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笑うウミヘビ 11

 時間はベヒーモスが戦いをはじめる前までさかのぼる。夜のトリグラウ城でヤネス2世は悩んでいた。


 どう考えても時間をかせげる手段が思いつかないのだ。


 はじまってしまったクーデターは、当然国王たる自分を目標としているはず。だから必死で防戦し、時間をかせぎ、魔王たちという援軍が到着するのを待つのが唯一の選択肢といえる状態だ。けれど狙われる立場の自分には、敵の攻撃に耐えられるだけの盾がない。防衛兵力も不足している。トリグラウ城の城壁だけが唯一の鎧といえるが、勇者はそんなもの簡単に超えてくるのだ。


 岩をも切り裂く名剣と、鍛冶屋で売っている肉切り包丁。戦場へどちらかを持ちこめるとなった場合、後者を選ぶ者はほとんどいないだろう。ただ、スラヴコとウミヘビは違う。彼らは前者の入手には時間がかかることと、後者は必要となればすぐに手に入れられることを知っている。だから彼らは迅速に行動し、この24時間で国家を簒奪すると決めた。


「時間をかせがなければならないだろう。そうしなければ、彼らウミヘビはたやすく儂をとらえ、王座と国家守護獣の力を簒奪するのだから」


 彼が声に出したのは、対面する男と会話をするため。カールメヤルヴィの魔獣のひとり、サカリ・ランピだ。黒ぶち眼鏡をかけたその男は、国王の言葉を黙って聞いていた。


「どうするのだ、フギン・ムニンよ。敵から24時間も城を守ることなどできぬぞ。とはいえ逃げることもできん。貴様らの提案にしたがってカールメヤルヴィに身を隠すなど、王座を明け渡すと同義だからな。となると八方ふさがりだ。我々にはあまりに手段がないではないか」


「それなら時間をかせぐしかあるまい。会話のひとことから一挙手一投足まで。言葉の前後に深呼吸を入れ、相手がじれてもゆっくりとしゃべればいい」


「馬鹿を言うな。王が王たる振る舞いをするのは責務ぞ? 今宵のことはすぐ民に知れ渡ろう。そうなった時、誰を支持するかについては『より王たる振る舞いをする者』ではないか」


「相変わらず『王としての堂々とした態度』に固執する御仁だ。そもそも剣を手に取るだけが手段だと思うか? その分野では敵に分があるというのに」


「まさか会話での交渉に応じる者たちと思うのか⁉︎ そうでないから反乱を起こしたのではないか」


「対話が可能だなどと思うわけがない」、カラス男は無感情に答える。「別の手段を使うことに異論などない」


「剣も舌鋒も使わずにそれをしろというのか? 繰り返すが、逃走などごめんだ。どうやってこの城を、王座と国家守護獣を守るというのだ」


 ヤネスはじれていた。なにが言いたいのかわからないし、どうしたらいいのかもわからない。


 けれどカラスは表情も変えず、冷静な態度を崩さない。「案もなしにここへくるものか」などと、王の前で不遜な態度を取る。


「ではそれを教えよ!」、ヤネス2世は語気を荒げた。


「では真剣に検討せよ」、カラスは一声、刀を返した。


     ◆ ① ⚓ ⑪ ◆


 中庭を抜けて謁見の間がある天守(キープ)へ。そこでも数名の()()()たる肉塊を作り、スラヴコと勇者、100名の傭兵たちは最後の扉へと到着した。そこは敵の侵入を阻むような仕掛けもない、華麗さだけを前面に押し出した場所であったにもかかわらず、スラヴコには地面から鋭利な杭が無数に突き出している城壁の前に思えた。自身の行為に対し、自分で疑問を持っているからそう感じるのか、はたまたクーデターを見ている神か天使たちかが警告のためにそう見せているのか。彼には理由がわからなかった。


 しかし彼の決意は固い。傭兵に「開けろ」と短く命令する。彼らの後ろで鳴る地獄の窯のような合唱――今さっき毒を穿たれた衛兵の苦しむ声――を聞き流しながら。


 よく整備された両開きの大扉は、意外なことになんの抵抗もなく開いた。まるで肌をこする絹のようななめらかさでもって。開放されたむこう側に広がるのは謁見の間。絨毯の敷かれた床の先、ホールの奥には豪華な玉座があった。


 そしてそこへ腰かける、見まごうことのない男がひとり。国王ヤネス2世その人。


「やはりここにいたか叔父上! 言わなくともわかると思うが、あえて私は声に出し主張しよう!」


 いかり肩でゴツゴツと進んでいくスラヴコに対し、王はうつむいたままじっと動かなかった。近づくと、両手で玉璽(ぎょくじ)を持っていることに気づく。金でできており、ひとつの目と歯をあしらった不気味なそれは、窓からわずかに差しこむ月光をかき集めているかのように輝いていた。


