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笑うウミヘビ 42

 右どなりに立つシニッカの気高いこと。左腕をへし折られながらも、息を荒げることもなく、スミレのようにすらりと背すじをのばしているのだ。あれだけ追いこまれていたのに、それが嘘だったかのように微笑みを浮かべているのだ。


 彼女の笑っている理由が「さっきのコンビネーション攻撃がうまくいったから」だったら嬉しいな、と思う。魔王シニッカだって友人と一緒に「うまいことをやれた」のなら楽しい気分となるに違いないのだ。けれども、もしかしたら違うかもしれない。今まさに指でもてあそんでいる食いちぎった勇者の指を、嬉しそうに見ているから。


 魔女のイーダは苦笑し、肩をすくめた。この魔王様ときたら、さっきまで死にそうだったのに、今や鳥かごから解き放たれた小鳥のように生き生きとしている。


 実のところ、もし誰かに先ほどの同時攻撃が成功した理由を聞かれたら――たとえば「シニッカの考えることが手に取るようにわかるの?」と質問を受けたら、答えは「No」だ。残念ながら、この自由気ままでいたずらな魔王様の思考など読めるはずもないからだ。


 けれど一緒に戦う方法ならわかる。相手をあざむくような行動をすればいいんだから。


 ゆえに「だましてやった」と言った。そこに「やると思った」なんて返した彼女は、イーダ・ハルコが真名でないことに気づいていたのだろう。


「さ、エミール・ヴィリアム・()()()()・イヴェルセン。先に世界樹の枝から落ちるのは、どちらの蛇かしら?」


 そしらぬ顔で織りこまれる、聞き捨てならないネーミング。頭脳へ思考高速回転の余韻の残る魔女が、それを聞き逃すわけもない。


(オヴニル? もう一匹の枝嚙み蛇の……あ、そうか。イヴェルセンは元国家守護獣なんだ。どうりで地球のできごとを知っているはずだよ)


 とはいってもオヴニルのことは「スヴァーヴニルと同時に列挙された枝嚙み蛇」くらいしか情報がない。それもダンジョン内でシニッカに聞かされた程度のものだ。ただ、スヴァーヴニルに「眠らせるもの」という意味があるように、オヴニルにも「輪をつくるもの」という意味があることだけは覚えていた。


 輪と聞いて連想されるのは協調。人の輪、なんかの。もしくは車輪。人類の偉大な発明のひとつ。それを作るものというのだから、イヴェルセンは知的で指導者的な人なのだろうか。人々をまとめ、転がすような。そんな具合に考えを深めていって、イーダは思考をこじらせる。それが知恵の輪のようにからまったところで、当のオヴニルが口を開いた。


「枝から先に落ちるのは、よくしゃべるほうだろう」、ごく低音、かつ音圧の高い声。けがの度合いに反し、彼もあまり苦しそうにしていない。


「寡黙にしていないと枝から口が離れちゃうものね。実際のところ、私たちふたりとも枝嚙み蛇にむいていないわ」


「一緒にするな。私は樹上で輪を作る者。そう簡単に落ちるものか」


「でもね、イヴェルセン。とぐろを巻いていると移動できないでしょ? まわりをすっかり取り囲まれたら、あなたたちはどこへ逃げるの?」


 水路の出入り口を指さした。そこに人影はなかったものの、確実に人の気配があった。魔女は自分を追跡してくれていたヴィルヘルミーナが合流し、机の影に身を潜めていると気づく。


「なるほど、ベヒーモスか」、敵もそれに気づいたようだ。「しかしけが人を何人連れてきたところで、役に立つものか」


「あなたがいるより高い梢で、彼女をぐっすり休ませるだけよ。疲れているから寝返りが多いかもしれないけれど」


 なんと仲間を落下させるつもり。魔王は存分に相手をからかった。そして満足したか、彼女の関心は手にしていた勇者の指へ。ぺろりとひとつ舌を出し、となりにいる魔女が「もしや」と予想した直後、飴玉でも食べるかのように指を口へと放りこんだ。


 奥歯からパキパキと残酷な音が鳴って、さすがの勇者とオヴニルも顔をしかめる。


「僕の指を食いやがったね、魔王」、ディランは片腕をおさえながら忌々しそうに言った。「悪魔の食事くらい見たことも聞いたとこもあったけど、されたことだけはなかったよ」


