笑うウミヘビ 22
「人類が飛行機を戦場に投入したのは第一次世界大戦。最初の用途は偵察だったといわれているわ。この世に飛行機はないけれど」
「最後の一文以外の事実は知らなかったな。が、俺らの頭上に使い魔の隼が飛んでいることは知っているぜ。俺の脚に長時間追いすがるとは、魔力で強化されているな」
青い毛並みの狼は、魔王と魔女、夢魔と潜水艦を背中に乗せ、トリグラヴィアの大地を飛ぶように駆けていた。今起きているのは魔王だけ。他はぐっすり睡眠中だ。
時間はもう15時をまわったところ。まだまだ王都までの道のりは長い。
「で、どうすんだ? あれだけ高いところを飛ばれると、撃ち落とすには時間も労力もかかる。どこかで森を見つけて視線を切っちまうか?」
いちどはまいたと思われた監視の目が、ここにきて再度からみついてしまったのだ。もちろん最短距離を疾走する自分たちが、その進路を特定されるなど予想の範囲内ではあったが。
それは当然、我らが魔王様も同じ。「バルテリ、お気持ちは嬉しいのだけれど、私は別にお腹をすかせてないわ」「ディスコミュニケーションだ、魔王様。食うために撃ち落とすつもりじゃねぇよ」、くだらない冗談をひとつはさんで、監視の目をそのままにすると口にした。
「彼らは『深淵をのぞく者は深淵からも見られている』ことを忘れているわね。せいぜい利用させてもらおうじゃない」
「俺らが深淵の側にいるんなら、そうだろうな」、ニヤリとしながら狼は相づちを打つ。自分たちは敵にとって油断ならない相手であるという自負心が口の端からこぼれ出たのだ。この世に深淵の住人がいるのなら、魔界だの魔王だの魔狼だのに違いないのだから。
(あるいは魔女も、そうなのかもな)
座席にゆられて眠っている妖怪布毛布をちらりと思う。今はミノムシ状態の彼女だが、これはそれこそ隠れ蓑。ひとたび戦場に立ったのならば、魔獣に勝るとも劣らない活躍を見せるのだ。
「なあ、魔王様よ」、バルテリは少々バツが悪そうに口を開いた。「昨日俺は、イーダをカールメヤルヴィに帰して休憩させるべきだと主張したが、それは今も正しい選択だと思うか?」
「私も昨日は同意したけれど、戦場は山の天気と同じよ。急激に変わりやすいの。トリグラウ城に戻っても、どうやら無事に魔界へ帰れるとかぎらない様子だしね。それなら近場に置いておいたほうが安全なのかもと思っているわ」
「安全を優先するのもそうなんだが、戦力として当てにしているって話さ。今回、戦場の見とおしは霧の出た山のように悪い。状況がどう転ぶかわからないだろ? とびっきりのジョーカーを手放すこととに対する心細さがあるってもんだ」
「それでもそんな顔をしているということは、ワイルドカードを酷使することに対する心苦しさもあるのかしら?」
本人が寝ているのをいいことに、ふたりは好き勝手に話をはじめていた。好き勝手、といっても生死にかかわるものだから、これは緊張を緩和するための軽口でもあった。
実際、この重要戦力がいなくなったらヴィヘリャ・コカーリとしては痛手だ。彼女の身を守るために魔界へ帰すにしても、当面の戦力がけずられてしまう。戦いへ参加させたとしても、例の『いちどだけ、いうことを聞かされる』という代償によって彼女を失うかもしれない。
非常に悩ましい判断だ。敵が強い――勇者がふたりいる、という状況は、判断ミスなど許してはくれないのだから。
休ませられるならそうしたいが、敵に勝てるかわからない。ゆえに「魔王様はどう思っているのだろう」というのがフェンリル狼の素直な感情だった。こういう時に忖度をする彼でもなかったので、飾ることなしに意見をうかがうことにした。「で、どうするんだ? 帰す手段を探すのか、それとも戦いへ参加させるのか」
「まずは本人と話をしましょう。体力や魔力が戦えるほどに戻っていなければ、絶対に戦わせてはならないから。無理したり、こちらに気を遣って『戦う』と言った時もね。それくらいの嘘は話せばわかるから」
「戦えそうで、かつ戦意があったら? むろん戦ってもらうんだろうが、敵に『いちどきりの命令』を口にされたらお終いだぜ?」
「そこは考えがあるわ。彼女には潜水艦の友人がいるから、その力を教わってもらうの」
(アイノの能力? そんな都合のいい能力が潜水艦にあったか?)