 老人の目の前まで進み、スラヴコは立ったまま主張する。「王冠と玉璽、そして王座を私に明け渡してほしい。あなたの治世が限界を迎えていることは、私たちが今ここにいるここで証明されただろう。これ以上民の不興を買うことなど許されない。トリグラヴィアをふたたびひとつにする時がきたのだ」


「……スラヴコよ、お前には国を背負う気概があるようだ。だが、おのれの身をささげる覚悟はあるのか? 王は王たること以外になにも持たぬ。本当にそんなものが欲しいのか?」


「ああ、そうだ。私はその責務が欲しい」


 沈黙があった。大声でしゃべれば息の吹きかかる距離にあって、30秒という沈黙の時間は、30分にも劣らないほど長く感じた。少なくともスラヴコにとってはそうで、彼は耐えかねて要求を重ねて口にしようとする。


 しかし言葉を発しようと息を吸いこんだ刹那、先に口を開いたのはヤネス2世だった。


「よかろう、持っていけ。王冠も、玉璽も、玉座も」


     ◆ ① ⚓ ⑪ ◆


「くれてしまえ、王冠も、玉璽も、玉座も」


 端的なれど聞き捨てならぬ言葉。カラスの口から放たれた、切れ味のするどい剣。「真剣に検討せよ」の言葉がなければ、ヤネス2世は激高していたところだった。


「な、なんと申した?」「『くれてやれ』と言った」、会話は短い。しかしその後の余韻は空間へ長く沈黙をもたらす。


(どういうことだ⁉︎ 絶対に渡してはならないものを、わざわざ敵に譲るというのか⁉︎)


 老人は混乱した。さっきまで自分は目の前の男に対し「城をどうやって守るか」と質問していたはずだ。王座を渡すということは終わりを意味する。こんなこと誰だってわかるだろう。ゲーム――たとえばチェスだってそうだ。自分のキングを詰まされないようにしながら、相手のキングを詰ますことが、基本的なルールであることに疑いの余地はない。


 が、カラスの考えは違う。彼はチェスに興じているつもりなどなかった。「我々の主目的は王座の保持ではない。より厳密にいうならば、明日王でなくなったとしても、明後日以降から王であり続ければいい」


「……奪わせた後、取り戻すと?」


「そうだ。魔王たちが王都に戻り、決戦がはじまるまで24時間。この間に主権はゆずれど、実権を握らせなければいい。スラヴコが王城を支配したところで、王都の民がそれに納得さえしなければ、悪魔の王は目ざとくすきを見つけるだろう」


 大胆な戦略だ。奪わせ、奪い返すなど、おおよそ王冠でやるべき行為ではない。現実離れしているようにも感じられて、ヤネスはふたたび「ううむ」と考えこんでしまう。


(そのようなことが、はたしてうまくいくものか? 儂が民を手放したら、儂を嫌う民のことだ、新たな担い手を歓迎するのではないか? もしそうなったら終わりだ。儂は二度と民への奉仕も、国を守ることもできなくなる)


 避けたい未来が歩みよってくる。そんな状態で前へ進むことなどできようはずもない。王は二の足を踏んだ。


(逆に考えるとして、スラヴコはうまくやれるか? 儂が正式に王座と国家守護獣の力を渡さなければ、やつは実権を掌握することが難しいのではないか?)


 深くシミュレートを続けた。身分があたえられたとしても、実権がなければ権力は振るえない。


 その時間は長く続いた。しかし沈黙の後、はたとヤネスは気づいたのだ。


(まさかこやつ……儂の過去と国家守護獣の力を知っているのか?)


 疑問を口にするべきかどうか逡巡するも、先に進まねば状況は改善されないと思い出す。


 王はゆっくり口を開いた。


「……カラスよ、お前はどこまで知っている? 儂のことと、我が国の力を」


「あなたが生まれながらに呪いを持つこと。国家守護獣の力がひどくあつかいにくいこと。そして――」


 サカリは顔へ手をやった。顔を覆った手が眼鏡の位置を直し、それが元の位置へ戻される。顔へ月光が当たると……そこには口の端を上げる表情があった。


「あなたの()()()()()ことくらいか」


「ああ、そこまでか知っていたのか!」、王はおおきな声を出す。彼の表情もカラスと同じ、いやに楽しそうなものへ変貌していた。


「よかろう! 乗ってやろうではないか!」、王は徹底抗戦の覚悟を決める。


「感謝する。きっとうまくいく」、カラスも遊戯を続けると決めた。


 そして手始めに、魔界の天使が作成した、とある薬が渡されたのだ。

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