笑うウミヘビ 29
部屋のすみには転がる死体。数は3つ。いずれも監視につけていた傭兵のものだ。
ベッドの上には誰もいない。そこにいたはずの老人――ヤネス2世は、どこかへ姿を消していた。
かわりに、窓から差しこむ光をスポットライトのように浴びているのは、すらりと立つ青い髪の少女。ずらしてかぶるペストマスクと、腰の医療用ノコギリが、彼女をこの世の魔王たらしめている。
対峙するイヴェルセンは、口の端を上げた。「抜け道を使うとはな。ルカ・グラデツからここまで続いていたのか」
「あいつは3が好きでしょう? この部屋に3つ目の隠し通路があって当然じゃない。広くていい道だったわ」
「蛇の口は広く開くからな。しかし今お前はその舌の上にいるのだぞ?――<ᚴ、フレイルよあれ>」
詠唱をひとつ。イヴェルセンは武器を取り出す。『ᚴ』は腫れ物を意味する北欧ルーン。「骨の覆い」は人体で、その脱穀をするのは殺意のこもった詩的な言いかえだ。
長さ1メートルほどの柄は太い金属の筒でできていた。筒の中から出ている短い鎖は、どうやら伸縮自在のように見えた。星型の重い穀物――武器の先端部分を鎖の先にぶら下げていて、この武器が『モーニングスター』と呼ばれるものの一種であることをあらわしている。当たれば「腫れ物」程度ではすまないだろうことも。
魔王はちらりとそれを見て、肩をすくめる。
「モーニングスターとは意外ね。うみへび座って暗い星ばかりでしょ? そんな物をたずさえていたら、星座自体が消えて見えなくなってしまわないかしら?――<ᚸ、斧よあれ>」
皮肉とともにルーンを放ち、彼女は斧槍を取り出した。長さは身の丈を少し超える程度。室内でもなんとか使える長さの物。
イヴェルセンも相手の得物を確認した。そしてゆがんだ笑みのままじりっじりっと間合いをつめる。
「構うものか。我らは影に潜む者。そこにあるのに見えないのは、なんとも好ましい状況だ」
にじりよるウミヘビを前に、魔王もすらりと斧槍を構えた。
「だから星の海へ、その身を横たえているのかしら?」
「そのとおり。海は『大陸を囲む蛇』と言われてもいるのだから。つまり私は貴様にとってのヨルムンガンドだ。雷神の槌は持ってきたか?」
「おおげさな武器は必要ないわ。私が持っているのは<ᚳ>よ。ヒュドラーの傷口を焼くための」
会話自体は自然に流れるものの、対峙するふたりの間には不自然なゆがみが生じる。それはおのおのの持つ殺気とか戦意とかが尖兵となって鍔迫り合いをはじめたからだ。真っ先に戦場になった豪華な絨毯が勇者グリゴリーの侵入時を思い出し、「また乱暴をされてしまう」と恐れおののくようにしわを作る。
しかし魔王の口は止まらない。
「<それらは焔、火、炎、炎熱と呼ばれ、すなわちお前を滅ぼす火葬台である>と言われているわ」
「<水辺>に住む我々に、そんなものが届くとは思えん。<海または水に生まれし我々にとって、岸こそ漁場――狩場なのだから>」、イヴェルセンが応じた時。
魔王は重心を低く落とし、舌をひとつぺろりとさせた。
「――だから私という餌を用意したの!」
枝嚙み蛇が飛びかかる。ウミヘビの心臓へまっすぐに。刃先がカッと豪炎をまとい、彗星のごとく駆けていく。
が、そこに立ちはだかるものがあった。それは水の盾だった。灼熱の槍先をずぶりと飲みこみ、自身を蒸発させながら熱を奪う。
それらは一瞬のうちに行われ、ゆえに発生した熱量と蒸発した水量は、寝室にはおさまりきらないほど膨大で――
――バァン! 花火のような音を立て、その部屋は破裂した。窓ガラスは霰がごとく粉微塵に飛び散って、部屋の戸は豪雨に流された橋のように廊下へバラバラと身を散らした。
椅子、机、棚は木材の死骸になって壁へと突き刺さっている。天井材が落ちてきて、床を激しく打ちつけた。あちこちで物が落ちるやかましい音が鳴り、静寂に包まれていた寝室をすっかり過去のものとしてしまう。
そんな破壊的な場所へ閲覧禁止のモザイクでもかけるかのように、綿のように厚い霧が視界を不自由にさせていた。ガス星雲のようにただようそれは、恒星の光を鈍く反射させる。
けれどその空間においては、競うようにまわる天体がふたつ。
霧を切り裂き刃が駆ける。魔王の持つ斧槍の切っ先。すぐにそれはモーニングスターに迎撃され、ぱっと派手な火花を散らす。
ウミヘビが手に持つ星型の凶器は、そのまま惑星がごとくグルグルまわって、ふと気まぐれに円周軌道をはずれ、いつの間にやら彗星に。目指すは地球のように青い者。衝突によって地殻まで砕かんと飛ぶ。
