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笑うウミヘビ 35

 それが害獣でなく人類の枠組みへ入る――つまり意志や思考を持つ者であれば、おおよその者には「好きな場所」が存在する。


 たとえばCDをしまう時、必ずラベルが正位置になるようケースへおさめる几帳面な人間ならば、整然と本がならんだ図書館を好むだろう。とくに一国の歴史書が一巻の歯抜けもなく順番に整列している本棚の前なんかを。


 たとえば常に人との接点がないと精神安定剤が必要になってしまう寂しがり屋なら、騒々しいパブを好むといっていい。吊り下げられたテレビが流すフットボールの試合を見て、応援するチームがないにもかかわらずエール片手に騒がしくいられるのだ。


 では、狡猾で残忍な蛇たちが好む場所、とすればどこか。


 それは物があふれかえっている空間こそふさわしかった。そこに雑然と身をよせあっているのが貴重品であるのならとくに。家が区画ごと買えるような大型蒸留器のならぶ机であるとか、ひとかけらで1か月は食うに困らない貴重な魔法具が収納されている棚だとか。その他もろもろ、錬金術師以外が見ても価値のわからない物品にあふれている場所だ。


 黄金が「蛇の臥床」というケニングを持つゆえに。


 ガァン! と響くは剣戟の音。()激といっても片方は槍を2本、もう片方はフレイルと鎖鞭。前者が魔王、後者はウミヘビ。現在、貴重品だらけの長机をはさんで攻撃の応酬の真っ最中だ。


「いいのかしら、イヴェルセン。ここがだいなしになったら、スラヴコは悲しむと思うけれど?」


「ぬかせ魔王。ヤネスを心労で倒れさせたくなければ、おとなしく頭蓋を差し出せ」


 言って、ウミヘビ男は左腕を振るった。魔法で編んだ鎖鞭が、手の動きに遅れてしなる。背の高いフラスコが硬直し、「ヤバイ!」という思考でその内側を満たした直後、木っ端みじんに破壊された。となりで身を低くしてやりすごしたビーカーの側面へ映るのは、同じくしゃがんで攻撃をやりすごした魔王が、机の影からモグラ叩きのようにひょいっと飛び出る姿だ。


 けれど「えいっ!」というかけ声がして、そのビーカーへ槍の穂先が映る。盟友フラスコの後を追うように惨殺された彼の体は、飛翔するガラス片になってきらきら輝いた。


 わざと物を壊しているとしか思えない攻撃だ。案の定、魔王は舌を出して言った。


「実のところ、ここを選んだ理由がこれね。普段は丁重にあつかわなければならない物を、壊し放題なんだから。私たち悪人の戦う場所として、背徳感があるところなんて最高じゃない?」


 あわれなガラス片よりも輝く瞳で、魔王シニッカは至極楽しそうにする。そして槍がかわされたのを見るや、トレーサー(パルクールをする人)のように机へくるんと前転をかまし、勢いそのまま逆の槍を突いた。当然、罪のない多くの実験道具が彼女の圧力に屈し、ガラスの悲鳴を上げて粉微塵に。文句を言う暇すらあたえない、魔王の圧政ともいえた。


「よい趣味だ」、イヴェルセンはすばやく後転し、別の机の上へとかわす。体幹よく膝立ちの姿勢を維持した彼は、すかさずフレイルで蛇女を殴りつけた。が、こんどはそこにあった椅子が攻撃を被るだけ。この物品は上半身だけを吹き飛ばされて、即死もできぬ生き地獄を味わう羽目になった。


 魔王はというと、さらに低く這うようにして攻撃を回避していた。短く持った槍先を男の眼前へとかざしながら。


「<(イス)矢よあれ(弓弦の雨)>!」


「<(イース)盾よあれ(船の囲い)>」


 氷と氷が砕けて散った。散乱するガラスたちと一緒になって、戦場をきらびやかに飾る。けれど2匹の蛇は満足しない。机の列を行ったりきたりしながら、派手な音を奏で続けるのだ。これには空間にあるすべての物質が恐怖へおののくしかない。貴重な羊皮紙の古文書も雑紙のメモ用紙も、破壊という名の死の前ではおしなべて平等だ。だから雑に作られた粘土細工の人体模型が床にぶちまけられた時、その横で本物の人の骨で作成された人体標本はガタガタと身震いした。


 さて、このように錬金術工房には多種多様な物品がある。気体から個体まで、有機物に無機物に魔法物質。そういう物の中にはいわゆる劇物も隠れ潜んでいて、「俺に気づけるか? 俺を使いこなせるか?」なんて具合に、ヒュドラーにも負けないほどの毒気を心の内へふくんでいるのだ。


