笑うノコギリエイ 後編9
2021年9月13日。郊外の害獣退治という最初の冒険を終えて、元領主の娘フローレンスはモンタナス・リカスに戻っていた。当然3名の仲間、イズキ、フルール、フェリシーとともに。
まだ少々夢見心地だった。命を奪うという行為は独特の余韻を心へ残すし、なにより信頼できる仲間というのはそれを上まわる充足感をあたえてくれるものだったから。とくに食事はみんなで食べると味が変わる。もちろん、いいほうに。
大声で笑うかのように口から大量の具を見せているサンドイッチは、ひとりで食べてもおいしいもの。そこに仲間と弾ませる会話と陽気な空気が加われば、特別な日の特別なメニューになってくれる。だからサンドイッチのまねをして、顔いっぱいに笑顔を浮かべてもいい。
そうしないのはちょっとした不満。もし彼――イズキさんとふたりっきりだったら、もっとおいしいのかもしれないと思う心。
「フェリシー! 今日こそは見逃さないからね!」
「あっ! なにするのさぁ!」
魔術師フローレンスは、となりで食事のお肉についてもめている女性ふたりと、目の前の男性との4人で食卓を囲んでいた。今日は冒険にはさまる休息の日だ。英気を養うため、そして次の冒険にそなえるため、おいしいご飯を食べにきたのだ。
今日立ちよったこの店は、人気のあるところなのだろうと思う。あちこちで笑い声が聞こえ橙色の明るい日差しと一緒に体と心を温めてくれる。それほどおおきなお店ではないから、席と席とが近くて、時々とおりすぎる人が無遠慮に体を当ててきた。貴族であるフローレンスにとって、それはちょっと衝撃的で……でも、楽しいと思える刺激でもあった。
そんなお店の中にあるとはいえ、仲間ふたりの声は少々うるさすぎるかもしれない。
「フルール、フェリシー。どっちも同じおおきさですから、けんかはいけませんよ」
「フローレンス聞いてよ! フルールったら、私のお肉一切れ食べたんだよぅ!」
「違うわよ! あなたが私のお皿からかすめ取ったの見てたんだから!」
まあまあ、と言ってふたりをなだめる。むぅ~とふくれる彼女らに手を焼きながら、ちらりと正面に目をむけた。リーダーのイズキはなにか難しい顔をして、一口食べたサンドイッチもそのままに考えごとの真っ最中。昨晩宿へ商人が訪ねてきてからずっとそうだ。「イズキさん、昨晩の商人となにをお話したんですか?」、フローレンスは顔をのぞきこんだ。「イズキさんだけにお話があったのは知っていますけど」
「あ、ああ。ちょっと抽象的な話だったんだよ。『敵は存外近くにいる』とかなんとか……」
あきらかに言いよどんでいる。フローレンスはそれが気になって、一歩踏みこんだ質問をした。「敵があらわれるという意味ですか? それはもしかして私に関係が? ご迷惑をおかけしてしまっていませんか?」
「ま、大丈夫さ」、イズキの顔は深刻とほど遠い。まかせておけよ、という頼もしさすらあった。それに、続けて言った言葉はフローレンスの危惧――自分が迷惑をかけているかもしれないという心配――を笑い飛ばしてくれた。「むしろちょっと楽しみかもな。どうせこの前の警吏みたいに、未熟な考えの持ち主だろ? だったら戦いの前に精神的なマウントを取ってやれるな。そんなやつ口論でも勝てるし」
「ええ、心配におよばないのなら私もありがたいです」と、フローレンスはそれ以上の追及をしなかった。無限に時間があるのなら、いろいろと聞いてみたいとは思ったのだが、今は若干急を要する。目の前の喧騒をどうにかすべく、手を借りたいと思っているのだから。
「ではイズキさん。あの……ふたりを止めてもらえますか?」
「ああ、たしかにちっと大声だな。そうするか。なあ、ふたりとも、なにをもめてるんだよ」
「フェリシーが!」「フルールがね!」、仲裁の言葉に肉を奪い合うふたりが、同時に自分の正当性を訴えた。イズキの言葉をもってしても、収拾がつかなくなっている様子。ここは新参者の自分も協力するべきだろうと、話題を変えてみることに。「そ、そういえば、おふたりはイズキさんと、どうやって知り合ったんですか?」
