笑うウミヘビ 34
「<ᚳ、火葬台よあれ>」
魔女は手にした枝の先端へ火をつけた。おおきめのマッチか、ろうそくのようだった。それを白樺の群生地――魔術で生み出した樹木の壁にむかって、スッと投げ入れる。たいまつのルーンと、火葬台のケニングを口ずさみながら。
なんだか映画のワンシーンみたいだと、彼女自身は感じていた。敵はカーチェイスの末、車から投げ出された悪漢だ。漏れたガソリンの上でもがいている。こちらはオイルライターをキィンと鳴らして、そこへ投げ入れるひとりの登場人物。それが悪漢よりも悪事が得意なアウトローなのか、それとも法の執行者だったのかはわからないけれど。でも自分の中では主役と思える、とびっきりの登場人物だ。
ともかく、火元は手元を離れてしまった。
油分たっぷりの樹皮の表面へ、赤くゆらめく灯りが触れる。
――瞬間。
ごうっと鳴ったのは獣の声か、豪炎が龍のごとく通路を駆ける。その口へ勇者をからめとり、廊下の先へと突進していく。床や壁へ真っ黒な軌跡を残し、らせん状に飛びずさるのだ。炎でできた激流に、手心とか容赦とかは見られなかった。
龍はすぐに20メートルも離れた壁へと突入を果たした。爆裂し、四散し、放射状の黒ずみをその場所へありありと残す。煙がもうもうとたちこめて、それがさぁっと晴れたのち、爆心地には人型のなにかがゆらりと壁へ身をあずけているのが見えた。
(当たった!)
手ごたえあり、だ。勇者は炎の直撃を受けた。服はひどく燃えてしまっているし、それが黒ずんだ四肢へぼろ布のようにからみついている。両腕と頭をだらりとさげてもいる。わずかにゆれて見えるのは痙攣だろうか。
魔女は耳に手を当てて、聴覚遮断をオフにした。相手の様子をうかがいたいのもあるし、相方の意見を聞きたいのもあったからだ。
「やりましたか?」、となりでヴィルヘルミーナがつぶやく。いたずらな声色がまじっているから、わかっていてフラグを立てに行くような言い草をしたのだろう。
イーダは苦笑をうかべて応えた。「その台詞が出たということは、まだ『やっていない』と思うんだ。ヘルミだってそう思っているんでしょ?」
「ええ、もちろん。ただ見た目程度のダメージはありそうです。少なくともヒュドラーは焼けた。毒は使用不可能になったと見ていいと思います。ここは『深追い』をしておくべきかと」
深追いも返り討ちのフラグ。けれど別にふざけているわけじゃない。単純に、勇者ディランが致命傷を負っていないように見えるだけだ。だから言いたいことは「追撃が必要」という提案。有利なうちに敵の傷を広げておこうという魂胆にほかならない。
イーダは戦乙女をしたがえて歩を進めた。慎重に、でもあまり時間をかけずに。カツカツ響く革靴の音と、真っ黒になった通路に木の焼けた香りが心地いい。
(ディランさんが動かないのは意識がもうろうとしているからかな? 意識を取り戻したら、彼の性格上、怒り狂ってくれるかも。直情的に突っこんできてくれれば御の字だよね。一応そなえておこうかな)
煤だらけの壁へ手をのばし、そこにいくつかの線を描いた。直線で書けるルーン文字は、こんな場所でも使いやすい。壁の何か所かと床へ、彼女は罠を設置しながら進む。
その目はじっと勇者をとらえたままだ。今のところ、彼は動きを見せていない。
(……回復に時間がかかっているんだろう。予想以上に効いたみたいだ。とはいえ――)
魔女は再び両耳へ手をやって、聴覚遮断をオンにした。勇者がいきなり覚醒して、呪いの命令を叫ばないともかぎらない。ウミヘビとはそういうことをやってくる連中なのだし、そんなことにだまされているようでは枝嚙み蛇の一員にふさわしくない。
枝――魔女イーダにとっての杖を消費してしまったから、両手を懐の中へ入れる。さっと小枝を6本持ち直し、相手の奇襲へいつでも対応する準備を。もちろん守りのためだけではない。次の一撃を敵の心臓へ突き入れんと接近していくのだ。
ヴィルヘルミーナが半歩前に出て、盾の役を買って出てくれた。
その直後、「イーダさん!」、警告の声。耳には聞こえなかったけれど、片手で制され魔女は立ち止まる。手は腰の杯へ。毒がきたなら飲みこんでやるために。
キッとにらむ視線の先には、息を吹き返した勇者の姿。
「――<我をまとえ、光輝の鎧>!」、ディランが叫んだ瞬間、視界が真っ白一色に染まった。視覚が矢に貫かれた思うほど強烈な光だ。瞳孔が悲鳴を上げて閉じ、網膜がオロオロうろたえてしまう。
敵は目くらましを使ってきた。「これは攻撃を企図しているはずですね」、そう判断した戦乙女は、「<ᛒ,ᚩᛁᛖ:ᛣᛁᛚᛈᛁ>!」と緑の魔法盾を張った。衝撃に耐えられるよう、姿勢を低くして。
そしてその判断は正しかったのだ。
