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笑うウミヘビ 18

 太陽が頂点に差しかかろうとしていた。陽光を四方八方へ放ち、とても機嫌よさそうに。季節は夏なのだから当然か。遠慮しがちにかかる雲すら、青空との見事なコントラストでもって、今日という日を祝福しているようだった。


 新たな王の誕生を。


 しかし人類すべてが歓迎するだろう見事な天気の下、クーデターから一夜明けた王都メスト・ペムブレードーは、やはりずいぶん物々しかった。道には治安維持のために警吏が走り、傭兵と衛兵がおたがいの縄張りを主張して目線をぶつけ合い、そして多くの冒険者たちが群れをなして歩いているから。


 物々しい集団ということであれば、元々からこの街には『秘密警吏』がいた。この国のステレオタイプ・ジョークに登場しがちな、「抑圧する側」代表の者たちだ。「リンデンの並木や小麦畑。そして我々がこの国の名物だろう?」なんて顔で街を闊歩していた連中も今はすっかり姿を消して、傭兵なり冒険者なりに変わっていた。


 とはいえ、街の人々にとっておおきな違いなどありはしない。


「王が変われば役人も変わるのか。秘密警吏が冒険者になったところで、俺たちの生活になにか変化があるだろうか」


「ないね。なぜならヘマをやったお前さんが投げ入れられるのは、どのみちDungeon(ダンジョン)に違いないんだから」


 そんなだから、街の人々も特別変わったことをしようとはしない。冒険者や傭兵たちに気にいられようと近づくことも、逆に石を投げて追い払おうとすることも。普段見るより格段に多いその集団へ、「我が物顔が気に食わねぇな」と冷たい視線を送るくらいだ。


 そうやって冷遇された冒険者たちだが、その実、冷笑されるだけの理由はあった。この出動の裏には混乱に乗じて己が利益を追及せんという意図があったから。


 それはおとといから昨日にかけて。テクラ教派『清流のギルド』とエレフテリア教派『天秤のギルド』のふたつは、それぞれスースラングスハイムから接触を受けていた。依頼は「ヴィヘリャ・コカーリなるカールメヤルヴィの魔王の私設組織を発見せよ」。一国の王へ敵対するような内容だったから、通常であれば受けるものなどごくわずかなはずだった。


 しかしそこは頭のまわるウミヘビのこと。冒険者へ報酬をちらつかせる。いわく、「魔王が死んでも次期魔王はすぐに決まる。それはウミヘビの手の者である。ゆえに魔界の特産品である魔石は新魔王の管轄下におかれる。協力すれば、報酬として大量の魔石を独占的に流すと約束しよう」と。


 これは魅力的なお誘いだった。冒険者と魔石は切っても切れない仲だ。武具や装飾品へ魔術がほどこされているものは、彼らにとって垂涎の品物なのだから。それが安定して、しかも独占的に手に入るとあれば勢力図だっておおきく変わりうる。今まで教会の下位組織だった冒険者ギルドが、ふたたび独立した組織になることも夢ではないほどに。


 流通経路はカールメヤルヴィから海路でスースラングスハイムへ。海上輸送というのは陸上輸送にくらべて速度も量もすぐれている。内陸国がゆえ港を持たないトリグラヴィアの冒険者ギルドにとって、隣国の港町から物資が運ばれてくるというのは非常に有力な方法に見えた。


 だからふたつのギルドは配下の冒険者たちへ、特別招集という形で任務への参加を依頼したのだ。招集が特別なのだから、当然報酬だって特別だった。


 そうやって今日、この街にはたくさんの冒険者があふれている。とくに天秤のギルドの総本山は、このトリグラヴィア王国第二の都市メスト・エニューオーにあったから、エレフテリア教派系の冒険者の数は数百ではきかないほど。「我こそが魔王を見つけるのだ」と色めき立っている。もちろんそこには少々の衝突――ささいな言い争いやもみ合いをともなって。


 おかげで昼食時の酒場――とくに屋外席にいる人々から「見ろよ、またいがみ合っていやがるぜ」などと陰口を叩かれるのだ。「冒険者ってのは傭兵崩れや盗賊と同義だな」「殺していいぶん、盗賊のほうがマシかもな」「あいつらはなにをしにきたんだい! 公園を足跡だらけにして!」なんて、すっかり嫌われ者になってしまった。


 幸いまだ死者は出ていない。しかし物々しい雰囲気が今にも弾けそうな泡のようにふくらんでいることくらい誰の目にもあきらかだ。高いところから見ていればなおさらのこと。トリグラウ城の一番高い鐘楼の上、スラヴコは目の下にくまを作りながら気をもんでいた。


