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笑うウミヘビ 41

 地球で産まれ、地球で育ち、地球で死んで、フォーサスに生きる。その中で、飯田春子はイーダ・ハルコに変化した。


 と思っていた。


 しかし自分の真名はイーダ・ハルコじゃないかもしれない。いや、ない可能性が高いといえる。


(それを信じるなら、呪いはそもそも私にかかっていない!)


 巫女と交わしたのは真名を使った契約だ。魔法契約書(ゲッシュ・ペーパー)がぼんやりと光ったのを考えると、あの時は偽名でも契約は成立してしまっていたのかもしれない。今になって自分の真名が別にあると気づいたからこそ、契約が無効になったのだと。


 もしくはあのいじわるな契約書のこと。すべてわかった上で取引が成立したようなふるまいをしたのかも。その場合、あの巫女にはご愁傷様だ。


 ともかく可能性はおおいにある。あとはそれを信じて行動にうつせるかどうか。


(そんなにうまい話があるかな? 私がこの氷の檻を出た瞬間、命を奪われるのかもしれない)


 ひとまず慎重な意見を頭に浮かべてみた。ここで一歩踏み出し、結果命を奪われるようなことがあれば、この世で最初のダーウィン賞受賞者は私だ。おもしろおかしくストリーミングのネタにされてしまう。


 と考えるも、心はその疑問が「一応考えておくか」程度の労力によって生み出されたものだと理解してもいた。


(どうせこのままじゃシニッカは殺される。私も将来的には殺されるだろう。ならやることなんてひとつしかない!)


 やると決めたら私はやるのだ。


 さて、問題となるのは手段とタイミング。まずは手段。


 残念ながら(そしてうかつなことに)勇者へ最大値の攻撃を見舞える毒の入った杯は、ここに入ってくるタイミングで水路へ落としてしまっている。あれがあったらと悔やまれるけれど、まだ頼れる武器がある。袖の中に装備し直した白樺の枝だ。


(白樺を使って、たいまつのルーン『(セン)』を付与すれば、勇者にも多少ダメージがあたえられる。彼はそれで毒を使用不可能な状態になっているんだから。けれど、それだけじゃ足りない。他の手段を――)


「では魔王、貴様の遺言はこちらで用意しておく」、思考に割りこんできたのはイヴェルセンの声。彼は見せつけるようにフレイルを構える。同時にディランも背中をむけ、ふたりの元へと進んでいった。


 ――考えている時間などなさそう。敵が背を見せた今が、まさに行動を起こすタイミング。


(もうやるしかない!)


 両手へさっと白樺を6本。氷を砕き、敵を驚かせ、シニッカの命をつなぐと決めた。


 矢先――


 ちらり。魔王がひとつ、目くばせをした。


(っ!)


 彼女は歯をむき出しにして笑っていた。長い八重歯を見せつけるように。いかにも悪魔のやりそうな所作ではあったけれど、ととのった顔立ちを崩すことなく、いたずらな少女の表情へしているのはさすがというべきか。


 普段のシニッカどおりなのだ。勇者を殺す時ですら、彼女は不気味さを顔へ浮かべない。実はその裏で残酷な本性が舌なめずりをしているのに、多くの人はそれに気づきもしない。仲間たる人々以外は。


 そして仲間のひとりであるイーダにおいては「歯を見せた」という行動の裏さえ考えるもの。


()()()……か)


 そう分析をしていると、イヴェルセンが武器を振り上げていた。もう寸分の時間も許されていない。


 でも十分だ。


(うん、やってみる)


 狙いはわかった。すっと息を吸う。


「――<(ウル)>!」と叫んで魔女は駆け出した。自身を雄牛に変えながら。敵をふたりはさんだむこうでは、シニッカも同時に走り出している。「よーい、ドン!」のかけ声もなしに、たがいに噛みあった歯車のように。


 氷を砕いた魔女に対しては、すぐにディランが振りむいた。


「おいおい!」、まず彼は驚いた。魔女が自殺したのだと思ったから。でも一瞬でそれが間違っていることに気づく。彼女が契約に命を奪われそうには見えなかったのだ。


 舌打ちしている時間すらない。突っこんでくる魔女にあわせ、横なぎに思いっきり剣を振るう。でもとっさに繰り出してしまったがゆえ、あまりに単調な――予測しやすく、避けやすい攻撃になってしまった。


 剣が切ったのは空気だけ。ひらりと魔女は飛び上がっている。あわてたディランはぱっと見上げた。前方宙がえりをかました魔女が、自分の頭上で逆さまに。黒い瞳と目があって、ぞわりと背すじをなでられた。


(こいつ!)


