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笑うウミヘビ 36

 工房の中、スヴァーヴニルとウミヘビの戦い。攻撃を次々といなしていく魔王へ、イヴェルセンは少々じれていた。


 彼女の立ち振る舞いには華があり、人の視線へよく映える。調停会議の時も、先日の配信の時も。周囲の人間の画角へ自分がどう映りこんでいるかを理解しているようですらある。ここにはふたりしかいないというのに、その所作をくずさない。


 その彼女の口が、そっと開いた。見えるのは長い八重歯と長い舌。現在はクイズをからめた白兵戦の真っ最中。ルールで定められたとおり、魔王から次の問いが出題される。


「それは『白冠の山』と呼ばれている。岩の家のうち、床面と天井がもっとも離れているもの。それは入浴をするオリュンポス山である。その名は?」


 答えるかわりに、イヴェルセンは鎖を横へ薙いだ。魔王がフッと消えたから、攻撃は彼女のむこう側へ。手ひどく破壊された机が、よけい散らかされて派手に泣く。その音へ隠れるように、魔王が姿勢低く駆ける音。机の影に隠れたままということは、またなにか思いついたのだろう。


 追跡する前に解答の期限。


「岩の家」は山のケニング。その床と天井がもっとも離れているのだから、つまりもっとも高い山という意味。ただし『エベレスト』ないし『チョモランマ』と答えるのは死と同義だ。その山は()()()()()()ようだから。


「『マウナ・ケア』だ」、彼は答えた。海底からの高さをあわせれば、地球一高い山の名だ。フォーサスにもこれを超える山岳はないはず。あったとて、それを100万人が知っているはずもない。だから地球のハワイ諸島にある白い山――マウナ・ケアが正答だった。


「ずいぶん簡単な問題を出すではないか、魔王よ。疲労で余裕を失っているのか? それとも知識の源泉がつきてきたか?」、彼は歩を進める。相手は隠れているというものの、おおよその見当はついている。


 その魔王は机の影にいた。ふたたびちょこんとしゃがんみこみ、舌なめずりして悪い顔。両手に魔化水――魔力をふくんだ錬金術用の水――でいっぱいのフラスコを持っていたら当然か。「ミーミルが夏季休暇を取ると思うの? 泉の水は飲んでおくから、あなたは問いを出しなさいな」と返答した彼女は、2つのちいさな魔石を懐から取り出す。そこへすばやくルーンを刻み、おのおのを魔化水へ入れた。


 そして、わざとだろう、脇にかかえた2本の槍を、机へカタリと立てかけるのだ。


 ここにいるからやってこい、と言わんばかりに。


 挑発へ、ウミヘビは片側の眉を上げる。口の端も上がっているから「乗ってやろう」という意味だ。さりとてまずは出題を。「高い位置にある時は希望、低い位置にある時は絶望。家々の太陽を見張り、()()の管理をかかさぬ。年中実る果実を相手取り、これを収穫する。その名は?」

 

 ジャラッ! 間髪入れず、彼は鎖鞭を縦に振るった。机の影にいる敵へ、そのしなやかな武器でもって殴打を見舞うために。


 彼の左手からのびた鎖鞭は、それはもう嬉々として2本の槍の真ん中を目指した。机の上から体を打ちつけ、影に潜む魔王を噛み砕くのだ。勢いよく腹が天板に当たって、鎖の先端がネズミを狙う蛇のように机の死角へ飛びこんで……。


 でもそこにあったのは魔王の姿ではなく、ならんで立てかけられた2個のフラスコ。あっと思う間もなしに、鎖鞭はそれを粉々に砕いた。


 トラップだ。魔力たっぷりの水に入れられていたのは、『(ラグ)』と『(セン)』のルーン文字。組み合わせはヤネス2世の寝室で発生したのとまったく一緒。あわせれば大量の蒸気を生み出すペアが、産業革命の香りのする魔化学反応をもたらした。


(なんだと!?)


 視界が奪われたのは一瞬のできごと。部屋の中を真っ白な霧が覆う。これも先ほど王宮で戦った時と同じ結果だ。「ワンパターンが」と毒づきたくなるも、戦闘クイズをしかけた自分だってそうなのだから、これは魔王の皮肉だと舌打ちをひとつするにとどめた。


 カツン、背後至近距離に小石の落ちるような音。「――答えは『死神』」の声と一緒に。


(――後ろか!)


