笑うウミヘビ 28
時間は刻々とすぎていく。片方の蛇――枝嚙み蛇たちは、いくつもある隠れ家を点々としながら反撃の機会をうかがい続けていた。世界樹の冒険者ギルドの隠し部屋であるとか、市民をよそおって契約してあったいくつかの借家であるとか。三公爵のいるリニ・クロブク城だけは避けていたものの、藪から藪へ移動するようなさまはまさに蛇そのものだった。
他方の蛇――ウミヘビたちは忙しく市内の探索を配下へ実施させている。それこそ常時監視を置いているリニ・クロブク城もそうだし、冒険者ギルドの各支部(世界樹教派ギルドもふくむ)もそう。冒険者を大勢動員しているがゆえ、当初は敵の発見に楽観的であったものの、大型の木箱のゆくえひとつすら発見できていないのだ。
2022年8月9日は王国にとってもっとも長い1日だった。日も変わって間もない深夜から夕方にいたるまで、ふたりの王が王座をめぐって熾烈な争いを展開している。それぞれの王にはそれぞれに蛇が味方していたせいで、縄張り争いの代理戦争のような雰囲気すらあった。
その長い日も、もう2時間もすれば終わりを迎える時間帯。多くの人々は眠りにつき、今起きている者たちといったら、おしなべて今夜の戦いを予感している連中ばかりだった。たとえば冒険者たちは隊列を成して城のまわりを囲み、傭兵たちと衛兵たちは城の中を固めている。スラヴコは深いくまを目の下に浮かべたまま玉座に座り、両脇へ勇者とウミヘビをひとりずつつき従えていた。
魔界の魔獣ふたり――カラスとベヒーモスはいまだ姿をくらましたまま。結局彼らの居場所はわからない。けれどもリニ・クロブク城にいる三公爵たちはいよいよ戦闘の準備をはじめた。監視の目に構いもせず、部下へ食事と武装の準備を命じている。その動きにウミヘビたちは敏感に反応し、おそらく木箱がそこへ運びこまれることまで予想していた。
そんな王都メスト・ペムブレードーの北、およそ10キロの位置。
そこはルカ・グラデツという街だった。冒険者たちの拠点となる街のひとつであり、ヤネス王の直轄地のひとつだ。市街地中央には簡素な城が築かれていて、その庇護を受けるように城下町が広がっているような場所。そこは王都に比べれば静かで、起きているのは夜警や猫くらいなもの。
青い毛並みの狼は俊足を飛ばし、ついにその近辺まで到着していた。背中には魔王と魔女、潜水艦と夢魔を乗せたまま。ついでに監視の隼も、空からしつこくこちらを見ている。そろそろあれに対応するべきだと、彼は走りながら口を開いた。
「さて、魔王様よ。このままウミヘビの使い魔に見張らせておく必要なんてないだろ。なにか策を用意しているか? ないなら俺がひとつ、噛みついてくるが?」
「大丈夫よ、寝ている間にヤネスから情報を仕入れているから。寄り道なんてせずに城へむかいなさい。続きは到着したら話すことにする」
「敵に同情するぜ。あんたは起きていればその口で油断ならないことを言うし、寝ていればそのまぶたの裏へ油断ならない絵を描いているしな。いっそのこと殺してしまえって思考も納得できるってもんだ」
「起きている時には起きている時の、寝ている時には寝ている時の楽しみを見出しているだけよ。私は人の倍くらい人生を楽しみたいから」
「『人生の長さを自分で決めるのは骨も折れるが、密度は比較的容易に操作可能である』って言ったやつのことを思い出したぜ」
「かの高名なビオン・ステファノプロス氏のお言葉ね。彼も今日は密度の高い一晩をすごすつもりのようだし、楽しくなってきたじゃない」
軽妙な話をしているところで、バルテリは街の外縁部へと到達した。歩みをゆるめずそのまま中へ。レンガ造りの家と家の間へその巨体を疾走させる。道端に置かれていた樽やら荷車やらが、巻き起こった強風を受けてあっちこっちへ転がされた。
夜の街へ土煙を残しながら、巨狼は一直線に城を目指す。今日はとんでもない長距離を休みもほどほどに駆けてきた。ここがその終着点というわけではないものの、マラソン競技で最終区画の市街地へ到着したような満足感がある。残念ながら通常なら路肩を埋めつくすであろう観衆たちはひとりもいないが。
