笑うウミヘビ 27
「ディランよ、まさか冒険者たちを皆殺しにするとはな。怒りやすいのは君の悪い癖だといえる。顔にも出さぬから、まわりは気づかなかったろうに」
「そう言わないでよ、イヴェルセン。君が僕を口説いた時、『その苛烈な性格がなにより気に入った』って言ったのを忘れたのかい?」
「言ったな。ああ、勘違いするな。苦言ではない。私は君の振る舞いが楽しくて、喜びを噛みしめているだけだ」
「へぇ、そうなんだ。噛みつく蛇が言うなら信ぴょう性も高いかもね」
トリグラウ城の地下室、壁の分厚い武器庫の中で、ウミヘビ男と勇者は王の到着を待っていた。のろけなのか、皮肉気なのか。どちらにせよ今はふたりしかいないから、会話の内容に気をつかう必要もない。
「思うのだが、いっそのことこの木箱の中身が偽物であったら都合もいい。それこそ正式な宣戦布告をする絶好の機会になるからな」
「で、本物の絨毯を見つけた後、それ経由で魔界へ攻めこむ、と。対勇者結界がそんな手段でくぐり抜けられるなら歓迎だね」
時刻はすでに夕方6時。工房での騒動の後始末に少々時間がかかってしまった。
あの後、ディランは新しい冒険者集団へ「工房内をくまなく探索せよ」と依頼を出してから、木箱を持って王の護衛へと戻った。工房に残り続けることも考えたが、まずは箱の中身をあらためる必要があったし、なによりあまり王の元を留守にすると、魔界の連中がスラヴコ王の暗殺なり誘拐なりを誘発すると危惧したからだ。
しばらくしてからイヴェルセンも王城へ戻っている。彼の場合はスラヴコ王からの要請に応じたからだ。水路の出入り口を見張るべきだと主張したものの、結局は王へ従うことに。あまり荒波を立てすぎるのもよろしくない。かわりに水路は冒険者たちに見張らせた。
と、その王が数名の護衛を引き連れて部屋に入ってきた。
「待たせたな。中身は悪魔召喚魔法陣の施された絨毯か?」
「それを今から確認する必要がある」
王と護衛の他にも数名の錬金術師(王宮お抱えの者ではなく商人ヨーエンセンが手配した者)がぞろぞろと部屋に入ってくる。暗い場所に少々おびえながら、「我々にご用でしょうか?」などと口にして。彼らが呼ばれたのは他でもない、魔術が施されているであろう木箱を開封するのに、錬金術にくわしい人間が必要だったからだ。
とはいえ、今回の物品についてはイヴェルセンが一番くわしい者だった。なぜなら箱の上面にルーンの文字列があったから。遺物を気取ったか、一番古いゲルマン・ルーンが刻まれていた。
せっかく呼ばれた錬金術師たちが翻訳する前に、イヴェルセンが文字をすらりと読んでみせる。
「『ᚺᛖᚦᚱᛟ:ᛞᚹᛖᚾ:ᚷᚲ』、すなわち『ここから立ち去れ』。墓石に書かれるたぐいの句だ」
「なんだい、それ。むしろ『開けてください』って言っているようなものじゃない?」
「ああ。実際、これを書かれた墓が、あばかれなかったことなどない」、いれずみ男はふっと笑いながら、慎重に箱へ手を触れる。両目を閉じて文字をなぞり、そこに魔力がこめられているかを確認するのだ。直線で構成された文字の列へ、彼の手が蛇行しながら分析していく。一文字一文字丁寧に。家から家へ丹念にまわり、税金を取り立てる役人の所作で。
「……どうやら罠はなさそうだな。この文字列は魔力を失っている。中から魔力を感じるが、危害を加えるようなものではなさそうだ」
間髪入れずに「なぜわかる」と聞いたのはスラヴコ王だ。昨晩から気を張りつめ続けているせいで、性格にいばらでも巻きついたかのようなとげとげしい態度になってしまっていた。
気にするイヴェルセンでもなかったが、とりあえずは説明の義務をはたすことを選ぶ。
「人を傷つける魔術はな、大なり小なり悪意を持つ。発動前であってもそれは変わらない。罠があるのならいばらのようなとげの感触がするものだ。ここからはそういうものが感じられない」
王がいだいているであろう感情を引用しての解説。おかげで腹落ちがよかったか、スラヴコも「では開けろ」と納得の様子。
「ではそうしよう。2、3歩下がってもらう。ディラン、王を守れ」
「承知したよ」
短い会話の後、イヴェルセンは迷いなく箱のふちへ手をやった。何か所かで釘留めされているふたを力まかせに引きはがすと、ミシミシという音を立てながらその中身があらわになった。
あったのは簡素でおおきな丸められた絨毯。数か所を紐にしばられて、誘拐された人物が木箱に押しこめられているかのように見えた。
錬金術師たちに取り出させ、その紐をほどく。蝶々結びされているだけだったので、なんの苦労もない作業だ。
「開け」の号令で、術師たちは床の上へ絨毯を広げた。その矢先――
コォーン! 水の入ったコップを叩くような音。わりかし音がおおきくて、全員が多少の耳鳴りを覚えるほどの。
「な、なんだ⁉︎ これはなんの音だ!」
「…………」
動揺する王と錬金術師たちを尻目に、イヴェルセンとディランは渋い顔をした。彼らは気づいていたのだ。
これが魔界の天使お得意の、条件発動魔術のトリガーであろうことを。
「『ᚼ』と『ᛒ』の文字が見える。ディラン、工房へむかえ。なんらかの変化があるのならそこだ」
「青歯通信、ペアリングか。承知したよイヴェルセン。さて、冒険者たちがまじめに仕事をしてくれているといいけれど」
すぐに勇者は姿を消す。地下へ響く足音は、あっという間に遠くへ消えた。
残されたのは話についていけない者たちとウミヘビ男だけ。
「説明せよ! いったいなにが起こっているのだ!」
