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笑うウミヘビ 25

 ――ブオン! 切っ先はカラスの尾をかすめ、宙へ音を立てた。トマーシュの斬撃は空振りに終わったのだ。同時に彼の四肢へとんでもない激痛が走る。「お前はなにをやっているんだ!」とか「お前が妙な力を入れなければ、黒い鳥は真っ二つになっていたのだぞ!」とか怒鳴り散らし、腕の痛覚という痛覚へ強烈な叱責を入れてきたのだ。


(バカメ! オレハ、()()()()ト、キメタンダ!)


 ()()()()がした目いっぱいの抵抗。そこに人の心がたしかにあった。彼は激痛に物怖じすることもなく、傀儡師へ中指を立てたのだ。


 それこそが自分自身を取り戻す唯一の方法に思えた。トマーシュはアムを見て思ったことがある。囚われの身であったとしても、絶望が義務ではないことを。自分がまだ人類でいられるかもしれないことを。


 自身のために抵抗するという()()は、なによりも優先すべきだと。


 攻撃が失敗したのを知って、カラスはいちど距離を取った。10メートルほど離れた場所で人の姿に戻り、どこか怪訝そうな表情でこちらを見ている。頭の上に疑問符を浮かべ、「なぜ剣の速度が遅くなったのだ?」とでもつぶやいているよう。


 その顔をじっくり見る暇もないまま、トマーシュの体はすぐに追撃を命じられた。手足が勝手に走り出し、あっという間に距離をつめる。腰をひねって、腕を振り上げ、次の斬撃を振りおろしながら。けれど――


(ゼッタイ、アキラメナイ!)


 ふたたび全力で抵抗する。全身を襲う猛獣の牙のような激痛を、彼はふたたび噛み返してやったのだ。そんなことをしたから食いしばった奥歯がギリリと鳴って、ますます恐ろし気な笑顔になった。


 カラス男が後退しながら眉をひそめたのもむべなるかな。


(ナンドデモ、テイコウシテヤル! カラスヨ! オレノ、ネライニ、キヅイテクレ!)


 狙いとは「俺は君の敵じゃない!」と行動で伝えること。あわよくば「君の仲間の医者を連れてきてくれ」なんていう懇願が伝わるよう立ち振る舞うこと。


 けれど体は勝手に動く。2度、3度と攻撃は繰り返され、そのたびにトマーシュは抵抗し、痛めつけられた。シュレッダーにかけられた紙の気分を味わっているかのようだ。でも精神的に負けることなど断固拒否する。痛めつけられるほど、その気持ちは強くなるから。


 きっと傀儡師は裁断するごとに増えていくA4のコピー用紙に舌打ちをしているだろう。おおきな文字で「Ne bom(私は負) izgubil(けない)」とシンプルに書かれたものが、新聞社の印刷機ほどのスピードで大量量産されている光景に。


 これで裁断機を紙詰まりさせてやる腹積もり。だからこの滑稽な抵抗に対し、笑いを禁じ得ない。彼が笑みを浮かべたのは、このことを思いついたからだったのだから。


 かくして工房の戦いは幕を上げることとなった。殺人を拒否する男が全力で手加減を行う、とても奇妙な戦いが。


(サア、キミモ、エンリョナク、コウゲキシテクレ)


 思うと心がつうじたか、男は黒い2羽ガラスへと変身しさらに遠ざかった。あれは走り幅跳びの助走と同じだ。渾身の一撃を決めようとしているに違いない。


 カラスの飛行の最高速度は時速約70キロ。急降下をした時のみ出せる速度なのだけれども、目の前のフギン・ムニンはそんなことお構いなしに高速で飛翔している。というよりも、70キロよりずっと速い。彼ら得意の言遊魔術を行使しているご様子だ。


 真正面から直線的にせまってくるから、遠近感が狂ってしまう。迎撃しようと勝手に動く四肢は、タイミングを見失って勇み足。「ざまあみろ」と自分の体へ奇妙なあざけりを思いついた直後だった。コインほどのおおきさだった黒い鳥が、突如視界をおおったのだ。


 信じられない急加速。これは操り糸に抵抗なんかしなくたって防げるものではない。


 音と衝撃が斬撃の来襲を告げた。右わき腹へ1撃目が、刹那、左側頭部へ2激目が。


(ヨソクガ、デキナイ! ナンテ、ミゴトナ!)


