笑うウミヘビ 16
「ああ、クソ……」、そう悪態をついたのはスラヴコだ。言い放って玉座へ乱暴に座る。片手でこめかみをつかむようにしている所作は、「話しかけるな」と言っているようだった。
そんなふうに近づきがたい雰囲気を放っているのだから、彼が深刻な事態へ直面していることがよく見て取れる。昨晩から寝ていないため、焦燥し切ったようにすら感じるほど。見かねた従者が水を持ってくると、新国王はそれを一気に飲み干した。
時刻が7時半をまわり、空はすっかり明るくなっていた。人々はさっそく家から道に出て、そこで会った近所の人々と「大変なことがおこったな」とうわさ話をはじめている。昨晩、夢魔の配信の中で国王の交代が宣言され、今日中には戴冠の儀が執り行われる予定なのだから当然だ。
城もずいぶんと人が増えた。昨晩、協力関係にあった貴族たちが私兵を率いて合流したからだ。数は城の中に300人、城下町に200人ほど。この数が魔王の手下相手にどれほどの効果があるか疑問だったが、少なくとも街の人々へ「王都は占領されているのだ」としめすことができていた。
が、当のスラヴコの表情は苦悶に満ちている。いくつかの重大な問題が発生したがゆえ、今日彼は「スラヴコ1世」になり損ねるかもしれないのだから。
「叔父上はまだ起きぬか?」と、彼は衛兵のひとりに聞いた。先ほどから謁見の間にはひとりの報告者も入ってきていないのだから、当然答えは「まだ起きません」だ。これこそがひとつめの障害かつ、一番深刻な問題であった。
朝、いつもは6時よりも早く起きるはずのヤネスが7時になっても起床しないのを不審に思い、部屋の中で警備していた傭兵が声をかけた。しかし反応はない。傭兵はすぐにスラヴコを呼び、事実を確認するようにうながす。そこで布団をめくってみると、どうやらヤネスは魔法の睡眠薬をあおった形跡があった。これは呼びつけた宮廷医術師が発見したものだ。
まさか奥歯――魔界で入れたという金歯に、薬などの液体を保管する魔術がかけられているとは思いもしなかった。魔王シニッカお得意の、蛇の毒牙と同じ魔法が。
昨晩寝る前、布団の中でモゾモゾとしていたのは、これで睡眠薬を飲んでいたからだろう。スラヴコはうかつにも気づけなかった自分へ、おおいに毒づいてしまった。医者の話では、彼が覚醒するのは今日の夜から明日の朝くらいになるだろうとのこと。これでは昼に予定していた戴冠の儀が行えない。
ヤネスが自死を選ばなかった不幸中の幸いか。もし死んでいたとなると国民の支持を得ることが難しくなっていたところだ。いくら不人気の王だったとはいえ、身内殺しが許されるほど、文化が遅れているわけではないのだから。
「困ったもんだね、この老人も。僕らの邪魔をするなんてさ」、玉座のかたわらに立つ勇者ディランが肩をすくめる。クーデターの最中にふてぶてしいことだが、仮眠を取っていた彼の表情には張りがあった。声もスラヴコよりずっとはっきりしている。思考においてもそうだったから、勇者は王へ提案をした。「ま、ここは一計を案じたほうが賢明かな。まずは『魔王の妨害によって、戴冠式が延期された』ことにしようよ」
「どうやるのだ? そんな簡単に民衆をだませるものか?」
「別にだませなくたっていいさ。僕らが勝てば既成事実になるんだからね。それに他の問題へ対処するには、多かれ少なかれ争いごとを起こす必要があるでしょ?」
ディランの言うことは正しい。問題はひとつでなく、複数ある。たとえば魔界の連中の掃討がまったく進んでいないこと。たとえば国にとって大切な錬金術師が街を出てしまい、すぐ呼び戻したとしても工房の稼働に時間がかかること。たとえば3古城のひとつ『リニ・クロブク城』で、バジリカゼミリャ公爵を中心とした勢力が不穏な動きを見せていること。
もうひとつあるのならば、国家守護獣の力が使えないことだ。グライアイには経済力・戦力・資源力を強化する力があると聞いていた。それぞれ王族・貴族・平民に代償を支払わせることで国全体の能力を底上げできるはずなのだ。王冠と玉璽、玉座を手に入れた瞬間、スラヴコはこの力の所有権が自分へ移動したことを実感できた。念じれば目の前に半透明の紙が浮かび上がり、そこにそれぞれ「王族・経済力」「貴族・戦力」「平民・資源力」と書かれたボタンのようなものを発見したからだ。