「ディランよ、配信までどれくらいだ。衝突が起きる前にはじめねばならんぞ」


「衝突なんて、そんな簡単に発生しないよ。丸腰の状態で完全武装の冒険者たちへけんかを売る人なんていないでしょ? あ、でもその逆はありうるかな」


 からかうような台詞に、寝不足の新国王は眉をひそめた。ウミヘビの連中にとってはしょせん他人事。ここで多少死人が出たとしても、王座さえ手にしてしまえばなんとでもなるという態度なのだ。


 だからスラヴコは督促をするのだ。「今すぐにでもはじめたいが? 王になった初日に虐殺が起きたでは話にならん。それに貴様らが我が国の同盟国にふさわしいかどうかもゆらぐことになるのだぞ?」


「ああ、それはごめん。謝るよ。君があまりにも深刻そうだから、肩の力を抜いてあげようと思ったのさ。少々不適切だったね」


「……で、いつごろはじめられるのだ」


「まず冒険者たちを王城に入れ、守りを強化しないと。あとは今回、白昼夢でストリーミングを行うつもりだから、昼食の時間が終わってからがいいかな。みんな血糖値が上がって眠たくなるタイミングが」


「血糖値? よくわからんが急がせろ」


「ちょっとちょっと。冒険者たちは急がせられるけれど、市民の食事をそうするわけにはいかないでしょうに。まあ待ちなって。トマーシュも強い魔術を使うから準備が必要だし。その間、あなたは1時間でも30分でも寝たほうがいいかな。その顔でみんなの夢に出る気?」


 スラヴコは返事をするかわりに鼻を鳴らす。寝る気など毛頭ない。この大切な1日に休みは不要だ。


 彼は視線を街へと戻し、これからの手順を頭の中で整頓することにした。


 まず最優先すべきはトマーシュがストリーミングを使うこと。みなが寝静まってから使うのではなくて、半ば強制的に白昼夢を見させるのだ。自国の勇者がそのような力を持っているとは知らなかったが、これに関してはディランたちを信用するしかない。そんなことより気になるのは、強い力を使うがゆえの制限があることだった。


「スラヴコ、おさらいしようか」、ディランが思考を読んだかのように、その制限へと言及する。「白昼夢のストリーミングの欠点は時間が短いこと。おそらく10分もすれば目覚めてしまう人が多発するだろうから、それまでに必要なことをしっかりアピールしなきゃならないよ」


「ああ、わかっている。最初に話す内容は『魔王の横槍によりいまだ前王ヤネスが目覚めない』こと。しっかりと主張しておかねばならないだろう」


「僕たちにとってくやしいことに、それは事実だからね。先制攻撃だって魔界の者によって行われたんだから、ちゃんと伝えておかないと」


「次に『私は彼から正式に王になれと言われている』こと。くわえて『王国は私の管理下にあり、治安は安定している。みなを抑圧するつもりもない』と安全であることを伝え、最後に『新しいトリグラヴィアが現実のものとなる』ことを宣言しなくてはならない」


 演説の内容は決まっている。多くの者の前でしゃべる場合、長話をするよりも印象的な言葉を端的に伝えたほうがよい。実質的に即位の演説になるのだから、頭に残るフレーズを使って印象づけるのだ。


「うん、そこはあなたにまかせるよ。新しい王としてふさわしい演説を、僕も楽しみにしている。で、僕がしなくちゃならないのは2個目と3個目の欠点を伝えることだね。対象範囲を広げるから、そこに代償をともなうって話」


 今回、配信の範囲はトリグラヴィア全土まで引き上げられる。通常の配信が街ひとつだったり特定の地方だったりするのにくらべると破格の効果が見こまれる。しかしそれとトレードオフする形でふたつの懸念点が生まれるのだ。


「まずトマーシュはかなり疲労すると思う。疲労したところでAランク冒険者相手に余裕で勝っちゃうくらいには強いけど、相手が魔界の魔獣たちだと苦戦するかも。それに配信を連続使用することはできない。これがひとつめさ」


「魔王たちが返ってくるのは今日の夜、それも日付が変わるか変わらないかの深夜になるのだろう? ならば有力な敵は隻腕になったベヒーモスくらいだ。貴様が対処すれば問題あるまい。配信もなんども行う気はない。ひとつめの問題は障害にならぬな。ふたつめは配信の不安定化だったか?」


「そのとおり。遠くまで声を届ける時には怒鳴らなきゃならないのと一緒。見ているほうは雑音とか音が飛んだように感じることとかがあるかもしれない。トマーシュはそれを防ぐために、効果範囲の拡大と安定化だけへ魔力を集中させる。おかげで届けられるのは声だけだ。あなたの姿をみんなに見せることはできない」


 身振り手振りは伝わらないから、話術だけが頼りになると、そういうことだった。しかしこれはスラヴコ自身が望んだこと。「構わない」と了承してみせる。


 そもそも、元々は映像つきの戴冠式を王都にだけ配信する予定だったのだ。しかしヤネスが起床しないことで、式もできなくなった。そこでディランが機転をきかせ、「もっと広い範囲に音声だけ届けたらどうかな?」と提案したのだ。これにスラヴコは同意して、国中へ布石を出すと決めた。間違いなく、今できる最善策だと思ったから。