勇者ディランは次の魔術を手の中に構えていた。切断特化の魔術、アダマスの鎌だ。それをクロノスよろしく振りかぶり、走る。通路ごと敵を切断してやろうと考えながら。相手が女性なのは惜しいところ。男性だったら、故事になぞらえて類感呪術が取り返しのつかない仕事をしただろうに。
そう思うディランは、しかしひとつ思い違いをしていた。注目すべきは敵の性別などでなく、性能についてだったのだ。
今の魔女に視覚は必要ない。超音波で見ているのだから。
イーダは全身をばねのようにして跳び、戦乙女の肩を蹴った。たじろぎもせず、逆に勇者の側へ飛びこんだ。相手の位置は正確にわかる。敵が高速でこちらにむかってきているのも。
「<ᚼ、絞首台よあれ>!」、両手の枝を1本ずつ使い、魔女は蛇をふたつ投げた。舌を出して飛ぶその2匹は『首吊り縄』。高速でせまる勇者の首すじへ尾をからませると、天井へ牙を突き立てる。
勇者は首へ蛇をからませたまま走ってきた。天井に噛みついたままの2匹は、勇者の前進にしたがってぐっとのびていって――ガクン! 首吊りによる急停止。「っげぇ⁉︎」という血を吐くような声が出るくらいには危険な止まりかたをもたらした。
かろうじて首は切断されずに残っているものの、動きは完全に止まった。
(さっきの光は防御魔術か)
勇者の「光輝の鎧」という詠唱こそ聞いていなかったが、魔女は察しよく状況を見極めた。どうやら相手は魔法の鎧を着ている。外からの攻撃は効かない状態。
(それならば狙いは内側から!)
地面を蹴って懐へ。狙いは目と口。まず顔面を焼く。「<ᚳ、斧よあれ>!」、敵の頭へ火斧の一撃。
白樺の猛炎と違い、今は炎によるダメージなどないだろう。けれどさっき痛い思いをした記憶は、確実に心へ刻まれているはずなのだ。
狙いどおり、ディランはあわてた。それは彼らしからぬ恐れという感情によってだった。ゆえに距離を取ろうと、まっすぐ後退してしまう。左右に避けるわけでも、上下に回避するでもない。魔女にとって一番狙いのつけやすい方向へ動いてしまったのだ。
対して、魔女もまっすぐ踏み出した。狙いが狂わないよう、あくまで姿勢よくたもったままに。手を掲げ、ふたたび相手の顔面を狙う。息を切らして開けっ放しになっている、相手の口へ。「<ᛚ、波よあれ>!」
ざぁっと水が突進する。それは山岳地帯に出た鉄砲水と同じ。口という狭い範囲へ殺到し、瀑布のような水しぶきを作る。
やられたほうはたまったものでない。さっきまで炎で焼かれていたと思ったら、次は頭蓋を激流で洗われているのだ。
「ぐぅっ!」、あわてて口を閉じるも、大量の水が食道へ流れこんだのがわかった。のどのあたりが内側から破裂しそうなくらい圧迫される。不快さに、今すぐ吐き出してしまいたい。しかし水のカーテンのむこうから、決しておおきくない魔女の手が自分の口元へのびてくるのが見えた。
ディランは次に使われるルーンを知っている。『ᛁ』、つまり氷のルーン。これは下男ガングラティを倒した時の、魔王と同じやり口だ。
(強いね、君は!)
首にまとわりつく蛇縄を力ずくで引きちぎり、同時に全身全霊で床を蹴った。一瞬の浮遊感ののち強い衝撃。背中から壁に衝突した彼に、破片がバラバラと文句を言う。
間一髪だ。もう少し遅ければ、勝者が決まっていただろう。
(ああ、白樺の魔女! 白樺の魔女! くやしいなぁ、僕は勇者だっていうのに!)
距離ができたから水を吐き出した。のどをげぇげぇ鳴らすなんて、なんとも無様じゃないかと思う。
(これだけ魔力に差があって負けるなんて。いや、むしろ彼女がヤバい存在なのかな? まるで白樺のルーンが人格を持って歩き出したみたいだ。こんな強いやつ、今までいた?)
床を吐しゃ物と水と血でさんざんに汚したあと、ディランはようやく口元をぬぐった。壁へもたれかかりながら、ズルズルと体勢を立て直す。全身に負ったやけどで泣きそうだ。かろうじて体は動くようになったものの、これだけ手ひどく焼かれてしまっては、ヒュドラーの毒が使えない。
けれどそれはささいなこと。真の問題は、本当に時間がないことだ。魔女は突進をやめていない。もうすぐそこにいる。ものの数秒でここへ攻撃を突き入れてくる距離に。
「まあ、問題ないよ」、彼は余裕を見せて言った。いや、実際に痛み以外は余裕があった。
自分の胸に手を当てて、「<ᚼ>」とひとつ、ルーンを刻む。これも激痛。雹が胸へアスタリスクに似た切れこみを入れたのだから当然。
でも苦しいのはここまで。
勝つのは僕だ。
「<ᛒ、剣よあれ>!」
魔女が振りかぶった魔法の剣の前、勇者ディランは握手でもしそうなくらいに穏やかな顔で言った。
「――<ᛒᛅᛁᚱᛁᚴ>」、と。