 当然鼻の利く蛇たちのこと、最初から目星をつけてあった。


 後ろ手に持った魔王の槍が、ひとつの棚へ、そろりとのびる。石突(いしづき)でカツンと存在をたしかめられたのは、片手で持てるサイズのガラス瓶。同じ素材のふたがされて、中にたっぷりの水と一緒に黄リン――発火点の低い劇物が入っている危険物。


 蛇女はそれを槍へ器用に引っかけて、棚から宙へと放り上げた。イヴェルセンが魔王の背後からあらわれたガラス瓶に気づいた時、槍がひゅんと縦に振られた。容器や一緒に()()()の内容物も砕かれて、ウミヘビ男へ飛散していく。そこへ「<(セン),( )ᚪᛣᛏᛁᚠᚩᛁ(アクティヴォイ)>」と、火の気をあたえられながら。


 有毒な煙の軌跡を残し、無数の黄リンがイヴェルセンを襲った。ひとつひとつがちいさな焼夷弾と化したその物質は、さながらショットガンの放つ散弾のように敵を目指すのだ。


 けれど男はニヤリと笑う。彼は彼で毒を持つから。


 足元には口を砕かれたおおきな容器が転がっていた。だあっと流れ出ている液体は、銀一色の毒、水銀だ。


「<(レグル),( )ᚢᛁᚱᚴᛁᛅ(ヴィヒキャ)>」、水のルーンへ有効化を命じる。水銀は板状に立ちあがって、魔王との間に鏡を形成する。焼夷弾をことごとく弾き、その鏡面に魔王の驚いた顔を映した。


 くわえてその盾は武器でもあった。「<(ハガル)矢よあれ(弓弦の雨)>」、短い命令。


 銀色の板はその表面へ無数のとげを浮きだたせると、これまた散弾のように魔王へ撃ち出したのだ。


「わぁっ!」、驚いているのか喜んでいるのかわからない声を上げ、魔王はダンッと床を蹴る。一緒に両手の槍も地面へ突き立て、上にむかって急加速。脱兎でもこれほど器用に逃げないだろうというスピードでもって回避してみせた。


 かろうじて彼女は無傷だ。2本の槍を水銀弾でだいなしにされただけですんだ。しかしひらりと着地すると、不機嫌そうな顔に早変わり。


「なによ、銀の弾丸なんて撃ちこんできて。魔界の狼男は私じゃないわ。かわりの武器が必要になっちゃったじゃない。――<(フェフ), ( )ᛏᛁᛚᚨᚱᛁᛞᛊ(ティラリズ), ( )ᚱᚨᚢᚾᛁᛃᚨᛉ(ラウニヤール)>」、新たな槍を2本構え、魔王はしかめっ面をした。


「貴様も狼も『血反吐を吐いて死ぬのは同じだ』と教えてやろう。それに弾丸――散弾の使いかたも知らぬと見えるから、それも教えてやったのだ」


「ショットガンの使いかたくらい知っているわ。あれは結婚する時に突きつけるものでしょ? あなたはそうしなかったのかしら?」


「子ができたとはいえ、あいにくやすやすと結婚できぬ関係でな。魔王になった暁には、正式にそれを使おう」、銀の婚約指輪を薬指にきらめかせながら、イヴェルセンはいちどゆっくり息を吸った。そして吐き出しながら、もうひとつのことがらを魔王に教えてやることとする。


「ああ、散弾の使いかたにかんしては、これから教えることもある。貴様の後ろに刻まれた弾痕だが、振り返らずに()()()を言えるか?」


 魔王は振り返らない。そのかわり、穴だらけにされた棚が代弁するのは、そこに刻まれたルーン文字だ。


「知っているわ。鏡に浮き出た時見えたから。(ペオーズ)ないしパース。あなたがヤンガー・フサルク以外を使うとは思わなかった」


「後者が正解だ。そこに刻んだのはエルダー・フサルクの(パース)。知ってのとおりダイスカップ、転じて賭けごとをあらわすルーン文字だ」


「それは言われなくてもわかっているけれど、私と賭けごとをするなんて、なかなかの度胸だと思うわ。先祖にあのルーンを冠した魔王クッカ=マーリアがいるのだけれど、知っていた?」


「なに、このまま武器を振るっていても埒が明かんのでな。趣旨を変えてやろうというわけだ。それに貴様の得意分野で打ち倒すことこそ、王座の簒奪にふさわしいとは思わないか?」


