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笑うウミヘビ 12

「叔父上。王座を譲ると、そう言ったのか?」


「ああ、スラヴコ。そうとも。儂はたしかにそう言った」


 草が芽吹いた時のように、王はゆっくりと立ち上がる。そして葉を広げるように両手を差し出し、まずは玉璽を手渡した。次にスラヴコの横へまわりながら王冠を頭から取り、それも渡す。最後に片手で玉座をしめし、座るよううながした。


「よいのか、叔父上。抵抗すると思っていたが」


「構わんのだ甥よ。スラヴコ1世よ。この私は長年の責務に少々疲れている」


「そうか……。叔父上、今から夢魔の配信をするつもりだ。そこで今夢を見ている者たちへ王位継承を宣言させてもらう。そして明日、昼間にも配信をする予定だ。少々強引になるだろうが、人の命は奪わないつもりだ。その場所であらためて、これらをあなたの手から受け取りたい」


「昼に王都の人々を眠らせるのか。……わかった、そうなさい。白昼夢もまた現実のひとつなのだろうから。私もそれに従うとする。しかし今は、そうさな。少し休憩させてはもらえぬか」


 ヤネスの表情と声色は、少しずつ柔和に変化していった。自らへ苦笑しているように、静かに口角を上げている。やはりゆっくりと歩を進め、彼は自室のほうへと歩いて行った。


 スラヴコが「部屋まで送ろう」と言ったのは、やさしさではない。魔界の連中が彼を連れ去るかもしれないし、彼自身がなにかをたくらんでいるかもしれないから。ヤネスが拒むのなら、手荒なまねをしてでも監視下に置くつもりだった。


「ああ、頼むよ」、しかしヤネスは拒まなかった。おとなしく傭兵を左右につけ、寝室まで連れていかれたのだ。連行される囚人、というよりはあたかも自身の護衛を連れ立っているように自然な雰囲気で。


 寝室に入ると、彼はうながされるまま王の服を脱いで肌着になる。なんの抵抗も見せなかったから、逆にあやしく感じたスラヴコは、部下へ入念に調査させると告げた。


「叔父上、すまぬが身をあらためさせてもらう。寝るにあたって眠らせる者(スヴァーヴニル)の助けを必要とされては困るのだ。失礼は承知で調べさせてもらうぞ。その肌着の下も、ベッドの中も」


「好きにしろ、甥よ。短剣も毒薬も持ってはおらぬ。蛇をだいて眠る者があろうか」


「それから隠し通路も封鎖させてもらう。あなたが賊に入られた場所だけではない。場外へ抜けるもうひとつがあるだろう? そちらもだ」


「よく覚えているものだな、スラヴコ。それを見せたのはお前がまだ少年だったころだろうに」


 どちらもヤネスは受け入れた。時間をかけて入念なボディチェックがされ、それはともすれば王の人権を無視するような箇所にまでおよんだ。調査が終わると、彼は文句も言わずにベッドへ横たわる。頭まで布団にくるまり、しばらくモソモソとしていた。が、すぐそれは寝息へと変わる。これもこれで、いやにあっさりと。


「目を離すな」、スラヴコは傭兵に命じた。()王であり、今も王族である彼の寝室へ監視の目を置いておくことは無礼といっていいことだろう。けれど今はそうする他ない。いつ誰がここへ襲撃してきて、彼を誘拐するともかぎらない。


「さて、スラヴコ」と勇者ディランが声をかけた。「ヤネスも大切だけど、今は君こそ守らねばならない存在だ。トリグラヴィア王国の国王になったのだから、魔王たちが君を殺しにきたって誰も驚かない」


「わかっている。引き続き護衛を頼めるか? それと王城の制圧も。トリグラウ城は広く、さまざまな施設がある。宝守迷宮ではない地下施設(ダンジョン)だって規模がおおきい。くせ者が隠れている危険性もある」


「僕は君の護衛を継続しよう。敵にはヒュドラーの毒を杯ひとつぶん奪われているし、あれを使われたら大変だ。探索はトマーシュが請け負うよ。外部からの監視は傭兵たちに。それから生きている衛兵に対して協力するように勅命を出したほうがいいかな。監視にはとにかく人手が必要だからさ」


