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笑うウミヘビ 20

 新国王スラヴコ1世の演説の終わり、響いたのはよくとおる、ひとりの女の声。


 その響きが流水を思わせたからなのか、彼女の声は視聴者たる人々と新王たるスラヴコの間へ、苦も無くするりと割って入った。


「ありがとうスラヴコ」なんていう台詞は、なんだか披露宴とか討論会の司会者のような言い草だった。王の発言が終わったから、そこにねぎらいの言葉をかけたかのような。おかげで視聴者たちの中には、彼女が最初からこの場にいたと錯覚する者すらいた。


 誰の声だろう、なんて考えるものはいない。国王の即位宣言の終わりにあらわれて、その王にむかって「素敵」なんて評価を口にする者など、この世にほとんどいやしない。


「魔王シニッカ!」、スラヴコ1世は攻撃的な声で応じた。少々の驚きに忌々しさと憎らしさをトッピングしたような声で。


 それに、魔王は反発しなかった。「ご紹介までいただいて、ありがとう」などと、機嫌よさそうな声で返答するのだ。人々は、今しがた自分の国が他国と戦争状態へ突入したことをわかっていないのかといぶかしく思ってしまった。朴訥な田舎娘が、彼女にひとめぼれした貴族の求婚に気づかないのと同じように、場違いで勘違いな行動をしてスラヴコを怒らせるのではないかと、心をハラハラさせてしまう。


 ただ、彼女は田舎の王ではあるものの、朴訥な少女ではなかった。「けれどね、スラヴコ。残念ながらあなたの宣戦布告は無効になると思うわ。あなただってそれくらい知っているでしょう?」


「先に手を出したのはそちらではないか! なぜ戦いを受けないというのだ!」


「あら、そうやって論点ずらしをするなんて。あなたは悪い人ね。まるで魔界の弁護士みたい。けれどトリグラヴィアみんなにはちゃんと話をするべきよ。私たちの会話を聞いている人には、法律にくわしくない者も多いでしょ?」


「…………」


 スラヴコは沈黙した。あまり触れられたくない部分を、魔王に指摘されているからだ。おかげですきができる。すかさず魔王は「じゃあトリグラヴィアのみなさんへ説明をさせてもらうわ」と宣言し、いつの間にか国王就任の場が彼女の演説場に。


「みんな、安心なさい。トリグラヴィアとカールメヤルヴィは戦争なんてしないわ。理由は簡単、それは()()()()()()()だから。これには理由が3つもあるの。どうかしら? 興味がわいてきたでしょ? じゃ、お話しするわね」


 戦争という緊張を強いられる事象に対し、「それが行われない」というのは甘い言葉になる。ゆえに人々は聞く姿勢を取ったし、大事にいたらないことを期待する。


「ひとつめはカールメヤルヴィが宣戦布告の事実を知らないこと。相手が知らなければ、戦争にならないわよね? 王たる私には主権――戦争を受ける権利が無いし、それを持っているカールメヤルヴィ王国の首相には、今回の話が届いていない。誰も知らないから、誰も戦わないというわけね」


 テンポよくしゃべるから、指折り数えるさまが目に浮かぶよう。


「ふたつめは、スラヴコがこの国の王になれていないこと。彼はまだ他国から王と認められていない。それに国内の実権もにぎれていないわ。手に持つのは王冠と玉璽だけ。あなたがたからの絶対的な信頼はおろか、国家守護獣の力すら手に入れられていないのよ」


 誰にとっても聞き捨てならない言葉。先ほどスラヴコは自身が王になったと言ったのだ。すかさず新王は口をはさんで反撃の言葉を魔王に放つ。


「魔王、なぜそう言い切れる? 私が他国に認められるのは時間の問題だ。国民が私を信じていないことも、お前の決めつけにすぎん。それに実権の掌握は済んでいる。嘘をつかれては困るな」


「グライアイの3つの力すべてが()()()()()()()()()()ことくらい知っているわ。それでも『使える』と言い張るのなら、よろしい。証拠として3つ目の理由をのべたいと思うから」


 スラヴコは表情を引きつってしまった。正直なところ、宣戦布告が行われようがそうでなかろうが、それ自体に意味はないからどちらでもよかった。それよりも全国民の前という場所において、自分の言葉が嘘になることは避けなければならない。


 むろん、恥をかかされるのも、だ。


「そこまでいうなら3つ目を聞こう」と彼が受けて立ったのは、自身の正しさを国民へアピールするため。ここで逃げては国民に不信感をいだかれかねない。


 でも敵はひとりではなかったのだ。


「――我が甥スラヴコよ、そして我がトリグラヴィアの民よ。私、ヤネス2世の声が聞こえるか?」


「お、叔父上か⁉︎ なぜここにいる⁉︎」


()()()()()()からだよ、スラヴコよ。儂には最近首輪をつけた、()()()()()()()()()ことだしな」


 魔王シニッカ、新王スラヴコ1世、そして旧王ヤネス2世。3を尊ぶトリグラヴィアらしく、王が3人集まった。それぞれが主張を掲げるそのさまは、高い頂を有する3つの山のようだった。