「それを確認しに行った。少なくともこの絨毯は偽物で、本物がまだ工房内に残されているのだろうから」
イヴェルセンにとってこの程度の事態など心をゆるがすに足りない。魔王がくせ者であることくらい知っているし、その配下も同様であることだって理解している。
しかし王は違う。「失敗など許されんのだぞ!」と青筋を立てて怒鳴るのだ。
「わかっている。大事を成したいのなら落ち着くことだということもな。結局、魔王たちが今できるのは小細工を弄することだけだ。やりたいようにやらせておけばいい。正面からの戦いなくして勝利は得られないことくらい、やつらも理解しているだろう。そして勝つのは我々で、国王はあなただ」
傲岸不遜な物言いなれど、王へ一応の配慮をみせた。スラヴコも馬鹿ではなかったから、「……いいだろう」と了承するしかない。
「調査は我々で実施する。ディランが繰り返し進言したように、王たるあなたは寝たほうがいい。今日の夜は長いのだ」
「そういう気分になれん。私は謁見の間に戻る。同行せよ」
承知した、の言葉を残して、彼らは武器庫を後にした。
最初から最後まで困惑しっぱなしだった錬金術師たちも、とりあえず依頼の完了をヨーエンセンへ報告するのに戻ったから、部屋には役目を終えた絨毯だけが満足そうに体を広げているだけとなった。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
工房へ水を供給する水路の出口の外側。そこにはイヴェルセンに命じられた冒険者たちが、川の流れを監視するという至極退屈な任務を帯びてたたずんでいた。夕方も暗くなりはじめた時間帯、何時間もこんなことをしているからあくびのひとつだって出てくるというもの。
ここへカラスが飛びこんだり、ここから飛び出てくるかもしれない。ここからなにか重要な物品が流れ出てくるかもしれない。でもかもしれないだけであって、それが起こるかは不確定。得られる報酬もそう多くない。
「そろそろ飯にしようぜ。腹が減ってはなんとやらだ」、ひとりがそう言うと、他のひとりがイヴェルセンのまねをして、くぐもった低い声で応じる。「目を離すな冒険者よ。金塊よりも価値のある宝が流れ出るところを見逃すな」
「ははは! 似てる。お前とあのイレズミ男が入れ替わったとしても、正確さを誇るエレフテリア様だって気づきやしないだろうさ!」
「おいおい、失礼のないようにな。ここは清流の近くだ。テクラ様に聞かれているかもしれねぇから、天界経由で告げ口されるかもしれんぞ?」
「お前こそ失礼なやつだな。『預言天使様が告げ口をする』なんて」
少々不敬な軽口だった。もしふたりの預言天使が聞いたとして、彼女らはそれに罰をあたえる存在ではないのだから。
ただし、魔族は別だ。
「そのとおりですね。ではあなたがたの死は、預言天使様への不敬罪によるものとしましょう」
「っ⁉︎」、冒険者たちは聞き覚えのない声に振り返った。そこには小麦色の肌と銀髪を持つ、彫刻のような女性がたたずんでいた。
片腕のない、戦乙女が。
「――剣を抜けぇ!」
「――<獣化せよ>」
戦いともいえない一方的な殴殺は、わずか10秒で静けさを取り戻した。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
条件発動魔術、というのは錬金術師たちにとって必須な技術のひとつといえる。使い道の大半はスイッチだ。連動して水を発生させたり、発熱したり、音楽を流したり。鞘から抜かれると刃へ毒をやどすなんていう用途でも使われているが、通常は至極単純なしくみで動作していた。
では優秀な錬金術師が作った場合はどうか、と問われれば、当然ながら複雑な条件をふくむことが可能だった。例として挙げられるのは、おおきな街にある鐘楼の魔法具。常に一定の時間を刻みながら、日の出とともに鐘を打ち鳴らすそれは、季節によって変わる「夜明け」のタイミングへ柔軟に対応だってできる。
ゆえに工房にある水路の底、水深2メートルの位置へ沈んでいたとある木箱にも、少々複雑な魔術がかけられていた。ルーン魔術によって離れた位置にある絨毯と「ᚼᛒ」されたそれは、魔法の鐘の音に反応して自身へこめられている魔術を発動させるのだ。
いくつもの土嚢と紐でむすばれていた細長い木箱は、合図を受けて真空の刃を展開した。いましめを簡単に切断すると、それはちいさな船となって水の流れへ身をまかせた。箱の四方には魚のヒレのような板が立てられているから、水流によりまっすぐ出口へと進んでいく。鉄柵の間を多少の接触音とともにスルリととおりすぎて、小舟は小川へとその船体を投げ出した。
人知れず出港するそのさまは、まさに戦時の軍艦そのもの。その船を出入り口で待ち構えるのは「魚にあらず」とも水辺の好きな、ひとりの魔獣の女だった。
「いらっしゃい、ちいさな船さん。ずっと潜っていたなんて、まるでアイノさんみたいですね。おかげであなたはすっかり敵を出し抜いて、重要な仕事をしてくれました」
隻腕にもかかわらず、彼女は重い木箱を軽々と持ち上げると、ほおずりでもはじめそうなほど嬉しそうに目を細めた。
ついでに舌とぺろりとひとつ。
「ここから戦力を引かせたのは間違いでしたね、イヴェルセンさん。それともスラヴコさんの命令でしょうか」
つぶやきながら、彼女はその場をそそくさと立ち去った。
サカリの立てた作戦は、少しずつウミヘビの牙をすり減らしていった。