「傭兵隊の支援部隊も王城へ入れよう。協力関係にある貴族たちの私兵も」


 彼らは即座に遣いを出した。今から忙しい時間がはじまる。配信を行い、王位継承が決定したことを告知する必要もあるし、明日あらためて行われる戴冠の儀の準備だってしなくてはならない。それらを滞りなく執り行った上で、正式に新王の即位が完成するのだから。


 とはいえスラヴコにも心の準備が必要だった。自身の叔父へ強い態度で接することは、精神に消耗をもたらすもの。自分では冷静に応対できたと今の今まで思っていたが、ふと手を見た時、そこは汗でびっしょりと濡れていることに気づく。どうやらずっと緊張状態にあるのだ。


「少し夜風を浴びたい。上へあがってもいいか?」、彼はディランを引き連れて高い尖塔をのぼることにした。街を見おろし、精神をととのえたいと思ったのだ。


「いいよ、それくらいは」、勇者は了承の意志を見せ新国王へ続く。ゆっくり歩いても息が切れるような長い螺旋階段を最後まで上がり切ると、外見よりもずっと狭い頂上の見張り台へと到着した。直径3メートルもない円状の空間。円錐状の天井の内側へ吊り下げられた鐘は長いこと鳴らされておらず、さびついているようにも見える。そして厚い胸壁のむこう側には、ところどころ明かりのついた町なみ。


 火はおおかた消し止められている様子だ。スラヴコは陽動のためにつけた火が燃え広がらなかったことにホッと胸をなでおろした。晴れの空には強めの月明かり。半月(はんげつ)よりは満月に近い月が、夜のメスト・ペムブレードーをさみしそうに見おろしている。


 風を感じて、心臓の鼓動がようやくいつもの足取りを思い出してきた。深呼吸を繰り返し、新たな王ははじめての執務に当たる心の準備をととのえた。「十分だ、戻ろう。ストリーミングを開始して、明日の戴冠式をみなへ伝えねば」


「トマーシュの力が必要だね。彼にはタイミングを合わせるように伝えておくよ」


「……聞くまいと思っていたが、教えてほしい。トマーシュとはどうやって連絡を取り合っているのだ? 魔術経由で行っているのか? だとすれば、それは魔王側には探知されないのか?」


「手段についてはご名答。心配については杞憂だよ。そんなことに心の容量を(つい)やしている場合じゃないでしょう?」


 そうだなと応えたスラヴコは、謁見の間へと戻った。すでに夢魔がひとり用意されていて、いつでも配信をはじめられるという。


 衆目にさらされるのは慣れた行為だ。四方八方から視線が集まるのも、そこでしゃべるのも仕事なのだから。とはいえ今日のこれは経験したことのない新たな一歩。自分が王への階段を上がったのだから当然か。


 そう思うと、彼の心は配信を楽しみに感じた。そこへ少々の虚栄心が宿り、頭の中へ準備済みの台本が加われば、立派なストリーマーのできあがり。過去この国で行われた王の配信としては、魔王に次いで2番目のもの。


 椅子に腰かけ、目をつむり、彼は「はじめろ」と合図した。となりで夢魔がストリーミング魔術を詠唱し、彼らは精神世界のプラットフォームへと接続を果たす。


 同時に、裏では傀儡(くぐつ)と化したトマーシュが、勇者ディランに命じられるがまま動いていた。彼は自身の固有パークを使い、今日夢の世界へ参加している全員に接触した。それこそ、彼の固有パークによるものだった。


 千人に到達しようとしているストリーマーたちの配信と、それを見る十数万人という都市人口の夢。トマーシュはそのすべてに対し魔術的な干渉を開始した。その力は圧倒的なものであり、拒否することもできなければ、ささやかな抵抗さえ許されないほど。たとえるなら、身長が数kmもある天を突く巨人がメスト・ペムブレードーの横へ寝そべり、その巨大な両腕でもって都市をすっぽりと抱え、人々のはるか頭上から語りかけてくるというくらいに一方的な干渉だった。


 通常、それは奪取であるとか強奪であるとか、そういう言葉であらわすものだ。現代地球風にいうのなら電波ジャックそのもの。つまり夢魔たちの配信を乗っ取ったのだ。


 人々はおおいに混乱した。さっきまでおいしい夕食の作りかたを見ていた者も、離れたダンジョンで行われていた攻略風景を見ていた者も、全員が月明かりの差しこむ謁見の間へと連れてこられたのだ。多くの者が夢の中で息を呑んだし、小心者は悲鳴を上げることすらした。


