笑う受付嬢 3
転生勇者ソーマ・シラヌイ。とある街の冒険者ギルドにあらわれた、竜殺しの実績を持つ大型新人。
契約終了の瞬間を虎視眈々と狙っていた(先輩)冒険者たちは、当然のように彼へと群がっていった。
「ねえソーマ、さっきの話、くわしく聞かせてよ! 食事代と酒代はこっちで持つからさ!」「なあソーマ! まどろっこしいこと抜きにして、俺たちのパーティーにくわわらねぇか?」「すげぇじゃねえか新人。どうだ、俺たちはこれから娼館に行くんだが、ひとつおごらせちゃくれねぇか?」
「ま、待ってくれよ!」という声など届きそうもない。ソーマ本人は、さっき大声を出してあわてていた受付嬢のことを笑えないくらいに、混乱のただ中にあった。
(うっわぁ、困ったぞ! やっぱ、さっきの俺の行動って「やらかした」ってやつだったんだな!)
そんな彼ではあったが、意外なことにその表情は、困惑したものでなかった。顔は口の端を上げ、どこか嬉しそう。もしかしたら、それは異世界転生をした日本人であれば、多くの者がそうなるのかもしれない。とくに転生を夢見たことがある人間にとっては。
ずるいといえるほど強い戦闘力が、この世界の現地民の知るところになった。すぐに賞賛と感嘆の雨が落ちて、勇者へ存分に降り注ぐ。それに濡れながら「やれやれ」と首を振るなんてこと、あこがれであったに違いなかったのだから。
当然勇者たる彼もその部類に入る。だから笑顔を隠し切れなかった。追いかけていたアイドルのライブへ参加した時、あるいは1週間禁酒をした後に日本酒と馬刺しのつまみを目の前にした時のように。
(「やらかした」か。やれやれ……)
周囲の反応によって、自己肯定感が富士山のように雄大となった彼は、しばらくその状況を楽しんでしまった。でもそれは少々悪手というもの。観光地には多くの客が訪れるものだし、そういう者たちはそういう者たちで状況に楽しみを見出してしまっているのだから。
「なあ新入り、いいだろ?」「だめよ、私が先に声をかけたんだから!」、勧誘の声は止みそうにない。
(……やばい。これ、どうやって逃げよう)
10人ほどの人だかりと、それを見守る数十人の冒険者たちの輪。富士山と違って「あいにく休山期間です」などと言うわけにもいかないから、いよいよもって彼は困り出してしまう。自身が読んだ異世界転生物語の主人公たちが「注目を集めるのはごめんだ」とか「有名になりたくない」とか言っていた理由を痛いほど理解した。
そこへ――
「不知火相馬さん! 聞こえている⁉︎ こっちだよ!」、あらわれたのは望外の助け舟。酒場の中央、丸テーブルにひとりで座っている人が、こちらへ手を振っているのが見えた。
(不知火相馬? 姓名が日本の読みかただ。もしかして、日本人の転生者か⁉︎)
転生女神から聞いたところによると、転生勇者というのはそれなりの数がいるらしい。だからここに地球出身者がいても不思議じゃない。たとえばその人は冒険慣れしていて、トラブルに巻きこまれた転生者を助けてくれるような人物なのかも。
ソーマの思考はハイエンドモデル・スマートフォンのCPUのごとき速度で分析を終わらせ、人だかりから脱出すべき魔法のひとことを編み出した。
「す、すまん! 先客がいるんだ!」
そう言って指をさす。しめす先は、当然さっきの声の主。
「ええ、そうなの?」「なんだ、先にツバつけたやつがいたか。ちぇっ」「早いもん勝ちだもんな、しかたねぇ」「後でもういちどくるからね!」、引いていく波のように、さぁっと冒険者たちは道をあけてくれた。波がふたたびよせてこないうちに、ソーマはとっとと移動を開始する。
あらためて見るその人は、厚手のコートを着て、フードをすっぽりかぶりっていた。顔がよく見えないけれど、体格と声からして女性だろう。なにより日本人である可能性が高い。フードの下から見え隠れしている鼻や口元は、完全にアジア系のそれだった。
ソーマは席につくや否や、ささっと椅子へ座る。彼を勧誘する冒険者たちから距離を置くために。