 軸足へぐっと力を入れる。床板を踏み抜かんとするくらいに強く。腕を振って、体をねじる。フレイルの鎖を縮め、この近接距離でも敵に当たるように。右腕を右下から左上へ、間欠泉のように突き上げる。


 ぶぉん、霧がくるくるまわった。迎撃は、なにもない空間を裂いた。「なぜだ⁉︎」と思う彼の足元に、()()()()()(オス)』の魔石が転がる。


 ――ああ、くそ。だまされたのだ。


 背後から衣服のすれる音。間違いなく、心臓を狙う枝嚙み蛇(スヴァーヴニル)のもの。


「貴様ぁ!」、イヴェルセンはめずらしく声を荒げた。顔を見なくても、相手が舌を出しているとわかったからだ。左手から鎖鞭を手放し、敵と自分の心臓との間で盾にする。これで少なくとも手のひら一枚分は、心臓へと遠くなるのだから。


 薬指の根本あたりが、火でも着いたかのように熱を帯びた。ようやく振り返ったイヴェルセンの目へ、「残念ね」と笑うまむし女の顔が映った。


 突っこんできた彼女は、近接から至近へ距離を縮め、最終的に接触をはたす。胸元へ体当たりをかまし、ウミヘビを押し倒した。右手には隠し持った短刀。イヴェルセンの左手3本の指を戦果に、赤く誇らしげに輝く悪童。


 そして左手は「<からめ、(ソーン)>!」、魔術とともにイヴェルセンの首を絞めた。ウミヘビの右腕を巻きこんで、絶対動けない形でもって。


 次の質問の手番は彼女だ。


()()()()()は切り取ったわ。これでディランと相談できない。そのいばらじゃ、満足に口を開くこともできない。では問題。地球に刻まれたギンヌンガ・ガプのうち、2番目に深いものはなに?」


 問いはシンプル。飾り言葉もほとんどない。つまり地球上の海溝の中で、2番目に深いものを答えろといった。地球出身者の力も借りられない上、万が一わかったところで首を絞められ声が出ない。


「5、4――」、魔王の無慈悲なカウントダウン。ウミヘビ男の唯一の武器は、中指から小指までを切り落とされた左手だけ。指先まで掘られた蛇のいれずみが、下の口と舌をなくした形だ。


「3、2――」


 いれずみ蛇は血反吐を吐きながら、頭を振りまわした。かたわらでそれを見ている者がいたのなら、不思議と苦痛でもがいているように見えず、どこか求愛ダンスでもしているように見えたかもしれない。恋人とのペアリングを探しているから、そう感じるのかもと。


 が、事実は違う。それは注意深く作戦を組み立てた男の左手であり、苦痛の中で勝利を疑わない意志の強さのあらわれであり――


 つまりそれは、笑うウミヘビだった。


「――1」


「『トンガ海溝』だ、魔王」


 左手の出血が『(オス)』のルーンの魔石へ届いた。今しがた魔王が使ったばかりのルーン・トラップだ。時間ぎりぎりで正答を口にし、まずは新たな主人の命を救う。


「なぜ?」


 魔王の端麗な顔が、相貌をはっと見開いた。「なぜ地球の知識を、勇者の支援もなくお前ができたの?」という意味だ。至近距離でそれを見たから、イヴェルセンは自分の顔がそこに映りこんでいるのがはっきり見えた。自分が首を絞められていて、にもかかわらず不気味に舌を出して笑っているのが。


 その鏡になった目がまばたきをひとつ。すると彼女は疑問を捨て、戦意の色を取り戻した。右腕と首を絞めるいばらが力を増して、いよいよ殺しにかかってくる。けれどこちらにも左手があるのだ。だきかかえるように魔王の背後へまわした手の指先から、今だ流れる血のインク。そいつをたっぷり使い、敵の背中へ2画のルーンをひとつ刻んだ。


「――<(カウン)火よあれ(木々の災厄)>」


 腫物(はれもの)――苦痛のルーンへ火炎のケニング。一瞬明星のように強い光を方々へ放ったそれは、出血があったせいで加減を誤ったか、バァン!――と爆ぜて部屋をゆらし、2匹の蛇を丸ごと焼いた。


「きゃあぁ!」、悲鳴すらよくとおる声。魔王は火の上へ転がって、すぐさま自身へ水の魔術を行使した。ゲホゲホと咳きこんでいるのは、高温ガスが肺へ入ったからだろう。


 一方の蛇は火も消さず、苦しそうにしている女の前に立っていた。焼けたいばらをブチブチと千切りながら、右腕をぐぅっと開いていく。たっぷり力がたまったころに、ぶぉんとおおきな音がひとつ。


 横なぎに一閃、フレイルが魔王へ飛ぶ。


「⁉︎<(エオルクス)>!」「遅い!」


 ミシリと重い感触があった。バキバキと手に伝わってくるのは、相手の骨が折れる音。まず左腕上腕の1本。しかしそんなもので突進は止まらず、さらに肋骨を何本か砕く。「っぁ!」という声にならぬ声とあわせ、たしかなダメージの手ごたえだった。