 でも全員、そこがどこであるかと、玉座に座るのが誰であるか――あるいは()()()()()()()()()を理解するのに時間はかからなかった。


【え? あれはスラヴコ様では?】【俺はどうしたんだ? どうして彼が俺の前にいるんだ?】【ヤネス王はいずこに? どうして玉座にスラヴコ殿が?】、いち早く平静を取り戻した者たちは、いまだ生きているコメント機能を使って情報のやり取りをはじめる。そして【王座が譲られたのか?】【いや、これは簒奪ではないのか?】と意見が交換されるや否や、凄まじい速度で書きこみは加速していった。


 スラヴコの父――ヤネス2世のひとつ前の王を飲みこんだ土砂崩れのように、人々の言葉がひとつの塊となって流れていく。【こんなこと許されるのか?】と困惑する声、【ついにこの時がきたのか!】と歓喜する声。【私たちにできることはなにもない】と達観する者もいれば【今すぐ宴の準備をしなければ】と商魂たくましい者もいた。


 その流れの中、もっとも目立つのは一種の懸念。【魔王様の言が正しいなら、これってスースラングスハイムのはかりごとだよな?】という内容。先日ダンジョンで勇者と戦った後、魔王シニッカが口にしたトリグラヴィアの危機についてだ。【あれって本当だったんだ……】【スラヴコ様はウミヘビ王国に乗せられたの?】と、困惑のコメントがとめどなく流れる。


 けれどスラヴコに対しては歓迎する声が多いのも事実だ。


 混沌とする泥流に対し、スラヴコは堤防のような力強い声で人々に語りかけた。


「トリグラヴィア王国の諸君、私は新国王のスラヴコ1世である。私は前王ヤネス2世――つまり私の叔父から、王座を譲られることになった。私の父の死より30年あまり。今宵、王国の新しい章が幕を上げるのだ」


 譲られた、という言いまわしは、事実ではある。クーデターを起こさなければそうでなかったことをのぞけば。


「なぜこうなったかを手短に話そう」、彼は話を続ける。前王ヤネスが魔王シニッカへ族の退治を依頼したこと、そして魔王が王を裏切ったこと。もちろん後半は虚偽だ。当然ながらオーディエンスからは疑いのコメントが流れてきた。しかしあくまで堂々と、それが真実なのだと力強く力説する。たとえば王の交代は1年ほど前から決定しており、あとはタイミングを待っていたこと。たとえば街に流れていた黒い噂は、世代交代にかかわる情報が一部漏洩し、誤解をまねいたからこそ発生したこと。


「当然のことながら、叔父は無事だ。今は寝室にいる。諸君らは明日、トリグラウ城で彼の姿を目にすることになるだろう。そして彼は私へ王冠と玉璽を手渡し、正式に王座を譲ると約束してくれた」


 土砂崩れのようだったコメントのざわめきは、徐々におさまっていった。真実が語られていると信じこんでいる者は少なかったが、王の交代が真実になろうとしていることは疑いなかったから。


 みな新たな王の言葉を胸に刻みこまんとしたのだ。


「彼の安全は私が保証する。王の血で玉座を汚してはいない。そして諸君らの未来が明るいことも、私は今後の振る舞いで証明し続けるだろう。私は新しい同盟によってトリグラヴィアへ秩序をもたらし、諸君らの繁栄と安寧を生み出すのが使命なのだ」


 スラヴコに直接会ったことがない者も、その言葉が彼本人のものだと疑うことはなかった。うわさに聞いていたとおり、彼は公明正大であり、民のことを考えてくれていると感じたのだ。ただし本物であったとしても、「外面だけ取り繕っているのではないか」と心の隅へ疑念を持つ者も多かった。このように急激な権力の移動は、平時に起きえないと理解していたから。


 つまり多くの者が、これは反乱ではないかと疑っていたのだ。


 そこに王はひとつのくさびを打つ。


「私を疑う者たちよ! その心情を私は許す! だが私はこうも主張する! 明日の夜までの間には、諸君らのその感情は私の成したことによって上塗りされることを! 諸君らの王が誰であるのか、私は自らの力で証明する! 諸君らのリンデンの並木になると、私は宣言する!」


 声高らかに、堂々と。スラヴコ1世は力強く言い放った。


 この演説をもって、首都にいる王国民たちは理解したのだ。


 自分たちの足元にある歴史が、おおきく流れを変えたのだということを。

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