けれどそこには地球などなく、空振りに終わったその彗星は、あきらめたように円周軌道――惑星へと戻った。瞬間、ふたたび刃の来襲が。周回軌道の中心点へ、流星の一撃を突き入れる。
ふたたび火花が霧をいろどり、星空のような残滓を飛ばした。そうした応酬が3度、4度。双方が繰り出す攻撃は強い風圧を起こし、そのたびに霧へ深い切り傷を刻む。繰り返されていくうちに、風圧でたまりかねた水蒸気たちは、我先にと部屋の外へ逃走をはかった。
すっかり霧が晴れた時、魔王とウミヘビはいちど距離を取った。ふたりともけがをしていない。部屋ひとつと多くの調度品を犠牲にした剣戟が双方になんのダメージもあたえていないことへ、生き残ったランプがひとつ、忌々し気に火をゆらめかせる。
「ずいぶんとタフじゃない、イヴェルセン。せっかくひと思いに釣り上げてやろうと思ったのに」
「貴様の釣り針にかかったのは世界蛇だと言ったはずだが? 槌を持たず、従者も連れていない雷神ソールは、猛毒を浴びた時、はたして何歩目に命を落とすのだろうな」
「ヨルムンガンドを思い浮かべた時いつも思うのだけれども、おおきな体に毒を持つ生物ってどういうことなのかしら? 体がおおきければ毒なんていらないのに。それでも牙へ劇薬を持つということは、なにか恐れる者でもいるのかしら」
「なに、相手を念入りに殺したいだけだ。まむし女は生きているだけで私をいらだたせるのだから」
「どんな感情であれ刺激は人生を活性化させる。私が生きているうちは、あなたが暇をもてあそぶことなんてないでしょうね」
「ぬかせ魔王。貴様の舞台演技が退屈にすぎるから、私が演者を変わってやろうという――だけだ!」
吐き捨て、ウミヘビは敵へ飛びこんだ。踏み出した足が床を打ちつけ、星型凶器がじゃらりとのびる。天井スレスレをとおりすぎた針だらけの球体は、生き物のように鎖を縮め、魔王の後ろからまわりこむように後頭部へと豪速でせまる。
トリッキーな攻撃へ、青いほうの蛇はすばやく半歩左へよった。体の右へ槍を立てて構えながらだったから、頭部があった場所にあるのは頑丈なハルバードの穂先――
鉄と鉄とが衝突する。斧槍の頭は後ろから激しく叩かれ、都合、イヴェルセンへむかって猛突進した。魔王はそのまま両手を放し、敵へ高速の斬撃を投げた。
「っ!」、さすがのウミヘビも息を吐く。体が窮地と判断したか、視覚へ全能力を集中させる。弧を描き飛んでくるハルバードが月明かりを反射させながら、自分の肩口へと牙を突き立てようとしているのが見えた。
「<ᛁ>!」、氷のルーンを押印行使。氷柱の盾を張る。すぐにそれは斧槍を飲みこみ、額スレスレのところで突進をやめさせる。
しかし「危なかった」などと思う間などないことを、彼は十分理解していた。なぜなら氷のむこうがわへ、青い女が片手をつけるのが見えたから。
「――<ᚻ, ᛏᚢᛚᛏᚪ>!」、魔王は雹へ「撃て」との命を。
「――<ᚼ, ᛋᚴᛁᚢᛏᛅ>!>」、ウミヘビも同じく「撃て」と。
氷柱の中でたがいの魔力がぶつかり合う。1本の柱は異なるふたりから同時に命令を受けてしまい、動作不良を起こしたコンピューターのようにブゥンと不快な音を鳴らす。
板挟みを受けた結果、氷は双方を傷つけない方向へと雹を撃ち出した。扇状に砕けて散って、部屋の真ん中へ深い切れこみを作る。
「あら?」「っち!」、困惑と舌打ち。再度ふたりは申し合わせたように飛びずさり、距離を取った。魔王はちゃっかり斧槍を回収し、ウミヘビは手元へモーニングスターを構えなおす。
「部屋の真ん中へギンヌンガ・ガプができちゃったわ。神話のとおり、氷の谷だったのね」
「ならばここへと入っていけ。ユミルよろしく貴様をバラバラにして、死体で新世界を創ってやろう」
「あら、アース神族を気取るというの? なら私は魔の女になって、あなたたちを散々たぶらかしてあげる」
「ヘイズ――魔女か」、魔王の言葉を聞いて、イヴェルセンはたくらむように口の端を上げた。そして相手を試すように言うのだ。「貴様らの魔女はどこにいる? あのヤマカガシ女は」
「……イーダはあなたに渡さない」
「それを決めるのは私たちのほうだ」
笑うウミヘビと対照的に、魔王はひどく不機嫌な顔をした。「まるで<ᚴ>にでも触られたようだな」とイヴェルセンが口にするくらい、普段の飄々とした彼女らしからぬ表情だった。
だからだったのか、言葉へこめられたルーンへ無防備になる。
「――あぐっ!」、彼女が胸を押さえたのは、苦痛のルーンが発動したから。その一瞬のすきは実力が均衡した者同士の戦いにおいて、おおきな足かせを作り出す。