「さ、スラヴコ。予習はこれくらいでいいでしょ?」


「いや、まだだ。なんどでも原稿に目をとおそう。国家にとって、そして私にとって重要な日になるのだから」


 肩をすくめるディランの横で、新王は演説の台本を取り出した。


 もうすぐ、動乱が全国民に知れ渡るのだ。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


「さて、トマーシュさん。これをお使いください」、そう言って商人ヨーエンセンは魔石を取り出した。彼の持っている物の中で一番おおきなひとつだ。それひとつで8頭立ての大型馬車と馬がそろうほど高価な品物で、つまりなかなかの魔力保有量を誇る一品だった。


 彼はそれを操り人形――トマーシュへ差し出した。「効果は限定的ですけれど、ないよりはるかにマシでしょう?」


(アア、クソ。ソンナモノ、ウケトリタクナイ)


 拒みたいが拒めなかった。言われるがままに手に取るしかない。手のひらに落とされたその赤黒い石は自分の皮膚と同じ色をしていて、妙に重たく、そして不吉に感じた。


 トリグラヴィア城の地下施設――いわゆるダンジョンの一室。すでに使われていない暗い拷問部屋の中にいるのは、傀儡と化したトマーシュと、ウミヘビの下僕ヨーエンセンだけだ。なかなかにおおきな空間で、囚人が40名ほど入ってもなお余裕のある造りをしていた。もしイーダ・ハルコが見たのなら、学校の教室と同じ程度だと気づいただろう。


 なぜそんなに広いかといえば、それは大量のバグモザイクに対応するため。


 トマーシュはその黒水晶が好きではない。当たり前だ。自身の破壊の痕跡であり、女神が危惧したとおり世界の消えない傷口であるのだから。それを自分が生み出さねばならないことへ、人を殺すのと同程度の罪悪感をいだいていた。取り返しのつかぬことをしている実感が、彼をますます落ちこませているのだ。


 だけれども――


(イヤダ。コバミタイ。ゼッタイニ、イヤナンダ)


 彼にはひとつだけ変化があった。それは光ひとつない暗黒の牢獄を手探りで這いまわっていたら、ふとその手にライターを見つけた時のような、思いもしないできごとによって生み出されていた。


 魔界の医者を名乗る者との遭遇。彼は「治療しようか?」と口にした。


(カレニ……カレト、モウイチド、アイタイ)


 ライターをこすったところで火がつくともかぎらない。火がついたところで出口が見つかるともかぎらない。出口には自分ではどうしようもないくらい頑丈な南京錠がつけられているかもしれないのだ。けれど冷たい暗闇の中で餓死するなどごめんだ。


 自分はもういちど恋人のネルに会いたい。そのためなら魔族に味方したっていい。どうやらこの世界では、魔族が悪と決まっているわけではなさそうなのだし、どのみち他に生きるすべなど見当たらなかった。


「トリグラヴィアの勇者様。いえ、元勇者かもしれませんが、私たちはあなたに期待していますよ。このストリーミングという概念は、人々を扇動するのに都合がいい。あなたには生き続ける意味も資格もあります」


 ヨーエンセンの口ぶりは、トマーシュに対する悪意に満ちていた。この商人は自分より下の者に対してひどくサディスティックであり、それを生きる喜びのひとつとしているほどなのだ。ただし人前で花壇を踏みつけるたぐいの人間ではない。誰かが大切にしている花壇を見て「この花壇には毒草が生えています。このままだと近所に迷惑がかかりますから除草剤を売りましょう。全部枯れるまで目を離さないように」なんて言い、本人にさせるのを観察するたぐいの人間だ。


 そういった商人の性格がトマーシュにはよくわかった。自分は壊したくないものを強制的に壊されている花壇の所有者で、この男はそれを傍目に楽しんでいるのだろうと。


 だから彼は怒っていた。いつにも増して現状に怒りを覚え、そしてどうにか復讐してやりたいと強く決意していたのだ。


 手足の自由も、勇者たる自分の固有パークの使用権も奪われている。でも人格は失っていない。むしろドクターとの邂逅以来、強くなった生への欲望が意識を覚醒させている。


 そして固有パーク『Sanjač(ドリーマー)』――すなわちストリーミング配信で()()()()()()()――のにない手は、他ならぬ自分なのだ。


 ディランからの命令に反しない部分で手加減をして、()()を付与することくらい今の自分にだってできる。


(ミテイロヨ……)


 表情すら固定された元勇者は、赤黒い顔面の皮膚の下で笑ってみせた。彼は会ったこともない魔王シニッカを、()()()信じてみることにしたのだ。


 どうやらウミヘビたちは、彼女をひどく警戒しているのだから。

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