笑うノコギリエイ 後編8
9月12日。イーダたちは街の郊外にいた。
起伏のある場所をとおる、見とおしの悪い街道。空の太陽は陽気にしているが、丘や木々の梢によっていちいち視界がさえぎられる。盗賊なんかが潜んでないかと、先日の害獣退治を思い出すこと1時間。道から少しはずれた草地に鋭利で黒い塊がそびえているのを発見した。
モザイク柄に光るそれは、緑の丘と青い空のコントラストをだいなしにしていた。美術館にある見事な風景画へ、100円均一のサインペンで落書きがされているかのよう。耳のまわりがちりちりとヒリつく感覚は、もしかしたらいらだちなのかもしれない。イーダは光景に残念な気持ちをいだいた。
(これも不可逆の爪痕か……)
近くでそれを見上げる。王宮にあったのと同じ黒い水晶のかたまりだ。地面から猛烈な勢いで生えてきたのか、無数の石や岩を巻きこんで、容赦なく串刺しにしている。
(あれ?)
ちいさな違和感。ここは起伏こそあるが、おおきな岩がある場所でない。ならあの石やら岩やらはどこからきたのだろうか? いや、事前情報どおりならば、これが目的のゴーレムではないか?
「シニッカ、これなにか巻きこまれていない? まわりに岩なんてないよね。じゃあ、これがゴーレム?」
「ええ。ストーンゴーレムのなれの果てね。『プラドン』の名で知られる、隣国セルベリアの軍事用ゴーレムだわ。20年前の紛争で遺棄されたやつだと思う」
「勇者がこれを倒したの?」
「ええ、間違いないでしょうね」、シニッカはあいづちを入れ、さっそく調査をはじめた。勇者の情報を集めるためだ。高いところで串刺しになっている石もあるから、宙に浮かべるアイノがいれば楽だったけれど、彼女はギルドで調査中。とりあえず自分もと、イーダも周辺を調査することに。
えぐり返された草の塊がいくつも土まんじゅうを作り、点在する血痕と折れた武器の持ち主だった者を静かに悼んでいるようだった。1週間ほど前、ここで戦いがあった。暴走したストーンゴーレムによって11人の冒険者が死んだのだそう。モンタナス・リカス伯の娘は大学の実地研修で冒険者の仕事に同行中、この野良ゴーレムに遭遇してしまった。そして殺されかけたところを、勇者によって救われたのだ。
(それだけだったら、よかったんだろうけど……)
その後、いったんは大学寮に戻った娘だったが、街中で見つけた勇者一行に声をかけて以来戻っていない。高い身分を持ち、成績優秀だった彼女の失踪は大事件となった。辺境伯たる父親からしてみれば一種のスキャンダルともいえるほどの不始末だ。だから国王を頼ることなどできるはずもなく、自分で解決する道を選んだのだ。
「う……」
背後から嗚咽が聞こえる。案内人――冒険者ギルドで情報を集めていた際、同行を申し出てくれた事件の生き残りだ。仲間が犠牲になった現場へ一緒にきてくれた彼が、いったいどのような気持ちでここに立っているのだろう? そう考えると、イーダは身が引き締まる思いになった。
彼になぐさめの言葉をかけるかわりに、仕事を前に進めると決意する。
「シニッカ、ゴーレムの頭部を探すんだよね?」
「そうよ。『אמת』と刻まれた石を探して。このサイズのゴーレムなら、人の胴体くらいあると思うわ。砕けてなきゃね」
頭部に文字が刻まれているのは、カールメヤルヴィの王宮で働く、骨や死体のオートマタと同じ原理で動いていることをあらわすもの。伝統的な製法で造られたゴーレムであり、この世界では一般的なものだという。
額に刻まれたאמתはヘブライ語で「真理」という意味。土や石で作られた人形は、その言葉をもって人のように動きはじめるのだ。逆に停止させたい場合は「א」が消えるよう、文字列を「מת」にする。こちらの意味するところは「死」。二度と動かないように文字をけずり取ってしまってもいいし、再利用を考えるのであれば粘土なんかで文字の溝を埋めてしまってもいい。
