛が任務の彼女たち。勇者が戦略的価値の高い戦艦とか空母だとしたら、消耗品の駆逐艦たちは身を挺にして守らなければならない。でも、彼女らはそれができていない。
どこぞの国の駆逐艦は同じアルファベットからはじまる艦名をつけていたなぁと、量産型の彼女らに口の毒を強くしていく。
(じゃ、遠慮なくやらせてもらうね? 役立たずの「F-Class adventurer」さんたち)
獲物を狩る狼が舌なめずりをするのは、きっとこんな理由なんだろう。つまり残酷な牙に残忍な心をたずさえ、残虐な行為へと用いるのだ。
ふふんと悪い顔をしていると、タタタと走るふたつの足音。状況が動いたようなので、潜望鏡に意識を集中する。にじむ視界の中、魔王様とイーダが駆けていた。
イーダの手にはスクロール。きっと戦うことを決めたんだ、と嬉しくなった。
(なんだかんだで心が強いよね、イーダ。もうちょっと待っててね!)
チッチッチッチ、秒針は続く。もう少し時間がかかるけど、もう準備をはじめていい頃合い。
ガコン、ゴボゴボ。体の内側に4つの扉の閉鎖音が伝わった。同じく4つの筒に、ザバザバと魔力の水が満たされる。
チッチッチッチ、今2分30秒。灰色の狼が口を開け、牙を鈍色に光らせる。同時に彼女も、数時間ぶりに口を開いた。
「――<種別、Oxygen torpedo。TDC入力開始。雷速52、距離104>」
意味のない言葉だ。相手が船ではないのだし、自分は本物の潜水艦ではないのだから。
「――<接触信管、深さ5。1番から4番、続けて撃つ>」、でも別に構わないはずだ。必中を期すための、魔法の詠唱なのだから。
「――<AOBは右80へ、的速10に仮設定>」、相手の方位と仮の速度を入力した。
「――<発射扉、開け>」、チッチッチッチ、今3分0秒。もうすぐだ。
1ノットで進む船は、100メートルを約3分15秒で走り抜ける。3分15秒で進んだ距離を100で割れば、相手の速度を割り出せる。的の速度と進行方向と距離がわかれば、進む船に対する攻撃角度がわかる。
だから3分15秒、観測と詠唱を続ければ、この魔法は必ず当たる。
逆説的、というよりも無理やりな解釈ではあるけれど、自分が放つ雷撃魔法へ必中の力をこめるのに、これ以外の方法は思いつかなかった。本物の潜水艦では使えない偽物ならではの最上の一手だ。ゆえに時間をかけて、小細工をして、噛みつく時を待っていた。
ダークグレーのコートがエイのヒレのようにはためいて、魔法の文字や記号を浮かべる。英字、数字、時々漢字。残酷な牙を持っていた、沈んでいった艦の名だ。
チッチッチッチッ……カチリ。時計が鳴りやむ。
「――<諸元そのままTDC連動! Rohr eins zu vier、Feuer anlaufes!>」
イーダが座りこんでいる。魔王様も苦しそう。でも大丈夫。
私の魚雷は速い。
「――<Los!>」
連続する4つの振動。耳をすませると、元気な音。
「Aale ist im wasser」
定型句を言う横顔が、花を見るかのように微笑んだ。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
凄まじい轟音がした。
1本目が勇者の魔法障壁を砕き、2本目が勇者の胴鎧を千切り飛ばす。
3本目が魔法糸の鎧下を切り裂いて、4本目が背中に突き刺さり、内臓で破裂した。
魚雷でできた四重奏が、竜骨がわりの背骨をへし折り、大浸水がわりの大出血をもたらす。勇者が手にした魔力が霧散し、残滓に火がついて燃え盛る。
バラバラと破片が落ちてくる光景を、イーダは口を開けてながめてしまった。
(これが……アイノの魔法?)
宙でなんども円を描き、ドサっと落ちる勇者の上半身。血液をまき散らす、できたての死骸。
数日前に見た害獣の死でひどく吐いたのを思い出すのに、今はただ遠くの景色のように見えていた。
(ああ、彼は死んだんだ)
ぼうっとする頭に、ぼやける視界。疲れ切って今にも眠りそう。
「イーダ!」、シニッカが駆け寄ってきて、取り出した小瓶の中身を飲み干した。そして腕を取ると、がぶりとそこへ噛みついた。
(痛いよ、シニッカ)
「大丈夫かしら?」
言葉に答えず腕を見ると、ちいさな噛みあとがふたつ。直後にドクンドクンと心臓が脈打って、口と鼻に薬草のような香りがあふれてくる。
「あ、あれ?」
かすむ目に眼鏡をかけさせられたように、脳がやる気を取り戻してきた。
「大丈夫みたいね」
「あ、ありがとう」
ささえられながら立ち上がると、脚にもちゃんと力が入る。どうやら今噛みつかれたのは応急処置だったようだ。まだ少しふらふらするけれど。
「勇者は?」、短く問う。でも、答えを聞くまでもなかった。
「死んだわ」、大木から少しだけこちら側に飛ばされた彼の上半身は、彼が作った黒水晶の上に引っかかり、さかさまになって大口を開けていた。開かれた目に生気はなくて、顔は土気色に変色しはじめている。
倒すためにここにきた。そして実際になしとげて、この残酷な光景を作り出した。
(麻痺しているのかな。人が死んでいるのに)
恐怖や吐き気はない。勇者への侮蔑や憎しみもない。ただ「勝ったんだ」という実感だけが、疲労が残る体を火照らせているだけだ。
「まだ仕事がたくさん残っているわ。アイノ! イーダと合流しなさい!」
(そうだ、アイノは?)