ん? と3人が自分のほうを見た。強引なやりかたとも思ったが、どうやら効果があったようだ。フェリシーが水色の髪をたわませながら話をはじめる。「私たちはねぇ、盗賊に襲われているところを助けてもらったんだよぉ。3か月くらい前だったかなぁ?」
「そうそう。隊商に混ざって移動してたら、いきなり20人もあらわれてね。ホント、あの時は死ぬかと思ったわ」、赤紫の髪のフルールが、ふぅっとため息交じりにこたえた。
フローレンスは「ああしまったな」と思った。悪いことを聞いた気分になったのは、20人もの盗賊に襲われたら隊商の人たちに被害が出ただろうと予想したから。
「あ……すみません。そのようなことをうかがってしまって」
「別にいいわよ、過去は過去だもん。実際、私たち以外ほとんど全滅しちゃって、これはヤバイかなと思っていたんだけど……。イズキがどっかからあらわれて、一瞬で全員吹き飛ばしちゃったわ。あれはあれで死ぬかと思ったけどね?」
「いいじゃんか。助かったんだし」
「アンタの出した黒い水晶に串刺しにされるところだったのよ⁉︎ まあ助けてくれたことには、今でも感謝してるけど」
「ヤバかったねぇ~」
暗い空気にならなかったことに安心しつつ、自分の知らない冒険に少しだけ嫉妬した。フルールとフェリシーにとって、彼は窮地を救った騎士様だったのだ。ふたりが彼にベッタリな理由がわかる。
(私だって……)
当時のことを楽しそうに話す3人の声を遠くに聞き、自分の時の記憶が脳裏に浮かんだ。
あの時死んでしまったふたり。叔父のような冒険者と、姉のような冒険者のことを。颯爽とあらわれたイズキのことを。そして先日、警吏と老商人のいさかいから発展した、自分がここにいる理由についても。
たった1週間くらいのことなのに、思い出すことがたくさんあって、フローレンスはしばらく無言のままだった。現実に引き戻したのは、新しい仲間の声。
「……レンス。フローレンスぅ。生きてるぅ?」
「え⁉︎ はい、健在です!」
「健在って、アナタ……」、仲間のあきれる顔。イズキのことを「ぼうっとしている」なんて、人のことは言えない。自分も心配されるくらいには、ぼうっとしていたようだ。耳が熱くなるのを感じ「いえ、私もお会いした時のことを思い出していました」なんて言い訳をした。
「か~わいいねぇ」「かわいいわね」「かわいいなぁ」、自分をからかう三重奏に、言い返すこともできない。とくに、自分の正面で笑う男性には。
私の勇者様には、だ。
(イズキさん、その笑顔は……卑怯ですよ)
自分にむけられた彼の笑い顔を見て、よけいに顔が赤らんでいった。なぜ1週間でこれほどまで彼に執心しているのかわからない。けれど彼の右腕を握ったあの日から、なにかが変わった気がしているのだ。
「そ、そろそろ出ましょうか」
自分の感情をごまかすように、彼女は提案した。「そうだな」「そうしよっか」「そうだねぇ」なんて口をそろえる彼らの反応が心地よい。
ゆっくりお昼を満喫した4人は、腹ごなしの散歩をすることに。今日は休日なのだと決めている。デザートに午後の陽気を屋外で味わったところで、誰かが文句を言うわけでもない。
街の広場へ到着する。人どおりも多い広場の真ん中には、おおきなトネリコのシンボルツリーが四方に枝をのばしていた。茶目っ気たっぷりに踊る人間のようなシルエットが、そなえつけられたベンチに日陰を提供している。休息が必要な人の日傘を買って出ているようにも見えた。
4人はこれから、この街を抜けて西に進むつもりだった。モンタナス・リカスは国の西部にあるから、すぐに国境線へと到着するだろう。フローレンスにとっては、はじめて自分が生まれ育ったこの国から出ることにもなる。つまり、本物の冒険が幕を上げる。
(この国の風景も、見納めなんですね……)