通常はそうやってゴーレムの動きを止める。でも勇者は力技でその体を粉々に砕き、物理的に動かなくさせた様子。乱暴に破壊された石巨人の死骸へ、イーダは骨さんや腐さんが同じ目に遭ったら嫌だな、と考えてしまった。思わずかがんで、砕けた石をやさしくなでる。
そうやって目線を落としたから、イーダは炭化した草が黒い模様を描いていることに気づいた。火がついて燃え広がった、という感じではない。もっと鋭利な、1か所から放射状に強い力が飛び散ったようなあとだ。
黒い草をひとつまみすると、炭化したそれは指の間でぱらりと砕けた。残滓を指でこすりながら「ねえシニッカ。水晶のまわりが変な形に焦げていない?」と、魔王へ理由を問う。
「この痕跡は雷系統の魔法ね。それもかなり強力なやつよ。ゴーレムへ魔法を穿ち、内側からバグモザイクを発生させて砕いた、そんな印象を受けるわ。だとするとずいぶん乱暴なやりかたね。彼は雷魔法という技能だけじゃなく、精神的にも雷神ソールの信奉者だったのかしら?」
(なるほど、雷魔法の痕跡だったんだ)
つまり勇者は雷属性魔法の使い手。もしかしたら他の魔法も使うかもしれないけれど、少なくともゴーレムは強い雷の魔術によって粉砕された。この情報だけでもかなり有用だろう。魔術の属性がわかれば、その対処手段もあるはずなのだから。そしてそれはシニッカに聞けばわかるに違いない。
雷魔法への対策を口にしようとしたイーダだったが、先に口を開いたのは当のシニッカだった。冷笑的なすまし顔をしながら、彼女は勇者へ皮肉を言う。
「もし彼がソールのようにふるまうのなら、早めに止めないとまずいわね。きっと行く先々で人々の頭を砕いてまわるわ。勝負を挑まれ頭蓋をひとつ、交渉不調でまたひとつ、力を試されまたまたひとつ、料理がまずくてついでにひとつ、なんてね」
「ええ? 勇者っていっても人だよね? さすがにそんな常識はずれなこと……」
「そうかしら? 生前には入手しえない力を持ったのよ? 新しいペンを手に入れたら書き心地を試すものでしょう。きっとその時にはグルグルと無意味な曲線を延々と紙に描くのよ。もてあそばれた紙の気持ちも知らないでね」
「し、辛辣だね。でも、ちょっと言い過ぎじゃ……」
「そうかもね。でも私だったらペンの最初の仕事に、煽情的な文章でも用意してあげるわ。『彼は涙で濡れた枕へ顔をうずめる。そうしたから丘がふたつ、彼の頬を震えながらつつんだ。赤い双丘へ青い雨を降らせるため、唇へ舌を寝かせる。やがて心は流れる水であふれていった』なんて。それが正しい使いかただと思うから」
なにやら抽象的な文章の登場。イーダには意味がわからなかったけれど、シニッカの言ったとおり「煽情的」であることだけは理解した。それ以上に、今の文章が前もって用意されたものでなく、即席で語られたものである予感に舌を巻いてしまう。
なんだか人の死がある現場で、それはふさわしくない気もした。イーダは反応できずに言いよどむ。
察したか、魔王は肩をすくめてから、そんなことを言った意味を口にした。
「つまりね、私にはこれをやったやつが危うく見えるのよ。子どもが間違ったおもちゃを手に入れたように感じるの。プラスチック製の水鉄砲のかわりに、スチール製のNineteen-eleven――大型自動拳銃を手にして遊びに行くような。簡単に引き金を引けてしまうことも、使いかたを理解していないこともふまえて」
「う、うん」
少々遠まわりではあったが、さっきのは魔王なりの危惧だったのだろう。勇者を頭ごなしに貶めていたわけではないのだと、イーダにも理解できた。勇者が、強い力の出しかたは知っているものの、安全装置の使いかたを知らないのではないかと、そんな心配をしているのだ。
だから「今はそれに意識を割いている場合ではない」ことも、イーダにはわかっていた。自分たちの作業を見つめている、案内人の悲しそうな顔へ、ちゃんとした成果を届けてやらなければならないから。