正直想像がつかなかった。もしかしたら目の覚めるような手段なのかもしれないし、そうではなくて子どもだましとか、ばかばかしい方法を思いついたのかもしれない。頭に思い浮かぶのは「今回はなにをたくらんでいることやら」のひとことだけ。
そんな話をしていると、「ん、うーん」とのびをする声。うわさをしてたらなんとやら、魔界の魔女のお目覚めだ。
「ふわぁ、あれ? まだ日が高いね。……今日はスコルが太陽を追っていないのかな?」
起きたばかりなのに口調は好調。口のルーンの効果でも残っているのかと疑うほどに。スコルは北欧神話の狼の一匹。フェンリル狼の子で、太陽を追っていると伝わる獣の名だ。
「おはよう、イーダ。今日も時計の針はエレフテリアのように規則正しく進んでいるわ。スコルが太陽を飲みこむ気配もないの。ラグナレクはまだ先の話になりそうよ」
「終末の日に寝過ごすなんて失態を回避できて喜ばしいよ。フェンリルの背中にいる日にはとくにね」
ハハッ! と狼は笑った。ひとつは魔界特有の冗談が楽しかったから。もうひとつは彼女の体調が非常によいとわかったから。
これなら直接聞いてしまっていいだろう、そう判断して彼はイーダへ問うことに。「快調なお目覚めだな、魔女さんよ。ちょうどお前さんのことを話していたんだ。今夜の戦いに参加するか、否か。けがをして疲労困憊のお前さんは、万全じゃないってことを知っているからな」
「自分でも少々不思議なんだけど、けがの具合は悪くないよ。疲労困憊も昨日の話かな。まあ、休日に読みたい本があるかって聞かれたらイエスだけどね」
その言葉に、狼と魔王はそろって肩をすくめる。さっきまで、本気で彼女の心配をしていたというのに、本人ときたら「お休みをくれるなら本を読む」なんてすっとぼけてみせたのだ。日本国出身の内気な女子高生、飯田春子さんはいったいどこに消えたのやら。ここにいるのは魔界――深淵たちの巣窟に住む、イーダ・ハルコという名の魔女なのだ。
「あなたもジョーカーっぷりが板についてきたわね」「ジョーカーたちの王様に言われるなら、そうだろうね」「あらあら、過去に同じことを言われたわ。いったい誰に似たのかしら?」「その『誰』が言うところには、『魔王シニッカ』に似たんだろうさ」、彼女らは軽妙な会話を挟んだ後に、話題を今夜の戦いへうつす。
「私は今夜も戦える。無理をしているつもりはないよ。体調がいいのは本当だし、どうやら魔力も戻りつつあるから。なにより私はさ、グリゴリーさんとレインさんの仇を取りたいって思っているんだ」
少女は目を魔女の色にいろどって言った。そこには明確な戦意があった。深淵のように黒い瞳が、彼女をのぞきこんだ目をまっすぐに見返しているのだ。
「よろしい、許可するわ。けれど条件つきよ。あなたにかけられた呪い――ひとつだけ命令を聞かなきゃならないっていうやつに対抗する手段はあるかしら?」
「うん、寝ながら考えたんだ」、魔女は睡眠と思考を並列させるという小器用な技能をチラ見せしつつ、彼女なりの考えをしめす。「ちょっとばかばかしい方法だけれど、ひとつだけ。つまりね、相手の声が聞こえなければ、命令されることもないんだよ。これは魔法契約書に書かせたから絶対。ゆえに相手がなにかを言おうとしたら、魔術で聴覚を遮断しようと考えてる」
「おいおい、それじゃあまわりの音も聞こえなくならないか? 戦場で耳を失うってのは、ちょっと賛同しかねるぜ?」
