笑うウミヘビ 45
格好いいか悪いかでいえば、滑稽なことに他ならない。両手ではさむように持っているのは、こともあろうか目覚まし時計。イラストレーターに「描いて」と頼んだら、十中八九これになるという形の、ただの日用品なのだから。
まあ、効果は最高だった。それにちんちくりんな私にはお似合いだろう。ひとつ問題があるとするのなら、こんなものを持ったままでは、イヴェルセンと勇者ディランへしたり顔をむけることができないことくらいか。
高速回転の余韻が残る魔女のイーダの脳は、そんな雑念を自身へもたらしていた。バシッと決め切れないのはもはや性なのだと苦笑し、やれやれとばかりに小首をかしげる。そうやって自分がSagaに謳われるのを早々にあきらめた白樺の魔女は、時計をかたわらの机へコトリと丁寧に置いた。
すぐに6本の枝を構える。味方は負傷者ばっかりで、敵にはまだ戦う余力があるのだから。
「イヴェルセンさん、ディランさん。カルストの迷宮での戦いに続き、第2ラウンドも私たちの勝ちだ。残るは3つめのラウンドだけ。でもこれは配信しないでいいよね。おたがいに血まみれで、オーディエンスたちへ見せられたものじゃないんだから」
敵へ言葉と視線を投げる。笑顔の消えたふたりの男へ。
「……なるほど、やはり貴様はヤマカガシだ」、口を開いたのはオヴニルことイヴェルセンだった。「口の奥へ六本枝を隠し持ち、殺意を持った時にだけ深く噛みつくやっかいなやつだ」
「蛇の湖に住む魔女だもん。牙も生えているし、毒も持つ。イーダ・ハルコという俗称もね」
「ふん、学名すら判然とせぬか。生きていれば世界中のスパイという名の生物学者に追われる身となろうな。しかし残念なことに、貴様はレッド・リストでいうところのDD――Data Deficientのまま、ここで死に絶えるのだ」
「それはどうかな、オヴニルさん。根絶の危機に瀕しているのは、侵略的外来種たるあなたたちのほうに見えるよ」
白樺の魔女という人物は、敵との会話で物怖じしない。どころか負ける気もさらさらない。彼女は状況を把握すべく、目線を左右にすばやく走らせた。
(シニッカは私の右後方。机に身をあずけている。全然しゃべらないってことは、きっとそろそろ限界だ。サカリとトマーシュさんはドクが物陰に退避させてくれてる。アイノは?……あ、いた。隠れてる。意識が戻ったんだ)
味方はかろうじて安全な位置へ。なら敵の様子はどうだろう。
(イヴェルセンさんもディランさんも、けがの度合いは結構深い。魔腺の疲労も色濃そう。とはいえ――)
16歳の女ひとりを肉塊へ変えるくらいの力は残しているだろう。2対1では勝ち目がない。
敵ふたりの奥側、水路出口の近くにある、作業机の影を見る。そこには隠れているのがもったいないほどの美人がいるのだ。
(ヘルミは準備よさそうだな。ここは協力してもらおう)
考えていると、目線に気づいたか、イヴェルセンがディランへ耳打ちした。聞こえたのは「後ろはまかせる」というちいさな声。勇者はうなずいて振り返る。そして威嚇するような雰囲気を出しながら、ヘルミがいるあたりへ歩を進めていった。
魔女は同じく相棒へ、「シニッカ、身を守って」と声をかける。「おまかせするわ」と返事があって、魔女はこくりとうなずいた。
さあ、ふたたび戦いだ。相手はエミール・ヴィリアム・イヴェルセン。魔界の魔女たる自分にとって、切っても切れない因縁の相手。
モンタナス・リカスでの勇者イズキの騒動、プラドリコでの勇者レージのスタンピード、トリグラヴィアにおいて勇者グリゴリーのストリーミング上での対戦。すべてにおいて、彼の影が見え隠れしていた。
それが今や目の前にいる。自分の杖が届く範囲に。
「――<ᛒ,ᚩᛁᛖ:ᛣᛁᛚᛈᛁ>」、魔女は腰を落とし、踏み出した。スポーツの動画において、ランナーの初動をスローにして再生したような、ゆっくりとした動きだ。体の前に張った魔法盾が連動して動き、彼女と敵の間へ装甲板を形成した。
「<ᚼ、盾よあれ>」、オヴニルも盾を張る。彼の場合、自身の全周へ。大皿くらいの魔法の丸盾が1ダースほど。円を描いてまわるのは、すきなく周囲を警戒する兵士たちのようだった。
――ガァン! その兵士がひとり、突如砕け散る。残像を残すは白樺の蛇鞭。ガァン、ガァン! あとを追うようにふたり、3人。
「てやぁぁ!」
「小癪なっ!」
6本の白樺の蛇が次々にオヴニルへと襲いかかっていた。白樺の枝は鞭と化し、嵐の雨のように四方から打ちつける。船の囲いを弾き飛ばして、マストや船体へ鈍い音を残す。
それでもイヴェルセンはひるまなかった。「ヤマカガシ! その程度で私は折れぬぞ! 貴様はどうだ!」、手にしたフレイルをザッ! と突き出す。
(これは――)
魔女はその攻撃に、ふたつの選択肢を思い描いた。避けるか、それともそうしないか。
敵はわざわざフレイルを突き入れてきた。遠心力が乗った攻撃ではない。歴戦の強者なら、こんな威力のない攻撃をしない。相手にはまだあいている手がある。
だからきっと、これはフェイクだ。そう決めて腹に力を入れた。多少の打撃なら身に着けたブリガンディーンが防いでくれる。この攻撃なら「痛いだけですむ」と確信したから。
しかし次の瞬間、その確信は過信だったと思い直した。なにせあまりにまっすぐ突き入れられたその鎖武器が、どう見ても敵の得意とするところの「氷のルーン文字」と同じ形。
(くっそ!)
右手を無理やりねじりこむ。腹にミシリと鉄球が当たる。痛みが駆け上がってくる前に、鉄鎖へ右手が届きそう。
「<ᛁ>!」、オヴニルによる、氷のルーンの押印行使。鎖の上を白い氷が走る。
その進路へ、ようやく右手が割りこんだ。ルーンは少し形を変える。縦棒1本へ、斜め下にのびる線が1本。今回大活躍の、たいまつのルーン文字だ。
「<ᚳ>!」
氷と炎がぶつかった。片方はウミヘビからのび、片方はヤマカガシからのびていた。激突点では双方が双方を押しあって、すさまじい勢いで水蒸気が生まれる。
蛇の鳴くようなシャラララ! という音。それとともに、蒸気は円盤状に噴き出した。殺しあう2匹の蛇は、たがいに鎖を手に持ちながら、1枚の壁でへだてられたのだ。たがいに負けじと魔力をこめるから、蒸気円盤はどんどん濃さを増し、ついにたがいの姿が見えなくなってしまう。
「さあ魔女よ! 終わりにしよう! 私の魔術で死ぬか、焼けつく蒸気で蒸し焼きになるか選べ!」
「蒸気は私の味方だよ! カールメヤルヴィがサウナの国だってこと、あなたはすっかり忘れているみたいだね!」
そして両者とも、そういう状況を好む者。
たがいにとどめを刺そうと決めた。
――その矢先、
「あぁぁぁ!」、誰かの叫び声が聞こえた。