「わかったよシニッカ。とにかく彼の情報を集めなきゃならないんだね」
「そうね。気を取り直して探しましょうか。ゴーレムの頭と一緒に、雷の残したリヒテンベルク図形なり、火薬の残した硝煙反応なりもね」
ふたりはふたたび作業へ戻る。そして引き続き手を動かして15分ほど、ついにイーダは探していた物を見つけた。
本体から10メートルくらい離れた場所、おおきな石人形の頭部が転がっていた。片側――人でいったら右目の周辺がおおきくえぐれている。もし本当に人だったら目線をそらしたくなるほど凄惨な光景だ。なんとなくわかる目や鼻の形が、石造りだというのにずいぶん生々しく感じた。
そして、額には「×」のしるしで消された「א」と、その後に続く「מת」の文字。
「シニッカ、あったよ!……文字が一文字消されて『meth』になってる。倒されると自動でこうなるの?」
「いいえ、そんな便利機能なんてついていない。それってこれを保有していた軍隊が、廃棄する時に実施したものに思えるわ。その消しかただと、作成者以外に復元ができないの。つまり遺棄したゴーレムを敵に使われないようにするためのものね。これ自体は普通のことなんだけど……」
「でも、ゴーレムは人を襲ったんだよね? それって、文字が消えていたのに動いていたってこと?」
「そういうことになる。妙ね……。ねぇ冒険者さん、ゴーレムが倒された後に、誰かが刻印を消したかしら?」
シニッカに問われた彼は、沈痛な面持ちのまま頭を左右に振る。「今思い返せば、最初から消されていたように思います」、悲しみでつぶれたのどから、細い声で答えてくれた。
「ありがとう。そうすると、動いていた理由を調べなければならないわね。イーダ、他に気づいたことはない?」
「見てみるよ」、もう少し細かく調べるため、体重をかけて石を裏返す。と、中央に赤く光るもの。「あ! なにかある! 宝石みたいのが埋まってるよ!」と声を上げ、シニッカを呼んだ。
「これは……ガーネットだわ。石言葉は真実、友愛、貞操とかね。『恋のトラブルを避ける』って意味もあったかしら」
(見ただけでよくわかるなぁ)
さらりと宝石の意味まで解説した彼女は、鑑定士のように顔を近づけ観察していた。のぞきこむ頭の位置を変え、光の反射具合をいろいろな角度から分析しているように見えた。ただ、イーダにはひとつ気になる所作が。
蛇みたいに舌を出し入れしているのはなぜだろう?
「シニッカ、舌を出してなにやってるの?」、ついつい聞いてしまう。
「においを嗅いでいるの」、返事はなにやら理解できないこと。
でも真剣な横顔に、それ以上の質問はやめにした。かわりに自分も注意深く見てみることに。
石に半分くらい埋まっているのは赤い宝石、シニッカいわくガーネット。ちゃんとカットされていて、光の反射が美しい。はめられた穴にはちいさなひび割れ。丁寧な仕事とは言い難い。穿った穴へ少々強引にはめこんだのだろう。
そのまわりを囲むのは、呪文のような文字列たち。中央にいる宝石を生贄に、あやしげな儀式をしているかのよう。そちらもあまり洗練されていなくて、文字の描く円は宝石との距離が一定ではない。フリーハンドで不器用に描かれたものに見えた。
なにかの細工か魔法陣か、そう考えるイーダの耳に、シニッカの手厳しい評価が入ってくる。「ずいぶん雑な錬金術だこと」と、あきれるような言いぐさで。
でも次のひとことに、嫌な予感がそえられた。
「でもこれ、この世の魔術じゃないわね」
「それって……」、ぞわりと背すじをなでるのは、恐怖ではなく嫌悪感。
「ねえ冒険者さん。あなたたちが遭遇したのは土曜日の昼間、そうよね?」
冒険者の「ええ」という短い返事に、シニッカがいつになくまじめな顔をする。
そして冷たいため息を吐きながら言うのだ。
「今回の勇者様は、とんだトラブルメーカーね」、と。