「城壁だ。飛び越えるから、ちゃんとつかまっていてくれ」
「少々荒くなってもいいわ。イーダたちもそれで起きるでしょ」
馬術における障害物と同じように、全力疾走する彼は減速なしで身を宙へ翻す。人が超えられぬように作られた防御用建造物も、彼の前では頭を低くしひれ伏すしかない。狼は城壁の上をとおりすぎる時、胸壁へ爪を引っかけて減速する。いくつかの石材がバラバラと飛び散る中、中庭へストンとおり、四肢を突っ張った。
背中で「ぎょえぇ」とちいさな鳴き声。急な重力加速度の変化に目を覚ました魔女のもの。気にせず土埃を上げながら急減速を続けていくと、屋根つきの井戸の少々手前でピタリ、狼は静止した。
「おはようだ、三人とも。いったんここでおりてもらうぜ」
バルテリの要請に、眠い目をこする魔女と夢魔と潜水艦は、ノロノロと巨体の背から地面へ場所をうつした。フェンリル狼が人の姿に戻ったころあいで、城の天守や兵の詰め所から武装した者たちがあわただしくあらわれる。
「なにものだ! なにをしにきた!」
「誰かと聞かれれば、私は魔王シニッカよ。なにをしにきたかは、あなたたちがヤネスとスラヴコのどちらを王と認めるかによって、内容が少々変わってくる」
遠回しな警告に、兵士たちはまず顔を見合わせる。しかし月明かりの下でもわかる青い髪と端麗な顔、なにより頭につけたペストマスクを見逃す彼らでもない。今ここには魔王がいて、どうやらフェンリル狼もいる。帽子と白樺を持った魔女も。
「……ヤネス王こそ、我らが唯一の王だ。ここは王の直轄地。王冠の移譲があったのなら、ヤネス王かスラヴコ様からお話があってしかるべき。それがないのだから、ここの領主は変わっていない」
「あなたの忠義と仕事に対するまじめさを、ヤネスへしっかり報告しておく。私たちね、少々監視されているの」、魔王は上空を指さす。夜だというのに周回する鳥の姿がある。兵士たちはそこで理解した。自分たちの守る施設を、魔王が使用しにきたのだと。
「そこであなたたちの力が必要よ。今、ヤネスがどこにいるか知っているでしょう?」
「そういうことでしたら、ご案内します。ことが終わりましたら、王へ『近衛兵たちは仕事も早かった』ともお伝えくださいますよう」
ここの指揮官は肝の据わった人物だった。王への忠義は本物だったし、仕事に対する誇りもあった。だから魔王たちを城内へまねき入れると同時、彼は部下への命令も忘れない。「夜の鳥とは不吉なものだ。目障りだから、矢を射かけ追い払っておけ」
「了解しました。しかし我々はうっかり落としてしまうかもしれませんな」、対する兵士たちにも優秀さが見て取れる。彼らが持つ長弓は、よく訓練された者でないと扱うことすらできないのだから。
なぜそんな連中がここにいるのか。それは街の人々をふくむ多くの者が知らぬこと。
その中のひとりたる魔女も、5分後には理由を理解するにいたった。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
「見失っただと? どこでだ⁉︎」
「ルカ・グラデツです、スラヴコ王。つい先ほどのことです。やつらがそこの城へ入った直後、夢魔は隼の使い魔を失いました」
「ええい! すぐに迎撃態勢を取れ!」
王のひとことで王宮は鍛冶場のように熱気を帯びた。すぐに各所へ伝令が送られて、「敵襲近し」の報が冒険者や傭兵隊、衛兵たちに送られる。もちろん勇者とウミヘビの元にも。近場の食堂で休息を取っていたふたりは、すぐに王の元へとはせ参じることに。
「どう思う、イヴェルセン」「魔界の連中は仕事が早い。間に合わんだろうが、これでスラヴコは我々に頼りっきりになる」と、短い道中に不穏な会話を残しながら。
実際のところ、彼らの狙いのひとつにトリグラヴィアへの影響力強化があった。彼らがどこか手を抜いた仕事をしていたのはそのせいだ。本気で魔界の手の者を駆逐するのなら他にもやりようがいくつもあったが、ここで綺麗さっぱりスラヴコの心配事を片付けてしまうと後の仕事がなくなってしまう。つまり依存性を高めておいて、この先スースラングスハイムなしではトリグラヴィア王国が立ち行かないようにするための布石だ。
