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笑うウミヘビ 10

 太陽が地平線を青く照らし出す前、100名からなる傭兵隊は再編成を終えて街を進んでいた。その真ん中には今回の主役――ヤネスの甥スラヴコがいた。護衛には勇者ディラン。彼は「僕がここであなたの警護をする羽目になるなんてね。相手も油断ならないや」と肩をすくめる。「本当ならもう王宮にいるはずだったのに。敵に時間を稼がれちゃったよ」


「さりとて護衛には感謝する。敵が毒の入った杯を持っている以上、君らの協力が不可欠だ。それに時間ならまだあろう。おそらく叔父――国王は玉座を動かん」


「今さらながらだけどさ、その情報って本当に信用していいの? 僕なら玉璽を持ってとっとと逃げるけど。あそこって隠し通路がたくさんあるんでしょ?」


「私とて王族、通路の位置くらい覚えている。それに王が外へ出ないよう、トマーシュが監視しているのだろう?」


「そうだけどさ。こういう時に逃げないやつのほうが珍しいって話だよ。自分の家が火事になったら、普通は裸足で外へ飛び出すもんでしょ?」


「ヤネスとはそういう性格の男だ。彼の唯一の美徳ともいえる。苦難には正面から立ちむかうし、敗北も正面から受け入れるのだから。過去、貴族たちとの舌戦やら他国との交渉やらでなんどもそういう姿を見てきた。それが国のためになっているとは思わぬが」


 彼らはこれから、トリグラウ城へ攻めこむつもりだ。日が変わって3時間、ベヒーモスの襲撃から数えると5時間以上が経過している。イヴェルセンが速度を求めたにもかかわらず、作戦は今になってようやくはじまるのだ。


 ゆえに彼らはすぐ出発の合図を出し、市街地へとなだれこんでいた。なにがあったのかと様子を見にきた人々へ刃物のような視線をむけて、土埃を立て、石畳を鳴らし、そして並木道に入る。王城の入口からのびるリンデンの並木の間を、彼らは梢をゆらさんばかりの勢いで進んでいった。


 もうすぐだ。もうすぐ新しい時代がはじまるのだ。


 緊張で手筈が狂ってはまずいと、スラヴコは自身の狙いを頭の中で復習した。


(なにはともあれ、まずは叔父に会うことだ。彼と対面し「この国をゆずれ」とせまるのが唯一の手段なのだから)


 甥の彼をもってしても、ヤネス2世がすんなりと退位に応じるかどうかはわからなかった。だが王は――普段の横柄な態度からは意外なことに――国民を愛している。つまり王都の人々の命が脅かされれば、要求を呑むだろうと予想できる。


(もしこの騒ぎ程度で動じないのなら、暴力に訴えることも辞さぬ。彼を打ちのめすのではなく、まずは城をもっと破壊しよう。それでもだめなら奥の手だ。勇者の力で人々の命を危うくする他ない)


 考えているのは「外道」といって差し支えのない手段だった。現国王の圧政から人々を救うのが建前なのだから、客観的に見ればどちらが悪かわかったものではない。それでも王座を簒奪せねば、この先の未来は明るくないだろう。いつまでも3国間で孤軍奮闘していては国力も疲弊してしまうというもの。ならばキマイラ連合に参加することこそすぐれた手段なのだ。キマイラは周辺3勢力の中でもっとも弱いからこそ、トリグラヴィアを重く用いるだろうという計算もある。


 そして王座を奪うことは力を手に入れること。国王としての権限や財産もそうなのだが、それに勝るとも劣らない能力を手に入れなくてはならない。


 それが国家守護獣――グライアイの力だ。


(父の言葉どおりなら、国の経済力・戦力・資源力の3つを強化できるはずだ。ヤネスがこの力を積極的に使用した形跡はない。使わない手などないにもかかわらず)


 前王である父が死んだのはスラヴコが幼かったころだったから、少々おぼろげになりつつある記憶へ絵の具を上塗りするように思い出していく。


 ひとつの目とひとつの歯を共有する3姉妹、グライアイの力は少々入り組んだものだ。詳細こそ王のみが知るところではあるが、王族・貴族・平民という3つの身分に対し、経済力・戦力・資源力という3つの力が割り当てられているようなのだ。