「――<(イオー)>!」


 放たれたのは蛇のルーン。白樺の小枝が2本、姿を変えて襲ってくる。ディランは痛む体に鞭を打ち、息を吐きながら全力で前転をかました。背中を蛇がかすめていって、地面へガガン! と切れこみを入れる。


 その攻防の逆サイドでは、魔王もイヴェルセンへ突っこんでいた。紙へ走るペンのようにスルスルっと床を駆け、右手に持った短刀を自身の脇へグッと引く。


 駆ける軌道は曲線なれど、こちらもこちらでわかりやすい突進。イヴェルセンの側からすれば、「なんと安易な」と口にしたくなるような。けれど背後でなにか起こった気配。まさかとは思うが、魔女が動いたか?


(いや、まずは魔王だ)


 意を決する。彼はフレイルの鎖を迎撃点の長さに調節しつつ、力をためるため半歩下がった。鎌首を上げる蛇のように。


 スヴァーヴニルたる魔王はすぐに飛びこんできた。オヴニルは踏みこみ、鎖でつながれた牙を振るう。しかし――


 ダンッ! なぜか相手は急停止。星型鉄球は空を切った。「ちいっ!」、すかさず腕を止め、手首を返して第二撃目を放とうとした時。


「――<(ニイド),( )(アスク)>」


 ルーンをふたつ。そして魔王は持っていた短剣をふわりと宙へ放り出した。相手は自分の目の前で棒立ちになり、しかも武器まで手放してしまったのだ。


(なんだと⁉︎)


 異常事態にイヴェルセンは思考を加速させた。演算回路に電気の流れるがごとく、高速で高密度な情報処理だ。


(なぜ止まる? なぜ武器を手放す? やつの左腕はほとんど動かないはず。私が次の攻撃を放ったなら、やつに防ぐすべはないというのに。ディランの側はどうなっている? 魔女が動いた気配もあった)


 敵は目の前にいるというのに、なぜか背中に嫌な気配が。振り返ることなど許されないのに、振り返らなければ危険があると感じる。


 体はよくできたもの。知能は思考をこなしながらも、本能が四肢へ最適な電気信号を流し、筋肉へ「横へ避けろ!」と指令を出す。だからオヴニルは攻撃をやめ、さっと横へ身をかわすように動いた。


 結果、その行動は自身の致命傷を避けるために正しく、けれど自分たちの勝利をたぐりよせるには間違っていた。


「――<(ラド)>」、唱えたのは目の前にいるスヴァーヴニルの女。激しい運動によって視界へ広がっていた青い髪が、イヴェルセンの視界からふっと消え失せる。


「っ⁉︎」、逡巡するも、すぐに「――ディラン、避けろ!」と彼らしからぬ大声。消えた魔王の行く先なんて、どこにあるのかわかっていたから。


 叫び声を聞いた勇者ディランは、その時魔女を追おうとしていた。自分の後ろへと着地した魔女へ振り返り、彼女の無防備な背中を突き刺さんと、一歩目を地面につけた瞬間だった。しかし――


 ぱぁっと足元が光る。危機感が脚へ急停止を命じ、眼球へ捜索を命じた。動体視力のいい両目が発見したのは、床へ描かれたひとつのルーン。


(――(レイズ)⁉︎)


 光り輝く文字は騎乗や旅を意味するもの。ラドとも呼ばれ、魔界の連中が繰り返し使う瞬間移動の魔術だ。


 さっきの魔女の攻撃は、これを刻むためのものだったのか。


 すぐにそれは女の形になった。いや、青い髪の女がそのルーンを踏みしめていた。「くそっ!」と悪態を放ち、とっさに彼女を押しのけようとする。しかし繰り出した右手は魔王に届かない。途中でいばらに巻かれ、がっちりと受け止められてしまったから。


「いただきます」「はぁ⁉︎」、短いやりとり。直後、するどい痛みが手に走る。


(噛みつきやがった!)


 まとわりつくいばらのむこう側、魔王に指を噛みちぎられた。真っ赤な鮮血がふわりと舞い散り、宙へ綺麗な珠を作った。その赤い球体たちの中、ディランは目ざとく発見する。決して見すごしてはならないものの存在を。


 濃緑色のしずく。見覚えのある、毒々しい――


「くそがぁ!」、叫んで左腕へ持った剣を振るった。ひじと手首へスナップを利かせ、コンパクトに振り抜いた。目指す先は魔王、ではない。自分の右腕、ひじの下あたりだ。


 ドシンッ! と鳴ったのは腕を切り飛ばした音。昨晩のベヒーモスと同じく、ディランもまたヒュドラーの毒が体にまわらぬよう、トカゲのまねをする羽目になった。それはとても腹立たしいこと。奥歯を砕かんばかりに食いしばって、両目で魔王へ怨嗟を叫ぶ。


 ともかく地を蹴り後退し、彼は魔王と距離を取った。回復魔術で止血をし、ひとまずすきをつぶすのだ。そんな彼の視界には、イヴェルセンへせまる魔女の姿が。


 彼女は走りながら右腕を振り上げていた。1匹の蛇へ兄弟ができたかのように、2本の枝も蛇刀となってイヴェルセンへと襲いかかった。垂直に振りおろしたから、イヴェルセンが本能で行ったサイドステップによりかわされてしまう。かわりに床板が派手に砕けた。


