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笑うウミヘビ 32

 ダンジョン内で巫女にかけられた呪いは、「声をもって直接命令を届けなくてはならない」という決まりがあった。耳栓が有効なのは巫女にも確認ずみ。だからウミヘビの「仲間になれ!」なんていう主張が、魔女を拘束することはない。


 この呪いは命令違反をすれば命を奪われるくらいには強力だ。が、逆に聞こえなければなんの問題もないのだ。


 かわりにイーダは聴覚を失った。覚悟をしていたものの、思った以上に戦いづらい状況だなと感じた。とはいえ予想の範囲内。もちろんその対策だってしているのだ。


「<やまびこよあれ(声の鏡)ᛈᛁᚾᚷᛖᚱ(ピンガー)>」


 得意の潜水艦魔術を行使する。コウモリよろしく、超音波を出して周囲の状況を探るためだ。壁や床にはね返った魔力が、自分に返ってきて特異な感覚をもたらしはじめる。体中に猫のひげでも生やしたかのような、ともすれば触角だらけの昆虫にでもなったかのような。


(なんだか視覚が2種類あるみたいな感じだ)


 聴覚を使えないぶん、こうでもしないと勇者をとらえられない。いや、これでも足りないだろう。もっと魔術が必要だ。


 次は身体能力の強化を。「<(イング)英雄の力よあれ(雄鹿の頭の枝)>」と唱える。過去に自身へ使った8面体魔石の力を通じて、豊穣神フレイから力を借りるのだ。自分の声も聞こえないからちょっと不安になったものの、体にみなぎるエネルギーが魔術の成功を教えてくれた。


(まだまだ!)


 魔女はさらに自身を強化しようと、ポケットへ手を入れた。そこにも8面体の魔石がひとつ。勇者と直接対峙する事態にそなえてとっておいた、とっておきの魔石を取り出した。


 描いてあるのはラテンアルファベットの『B』を鋭利にしたようなもの。すなわち白樺をあらわす『(ベオーク)』のルーン。


 ぽいっと口の中へ放る。噛み砕くこともせず、のどを鳴らしてごくりと飲みこむ。


(力を貸して!)


 自分にどんなあだ名があるか把握し切れていない。けれど時々聞く『白樺の魔女』という通り名は、みずから「それがいい!」と太鼓判を押すほど気に入っていた。そもそも転生直後に(ガンド)の存在を教えてくれたのが白樺の香りだったのだ。このルーンには特別な思い入れがある。


 それゆえにこの石を使ったのは、(ベオーク)のルーンが自分の力を底上げしてくれると信じているから。自分自身が白樺の名を冠するのなら、このルーンは自分をおおきくしてくれるはず。


 ふと、妙な光景が頭の中によぎった。そこは森林火災でも発生したのか、黒ずんで折れた木々が乱立している、霧のかかった荒野だった。自分はなにをするでもなく、ただそこに突っ立っている。天を仰ぐようにして、まるで誰かの到来を待ち望んでいるかのように。


 そこに、強い風が吹いた。白樺の香りがたっぷりふくまれた、猛風なのに心地よさを感じるものだ。同時に地面から土をかきわけてのびるものが見えた。それも荒野一面にだ。よく見ると新緑の若芽で、葉が開いたと思っているうちに猛烈な速度で成長していく。


 数秒後、そこは白樺の森になった。どの木も立派な幹を白く輝かせて、まるで最初から荒野などなかったかのようにすまし顔で立っているのだ。霧も晴れ渡り、小鳥のさえずりさえ聞こえる。梢から梢へ飛びうつっている小動物は、もしかしたらいつぞやのラタトスクだろうか?


(これは……すごいかも)


 四肢を駆けめぐる魔力は、急峻(きゅうしゅん)な山脈へ流れる川。速く、そしてどこまでも澄んでいる。今自分はその川を自在にあやつることができそうで、たとえば流れる先へ崖を作るように開放したなら、見事な瀑布(ばくふ)を形成する滝があらわれるに違いない。


 準備は万全、そう口にするかわりにうなずいた。川の流れは勇者を押し流せるほど強いかわからないけれど、やみくもに身を投げて渡れる程度の弱さではないと確信したのだ。


 トントン、肩が叩かれる。となりにいるヴィルヘルミーナが、身振りと目線で「そろそろ敵がきそうですよ」と語っていた。最後に、かかえる木箱へ視線をちらり。これは「こちらは準備ができています」と言っている気がした。