「おかしな話ね。『指を食べられたことがない』だなんて。ふつう『死んだことがある経験』を持つ生者のほうがめずらしいものだと思うのだけれど」


 すっとぼけた言動に、魔女はとなりでほほをかく。まあ「指摘されているところはそうじゃないんだけどなぁ」という言い草はよくあること。


 それよりも、これで勇者ディランの情報を解析できるのだ。そこには弱点もあるだろう。


「シニッカ、彼の本名は?」、と聞いたのは魔女らしい生態といえた。彼がディランと名乗ることに偽物臭さを感じていたし、敵の真名を突き止めることはあらゆる呪術で有用だから。


「ジャッキー・クリス・ドイル。少なくとも2013年にノースカロライナ州で死んだ時には、そういう名前だったわ。享年は21。出生地もノースカロライナ州。シャーロットという都市ね」、魔王は勇者の個人情報をならべはじめた。とある会社の空調が効きすぎた一室で、逆光を浴びている面接官が履歴書を見ながら応募者を問いただしているかのようだった。


 そんな空気だったからか、彼女はとんでもないことを聞く。「あなたもトラックで?」と、あろうことか敵へ死因をたずねたのだ。一種の圧迫面接に相手が驚き、目を丸くしたのを存分に楽しんでいる顔で。


 けれど「ああ、そうさ」、勇者は表情を戻した。この応募者は背すじをのばしてパイプ椅子に座りながら、真正面から質問へ答える所存なのだ。「雨の日だった。ハイウェイの85号線を生前の恋人の運転でドライブしていたんだ。レキシントンのあたりだったかな? ジャンクションで、馬鹿なトラックが車線へ割りこんできた。恋人はそれを避けようとしたけれど、トラックの後ろに引っ掛かっちゃってね。で、くるりとまわり止まったところへ、別のトラックが突っこんできたんだ」


「そうやって亡くなったあなたは、どうやらTPSのアクションゲームが得意だったようね。難度が高く、その上かなり残酷表現の強いやつが」


「最高といってよかった。強い敵が僕の手によって粉々になるところも、強い敵によって僕の操り人形がバラバラになるところも。殺してもいいし死んでもいい。あますところなく楽しめる、というわけさ。ゴア表現Modまで入れて遊んでいたんだよ!」


 ディランの言い草が変わっていく。採用面接に挑む応募者から、ドキュメンタリー番組でインタビューを受ける有名人のような雰囲気に。


「だからあなたの固有パークは『Gore Doll(肉片の人形)』なんて名前なのね。肉片の塊たる人間をコントローラーで操るなんて、さぞかし気分がよかったでしょう」


「傑作だった。僕が念じれば彼らはなんだってする。警吏の前で裸になったり、店主の前で盗品を食べたり。仲間の前でその恋人をなぐったり、見知らぬ母親の腕から赤子を奪って走り去ったり」


 彼の声は明るかった。しかもひとつひとつ話すごとに声は上機嫌の色を帯びていく。


「あれは一種の物語だったよ! たとえばウェアウルフの前で鎧を脱ぎ捨ててくれたオークの女戦士。あれはさながら赤ずきんだった。ずいぶんみにくかったけれどね! 走る馬車へ果敢にも全力で突進してくれた騎士はどうだろう。あれは馬を失ったドン・キホーテそのものだったんじゃないだろうか? クラン・リーダーに追われた3人のパーティーメンバーは? ひとりひとり追いつめられていく様は3匹の子豚だったかも。もちろん今あげた全員が死んじゃったけれどもさ!」


 身振り手振りもおおきくなって、彼が心を躍らせているのが見て取れた。そのさまは徐々にエスカレート。ついには飛びはねて踊るかのように、自分がしたことを見せびらかす。


「冒険者を使って、洞窟の奥からドラゴンをつり出したのは楽しかった! 生餌が瀕死の餌になって、あれこれ引きずりながら地上に出てきたその男を、竜が踏みつぶすだけ踏みつぶし、結局食べなかったのは笑えたよ! それから恋人と手をつなぎながら化け物になったロシア人も!『ロシア以外では彼がダンジョンの中に潜る、ロシアではダンジョンが彼の中に潜る!』」