 言い終わったイヴェルセンは、「<(パース),( )ᚢᛁᚱᚴᛁᛅ(ヴィヒキャ)>」と魔術を唱えた。棚に食いこんだ水銀たちが放つのは、豆電球のような淡い光。それがひとつの文字を浮かび上がらせ、魔力の波でふたりをつつんでいった。


 水銀は魔術と密接な関係を持つ。それがゆえに魔術の強制力が強かったからなのか、ただ単におもしろいと思ったからか、魔王は抵抗をしなかった。つまり勝負を受けたのだ。


 異を唱えるかわりに、彼女は「ルールは?」と舌を出し入れする。


「なぞかけだ。ただし答えは100万人以上が知るほどに有名でなくてはならない。形式はスフィンクスのものと同じように。回答は5秒以内、間違えたのなら命を奪われる。先攻は私だ――」


 言い終わるか終わらないかのタイミングで、イヴェルセンはフレイルを振り上げた。ジャララと鎖がほどよくのびて、星型穀物(からもの)が敵の腹へ飛ぶ。魔王に槍ではじかれても容赦はない。獣のごときすばやさで踏みこみ、2度、3度と攻撃を繰り出していく。


 鞭を振るうカウボーイのように、彼は魔王を何度も打ちすえた。ガツン、ガツンと鈍い音。それにまじって出題がひとつ。「それは春に走り、冬には立ち止まるヒュドラーである。人々が奪い合う(フェフ)にして(オーシラ)である。満ちたる時は空を映す。それはなにか」


「『川』よ、ウミヘビさん。Rival(ライバル)の語源はRiver(リバー)。常に争いあう私たちにも通じるところがあるわ」、両手で攻撃をはじきながら、魔王はさらりと答えてみせた。とはいえ強撃の連続で押しこまれている。じりじりと後退し、ついには背中がガタンと棚へ当たった。


 衝撃で棚からこぼれたいくつかの薬瓶が、いっせいに宙へ投げ出される。そこに魔王は槍を走らせた。熟練の野球選手(バッター)曲芸師(ジャグラー)か。いくつもの瓶がはじき飛ばされ、イヴェルセンへと正確に飛んだ。その攻撃はひらりと身をかわされたものの、ザッ! 蛇女は打ち出されたロケットのように加速してウミヘビ男にせまる。


 まっすぐ槍を突き入れながら、魔王も舌で攻撃を入れる。「吸血鬼の国と同じ旗を持つ。はじまりの大陸の真ん中に立つ。広大な(ラグ)を名の根に持つ。その名は?」


 彼女の楽しそうな表情どおり、これは難しい問題だった。今彼女とイヴェルセンが興じている戦いは、ダンジョン内でイーダが行ったのと同じなぞかけ合戦だ。けれどルールはずっとシンプルで、あの時のような選択(オプション)もない。100万人が知ることがらであれば、どんなものでも許されるのだ。


 だから、地球からも出題可能。イヴェルセンが知りようもない、他の星のことがらでも。


 必殺の一撃。元地球人たるイーダがこの場に居合わせたなら、魔王と同じように「しめしめ」と舌なめずりしただろう。


 ――が、ウミヘビは笑ってみせる。


「答えは『チャド共和国』だ」


 正答を引く。彼の死はまだ先になりそう。


 イヴェルセンは至近にせまった魔王を足の裏で蹴り遠ざけた。


「…………」、数歩後退させられた魔王は無言になった。ととのった顔立ちが怪訝そうにゆがみ、対峙する相手の姿へ油断なく目を走らせる。イヴェルセンはそれを微笑みながらながめていた。そして彼女の目線が彼の左手――銀の指輪をはめた薬指へ到着すると、わざとそれを見やすいように掲げるのだ。


「ああ、そうだ。いわずとも、ここに書いてある言葉がわかるだろう」


「あえて言うけれど、ハーラル青歯王の名前『ᚼᛅᚱᛅᛚᛏ(ハラルド・) ᛒᛚᛅᛏᛅᚾᛏ(ブラタン・) ᚴᚬᚱᛉᛋᛁᚾ(ゴルムセン)』。つまりそれは()()()()()ね。二重の意味で」


「そういうことだ。恋人が地球の出身なのでな。それがわかったところで追加のルールだ。回答から質問は5秒以内に。次の質問への回答後より、このルールを適用する」


「おしゃべりの時間をけずるだなんて、つれないわね」


「その口はロクなことを言わん。しゃべっている貴様と黙っている貴様では、後者のほうがむしろ社交的といえるくらいに。だから私は武器を振るのだ。永遠に黙った貴様は、人々に好かれるだろう」