ただ、遠慮のない者というのは、どこにでもいるもの。やはり数名が近くに陣取って、腕組みしながらこちらを見ている。まわりの席の人も座ったまま振り返り、視線を隠そうともしない。
いまだ注目を集める中、とりあえず勇者は目の前の恩人へお礼を言うことにした。「すまん、助かったよ。あんたは日本人か?」
「あえていうなら元日本人だよ、不知火さん。強引に誘っちゃってごめんね」、彼女はそう答えながら、ゆっくりとフードに手をかける。「でも、どうしても話をしたいことがあったんだ」と口にするころには、完全にフードを脱いでいた。
髪は黒いボブカット。瞳も黒。高くない鼻と黄色みがかった肌の色。年齢は少女の域を出ず、ずいぶん若いように思える。ともあれ、どうやら元日本人というのは正しい様子。
ソーマの視線をよそに、彼女は机の下から帽子を取り出した。折りたたまれていたそれを広げると、幅広のつばと先の折れた長いクラウンが姿をあらわす。茶色のリボンと、そこに差さっている木の枝。どこからどう見ても、魔女の帽子そのもの。
そのおおきな帽子を片手に持ち、手慣れた手つきで彼女はかぶった。ソーマは目の前にいるのが『魔女』であることを疑わなかった。仮に、察しが悪かったり疑い深かったりしても、「この人はこの世界の魔女である」という事実は正しく伝わったろう。
それは、第三者の声によって。
「――魔女のイーダ⁉︎」
誰かが叫んだ。
直後、堰を切ったように、周囲からその別名が流れてくる。
「あんた『六本枝のイーダ』じゃない! なんでここに⁉︎」「おい!『ビョルクスオルム』がいるぞ!」「や、『ヤマカガシ女』だ……」「『白樺の魔女』がどうして⁉︎」
(ど、どういうことだよ? それ、全部異名か? この人、いったいなんなんだ?)
ざわめきのわき立ちかたたるや、潮騒というよりは花火のよう。ほぼ全員が一斉に口を開いたせいで、その瞬間だけ戦場のようにうるさかった。ギルドの前にいた通行人が背すじをのばして足を止め、1ブロック先の路地裏で昼寝をしていた猫が飛び上がって逃げるほど。
だから中心にいた勇者ソーマが、一瞬気おされてしまったのも無理はなかった。それでもすぐに硬直を解き、相手の観察をはじめたのは、彼が優秀な戦士たる証拠でもあった。
(っと、驚いた。しかし、この子はずいぶん落ち着いてるな。自分のせいで周囲があんなに騒がしくなったのに。対してまわりの連中は……妙だな。敵意は持っていなさそうなのに、警戒しているって感じだ。そんなに怖いか?)
左右に走らせていた目線を、再度目の前の少女――おそらく魔女に戻す。やはり強そうには見えない。表情も……落ち着いている。そこに感情を見つけられない程度には。
「驚かせてごめんね、不知火さん。私はイーダ。さっきも言ったけど、あなたとお話しをしなきゃならないんだ」
「そうか。だがその前にあんたのことをもう少し教えてくれ。まわりの連中が、あきらかにあんたを警戒している。なんでだ?」
「それはね――」、彼女は肩をすくめる。一瞬だけはにかむような顔は、はじめて彼女があらわにした感情だ。ソーマはそこに友好的なきざしを見出した。
が、次の瞬間、その願望は早々に裏切られることになる。なぜなら、
「私が暗殺者として広く知られているからだと思う」
淡々と口にした魔女の顔からは、すでに友好的な雰囲気は失われていたから。
「あ、暗殺だと? どういうことだ?」
「そのままの意味だよ、不知火さん。暗殺とは、政治的・思想的な動機を持って、誰かを狙って殺すこと。私はね、私たちの信条にしたがってその依頼を受けているんだ」
「私たち? それはどういう連中だよ? あんた、いったいどこのなにものなんだ?」
「魔界にある蛇の国、カールメ・ヤルヴィ王国の住人。ヴィヘリャ・コカーリという組織の構成員。見てのとおり魔女であり、お話ししたとおり暗殺者であり――」
一拍ためる。大切なことを、しっかり聞かせるために。
「そして魔王の手下でもある」
「つまり俺の敵か」
ピリリと空気の焼ける音。それは勇者と魔女の間にもたらされた、緊張感が鳴らした音だった。