「たあぁっ!」、左手の白樺で追撃。こんどは綺麗に水平方向。3匹の蛇鞭が楽譜の横棒のような等間隔でもって、オヴニルの男へ走っていった。


 彼は体を折り曲げ低く構えた。最上段の一撃が頭の上をとおりすぎるくらいに。残る2匹には対処が必要。フレイルの鎖を左手でグッとつかむと、じゃらりと引き出し、自分の側面へピンと張る。盾の言遊魔術(ケニング)を「<盾よあれ(船の囲い)>!」と叫びながら。


 ギィン! 鳴った音はフォルテッシモ。でも攻撃は止まらない。たわんだ蛇が打楽器のように背中を打ちつけ、彼は口からうめき声を漏らした。防御魔術を使っていなかったら、今ごろ背中へギンヌンガ・ガプのような深い切れこみを2本入れられていただろう。


(ディランと分断された。これは不利か)


 勇者の状態はわからないものの、どうやらあまりかんばしくない。彼は早々に合流を決め、自分の脚へ「<(レイズ)馬よあれ(グラニの花嫁)>」と加速を命じた。すぐに飛んできた魔女の執拗な攻撃――癪なことにまるでからみつく蛇のような――を、間一髪でかいくぐる。全速力で目指すは魔王の背中。やられたのなら、やり返すのだ。


 ――が、ぐずり、左肩が鈍く痛む。後ろからなにかするどい物に刺された感触。この角度から攻撃できるのは、あの忌々しい魔女だけだ。


「っぐ……」、うめき声を上げる。襲ってきたのは痛みだけではない。突然体から生気が抜けた。油断をしたら倒れてしまいそうなほど。肩に刺さったのは蛇の鞭ではない。どうやら魔王の短剣だ。それも魔術がかけられている。


(先ほど魔王は『(ニイド)』と『(アスク)』を唱えたな)


 不足のルーン(ニイド)に接続されたのは、トネリコのルーン(アスク)。世界樹はトネリコの大樹。世界樹が不足する、なんて意味を持つことだろう。


(やつめ、枝嚙み蛇から世界樹を奪ったのか!)


 イヴェルセンは攻撃をあきらめた。振り返った魔王を飛び越えて、真っ先にディランと合流することを選んだのだ。ふたたびずるりと左肩が痛み、短剣が引き抜かれていった。よろめきながら恋人の元へ。短剣の魔術が効果を失い、なんとか生気も戻ってきた。


「ディラン!」、声をかける。しかし返事はない。


 彼は右手を失っていた。やけどだらけの顔も苦痛でゆがんでいる。


 自分の肩の負傷を手で触って確認する。少なくない流血が手のひらを赤く汚した。振り返ると、蛇鞭の先端へむすばれた短剣が、先ほど自分のいた場所にコロリと転がっていた。


(あれは魔王が宙へ投げた物。魔女め、床に転がっていたあれを、最初から利用する気だったのか)


 いや、もしかしたら魔王はそれを考えた上で、短剣を離したのかもしれない。自分が正面から攻撃してもかわされる。だから魔女に渡して、死角を突かせたのだ。


(声も出さず、おそらく青歯王の魔術すら使わずにそんなことを伝えたのか? いや、そもそも声で伝達できるたぐいの作戦ですらない)


 思い起こしてみれば、最初の同時攻撃のタイミングをどう計ったかも不明だ。それに魔王の転移魔術。ルーンをディランの足元へ書いたのは、魔女のしわざだろう。


 彼女らはなにかの繊細な手段とか、こちらが知らない情報伝達魔術とかを使用していない。「目くばせひとつ」でやってのけたのだ。


 自分たちと同じく、魔王と魔女も合流する。双眸へ戦意を、口元へ微笑を浮かべあう彼女らは、ごくごく落ち着いた雰囲気でならび立っていた。魔女のひろった短剣を、魔王がにこりと受け取る、そんな様子で。


 魔女が口を開く。「だましてやった」


「やると思った」、魔王が応じる。


 ああ、こいつらは、こいつらには絆があるのだ。それはグレイプニルよりも断ちがたく、ミョッルニルよりも壊れがたい。フギンとムニン、ゲリとフレキ、あるいはスコルとハティのように別れがたいふたりなのだ。


 カールメヤルヴィから魔女を取り上げても、魔女からカールメヤルヴィを取り上げることはできない、の言葉どおりに。


 では自分たちはどうだ? 勇者と枝嚙み蛇(オヴニル)という、特異な恋人同士たるふたりの男は?


「イヴェルセン、僕に策がある。いや、策ができた」


「奇遇だな、ディラン。それを使う時だと、あるいは『そろそろ使えるのではないか?』と、言おうとしていた」


 負けようはずもない。もう10年近く一緒にいるのだ。


 追いこまれたオヴニルは、今いちどスヴァーヴニルへ噛みつこうと決めた。

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