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笑うウミヘビ 37

 サカリは疾風のように滑空するトマーシュの背中を追う。たしかに速い。言遊魔術で速度を底上げしていなかったら、そして自分が鳥の体を持っていなかったら追いつくことなどできなかったろう。けれど今はそれが目の前に見える。障害物を避けるため宙にあるゆえ、ひどく不安定な操り人形の背が。


 最後のひと押しにルーンを刻む。「<(ウル),( )ᚪᛣᛏᛁᚠᚩᛁ(アクティヴォイ)>」と雄牛になって、2羽のカラスが体当たりをした。言遊魔術が刃を生み出し、操り人形を工房内へと飛ばす。ガシャン、ガシャンと物を蹴散らし、彼は机へ落下した。それが痛かったのか、それとも「よく俺を止めてくれた!」と言いたかったのか、彼はおおきなうなり声を上げる。


「追いついたぞ、トマーシュ!」、2羽の口からステレオで叫んだのは、自分の存在をはっきり知らしめるため。ここには魔王がイヴェルセンと戦っているから、到着をわざわざ教えてやったのだ。


 すぐに主人から反応があった。「遅かったじゃない! あなたがくる前に、オヴニルを飲みこんでしまうことろだったわ!」


(オヴニル? もう一匹の枝嚙み蛇の? まさかイヴェルセンが……)


 サカリも頭のまわる男だ。魔王がわざわざ口にした言葉の意味くらいは瞬時に理解してみせた。


「こちらも手一杯でな! 援護はできん! ()()()()勝手に戦え!」


 これで「理解した」ことは伝わっただろうと、サカリは半壊した蒸留器の上へ羽を休める。そして自身の敵へと目線をやった。勇者ディランに操られている人形は、血の色の目をこちらへむけている。魔王を倒すよりも先に、こちらを排除すると決めたようだ。


 傀儡にあらがう彼の身には、今も激痛が走っていることだろう。


 4つの瞳でまっすぐ見返し、くちばしを上げて語りかける。


「さて、あきらめないことを覚えた男よ。君が我々ヴィヘリャ・コカーリの前にあらわれたのは必然といっていいだろう。なぜならカールメヤルヴィは医療の国といわれていて、君がすがるにふさわしい相手だからだ。今は細い糸に見えるだろうが、なに、案ずるな。それは太き蛇の尾なのだ。君を世界樹の上へ引き上げてやろう」


 彼なりの戦意を口にした。めずらしく口数も多め。なぜならサカリは、こういう骨のある人間が好きだったから。


「成功とは失敗から失敗へと渡り歩くこと」とは魔王から聞いた言葉(おそらく地球人が語ったところの引用)だったが、逆境に挑む姿はひどく美しいと思うのだ。たとえば滅びの予言を「そういう運命だ」などとあきらめるのではなく、「未来を変えてやろう」と強い気概を持ち立ちむかう姿が。彼の記憶にある主神オージンは、ラグナレクに対してそのような姿勢を取っていた。広く語られる北欧神話の彼と違い、未来を変えようとしたから知識を欲したのだと。


 とくに最近、それに似た姿をよく見かける。イーダ・ハルコなる魔女のことだ。むかい風が強ければ強いほど高く飛ぶ、鳥のごときあの少女と、苦痛が強ければ強いほど奥歯を噛みしめ笑う目の前の男は、同じ目の輝きをしていると感じていた。


 自分が少し高いところにいるから、彼の姿はよく見えた。力をためるように両脚を曲げるのも、手にした剣が鈍色に光るのも。そしてバン! という音と一緒に、彼のいた机がへし折れるのもだ。


 それを聞き、カラスは羽音高く舞い上がる。けたたましい音が背後から。半壊した蒸留器がただの残骸になった。翼をかすめていったのは、まき散らされた音速の破片か。


(しかし速い。人の身で戦うのは無理だな)


 悪魔種としての姿をそうそうにあきらめて、ふたつの体を持つ2羽ガラスは、おたがいをカバーするように機動すると決めた。勇者はひとりだけゆえ、どちらかにしか攻撃できないと踏んだのだ。


 意識をフギンとムニンの両方へ割く。片方へよせるより感覚があいまいになるが、外から敵と狙われているほうの自分を見るほうが回避もしやすいというもの。


 案の定、トマーシュは片側――フギンを追った。蒸留器跡地から飛びあがると、どうやったら空中でそのように動けるのか、直角にむきを変えて飛びかかってきたのだ。


 ひらりとひとつ避けながら、フギンは敵を阻害した。


「<(ソーン)盾よあれ(戦の板)>!」


 展開したのは自分の前ではなく、高速移動する操り人形の鼻っ面。容赦ない速度で突っこんだ彼は、ブチンッ! といばらの網を抜けるも、その速度をずいぶん落とした。


 もがくように落下していくトマーシュへ、ムニンが突っこんだのは、そのタイミング。


「<(スタン)斧よあれ(血の残り火)>!」


 腹へ突入したのは、石のルーンを使ったカラス。全身を重い斧へと変えて、頭から体当たりしたのだ。


 ドチン、というなんともいいがたい音を空中に残したあと、操り人形は別の机の上へと落ちる。これまた派手に天板を砕いたから、そろそろ工房復旧の費用を記した見積書が、百科辞典のような厚さになっているころあい。などといらぬことを思ったサカリは、これはいかんとすぐさま宙へ舞い戻る。その判断は正しくて、尾羽根の先が剣戟で刈られた。