 強引なたぐいのロシア的倒置法。通常はジョークとして口にされるものなのだけれど、グリゴリーが害獣――ダンジョンの一部に化したことで、これはただの悪意といえた。


 そういう悪意に対し、魔王は即座に反応する生態を持つ。


「人の命を使って遊びに興じるのが好きなのね。それじゃ、あなたにひとつ教訓をあげる。『通常の場において、あなたは人の命をもてあそぶ。魔王の前において、命があなたをもてあそぶ』」


「ははっ! その強引さは、まさにロシア的倒置法そのものだ」


「そうかしら? あなたがいきなり自分の腕を切り飛ばしたことについて、私は今でも『どうしてそんなことしたんだろう?』って疑問に思っている」


「なに?」、マイクのスイッチでも切れたかのように、会話がすんっと一瞬で止まった。相手の言ったことがジョークだったのか本気だったのか、判断のつかないような間が生じたせいだ。むろんそれは冗談じゃなく、勇者の罵声を呼ぶ結果に。「ああ、そういうことか! あれは毒なんかじゃなかったのか、クソ魔王!」


「『自分の命にもてあそばれた』わね。人間の前において、あなたは相手を毒牙で噛む。けれど悪魔の前において、相手の毒牙があなたを噛むの。お忘れなきよう、生きているうちは」


 ディランが「やってくれたな!」と大声を上げると、イヴェルセンがすっと手で制した。かわりにそれを見ていた魔女が、心の中で「やってくれたね!」と喜ぶ。シニッカが嚙みついた時、「いつの間にヒュドラーの毒を歯へ潜ませていたんだろう」なんて思っていたのだ。


 まさかブラフだとは思わなかった。おかげで悦に入っていたディランもすっかりおとなしくなった。


(さて、続きを聞こう)


 相手が攻撃してこないのなら、こちらの分析が続くだけ。そうやって弱点を探し出せれば、この戦いへ決着をつけられる。


「さて、ディランもしくはジャッキー。あなたは契約によって人形を手に入れ、それを自由自在に操れる。そしてこの『契約』の部分において、イヴェルセンの力を借りたのは正しいと思うわ」


「先に言っておくけれど、僕はディランだ。それ以外では返事もしない。それと、僕とイヴェルセンの相性については言われるまでもない。君の足元へ転がっている右腕は丁重にあつかえ。そこいらの連中のものよりずっと価値があるんだから」


「自分で切り離したのだから、自分で面倒を見なさいな。ともあれディラン、あなたの固有パークの特徴はやっかいね。『熟練すると操り人形の能力を成長させられる』だなんて」


「そんなところまで見られるんだね。君は世界で一番個人情報を渡したくない相手だったから、正直奥歯がすり減りそうだ。けれどさ、僕の能力はそれだけかな? 続きの文章を読むべきじゃない?」


「自身満々ね。そこまで言うなら最後まで読むわ。待ちなさい」


 シニッカは黙り、固有パークの文章を読み進めているようだった。しばらくそうしていた彼女は、徐々にうっすらと眉間へしわをよせていった。


 イーダの心へ「嫌な予感」が去来する。ディランの固有パークにはまだ秘密が隠されていて、それが今まで姿をあらわしていないとしたら、対策が難しいに違いないのだ。その場合、今までその力を使わず、結果大けがをした理由はわからないけれど。


「……読み終えたわ。なるほどね」、魔王は読了をつげ、そのまま質疑応答へうつる。「で、ディラン。()()()()()()()()という認識は正しい?」


「ああ、そのとおり。ついでにアピールポイントものべておこう。今の僕は毒の力を使えない。そこの忌々しい魔女のせいで、全身あちこちやけどしちゃったから。でもさ、夢の中ならそうはいかない」


 周囲に配慮しないほど文脈高く行われた会話ののち、勇者が浮かべたのは勝ち誇った表情。


(なにが起こっているの?)