(王になれば全容も見えてくることだろう。父から聞いた話では、それぞれの身分がそれぞれの責務を負うのだという。使用すればなんらかのペナルティが発生するのだと。ならば国家の危機にあっては全員が一丸となって責務を負い、荒波を乗り越えるよう振る舞うべきだ)


 王座を手に入れてやるべきは決まっている。心強い同盟国を得ること、使われていない国家守護獣の力を存分に振るうこと。そういう未来を明確に思い描いていたから、スラヴコは魔王シニッカの誘いにも乗らなかったし、イヴェルセンの提案を受け入れてクーデターを起こしたのだ。


 勝算はある。勇者と呼ばれる強力な存在がふたりも味方についているし、敵に先手を打たれたとはいえ、奇襲はいまだ効果を残しているから。そしてもうひとつ、完全にあきらかになっているグライアイのもうひとつの大切な力もあるのだ。


 それは彼の祖父――先々代の王によって使われていた呪いの一種だった。


 グライアイのふたつめの力は、国王に複数の世継ぎが生まれた時のみ効果を発揮する。効果範囲は長男をふくめた最大3名まで。内容はというと、長男の身体的・精神的・魔法的な能力を強化するかわりに、次男と三男に先天性のペナルティをあたえるものだ。


 次男ヤネスは母親の胎内にいる時、この呪いを受けた。「跡継ぎができなくなる」という呪いだ。彼のどこか女性的なシルエットはそれが原因だとも言われている。もっとも同性同士でも子をもうけられるのだから眉唾ものではあるのだけれど、事実彼には子がいない。今まで数名の女性と関係を持ったにもかかわらず、一度たりとも懐妊することはなかったのだ。三男にいたってはもっと不幸な目に遭った。「長く生きられない」という呪いのおかげで、彼は2歳で病により生涯を閉じた。


 王家にとって、この呪いは大切なものだった。そこまでした効果は十分にあったからだ。長男である先代の王ディミトリ2世――スラヴコの父は、体も知性も魔力も人一倍強かった。聡明かつ公正で強く、誰にも愛される者だった。


(しかし……父は死んだ。あれほど強かった父も、自然には勝てなかった)


 ディミトリ2世が死んだのは自然災害によるものだ。もう30年ほど前のこと、地方巡回の最中、大雨による土砂崩れに巻きこまれてしまった。いくら屈強な者であっても、馬のようにおおきな岩の直撃を受けてしまってはひとたまりもない。


(あの時は国中が混乱した。しかし叔父はそれを見事に制定してみせた。今思えば、できすぎている気もする)


 謀殺であった、そういううわさは今でも残っている。なにせ父が死んだ事故で生き残った同行者など、片手にあまるほどなのだから。口封じと考えるほうが自然なくらい少人数だったのだ。


(ゆえに私は一切の容赦なく叔父と対決できるだろう。冤罪なのかもしれないが、父の死によって一番利益を得たのが叔父である以上、この気持ちは変えようもない)


 思いを引き締め、道を急ぐ。トリグラウ城の城門はもうすぐそこにある。その美しいシルエットを勇者トマーシュの手によっていささか損なわれた状態で、月の光に照らされていた。守りの兵も少なく、静かにたたずむようなその姿は、どこか達観したような、あきらめたような印象をスラヴコへあたえる。高くそびえる3つの尖塔が、「お前は本当に正しいことをしているのか?」と見おろしているような気もした。


 それを振り払い、城門の前でスラヴコは叫んだ。「門を開けよ! 私はスラヴコ! 叔父に話があって、ここにきている! これは王国と王国民のための訪問だ! 誰もこの歩みを止めることなきよう、強く要求するものである!」


「お、お待ちください、スラヴコ様!」、城壁の上から兵士の声。少ない人数を束ねる兵士長のひとりが、高い位置から見おろすのを恐縮するかのように腰を折ってスラヴコへ語りかけていた。「誰もとおしてはならないと、王からの命を承っているのです!」