「かわりにその間は潜水艦魔術を使おうと思うんだ。アクティブ・ソナーっていわれてるやつで周囲の状況を探るつもり。コウモリのまねごとともいうよ」
狼は「たしかにばかばかしい方法かもしれない」と思った。同時に、もしアイノが起き出して「そういうことも十分できるよ!」というのなら、採用してもいいほどには理にかなっているとも感じるのだ。
「そいつは本職の意見を聞いたほうがよさそうだな」、一旦保留にするものの、こと潜水艦の生態にかんしては魔女のほうがよっぽど物知りといえる。だから、どうもこの手段が取られるのではないかと予感してしまう。ついでに思い出す。先ほど我が魔王様は「潜水艦の力を借りるんじゃない?」なんてことを言っていた。つまり彼女もこの方法を予想済みだったのだろう。
ならば口を挟む必要もない。ふたりが「いける!」と思っているなら、きっといけるのだろうから。
「了解だ、そこはイーダにまかせよう」
魔女の作戦へ、国防大臣としてGoサインを。予備兵力なしのカツカツな戦いになるだろうが、「それはそれでおもしろいじゃないか」なんて勝手に心を躍らせるのだ。
「さて、方針が決まったら、次は情報収集ね」、背中の上、魔王様がモゾモゾと毛布にくるまる。王都ではリリャとは別の夢魔がストリーミングのチャンネルを開いているから、そこへ接続するためだ。そうやってむこうの情報を収集し、きたるべき今夜の戦いにそなえなくてはならない。
その姿を横目に、魔女はふたたび軽食を取ることにした。走りはじめて12時間以上、寝ては食べてを繰り返しているから、体内時計は世界中の都市へ瞬時に旅をするがごとく狂ってしまっている。今はこれが一番体力回復にむいているとはいえ、長期的に見たら体に悪い生活だろう。もっと朝早起きして、午前中にちょっと疲れるくらい魔術の訓練をして、昼食を食べながら「午後はなんの本を読もうか」なんて楽しみにする生活へと戻りたいところ。
サウナも恋しくなってきた。
「そういえば勇者ってアイテムボックスを持っているよね。あれってサウナ室とか入れられないのかな?」
「そういうやつは聞いたことがねぇな。酒樽くらいの幅と高さまでの物であれば入れている現場を見たが、建物となると無理なんじゃねぇか? ま、どのみち俺らには使えないさ。ドクが開発してくれることを夢に見ておくとしよう」
「完成した暁には、それに『蛇の口』って名前をつけてあげないとね」
自分の胴体より太い物でも飲みこむのだから「蛇の口」は悪くないネーミングと思えた。が、一方で「日本語の『蛇口』ってすごいネーミングセンスだな」と気づいてしまい「口から物を出すのもなぁ」なんて思い直すことに。そのまま思考は引きずられ、そういえば自分がはじめて行使した魔術も「蛇口をひねる」だと思い出す。なんだか蛇の国カールメヤルヴィに最初からどっぷりつかっていた様子だ。
体内時計と一緒になって、考えまでもがあっちこっちへ旅をしている魔女を現実に戻したのは、今さっき眠りについたばかりの魔王のひとことだった。
「――サカリたちは交戦を開始したみたいね」
「え⁉︎ どういうこと?」
「街へ残してきた夢魔のチャンネルが開かれていないの。今までの流れから察するに、錬金術工房に敵が侵入したんじゃないかしら」
到着まではまだ8時間から9時間くらいかかる。勇者ふたり相手に、それまで持ちこたえられるとは思えない。
どうにか無事切り抜けてくれ、そう願うことしたできなかった。
2022年8月9日15時すぎ、王都ではふたたび戦いが生起していた。