 人の姿の時に見せた几帳面そうな外見とは打って変わって、その黒い鳥の機動には一片たりとも一貫性がなかった。ゆるやかな弧を描いて飛びこんできたと思ったら、直角定規で引いたような鋭角でもって斬撃を見舞う。逆に多角形の軌跡の最後に正円の軌跡が襲ってくることもある。度量衡をつかさどる大天使エレフテリアが見たのなら、天秤片手に発狂を禁じ得なかったのかもしれない。もしくはそれすらも「数式のうちに入る」と冷静な顔をしていたのかも。


 トマーシュはいまだ笑っていた。このようなトリッキーな動きですら、もう少し目が慣れてしまえば完璧にとらえられると自覚していた。でもそれは操り糸に四肢の制御をすべてまかせてしまったら、の話。苦痛をともなう抵抗でもってウミヘビの指令をあざ笑い続けているうちは、カラスに致命の剣を放つことなんてない。


 だから出来レースをするかのように、何十回ではきかないほどの空振りが記録された。蚊の大群の中心でパニックになっているような、無様な光景だ。もし彼が野球選手だったらとっくに二軍(ファーム)落ちしていたことだろう。


 今日は交代選手などいない状況。いや、頼まれても誰かに代わるつもりなどない。


(イイゾ! オレノ、オモイニ、キヅイテイルナ!)


 相手が眼鏡をかけていたから……というわけではないが、「このカラスは分析能力が高そうだ」という予想は正しかった。相手は少しずつ戦場を工房側へと後退させていって、今や傭兵たちの目の届かないところまで移動している。ご丁寧にいちど上げられた鉄格子を、わざわざ落としてくれてもいる。くわえてこざかしい目――ウミヘビの使い魔を2匹ほど斬撃に巻きこんでいるのだから、これは100パーセント狙いどおりの展開だ。


 一緒に時間かせぎができた。ヒュドラーの舌打ちも聞こえる気がする。


 さりとて体が止まってくれるわけでもない。切っ先がカラスの首へ断頭刃のように高速でせまる。腕を思いっきり引くように力を入れると、狙いを察したカラスは速度を上げてくぐり抜けた。次に操り糸は体に対して、まわし蹴りを見舞うよう命じてくる。ならばと軸足をヒョイと宙へ浮かせた。もう1羽が狙いすましたようにそこへ突撃し、背中が地面と激しい接吻をかます。


 ずいぶん息が合ってきた。なんだかずっと昔からの知り合いとじゃれ合っているようだった。あまりにも決まりすぎていて、これはこれで変な笑いが湧き出てしまう。


 このままどうにか()()()()()()()をためたいところ。これもトマーシュの狙いのひとつだ。性能のいいRC car(無線トイ・カー)でも、電池切れにはかなわない。コントローラーを持つ者は頭をかくしかないだろう。


 唯一の懸念点があるとするならば、少々やりすぎたことくらいか。このようなわざとらしい行為に勇者ディランが気づかぬはずもないのだ。


 四肢に食いこむ操り糸が、いよいよもって痛みを耐えがたいものに強めてきた。


(アア、ソロソロ、ゲンカイダ。ソノウチ、オレハ、コウタイサセラレルダロウ)


 その時、今以上のとてつもない苦痛が体を襲うに違いない。自分がディランの立場だったら、怒りまかせに懲罰を食らわせるに違いないのだ。もしかしたら気絶とかショック死とかを狙ってくるかもしれない。人の心を残した操り人形へとどめを刺すために。


 まあ、好きにすればいい。少なくともストリーミングの能力は、自分が死んだら制御不能になって消えるだろう。クーデターがこのまま成功するのかわからないが、戦いの後に国を治めるさい、この配信能力なしでは難儀するに決まっている。


 だから殺される心配は薄い。あったとしても今日じゃない。


「タフな男だ」、ボソッとつぶやくような声が聞こえた。ニッと口の端を上げる、賞賛の混じった声色で。斬撃を続けながら「なるほど、つまり目の前の男こそが()()()()()なのだろうな」と言葉を続けた彼は、羽音を高く響かせながら、離れた位置へと飛びずさった。


 すらりと人の姿へ戻る。背すじをのばし、うつむき加減に、眼鏡の位置をクッと直して。ゆっくりとした動作は戦闘中のものというよりどこか知的に見え、壇上にいる教師のようだった。嬉しそうな表情は、授業にのぞむ生徒から問題の確信をついたよい質問でも受けたからか。


 抵抗を続けるトマーシュが飛びかからなかったのを見て、サカリはひとつたとえ話をはじめた。


「人々の心は風のようなものだ。どこにあっても、うつろいやすいのだから。冷たい北風を吹かすこともあれば、暖かい南風の日だってある。ゆるやかな上昇気流が、次の瞬間に強いむかい風に変わることも」


 語っている相手はトマーシュか、それともそのむこう側にいる者か。教訓のような言いぐさなのは、それを言って聞かせる相手がいるからなのかもしれない。


「だから忘れるべきではないのだ。高い山へ登る者は、変わりやすいその天気に気をつかうべきなのだと。この国を治めるにはオクラ山、クルマ山、アリヤス山の峰を制覇する必要がある。王室、貴族、平民のすべてを手中におさめるのと同じようにな」