じゃらり、鉄の星が魔王を襲った。とっさに槍を盾にする彼女に対し、手心なしの容赦ない打撃。金属音が鈍く響いて、細身の体をぐらりとさせる。反応が遅れたせいで、槍ごと左腕を打ちつけられてしまった。
かはっと息を吐く声と一緒に、青い女はヨロヨロと後ずさりする。破壊されたベッドに足が当たって、ぐらりとバランスを崩し倒れた。
「とどめといこう」、冷徹な声。すでにウミヘビ男の第二撃目は中空にある。目いっぱいにのばした体と腕を、一気に収縮させて振りおろすのだ。
岩へつるはしを打ちこむような所作で、イヴェルセンは命を砕こうとした。腕の振りに若干遅れ、鎖の先の鉄球がうなりを上げる。見かけ以上に防ぎにくい攻撃だ。鎖を止めても先端は走る。星を正確に迎撃しなければ命はない。
ところが魔王は冷静だった。少なくともイヴェルセンにはそう見えた。脂汗を浮かべる顔の真ん中に、ぺろりと舌を出しているのだから。
手にした武器をまっすぐに、鉄球へと突き入れる。斧槍の先端の形状は、名前どおりに斧と槍。つまり幅広に作られていて、攻撃を受け止めるにもちょうどいい。
まず槍の穂先が接触し、ぐにゃりと曲がる間もなく折れて飛んだ。次に斧の刃が上から押しつぶされて、激しい火花と一緒に砕けて散った。おさまらない衝撃は槍の柄に直上から襲いかかる。木製の柄が悲鳴を上げてたわみ、瞬時にバラバラになる、その直前。
穂先と逆――石突は、脚の折れたベッドの真ん中、魔王の体のすぐ脇へ突き立てられていた。そこにはイヴェルセンの渾身の一撃が伝播してきて、寝具として作られた物体の構造的限界を簡単に上回ってみせた。
だからベッドはふたつに折れて――その下にある3つ目の隠し通路が、ぽっかりと口を開けて。
(ここにあったのか⁉︎)
瞬時に思うも武器を振り切る腕は止まらず。魔王はだいぶ速度の落ちた攻撃を回避もせずに腹へ受け、まんまと穴の中へ逃走をはたす。見おろすイヴェルセンの目には、空中で器用に姿勢をととのえ、数メートル下の踊り場へと着地する女の姿が映った。
「じゃれあいの次は追いかけっこね。Catch me if you can」
挑発を残して魔王は消える。通路はどうやら下へと続いているらしく、「えいっ」と身を投げる声に続いて靴と床が衝突する小気味のいい音が響いた。
「よかろう」、ウミヘビは挑戦を受けることに。いや、挑発などされなくたって追いすがるに決まっているのだ。
先ほど「念入りに殺す」と言ったとおり、彼は魔王シニッカの命日を今日にしようと決めていたから。
蛇らしく狭い穴へと身を投じた。魔王と同じく用意されているはしごなど使わない。獲物の足音を追って、下へ下へ。城の壁の中へ巧妙に隠されていたその通路は、狭く息苦しく暗い場所。けれど2匹の蛇にはお似合いの場所だ。
何回か飛びおりた先は、地面より低い位置。ようやく垂直の道は水平さを取り戻して、狭い廊下が北へと続いていた。数少ない魔法のランプが、突き当りを飛びおりた青い髪の女を照らす。なおも追跡していくと、次の部屋には2つの出入り口が床に開いていた。
片方をのぞいてみる。そこはかなり広い通路になっている。方向から察するに、10キロも先にあるルカ・グラデツへと続いていそうだ。魔王たちはここをとおってきたのだろう。
もう片方からは逃走する音。そちらに身を投げ、すべり台のような通路をおりていった。ふと体が宙に浮く感触。臆することなく冷静に着地すると、目の前に広がった光景にイヴェルセンは少々驚いた。
「錬金術工房への搬入路か」、ついつい口をついてしまう。天井を見上げると、今とおってきた通用口は暗がりへ巧妙に隠されていた。
15メートルほど先には、汗をぬぐう魔王の姿も。
「おもしろいと思わない? ヤネスったら、こんな楽しいアスレチックを自分の城へ造ってあるんだから」
「より興味深いのは、貴様が錬金術工房を墓場に選んだことだろうな」
「あなたという蛇をホルマリン漬けにして保管しようと思っているのかもよ?」
からかうように言い放ち、魔王はふたたび駆け出した。上がったままの鉄格子をくぐり、広い工房内へと一直線に。
イヴェルセンは周囲へ目を光らせながら追いすがる。罠のたぐいが残っているとは考えにくいが、決戦の地を選んだ理由は敵を薬品につけて保管するためでないことくらい知っているのだ。
(さあ、なにをたくらんでいる? 私を失望させないでもらいたいものだ)
数分後、工房は2匹の蛇に侵入された。
そいつらがやけに楽しそうに殺し合いを望んでいたから、壁にかけられたトリグラヴィア王国のおおきな国旗――赤地に麦穂をつかむ3本の腕の意匠を持つ旗は、ほほを引きつらせるようにゆらりとゆれた。