 とはいえ今日、形勢は2対1だ。ヤネスは甥へ語りかける。「よいかスラヴコ。儂はお主がスースラングスハイムのイヴェルセンなる蛇と一緒にいるのも、そこの勇者ディランと一緒にいるもの知っている。そろって儂の城へ土足で入ってきたのだしな。お主があちこちの貴族や商人、なんとなれば聖職者たちに謀反の誘いをしたことも知っている。『この国は間者(スパイ)の楽園だ』などというアネクドートがあるものの、それに国内に対する秘密警吏の目がふくまれていないなどと思わぬことだ」


「叔父上。お言葉ながら、あなたの言動には証拠がない。国民がみな知っていることは、あなたの治世によってトリグラヴィアがひどく追いこまれているということだけだ」


「では聞こう。儂の代に戦争があったか? おおきな争いごとを避け、国内の経済成長をうながしたではないか。帳簿を読んでおらぬか? 儂の代でこの国の財は2割も増えたのだ。これはとなりの経済国、セルベリアを上まわる成長度だが、お主にそれができるのか?」


「それも真実かどうかわからぬが、いいだろう、やってみせよう。私たちは新しい同盟国を得るのだ。より安定した国家になり、より経済を成長できる」


Πεμφρηδώ(ペムブレードー)は王とともになにをもたらす?」


「なに? それがなんだというのだ、叔父上」


 会話の途中で突如はさまれた質問。スラヴコでなくても、頭に疑問符を浮かべてしまう。ただひとり魔王だけが――理由を理解しているのだろう――ぼそりと「()()()()ね」なんてつぶやいた。


 それを聞き、スラヴコはようやく思い当たる。グライアイの長女ペムブレードー。国家守護獣の力のひとつ。すなわち王族・貴族・平民という3つの身分に対し、経済力・戦力・資源力という3つの力が割り当てられているうちのひとつ。


「あなたがこの国に高い経済力をもたらしていたと、そう言いたいのか?」


「そのとおりだ。そしてお前はその使いかたを知らぬ。ゆえに国の未来は暗いだろう」、老人は吐き捨てた。兄の子であるスラヴコを、あざけるように鼻を鳴らして。


 そこには怒りが見え隠れしていた。信じていた親族に裏切られたことと、相手がそれを正当化していることへ。だから言い終わった直後から怒りが再沸騰してしまい、スラヴコが口を開くより早く老人は強く甥を攻める。


「まったくお前は馬鹿者だ。むざむざ隣国の口車に乗せられよって。東の蛇(ヒュドラー)ならその舌へ毒を持つに決まっておろう! その上、北の蛇にも戦争をするなどと言語道断だ!」


 彼は甥を怒鳴りつけた。反論を許さないほど、強い口調で。そしてすぅっと息を吸いこむや否や、戦斧の一撃のような言刃(ことば)を振りおろすのだ。


「お前に王たる資格はない!」


 迫力があった。オーディエンスたちが、そろってすくみあがってしまうくらいに。その上、旧王はすぐその理由をまくし立てるのだ。もう我慢がならないといった早口でもって、甥を殴りつけるのだ。


「トリグラヴィアが独立をたもっていられるのは、3勢力の中心で中立を守っているからだ! 強力な勢力同士には、緩衝地帯が必要なのだ! それをどこかに(くみ)してみろ、あっという間に他2勢力から敵対視され、侵攻の的になるのだぞ! パイのように切り分けられて、食いつくされてしまうに違いないのだ! お前は我が民にそのような国で生活しろというのか⁉︎ 焼かれた小麦畑と切り倒されたリンデンの並木をかかえ、泣いて暮らせとでもいうのか⁉︎」


「違う! 私はそのような未来を回避するために動いているのだ! 叔父上の統治こそ生ぬるく、国益にかなっていないではないか! 他国に切り分けられているのは、今でも同じではないか!」


「ならその耳で民へ聞いてみろ! 儂に不満がある者はいても、この国に不満を持つ者がどれほどいるかを! グライアイの力も理解しえぬお前には、この複雑な国を治めることなどできぬぞ!」


「私はあなたと違うやりかたで国を治めるのだ! 今までと同じで、どうして今後の繁栄が約束される⁉︎ 国を囲む状況は常に変化していて、我々は常に形を変えなくてはならないのだ! 叔父上はそれを――」


 パチンッ! 突如、手と手を合わせる音。


 言い争いの最中に、鼓膜から脳へ高い音が響いたのだ。それはふたりの王に議論をやめさせた。同時に双方の言い分へ耳をかたむけ、それを情報処理しようと泥のように混濁しはじめていたオーディエンスたちの思考も、いったん綺麗に洗い流した。