「悪いやりかただね、本当」「賢いやりかたは悪辣に見えるものだ」、悪だくみを聞かれるか聞かれないかのタイミングで、早々に王の元へ到着した。そして「王よ、どうされたか?」と発言をうながす。彼に意見があるのなら従うし、そうでないのなら提案する腹積もり。ただし「魔王シニッカを殺す」というウミヘビの基本路線だけは外さないように。
「ルカ・グラデツで魔王たちを見失った。使い魔が落とされたらしい。やつらの狙いはこの王城に間違いはない。おそらく私の命を奪う気だろう」
スラヴコの言葉には「魔王たちが城に入った直後に」という一文がすっぽり抜け落ちていたが、そこは目ざといふたりのこと。すぐ情報の不確定さに違和感を覚えて、「直前に魔王たちはなにをしていた?」と質問することで当該情報を引き出してみせる。
「城に入った? ねぇスラヴコ王。その城はなにか特別な場所なの? 重要な武器とか施設とかが隠されていたりしていない?」
「いいや、私の知るかぎりただの古城だ。若いころ何度も行ったが、王の直轄地ということ以外に見るべきものはなかったように思う」
新王の返答に確証バイアス――「こうであってほしい」という願望による色眼鏡の一種――がふくまれていることをウミヘビたちは看破した。すぐに追加の質問を投げ、隠された情報を予測するのだ。
「王の直轄地? 兵は近衛か?」「ああ、そうだ」「街とこの城の距離は?」「10キロ程度だ」「なるほど、抜け道だな」
スラヴコが「なんだと⁉︎」と口にするのと同時、イヴェルセンは自身の行動を決めた。
「私はヤネスの寝室に行く。ディラン、君は王を安全な場所へ移動させろ。それが終わったらリニ・クロブク城を攻めよ。そろそろ木箱が運びこまれるだろう」
「ああ、承知したよ。気をつけて」
異論をはさまれるすきなど作らない。いれずみ男はサッと身を翻して前王が眠り続ける寝室へとむかった。後ろで「どういうことだ⁉︎」と口角に泡を立てる察しの悪い者など気にもとめずに、彼はめずらしく走り出した。
(なるほど、やつの考えそうな手だ)
やつ、というのはヤネスでなく、魔王シニッカのことだ。自分が殺したいと願う相手であり、自分の欲しい地位を持っている者でもある。枝嚙み蛇を気取っている者。地域の平穏という刺激が足りない外交をする『北の蛇』と名高い女。他にも異名を多く持つ、蛇の世界のオージンだ。
イヴェルセンが笑みを浮かべたまま走っているのは、噛みつくのが待ち遠しかったから。毎年天界にて行われる調停会議で、何度やつの死にざまを想像したことか。何度布団の中で、やつになり替わった「魔王イヴェルセン」を空想したことか。
ようやくたどり着いたのだ。あのまむし女を飲みこむ機会へ。
階段を上がり、廊下を駆けた。普段は足音など立てない彼が、自分の存在を誇示するかのように、暗い城内へ靴音を響かせる。
すぐに彼は両開きのおおきな扉の前にきた。鍵がかかっていないことは承知しているし、なんとなれば見張りの傭兵の気配が消えていることも承知している。そしておそらくだが、魔王が扉に罠などしかけていないだろうということも。
彼女も彼女で私に会いたいだろうから。
両手を思いっきり前に出し、おおげさな動きで扉を開いた。まるで舞台の幕が華々しく上がるようだったから、イヴェルセンも堂々たる所作でその中央を歩いていった。
「おひさしぶりね、東の蛇イヴェルセン」
高くない背、細身の体、青い衣服に濃紺の髪。頭の横へペストマスクをずらしてかぶり、夜闇へ星のような青い瞳を輝かせた女。
笑みを浮かべているイヴェルセンは、ますます口の端を上げてしまった。自分が邪悪な顔へ変貌していることがよくわかるほどに。
だからその顔のまま口を開くのだ。次の魔王にふさわしい台詞を口から放つのだ。
「会いたかったぞ、魔王シニッカ――」
低いのに妙にとおる声で、彼はスヴァーヴニルへ宣告をした。
「――私はお前を殺しにきた」
「そんなことだろうと思った」
2匹の蛇はたがいにむきあいながら、おのおのの舌でくちびるを濡らした。