「わかった」、声に出さず返答をする。勇者とはいえ2対1。絶対に負けてやるものか。


 両手へ合計6本の白樺の枝を用意して、魔女は背すじをのばし立ち上がった。木箱をかついで立ち上がる戦乙女から、勇者――曲がり角のむこうにいるであろう者へ意識をうつす。反射してくる超音波が、足音のかわりにディランの接近を告げているから。


 戦闘の準備は万全だ。


 一方、相手の勇者ディランは、走り去る足音をひとつも聞いていなかった。鎧のこすれる音すらしないから、魔女もベヒーモスも移動していないとわかる。つまりこの角を右に曲がったのなら、そこにはふたりの敵が立っているはずだ。


(イヴェルセンはベヒーモスよりも魔女を警戒していたな。きっとそれは正しくて、僕が言った「仲間になれ」は効果がなかったように感じる)


 彼も人をだます側の人間だ。魔女がなんらかの対抗策も講じずに自分の前へあらわれてくれることなど期待していない。


(なら先手を打ってしまおう。僕が全力で移動すれば、彼女らは目で追い切れない。かく乱し、片方だけでも排除しよう)


 息を吸って、魔力をためて。目の前の壁へ三角飛びをかまし、敵の前におどり出てやろうと思った――その矢先。


 ガンッ、ガンッ、鈍い音がふたつ。眼前にある壁へ、ナイフのようにするどくなった植物の枝が、直線を2角連続できざむ。


(っ⁉︎ ルーンか!)


「<(セン),( )ᚪᛣᛏᛁᚠᚩᛁ(アクティヴォイ)>!」、刻まれた文字が真っ赤に染まる。


「<防げアイギス>!」、とっさに叫んだ。


 火炎放射が放たれて、狭い通路を緋色に染めた。熱が壁を焼き、一瞬にして煤の色に変えてしまう。強い魔術だ。魔法盾を展開していなければ、勇者の防御力をもってしてもダメージがあっただろう。


「出てきたなヤマカガシ! 炎の毒牙とは恐れ入るよ!」


 豪炎の中、盾によって作られたポケットのような安全地帯から、ディランは炎のむこう側へと大声で叫んだ。相手に聞こえていないことなど百も承知。けれどこういう敵の虚を衝いた攻撃に対しては、賞賛のひとつでも送ってやりたくなる性分なのだ。


 なぜなら、敵は強いほうがいいから。とくに、それを殺そうとしている時においては。


 炎は5秒、6秒と長く噴き出されているものの、魔法盾が燃えたり溶けたりする気配はない。終わるまで待ってやる道理もない。


(たいまつのルーン相手じゃ、ヒュドラーの毒は効果が薄いだろう)


 神話において、ヒュドラーはその再生能力をたいまつによって奪われたという。ゆえに現実――国家守護獣の力においても苦手とするはず。毒だって弱体化させられる可能性が高い。


(じゃあ、ありがちだけれど水でいこうか)


 地水火風の四属性魔術が、この場において効果を発揮するとは思えない。この世において、あれは錬金術師たちが使うものと相場が決まっているのだから。ただし「火を水で消す」というどこでも見られるほどありきたりな現象は、類感呪術として誠に申し分ない。事実のことがらの組み合わせにおいて、魔術は高い効果を生み出すものだ。


 盾を構えるのと逆の手の中へ、ディランは渦巻く(ガンド)を練った。色は水色、これもおもしろみにかける現実だけれど、そのぶん効果が期待できるだろう。


 手にする魔術はギリシャ神話の化け物。キマイラ同盟の1国にも使われている、大渦(おおうず)の怪物Χάρυβδις(カリュブディス)


「――<渦を巻け、カリュブディス>」、ひとつ唱えて手を掲げ、魔術を唱える声が自分の耳へ入ると同時。


「――<(ベオーク)(かば)のたくらみ>」、まるで予見していたかのように、魔女もガンドをひとつ練った。くわえてなにかおおきな物が投げ入れられる。幅は狭いものの、細長いなにかの物体が。


 なんだ? と思うも、停止させる時間などない。右腕からは爆ぜるように水流が出る。たった1秒だけの噴射だったにもかかわらず、熱と酸素を奪われた炎は一瞬のうちに絶命した。


 残るのは水蒸気のもや、煤だらけの壁、床、天井。そしてひとつの疑問。


(「樺のたくらみ」って、なんの言遊魔術(ケニング)だったんだ?)