 そうやって魔王を数メートル吹き飛ばしてから、ようやくイヴェルセンは自身の炎を消した。水をかぶり、心ばかりの回復魔術も行使する。体中をピラニアにでも噛みつかれているようだった苦痛は、体中へ張り手でもされている程度まで落ち着いた。どうせすぐにアドレナリンが仕事をすると、その程度の痛みなら放っておくことを決める。


 対して魔王のダメージは深く見えた。ヨロヨロと立ち上がった彼女は、右手で左半身をぎゅっと押さえ、苦痛に体を震わせているのだ。この位置からは見えないが、背中をおおやけどしていることだろう。ぜえぜえと息も荒い。


 そこへイヴェルセンは次の問題を出した。今までと違い非常にシンプルかつ、文脈の高い問いだった。


「グリームニールの歌、第34節」


「――っ⁉︎」


 彼ら以外であればそれが出題だと気づきもしなかったろう。けれど魔王は目を見開いて、表情で「危機感」というものを雄弁に語っていた。


 それは5分の驚きと5分の戦意。「こいつだけは絶対に倒さなければ」と言いたげなするどい目線。


 めずらしく、奥歯をキリっと鳴らしたあとに、魔王はその答えを言った。


「――あなた、『オヴニル』ね」


「正解だ」


 グリームニールの歌、第34節。「数多の蛇が世界樹ユッグドラシルの梢へとぐろを巻く」からはじまる文章は、「Ofnir(オヴニル)Sváfnir(スヴァーヴニル)は、永遠に世界樹の枝を噛むならん」で終わる。


 つまり彼は――もう一匹の()()()()だ。


「……国家守護獣だったのね。スースラングスハイムが過去に滅ぼした国の。地球の知識を苦もなく口にしてみせるなんて、転生者をのぞけば、私たち枝嚙み蛇くらいのものだものね」


「気づくのが遅きに失した感は否めぬな。私たちがはじめて会ってから、どれくらい時間が経過したと思うのだ」


「うまく隠したものね。あなたの国で蒸気機関なりハーバー・ボッシュ法なりが()()されていれば、そうは思わなかったでしょうけど」


「それは私が魔王になった時の楽しみにとっておいてあるのだ」と言い返したあと、ウミヘビ、もといオヴニルは腹を震わせ笑った。のどを鳴らすような不気味な声色はまさに魔王そのもの。その響きで世代交代をうながしているようだった。


「さて――」、満足したか、彼は議題を戦いへうつす。「ルーン文字を刻んだ棚も燃えた。それに貴様へ重い一撃を入れられたのだから、目的は達成された。賭けごとの魔術は仕事を終えて、少々まぬけなクイズ合戦もこれでお開き。残りは巴戦(ともえせん)といこうではないか」


 指の欠けた手で、彼は鎖鞭と自身の切り取られた指、そして指輪をひろう。指と指輪は大切そうにポケットの中へ。ついで鎖鞭の端を親指と人差し指でつかむと、ボクサーがテーピングする要領で左腕へと巻きつけた。これで上腕を覆う即席ガントレットのできあがり。さて、とあらためて魔王へ目線を戻す。


 その所作を見ていた魔王は、肩をすくめながら言った。


Snake-F()ighting()、ね。組んず解れつ、おたがいの体を飲みこもうとするような。受けて立つわ、Snake-(蛇の)Fighte(戦士)r。私と戦いたかったんでしょう?」


 言い終わるが早いか、スヴァーヴニルは「<(ソーン)筋肉よあれ(骨の覆い)>」と続け、魔法のいばらを左腕へグルグルと巻いた。オヴニルの目には、そうやって無理やり腕を動かす気に違いないと映った。「<(ニイド)痛み止めよあれ(柳の煮え湯)>」と鎮痛の魔術を重ねたのだから、戦いをあきらめる様子もない。


 それでこそ、我が敵というもの。ここで降参でもされたら興ざめだ。


「ああ、貴様に噛みつきたくてしかたない」、オヴニルはフレイルをジャラリとまわす。


「毒蛇に毒は効くのかしら」、スヴァーヴニルは転がっていた槍をひろった。


 2匹の枝嚙み蛇はそろって舌を出す。瞳をらんらんとさせ、にらみあう。じりっ、じりっと足の位置を動かし、鎌首をもたげ、牙をむき出しにしながら。


 双方がたがいののどへ飛びかかろうとした、その矢先――


「うがぁあああっ!」、獣のようなうなり声。「追いついたぞ、トマーシュ!」、フギン・ムニンの声も。


 操り人形とカラスが乱入してきて、錬金術工房はますますにぎやかになった。

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