 音の主は3人目の王だ。静けさがおとずれたところに、彼女は静かな声を落とす。「ふたりとも、議論はここまでで結構よ。明確な結果が出たのだから」


「どういう意味だ!」、スラヴコは反発した。国内の問題に対し、水を差されたと感じたのだ。


 けれど、彼はとがめられることになる。自分が差した、決定的な悪手のことを。


「証拠を見せると言ったでしょ? あなたが国内を平定できていないことが、みなに伝わったはずよ。国家守護獣の力を使えていないこと、反論できなかったじゃない」


「それは言いがかりではないか! 私がその点に言及しなかったからといって、力を使えぬと決めつけるなど、品のない揚げ足取りにもほどがある! そもそも貴様が証明しようとしていたことは、宣戦布告が有効かどうかではなかったのか⁉︎ 貴様こそ私を糾弾するために、論点ずらしをしたのではないか!」


「あら! 気づいてくれたのね、スラヴコ! 実はそのとおりなのよ!」、魔王は声を躍らせる。自分が責められているのにもかかわらず、明るい声で応じたのだ。オーディエンスたちには彼女がずいっと身を乗り出しているさまがはっきりと想像できた。少女のように目を輝かせて、長い舌を出し入れする青い髪の魔王の姿が。


「これでトリグラヴィアの民衆は気づいたと思うもの!」


「なにを言っている!」


「口調を聞いていればわかるわ。あなたが『ヤネスから王座を譲られていない』ことくらい」


 ――空気が止まる。


 スラヴコは「しまった」と奥歯を噛んだ。ヤネスがあらわれた時点で――彼がどんなことを口走ろうと――一番主張しなくてはならないことは、「自分が正統な後継者なのだ」と言い続けることだった。たとえば前王に「言っていることが昨晩と違う」であるとか、なんとなれば「これは魔王の呪いで、ヤネスは洗脳されているのだ」なんて国民へアピールすることであるとか。


 それを口にしなかったことで、自ら嘘を認める形となってしまった。ミスをした、では許されない。これでは道化だ。他国の間者に踊らされ、自国民に見かぎられるなど最悪の状態だ。ここまで積み重ねてきたことが、こんな馬鹿らしいことひとつで瓦解してしまうだなんて。


 しかしいちどはじまった舞踏を、ここで終わることなどできやしない。


「いいや、魔王よ。お前が叔父上をたぶらかしていることくらい知っている。彼を眠らせたのはお前なのだから」


 ほとんど捨て台詞のようなひとことを口にした。この言葉に説得力などない。おそらく、見ている国民たちも大半が同じ意見だろう。


(そもそも、いつまで配信を続ける気だディランよ! 魔王があらわれた時点で、なぜストリーミングを終了させなかった!)


 矛先を味方へむけてしまう。たしかにその言い分は十分なれど、今はなにも意味のない思考。


 ここにきて、スラヴコは自分の欠点をさらけ出してしまった。彼はヤネスというそれほど有能ではない隠れ蓑があったからこそ、国内へ「有能である」とふるまえたのだ。つまりそれは矢面に立つ機会の欠如による経験不足であり、ゆえに彼は負のスパイラルに陥って思考を鈍らせてしまったのだ。くわえてあまりにも前のめりになっていたため、寝不足というハンデをかかえたことも。


 一方、どうやら魔王とヤネスの側も目的は達成した様子だった。


「誰がトリグラヴィアの敵か判明したのだから、お話はここまでとしましょう。私はヤネス2世に味方して、この反乱を鎮圧するわ。だから王都メスト・ペムブレードーの人々へ告げる。今夜は絶対に外出しないよう」


「スラヴコよ、王冠は返してもらう。魔王よ、報酬は用意しよう。そして我が民よ。寝ている儂が殺されたのなら、武器を手に王都へ集え」


 ふたりの王は静かに最後通牒を突きつけた。自分たちには戦うに足る理由があると、国民へ十分にしめせたのだ。


「完全に認められぬ行為だ。これは内政干渉であり、王座の簒奪でもあるのだから」


 対峙するひとりの王も静かな声色を取り戻す。ただ、彼の立場は苦しい。民衆の支持を得られたとは言い難い。


 それを最後に配信はゆっくりと白濁し、オーディエンスたちを現実へと戻していった。同時にまぶたのむこう側から、昼の太陽の光が人々へ覚醒を告げる。


 ストリーミングが静かに幕をおろしたのと入れ替わりで、街の人々は一斉に口を開いた。


「き、聞いたか⁉︎」「どうなっている⁉︎ どうすればいい⁉︎」「どちらに味方すべきだ⁉︎ ヤネス王の言葉は真実に思えたぞ!」


 ――国中を覆う喧騒。そして議論と、言い争いと、無秩序な会話。


 この日のトリグラヴィア王国は、夜になるまで騒ぎが続いた。


 それはこの国の人々から仕事する思考を奪い去り、1日分のGDPを失わせるにいたった。

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