どこにいるのか、あたりを見まわした。そこではじめて、たくさんの人たちがこちらに視線をむけているのに気づく。夢中になって気づかなかったが、ここは街の中心部なのだ。
恐れをいだいた目で子どもをかばう母親、頭に手をやり茫然自失の青年、おびえてだき合う老夫婦が凄惨な現場を見守っていた。
「ああ、おおごとになっちゃった……」
人どおりの多い昼間の広場。そこにいた人たちから見れば、晴れ空に稲光が走ったような衝撃だったろう。今日ここには、嵐の前、ざわめく森の梢が心の準備をさせるような機会が存在しなかった。昼下がりの日常へ、火山が噴火したように不意打ちされたのだから。
「大丈夫よ、私が仕事をする。ここにいなさい」
シニッカはそう言うと、騒然とする広場の中心にむかって歩く。ペストマスクと青い髪、腰に下げたノコギリが、彼女をただ者ではない存在に彩って、大衆の注目を集めた。
「<旗を我が手に>よ、言葉を運び<我が声を届けよ>をもたらせ」
言遊魔術を2節唱えると、手におおきな旗があらわれ、街の中央に翻る。緑地へ、赤の横線と青の縦線で描かれた十字架。白い枠でふち取りされたそれは、地球における北欧の国旗のように左側へよっていた。交差する部分はひし形の格子模様。なんだか噛みつく蛇にも見える。
街のざわつきが増していった。当然だろう。あれは魔界の国、蛇の湖王国の国旗なのだから。
それを手に掲げ、シニッカは十分に視線を集めた。広場の全員が彼女を視界へとらえた頃、落ち着いた声を広場に落とす。
「枝嚙み蛇の旗の下、この魔王が宣言する。『勇者イズキ』によってもたらされた災害は、ここに終結した」
頭に直接響く声に、人々は静まり返った。
「彼に殺された人々の御霊が、無事死者の国に行くことを、私は保証する。彼にたぶらかされ惑わされた被害者である女性3人に、罪がないことを私は証明する」
旗を掲げて持つ魔王――青髪の少女は、それほど背が高くない。可憐な外見こそ持っているものの、圧力のある体躯は持ち合わせていない。なのに広場の中心で堂々と立つ彼女の姿は、そこにあったトネリコのシンボルツリーよりも存在感があった。
「この旗を見る者たちよ、今は惨事から目を背け、心を慰めることを許そう。しかし努々忘れるな。災厄がいつもお前たちを見ていることを」
突如はじまった、勇者と魔王の戦い。魔王が勝ち、勇者は殺された。それは、この世界の者たちがよくうわさに聞く勇者災害と、その鎮圧の光景だ。通称『勇者』なる人並はずれた力の持ち主が、世界の秩序へ悪影響をおよぼした時、このような戦いが行われるのだと言い伝えられていた。
シニッカは口調を穏やかなものに変える。
「さあ、お前たち。ここは私にまかせなさい。家に帰って祈りをささげなさい。お前たちが今日の戦いで怪我をせず、生きてこの光景を見ていられるのは、神様たちのおかげなのだから」
諭すように言う。困惑する街の住民へ、今なにをするべきなのかはっきりと伝えた。聞いた者たちは動揺から意識を取り戻しつつあり、ようやく状況を把握しはじめていた。
「もう一度、言葉を重ねるわ。家に帰りなさい。そして神に祈りを」
締めくくられた言葉を聞いて、人々はひとり、またひとりと立ち去って行った。3分の1は魔王の言に従って、3分の1はそれにつられて、3分の1は悲劇から距離を取りたいと思って。
最後に広場へ残るのは、2つになったひとりの勇者と、座りこんで震える3人の女性だけ。
(シニッカは彼女たちをどうするのかな?)
考えていると、「イーダッ!」肩にかかる奇妙な重さと、耳元で発せられるおおきな声。
アイノが姿をあらわした。ちょっとびっくりしてしまったけれど、イーダは彼女の姿を見てほっと安心した。
「頑張ったじゃん! いいね! いい水兵になるよ!」、ぎゅっとだきつき後頭部へ頬ずり。転生初日から変わらない、甘えん坊のいつもの彼女。
けれどだきつかれると、あちこちにある傷へ響く。
「うぁぁ、痛いよぅ」
「いいじゃん、いいじゃん」
差しこむ日が黒い水晶をモザイク柄に照らす。空は少し、雲が薄くなった。
その空間に、あいかわらず翼を広げるカラスが、変わり果てた広場へため息を漏らした。




