笑うウミヘビ 33
魔女と戦乙女が勇者と戦っている裏で、青い狼もまた戦いの予感をおぼえていた。となりには黒いカラス男の姿も。今は錬金術工房に続く広い通用口の真ん中で、今しがたおりてきた隠し通路を見上げながら会話していた。
「ルカ・グラデツからトリグラウ城まで、直線の避難路が10キロも続いていると思わなかったぜ。まあ、走りやすい道だった。どんな土木技術があれば、あんなもん掘れるんだろうな」
「それはこの国の国家守護獣、グライアイのひとりにヒントがあるだろう。ペムブレードーと、エニューオーと……」
「……デイノーだろ?」
「いいや、ディグノーだ」
「フフッ」、狼はこらえるように笑う。普段知的なカラスにしては、あまりにストレートでくだらない冗談。それが逆におもしろくって、しばらく笑みをかみ殺していたものの――「くくっ!」、ついつい笑いの続きが。
ごまかすのもなんなので、バルテリは両手を上げて降参のポーズをしながら、相方へと苦言を放つ。「サカリよ、お前さんにしては幼稚な冗談だぜ。オージンに聞かせたら、さぞかしあきれられるだろうな」
「なにを言っている。とあることがらが発生した時、我が主に報告するのは他ならぬ私だぞ? 彼にはフェンリルの戯言として伝わるのだから、私が心配などするものか。それに箴言が得意な彼のこと。高座からアースガルズにむけて、フェンリル狼の失言を高らかに語ってみせるかもしれん」
「ありもしない俺の悪名を広めるときたか。あいつを飲みこむ理由がひとつ増えたな。ラグナレクが早まったらお前さんのせいだぞ、フギン・ムニン」
「ああ、かまわない。エッダに登場しなかったはずの白樺の魔女が、ベヒーモスのヴァルキュラと一緒にヴァルホッルで待ち構えていることをお前が忘れなければな」
「いつイーダがそっち側だって決まったよ。魔王様、潜水艦、それに魔女はこっち側だろ? 名前の雰囲気からするに」
「ふふっ。お前の言うところの『魔女』を、古ノルド語で『Norn』と訳すか『Tunriða』と訳すかで変わってくるのだろうな」
「『女神』か『垣根を越える者――恐怖の対象』か、だな。俺らの目には前者に映っているが、敵には後者に映っているんだろうよ。ま、ここは結論を先送りにしようか。――お客さんだ」
たがいにむきあっていたふたりは、同時に王城の方角を見た。足音が多数、くわえて武具のこすれる音も。数十人ではきかないほどだ。
「魔王を殺しにきたな。冒険者たちか」、サカリが鼻を鳴らしながらつぶやくと、バルテリはそこへ異を唱える。「いいや、ひとり妙なのがまじっているぜ」
「……トマーシュだな。骨のある男だが、今は我々の敵だ」
ふたりはすらり武器を構えた。国防大臣は片手持ちハンマーを、密偵の長は2本の短剣を。道のど真ん中へただならぬ雰囲気とともに立っているのは、まるで分厚い扉が立ちはだかっているようでもあった。
そこに近づいてきた冒険者たちも、そう感じてしまった。餌にむかう蟻の群れのような冒険者集団は、ふたりの姿を見つけると、歩みをゆるめ、武器を抜く。数に反して言葉も少なめ。あきらかに緊張した面持ちで対峙していた。
ただひとり、無表情な操り人形をのぞいては。
枝葉をゆらすアカマツのように集団の先頭へ立つ人形男へ、カラスはひとつ声をかけた。
「トマーシュ、君はまだ戦っているのか?」
返事はない。男の肌の色は以前よりいっそう赤黒くなり、目からは前回会った時よりも多くの血が流れている。四肢は細かく痙攣していて、絶えず奥歯を鳴らしている。
聞くまでもなかったなと、サカリは思った。トマーシュは前にも増して激しく抵抗しているのだ。操り糸と傀儡師に全力であらがっているから、あれほどまで苦しそうにしているのだ。
「バルテリ、彼は私にまかせろ。工房まで連れて行く」、固い決意を口調へこめる。いつになく心へ熱を帯びているのが、となりにいる狼にも伝わった。
輻射熱で毛並みが痛みそうだ、なんて言うかわりに、バルテリは了承の意をしめす。「獲物の独り占めとは感心しないが、今回ばかりはゆずってやるよ。俺はそこいらの有象無象を食い散らかしておこう」、ついでに挑発をひとつ。
「う、有象無象だと⁉︎」「言ってくれるじゃない!」、黙っていた冒険者たちは不意に強く反発した。心へぴんと緊張した糸を、狼が手慰みに弾いたものだから「プッツン」なんて音と一緒に怒りが暴発してしまったのだ。
「みんな! 魔獣を倒すぞ!」、誰かが叫んだのをきっかけに、冒険者の戦闘集団は一斉に魔術を詠唱した。能力強化、武器強化、属性付与に防御力向上。フォーティファイ、エンハンスド、そんな単語が濁流のように流れていく。
しかしその流れよりも速く動いたのが操り人形だ。
狼の目におおきく映ったのは、まばたきの間隙を縫って突入したトマーシュの姿。
「――速ぇっ!」、狼の悪態と彼のハンマーの砕ける音が同時。バキィンと高い音を残して、トマーシュはふたりの間を直線で突破していた。
「追え、サカリ!」「ああ!」、サカリはその身を鳥に変え、高速で工房を目指す。すでにトマーシュの背中は遠い。けれどそれに追いつけないほど、彼の翼も遅くない。
響く足音と羽音を残して、人形とカラスはその場から消えた。残るのは百名あまりの冒険者と、一匹の猛獣だけ。
「取り残されたな、フェンリル狼! 武器がなきゃ戦えねぇだろ! それに、ここはお前にとって狭い! 行くぞっ!」
先頭集団が同時に飛びかかった。怒号を上げる者と攻撃魔術を詠唱する者が、折り重なるように狼男と交錯する。
さすがパーティーを組む間柄、攻撃の着弾はほぼ同時。しかし――
肉のぶつかる音。走る馬が納屋に突っこんだかのような、激しいものだ。すぐにそれはバタバタという嫌な音に変わる。飛びかかった人数分より数を増した彼ら――人の破片が、床にぶちまけられたから。
集団は一瞬で粉砕されたのだ。
転がる骸を見て、後続の冒険者たちは恐れに足を止める。顔をひきつらせ「い、今なにをした⁉︎」と、意味のない言葉を発する。
「ただ殴っただけだ」、パッパッと手を払いながら、血だまりの中心へ狼は立っていた。実際には筋力だけでなんとかしたわけではなかったものの、5名の男女を殴り殺したのは事実だった。
だからカールメヤルヴィの魔獣のひとり、青い毛並みのフェンリルは、冒険者たちへ覚悟をうながすため、長い八重歯を見せて笑う。そして言うのだ。「さっそくだが、質問をひとつ投げかけようか」
「な、なんだ!」
「お前たちはヴィーザルを連れてきたか? せめてグレイプニルを編んできたか?」
冒険者たちは答えられない。かわりに全力で身を守るため、防御魔術を重ねがけした。
「それはそれは、ご愁傷さまだ」
数秒後、死体の数は倍になった。
狼に相対する戦士たちは、その光景を見て、今日ここへきたことを深く後悔した。