ところがどのボタンもグレーになってしまっており、くわえて効果の欄には「onemogočiti」と表示されていた。押してもまったく反応がない。説明文すら見当たらないから、その理由もまったくわからない。唯一それを知るであろうヤネスが睡眠中。だからこの力を頼ることはできないと知った。
ともかく解決できる問題から対処せねばならない。スラヴコは現状へのいらだちを隠すこともせず、少々不機嫌そうに聞いた。「で、具体的にはどのような行動を取るのだ。貴様とトマーシュのふたりで問題の対処と、この城の護衛をできるものなのか?」
「トマーシュは城に残すよ。昼には彼の力で、街の人へ配信を行う必要もあるからね。で、僕はその前にひと騒ぎする。まずはリニ・クロブク城におもむいて、バジリカゼミリャの女公爵たちへ『なにをするつもりなんだい?』と聞かないとね。ま、つまり『なにかしたら命はないよ』って警告することになると思う。同時に傭兵の城への駐屯を認めさせるつもりさ。くまなく探索してもらわないと」
「錬金術師たちと錬金術工房はどうか?」
「そこは優先順位が低いかな。他のことが終わったら様子を見に行くよ。あ、当然傭兵は偵察に出すけれど」
「では魔王の一味は? やつらこそ最優先で貴様が対処すべきではないか?」
「そのとおり。でもさ、逃げるのが上手な相手だよ? まずは偵察網を張らなきゃね」
そこまで聞いて、スラヴコは深いため息を吐いた。偵察網、という言葉に対してだ。そもそも人手が足りない。昨晩のベヒーモスによる襲撃で傭兵は数を減らしているし、協力関係にある貴族の私兵がどこまで役に立つかわかったものではないのだから。
様子を察したか、ディランはふふっと苦笑した。おかげでただでさえ機嫌の悪いスラヴコは、さらにそれを損ねてしまう。「なにがおかしい? 今の話はアネクドートではないぞ」
「いやいや、あなたも疲れているなって。僕らにはイヴェルセンもいる。彼がなにも準備していないわけないでしょ?」
「……内容を聞こうか」
「簡単さ。あのウミヘビ紳士は今ごろ勝手に動いているよ。具体的にいうなら、部下へ冒険者ギルドへの依頼を出しに行かせてる。魔王とその仲間を発見すれば多額の報酬が得られるってね。昨晩からあちこちまわらせているから、そろそろ冒険者たちも動きはじめるんじゃないかな?」
冒険者の多いこの街で、彼らを使わない手などない。残念ながら魔王は冒険者たちにも人気が高く、協力する割合は高くないだろう。それでも母数が多ければ、動員数も多くなる。
「別に冒険者へ『ベヒーモスを倒す』なんて冒険をさせる必要はないんだ。見つけるだけでいい。状況に応じて、僕やトマーシュ、もしかしたらイヴェルセンが対処するから」
提案に、王は口をむすんで軽くうなずく。悪くない案だと思えたのだ。メスト・ペムブレードーを魔王にとっての敵地にすることができるし、同時に街の混乱を積極的に収拾することもできる。
「戴冠式と国家守護獣の力にかんしては叔父上が起床してからでよい、か……。わかった、その案で進めてもらえるか? ただし、3公爵は絶対に殺すな。後々国を治める際、面倒なことになるからな」
それでも少々の血が流れるだろう。作戦に参加する冒険者や傭兵、城の衛兵だけではない。いまだ戦場にあるこのメスト・ペムブレードーの民間人も、強い危険へさらされるのだから。
「なかなか難しいことをいうね。まあいいよ。僕ならここで後日の反乱の芽は潰しておくけれど、君には君のやりかたがあるしね。だけどさ、火事の現場は近隣へ有毒の煙を流す。それだけは了承してもらうよ。これは戦争なんだから」
そう言い残し、勇者ディランは足早にその場を去った。後ろ姿には死の影がちらついている。3公爵が生きるか死ぬかは、正直半々くらいの確率だろう。
(ウミヘビの連中は、少々強硬にすぎるな。だが必要な力だ。犠牲ばかりを考えていても前に進めぬか)
意を決し、スラヴコも自身の私兵へ「街を出た錬金術師を追うように」と指示を出す。次いでまだ合流していない貴族たちへ王宮にくるよう遣いを出した。
そこからわずか1時間後。
街中には数百名の冒険者があらわれ、しかもその数を時間とともに増やしていった。