 もしくは()()()()()()()なんていう説教じみた感情だったかもしれない。彼の口調が少しずつ春の嵐のような強さに変わっていったから。


「我が主たる高き者(ハーディ)――すなわちオージンが、地を這う獣――フェンリル狼に食われる運命であることも忘れるべきではない。聡明なる彼とて、天上から糸をたらして運命を紡ぐことはできなかった。ちょうど傀儡師が操り人形を取り落すのと同じように、運命の女神(ノルン)の糸は彼の指からするりと抜け落ちてしまったのだ」


 トマーシュは彼の言葉を最後まで聞きたくなった。自分に殺人を強要する最低の連中へ、教訓という名の皮肉をたっぷりと投げつけてくれるフギン・ムニンの言動を。


 その間にも四肢には「早くやつを殺せ!」との命令が噛みついてきている。自分の意志も長くはもたないだろう。が、それも問題なさそうだ。カラスの言葉も組曲ほどには長くないだろうし。


 その予想どおり、話は次で終わりになった。


「以上のことから、高い場所にいるだけの者たちは、我々に勝てないだろう。貴様らより多少は風の読める私と、オージン(高座にいる者)を殺すのが得意な狼がいる。なにより貴様らよりよっぽど糸のあつかいに長ける者――つまり傷口を縫い合わせたり、不要な糸を抜糸するのが得意な医者もいる。軍神テュールがごとき強い意思を持った、傷だらけの勇者だってな」


 刹那――パチン! 彼は指を鳴らした。トマーシュはカラスが期待以上のものを用意してくれている予感に心を震わせた。


 視野の上端、天上の暗がりの中。そこにあったのは時間をかけて描いただろう横長の文字列。


 ――ᛋᛣᚪᚦᛁ᛬(スカジ・)ᛋᛖᚷᛚᚱᛖᛁᚦᚪ(セグルレイザ)


 Skaði s(スカジ・セ)eglreið(グルレイザ)aとは()詩的な言いかえ(ケニング)。意味は古ノルド語で「()()()()()()()もの」。


 文字列がぼうっと緑色に光った。瞬間、横なぎの風が刃になってトマーシュの頭部へ撃ち出された。


(アレハ!)


 操り人形は一瞬で理解した。あの色はヒュドラーの毒だ。たぶんそれで文字を書いたのだろう。そしてきっと操り糸の切断を企図していて、ゆえにしゃがんでかわせば自分の頭上にのびる魔法糸へ襲いかかるのだ。


 腫瘍を取り除く完璧なメス。医者が用意してくれたであろう、待ち望んだ手術の瞬間。


(イマダ!)


 彼は全身全霊の力でもって、その身をかがめようとした。しかし――


 ダンッ! と聞こえたのは地を蹴る音。よりにもよって、自分の足元から。


(アア! クソッ!)


 激痛ですり減った自身の体力は、肝心な時に操り糸へ敗北を喫した。勇者ディランの「避けろ!」の指令が、無情にも四肢を動かしてしまった。


 跳躍した彼は身を翻して天井をも蹴り、あっという間にカラスと距離をあける。そしてそのまま後ろへ駆けて、戦場からの撤退を決めた。


「ガァァァ!」、吼えたのは悔しさから。もう少しで自由の身になれたのに。もういちどあの魔術を放ってはくれないだろうか。次こそは必ず自分の頭上ギリギリに避けてやれるだろうに。


 結局、手が届きそうだった成功は彼の脚より速く逃げ去って行ってしまった。撤退の最中に、それを何度もなんども悔やんでしまう。


 鉄格子を上げ直し、撤退する傭兵たちを追い抜いて、彼は城へと帰っていった。気づくと体は疲労困憊。激痛に抵抗し続けたせいで、今にも意識が切れてしまいそう。


(シカタナイ。ダガ、アキラメナイ)


 城を守る衛兵たちが見える位置まで後退した時、彼はようやく平静を取り戻した。


 そして「いや、待てよ?」と思い直したのだ。


 撤退を命じられたのは、疲労が原因に違いない。ということは自分の当初の狙いどおりに、たっぷり時間稼ぎができたのだ。それにもうひとつ、いいニュースがある。


 回避を命じられた理由は? 糸の切断を企図したさっきの攻撃に()()()()()()ことをあらわさないだろうか?


 そう、光が見えてきたのだ。魔界の医者はとびっきり有能で、正確な治療方法をやろうとしてくれたのだ。


(アア、希望ハ、マダ消エテナイ!)


 疲れ切っているにもかかわらず、思考も明瞭になった気がする。これは失敗ではなく、満足のいく一歩前進だったと思うと、嬉しくてしかたない。


 次の瞬間、彼を死の次に辛いほどの激痛が襲った。勇者ディランがもたらした最悪な懲罰だ。反抗的な人形の意識を切断してやろうとしたものだ。


 けれどトマーシュは、いまだ笑い続けていた。


 意識を失う寸前に、「いい夢が見られるな」などという台詞を思いついてしまったから。

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