 左手の鎖鞭で襲いかかった。これが当たれば御の字だったが、バシャァン! と派手な音が鳴ったのは床の上。魔王のなんとすばしっこいことか。


 死角――攻撃を終えた左半身の側――から突かれた槍先を、イヴェルセンはコマのようにまわって迎撃する。フレイルの鎖が槍へ巻きついて、穀物の重さでもってその軌道を変えさせた。その体勢のままぐるりと1回転。武器をからみつかせたままに。そうやってまむし女を振りまわすのだ。


「あらら?」、困惑した声。戦闘中に、なんともまぬけな。1周まわり終えたので、イヴェルセンはフレイルをほどいてやった。遠心力がたっぷり乗った魔王は、となりの机の上をカーリングのようにすべっていき、そのむこう側へ音を立てて落ちた。


 きっと無様な姿で机と机の間へ横たわっているだろう。そのさまを笑うために、ここで意気揚々と飛びこんでいってもいい。だが優先事項はあの女を動かなくすることだから、足元へ残った水銀へとふたたび命を下すことにした。


「<(ウール)雲よあれ(雷の国)>」、銀色の液体が気体のようにふわりと宙へ。北欧ルーン『(ウール)』は()()()()をあらわす。


 それを魔王のいるあたりへ移動させ、彼は次の問題を出した。「これがなにか答えよ。最もおおきく切り取られたユミルの肉の上にある。それはヨルズのはらわたであり、ギンヌンガ・ガプであり、過去に生きとし生ける者を屠り去った。怒って夜を(あけ)に染める、すべての<雷雨よあれ(森の敵対者)>だった」


 問題文へ言遊魔術(ケニング)を織り交ぜて。言い終わった瞬間に、銀の雲はスーパーセルのように内側からふくらむ。その表面へ、つららのようなしずくが無数に湧き立たせながら。そのひとつひとつの間へ、馬が駆けるよりも速く、電光がバチバチと走った。


 猛烈な雷雨がもたらされるのは誰の目にもあきらかだ。曇天は今まさに荒天へと変わるところ。


 その不吉な雲の下、傘を2本たずさえて、魔王はちょこんとしゃがんでいた。傘とは槍のことで、床へ立てたそれから彼女はパッと両手を放す。「くわばら、くわばら」と口の中でささやいたのは、雷避けのおまじない。


 爆発寸前の雲を見上げる。「雷雨というより、まるで噴火ね。『シベリア・トラップ』ほどではないけれど」、解答を口にしながら。


 直後――音が鼓膜に噛みついた。空気を裂く音、破裂音、金切り声の混合物。壁にかけられたおおきな国旗が身をよじらせながら、雷雨とはこれほどまでに暴力的だったのかと驚嘆するくらい激しいものだ。


 だからその場にいた誰もが、その音へまじった「<(シゲル), ᚪᛣᛏᛁᚠᚩᛁ(アクティヴォイ)>」という魔術詠唱に気づかなかった。それを口にした本人以外は。


 猛烈な悪天候がおさまった時、魔王はいまだ健在だった。


「……防ぐか、魔王よ」、イヴェルセンは驚くかわりに、あきれてしまう。自分が殺そうとしている女の頭の回転は、死のクイズと水銀の雷雨という殺意の塊をふたつ、真正面からはじき飛ばしてしまったのだから。


 問題にあった「最もおおきく切り取られたユミルの肉」とは、地球のユーラシア大陸のこと。そして正答の『シベリア・トラップ』とは地球史上最大規模の火山活動だった。ヨルズ――大地の内側で発生し、ギンヌンガ・ガプ(巨大な裂け目)を生み、夜を赤色に染め、当時の生物の大半を死に追いやったものだ。


 その答えを考えながら魔法の雷雨へ対処した手際のよさときたら。やはりあきれるしかないのだ。


 すらり、机の影からその魔王が立ち上がった。両手でひとつのルーンを作って。左手は人差し指と親指だけを立てたL字型、右手は同じL字型を上下逆さまに。親指の先端同士を接続して、太陽のルーン『(シゲル)』を描いている。そうやって曇天を晴天に変えたのだろう。床へ転がしたままだろう槍は、おそらく避雷針として使ったはずだ。


 イヴェルセンはそう分析をしながら、口の中でひとつ毒づいた。


「まったく小憎らしい小娘だ」と。

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