目をつむった時、いつでも思い出せるようにしておこう。少しセンチメンタルな気分になった彼女は、焼きつけるように広場をながめた。すると目線に入ったのは、10メートルほど離れたところで相談をするふたりの旅人。茶色い髪の綺麗な女性と、ローブをかぶった少女。どこか異国の匂いを感じる彼女らは、少々困ったような顔をしていた。
道にでも迷ったのではないか、フローレンスが近づこうとする矢先――
チッチッチッチッチッ……。
突然、時計の針の音が大音量で頭に響く。びっくりして立ち止まり「な、なんですか?」とキョロキョロしてしまった。周囲の人間もそれは同じ。羊の群れが雨でも予感したかのように、周囲へ音の発生源を探す。
フローレンスには、その発生元がすぐにわかった。注目していた旅人、茶髪の女性があわてふためいて手元の懐中時計をバシバシ叩いていた。「ああ、止まりなさい!」というあせった声に、となりのもうひとりもあわてた様子。
(あれ、魔法の時計ですよね? なんであんなものを……)
どうしようかと迷っていると、はじまった時と同じく、いきなり音が止んだ。広場はなにが起こったのかとザワザワしながら、ふたりの旅人を指さしたり、視線を送ったりしていた。どうやら原因が彼女ららしいことを、みんなも気づいたようだ。
「あの人たちよね? どうしたんだろう?」「なんだろうねぇ」、もちろんフルールとフェリシーも怪訝な顔。
(いらないトラブルに巻きこまれたら気の毒。助けてあげないと)
「イズキさん、お話を聞いてあげたほうが」、パーティーリーダーへ助力をうながす。「ああ、そうだな」と応じてくれた彼に続いて、旅人たちへ近づき声をかけた。
「あの、どうかされましたか?」と問うフローレンスに、茶髪の女性が困ったような、けれど声をかけてくれてありがたそうな顔をむけた。「ああ、お気づかいありがとう。ごめんなさい、これが壊れてしまったみたいで」
彼女が見せたのは、質素だが高級そうな懐中時計。真ん中に赤黒い宝石――魔石を埋めこんである、魔法具の一種だ。
見覚えがあった。大学で使われていたものと同じだったから。
「どこかの教師のかたですか? これは音声伝達魔法が付与された、試験用の時計では?」
「ええ。父の形見として持ち歩いていたんですが、少し前から壊れているみたいで」
話をしていると、水色の髪のスカウトが会話に割って入る。金目のものに目のない彼女が、興味を持ちはじめたのだ。
「へぇ、こんなのあるんだぁ。おもしろいね。もっかい鳴らしてみてよ?」、目を輝かせて興味津々。これはいくらになるのかな、という声が聞こえてきそう。なにせ他人のものだというのに、もう手をのばしている。その腕をパシッとつかみ、苦言を入れた。「いけませんよ、フェリシー」
チッチッチッチッ……
時計が再び鳴りはじめてしまう。いらないこというから、なんて思って、フローレンスはフェリシーを見た。でも意外や意外、彼女はちゃんと協力してくれた。「みなさぁん、大丈夫ですからぁ!」、まわりの人々へ声をかけて。
責めるような目で見たことをフローレンスは少し反省し、ごまかすようにイズキの顔を見上げる。
「イズキさん、これは魔法具師でも見つけないと……」
しかし彼はこちらを見ていない。目線はローブをかぶったほうの旅人へ。そして愕然とした表情で固まっている。「なんで……」とつぶやくさまは、徐々に雰囲気が弛緩しはじめていたこの場にふさわしくない。
「イズキさん?」
いつものぼうっとした表情ではないのだ。なにか見てはいけないものを見たような、相手の存在を信じられないような、そんな目だ。
こんな顔をするなんて、今までなかったこと。とても、嫌な予感がする。
「あの……どうしたんで――」、言い終わる前に彼が口を開いた。
「なぜ君が、ここにいるんだ!」
いきなりのおおきな声。それに体をビクッとさせるフローレンスと……フードの旅人。
いつの間にか、先ほどまで晴れていたはずの空が、たくさんの雲に覆われていた。
薄暗くなる広場の上に、黒いカラスが不気味な影を落とした。