(さあ、どうしたものか。こちらの攻撃は効果が薄い。私が200羽もいればそうでもないだろうが、現実はその100分の1。やはり虚をついて、罠にはめるしかない)


 トマーシュがここへくるのは予想済みだ。というよりも、彼をおびきよせるために魔王とイヴェルセンをここで戦わせたのだ。ゆえに罠も設置済み。ただし少々あつかいにくいから、慎重にかつ大胆に相手をおびきよせなくてはならない。


 と、背すじにピリリと感じる刺激。操り人形の攻撃の予兆。どうやら作戦をじっくり考えるひまもない。


 トマーシュはふたたび空を駆けた。翼もなければ飛行できる種族でもないのだから、これは魔術といっていい。けれど宙にある彼はどこか不安定な体制だ。たとえるなら暴走する馬に振り落とされ、手綱へ必死でしがみついているような違和感があった。


(ああ、魔術の操り糸が彼を引っ張っているのか)


 とんだ人形劇だ。舞台を飛び出して宙へおどり出るなどと。


 しつこく狙われているのはフギン。壁に衝突しないようゆるやかな弧を描いて飛ぶ彼に、人形も追従していた。両者とも高速で飛翔しているから、おおきな国旗やら壁掛けの燭台やらが風に巻かれて身震いをした。


 全力ではばたいたところで、じわりじわりと距離がつめられる。長時間相手に背中を取られるのは気分のよいものでない。ここは空中戦の経験値を見せる時。フギンは部屋のすみへ飛ぶと、対角線へと急旋回する。むろん、その程度では振り切れないけれど、それこそ狙いどおりでもある。


 彼はまっすぐ飛ぶのではなく、らせん状に機動した。現代地球でいうところのバレルロールというやつだ。同じような速度で飛ぶトマーシュは直線機動。前進するにあたり、サカリは直線機動よりもよぶんな距離を飛ぶことになるから、距離が一気に縮まった。


 そこで翼をぐわっと広げてやる。さらなる急減速によって、トマーシュを前へ飛び出させた。これで攻守の位置は交代。すかさずサカリは魔術のトリガーを引く。


「<(スタン)矢よあれ(弓弦の雨)>」


 戦闘機が機関砲を撃つように、黒い翼から石弾が放たれた。それは人形の赤い皮膚の上でバシッ、バシッ! と花火のように弾けた。それで制御を失ったか、彼は方向を変えられずに壁へと衝突する。いくつかの棚を巻きこんで、見事なまでに墜落したのだ。


「<走れ、(ウル)>!」、容赦なく2羽が突入した。破片に埋もれたトマーシュの体に、猛牛と化した2羽ガラスの体当たり。石造りの固い壁へ人の型を刻まんほどに、トマーシュを深く打ちつけるのだ。


 衝撃に人形の四肢が2回ビクン! とはねたところで、サカリはふたたび宙へ戻る。これだけやっても、それほど効いていないだろうから。これはなんとも心折られる。ただ、彼の体を離れる直前、その表情を見られたのはよかった。


 痛みに奥歯を噛みしめながら、ニヤッと笑うトマーシュの顔を。


(彼の意識は失われていない。これだけ攻撃を当てれば、傀儡師も熱くなってくるだろう)


 敵に脅威と思われれば思われるほど、罠の成功率はあがるというもの。こちらは順調に戦いを組み立てられている。


 では、魔王はどうだ? 大怪我をしていたように見えた。視界へ彼女をとらえると……懸念どおり、あまりかんばしくなかった。


 魔王は片腕の自由を失った上、体があちこち痛む様子。オヴニル――イヴェルセンの攻撃を防ぐのに精一杯で、反撃の予兆すら見えてこない。敵の攻撃に何度もはじき飛ばされながら、なんとかバランスを取っているだけだ。いばらのルーンで無理やり動かしている片腕が、ぶらぶらとゆれて痛々しい。


(情けない。しかし、あまり時間はかけかれん)


 小憎らしい小娘ではあるが、あれでも自分たちの盟主なのだ。彼女が死んだ時点でヴィヘリャ・コカーリ、しいてはカールメヤルヴィ王国がこの戦いに敗北する。そうなった時、次に魔界へくるのはオヴニルの化身のいれずみ男。あちらはもっと、いけ好かない。


(イーダの状況もわからん。長引けば不利だ。無理をするなら今この時。半身くらいは覚悟しよう)


 自分の片側を殺されれば、人の姿へ戻った時に身動きひとつ取れなくなる。しかし死ぬわけではない。


(さて、やるか)


 4枚の翼へ魔力をまとった。


 サカリは覚悟を決めたのだ。

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