 イーダは形勢の判断をしたくなかった。せっかくここまで優勢を築けたのに、悪い方向へかたむくことを受け入れたくなかったのだ。けれどそうもいかなそう。砂浜へ築いた城が満ち潮を回避できるわけもない。


「イーダ」、親友がこちらをむいた。その顔に絶望とか苦悶とはなかったのだけれど、「トラブル発生よ」くらいの問題点が見て取れた。


「いいニュースと悪いニュースがあるけれど、どちらからにする?」、お決まりの文句。


「じゃあ、いいニュースから」、こちらも決まりどおりの返答。


「敵はかなり疲労困憊よ。しかも我々に包囲されている。私たちに噛みつけるとして、たったいちど。一嚙みぶんの体力しか残されていないの」


「がんばったかいがあったね。じゃあ悪いニュースは?」


「その一嚙みで、この国の全人口を殺せることくらいね」


 言葉に、そろって敵のほうをむいた。不敵に笑うオヴニルに、からっと笑う勇者ディラン。


「シニッカ、説明をして欲しいな。彼らの口からは聞きたくない気分だよ」


「レベルアップという概念は知っているわよね? 固有パークの説明文でいうところの、最後のかっこの部分よ」


「うん、知っている。あれは文章の更新回数だよね。いくつだったの?」


「『(3)(かっこさん)』よ。説明文によると、ディランは『負かした相手を殺さない』とか『強い敵と本気で戦う』ことで経験を積み、それが一定以上に達するとレベルアップできるらしいの。そして1回につきひとりぶん、操った人間の能力を奪うことができる。本人に使わせるんじゃなくて、自分の力にしてしまえるの」


 魔王がそこまで説明した時、待ちきれないといった具合に当のディランが口をはさんだ。「いや、本当に君たちは強かったよ! なにしろ僕がレベル3になったのは、ほんの1分前のことだしね!」


「今さっき⁉︎」、イーダは自分でもわかるほど苦々しい声を出してしまった。くらり、めまいすら覚えてしまう。


 これはずる(チート)だ。なんだって勇者ばっかり、こんな絶好のタイミングで事態を打破する事象が発生するのだ。心でそんな悪態をついたからか、めずらしく魔女は舌打ちをひとつ。


 でも逆境に文句を言っても勝てやしない。悪態なんて、立ちはだかる壁を壊すハンマーとか、乗り越えるはしごなんかになってくれないのだし。


 まずは現状を受け入れる。視線をディランからシニッカへうつす。「かっこの中が3なら、2回レベルアップしているよね?」


「ええ。おそらく1回目でグリゴリーのダンジョン生成能力を手に入れた。そして今回は、勇者トマーシュのものを手に入れたと思われるわ」


「トマーシュさんの力って、具体的になにかわかる?」


「ストリーミングのプラットフォームにアクセスできること以外は、なにも」


 ディランの固有パークは、これまた勇者らしいチート(ずるい)能力だった。勇者同士が殺し合いをできないという決まりごとの中で、「他の勇者の力を奪える力」なんて今までに聞いたこともない。だからこれは危険だ。条件が決められているとはいえ奪える能力数に上限はなさそうだし、何回も繰り返していけば、あっという間に「大陸最強」は彼の称号になるだろうから。


「会議は終わったかい?」、ディランは嬉しそう。こんな短時間で、ふたたび悦に入っている。「2回目のレベルアップの瞬間は、それはもう嬉しくて腰を抜かしそうになったよ。僕って()()()()()よね。こんなピンチで成長するなんてさ。おかげで最終手段が手元にできたんだ。本当は君らを精神的にも屈服させたかったから、なるべく使いたくないんだけど、そうもいかなそうだ」


 そこまで言われたら聞かざるを得ない。イーダは意を決して、ディランへその最終手段とやらを話すようにうながした。「それで、あなたがふところへ忍ばせているとびっきりのナイフはなに?」


「驚くことに、とてもシンプルなものだよ。とある魔術で、手順はたったふたつなんだ。ひとつ、この前と同じく白昼夢を展開させる。これは君も経験しているよね?」


「……ふたつめは?」


「これがすごくてね!」とディランはおおげさに両手を開いた。そして信じられないことを言い出したのだ。


「そこへ、()()()()()()()()()()んだよ!」


 それは禁じ手といわれているもので、つまり大量虐殺(ジェノサイド)


 絶対に許してはならない、最悪の手段だった。

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