「お前の家族はどこにいる? その安全は私が保証しよう。そしてよく思い返すのだ。お前が大切にしている者たちをあずけるのに、ヤネスがいいか、それともこのスラヴコがいいのかを」


 こういう時に相手を迷わせる、自分以外の者の命をちらつかせる方便。威圧ではなかったけれど、強い言葉ではあった。ゆえに兵士はたじろぎ、次の言葉を発せない。そこへとどめのひとことがつけくわえられる。


「私たちに、城をこれ以上破壊させるな。君と君の部下の血が流れるところなど見たくないのだ。知っているだろう。すでに城には勇者トマーシュが侵入している。それに私のとなりには、彼と肩をならべるほど強い者だっているのだ。どうか城門を開けてほしい。人々の命がかかっているのだから」


 相手の安全を約束し、さりとて時間をあたえない。城壁の上にいる兵士のように、悩み追いこまれた人間の取れる行動を決定させる効果的な言いかただ。


 逡巡した後、兵士は「わ、わかりました」と了承の意思をしめした。1分もたたないうちに城門は悲鳴のような軋み音を立ててゆっくりと開き、スラヴコたちはそれが開ききる前にすきまから体をねじこんで城へ入っていった。


「王はどこにいるんだい? やっぱり中央の謁見の間? あそこが一番豪華だもんね」


「おそらくそうだろう。逃げないと思うが、今は急ぐとしよう。……トマーシュはどこにいる?」


「彼には外敵を警戒する任務がある。心配はいらないさ。僕が君についていくから」


 100人の兵士と勇者、次期国王の座を簒奪しようとする者は、広い庭を進んでいった。低い垣根を乗り越えて、花壇へ深い足跡を残して。短い階段の先には晩餐会を開けそうなほど広いテラス。そこを踏み越え城の入口へ。両開きのおおきなドアを守衛の兵に開けさせると、床へドカドカと足音を残しながら建物内の通路へ侵入した。ちょうど湖から川へ流れこむ水のように、隊列は縦長になっていく。


 先頭には勇者とスラヴコがいた。通路は左右と正面にのびていて、王がいるだろう謁見の間は正面の通路から中庭に出て、さらにその先の建物内にある。当然そこには守衛が詰めていて、「なにごとか!」と進路をさえぎるのだ。その覚悟をたずさえた兵たちの表情から、話し合いが無駄だと悟ったスラヴコは、勇者に「排除を」と短く命令した。


 直後、暗緑色の光線のようなものが守衛たちの胸へとのびる。空気がズズッと奇妙な音を立てた瞬間、聞こえてきたのは叫び声の合唱。被弾した者たちはみるみるうちに顔色を赤緑へと変色させ、のどをかき、のたうちまわった。倒れる彼らの間をすり抜けていくスラヴコは、その顔をちらりと見やる。口から血の混じった泡を吹き、両目を真っ赤にさせ苦しんでいた。皮膚には沸騰した湯のような泡が無数に浮かび、それがはじけるたびにどす黒い液体が飛び散っている。


「触ると危ないよ、スラヴコ。――<盾よあれ(パラスのよそ見)>」


 走るスラヴコへ、勇者によって魔術がひとつ。ギリシャ神話の故事を由来にした言遊魔術(ケニング)。中身は、アテネとパラスが戦っている際、それを止めようと天にいたゼウスが落とした盾を意味する。


 しかし神話によると、それに気を取られてよそ見をしてしまったパラスは、アテネに胸を刺し貫かれて死んだ。そんなケニングを使う勇者へ、スラヴコは残酷さとうろ暗さを感じてしまう。魔王シニッカといい、イヴェルセンやディランといい、悪魔種というものは人の死をもてあそぶものなのかもしれない、と。ならばその蛇たちにはさまれたトリグラヴィア王国は、死の舞踏を踊らされているに違いない。


 やはり力が必要なのだ。


 強い国を思い描く簒奪者は、強固な決意とともに歩を進める。


 すぐに彼らは、天守(キープ)へと到達した。

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