 ディランはいぶかしげに立ち上がった。視界が悪いから、念のためにと盾を構えたまま。そして仰天してしまった。自分の目の前――燃えカスの中へ、とあるものを発見したから。


 おそらくベヒーモスのしわざだろう。さっき投げこまれたのは追っていた木箱だ。絨毯が入っていると思っていたのに、どうやらすっかりあざむかれた。なにせ床の一面に広がるのは、無数の白樺の枝だったのだから。


 息を呑み、顔を上げる。視界にはもやをまとった人影がふたつ。魔法盾を構える背の高い女。そしてその前面に立ち、両手と2本の枝を使ってルーン文字を作る魔女の姿も。


「<(ダエグ)加速せよ(羽をたたむ隼)>」、とそいつは言った。『Day()』をあらわすダエグのルーンに『加速せよ』との言遊魔術(ケニング)をつなげて。


 ディランは周囲からピチッという爪を弾くような音が無数に発生したのを聞いた。嫌な予感に飛びずさる。直後、さまざまな角度からなにかがのびた。視界を縦横ななめに走る無数のそれが、白樺の木だと気づくのに時間はかからなかった。


 魔女は「日」を加速させ、一瞬のうちに枝を木へ成長させたのだ。


(罠か⁉︎)


 自分たちは魔王を殺そうと罠をしかけた。相手はその罠に飛びこんできたと思っていた。でも、そんな甘い考えではいけなかったのだ。


 こいつらだって、僕を殺しにきているのだ。


 ドスン、背中が樺の幹に当たる。後退を禁じられた体が、四方八方からのびる枝によって取りかこまれる。わずかなすきまから見える魔女の姿も、際限なく発生し続ける枝葉によって遮断されてしまう。


 白樺はミシミシと音を立てながら、体をしばりつけてきた。まるで壁の中にいるかのように、すきまなく。そんなもので死ぬほど脆弱な勇者でもなかったが、敵の狙いが圧死にないことを、今さっき理解したばかりだ。だから頬へ冷や汗がつたうのは、「これはまずい」と本能が叫んでいるからだった。


 それを証明するかのように、圧縮された森の外から聞こえてくるのは、宮廷魔術師のように韻律を踏む、恐ろしい魔女の声。


「<大地にいかづち落ちる時、木々に火がつき燃ゆる森。荒れ地に土を濡らすは雨ふり、先に土地へ芽吹くは樺の木>」


 ディランが知っていたことではなかったが、これは現実に発生する現象を詠っていた。今ここに満ちあふれている植物、白樺という樹木の植生について。


 白樺は群生することが多い。それは成長の速い樹木だからだ。森林火災などで枯れはてた森があったとしたら、真っ先に芽吹きはじめ、どの種類の木よりも速く育つ。先に育つから養分もひとりじめ。他種の樹木を排除して、その場へ白い梢だけをならべるのだ。


 イーダの唱えた「樺のたくらみ」は、すなわち「白樺の森よあれ」という意味。


 そしてその白樺には、絶対に無視すべきでない別の特徴もある。それは油分の多い植物であること。しかも樹皮はやわらかく、はがしやすい。くるくると巻物のように丸めるだけで、お手軽な()()()()のできあがり、というくらいに。


 それらの事実を、とらわれたディランは悪寒とともに察知した。知識ではなく本能が、そして今聞いたばかりの魔女の詠唱が、「ここは火の海になるぞ!」と声高に叫んでいるのだ。


(ああ、くそっ! もっと警戒すべきだった!)


 つまりあの女――『白樺の魔女』は、()()()()()()()()()だ。


 我々ウミヘビ(ヒュドラー)の殺し手として、これ以上の者がいるだろうか。


I'll be(こりゃま) damned(いったね)」、ヒクヒクほほが引きつってしまう。けれどそれさえも魔女には届かない。返答すらない。


 かわりに淡々とした口調で、彼女は仕事を続けるのだ。


「<(セン)火葬台よあれ(オージンの子の館)>」、と。

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