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笑うウミヘビ 8

 城壁の上、ふたつの死体の前。


 トマーシュの意識は混濁している。前後不覚、といってもいいほど。ただそんな混乱した脳をもってしても、自分が()()()()()ことをしていることだけはわかった。転がる2名の兵士――元人間だった肉塊を見おろしていると、あの日のように大切なものが自分の手から離れていく感じがするのだから。


 自分は今なにをしているのだろう? いや、なにをさせられているのだ? ただ恋人のいる世界へ帰りたかっただけなのに、どうしてこんなひどいことになってしまったのだ?


 ボロボロと涙がこぼれてきた。それは赤黒い液体で、粘り気があって、ナメクジが這った跡のような筋を頬へつたわせているのがよくわかった。けれど体はいうことを聞かない。すぐに両脚は30メートルほど離れた城壁の上に立つ別の兵士たちへむけて駆け出していた。


 トマーシュは城壁の上の通路へ、乾いた足音を立てて駆ける。矢が1本飛んできたものの、それは彼のとおりすぎた残像を射抜くだけ。カーブをまわるジェットコースターのように角を曲がって、新たな命へとその剣先をのばす。


 通信販売で見る包丁のデモンストレーションのように、彼の持つ剣はひとりの兵士を切断した。直後、恐怖に叫ぶもうひとりを串刺しにする。そこに人間的な戦意とか、あるいは迷いとかはなくて、事務室にあるシュレッダーのように機械的な()()のようだった。


(……イヤダ。コンナノハ、イヤダ)


 彼はかろうじて脳の一部へ人間の痕跡が残る機械だ。だからすぐ次の仕事――また別の兵士たちを見つけ、そこへ死の作業を実施しに走るのだ。5人、6人、7人、8人……。人を殺めるごとに返り血が肌へとしみこみ、自分が自分以外の生物になっていく。きっと取り返しなどつかなくて、後悔と自己嫌悪と怒りの塊になってしまうに違いない。


 城壁の兵士たちを1ダースほど処理した彼は、歩みを止めずに城内へと疾走していった。途中で会った使用人たちをも血に染めて、まるで道を知っていたかのように迷いなく謁見の間へと入った。3つある内のひとつ、悪魔召喚魔法陣が床へ描かれたその場所へ。


(トメテクレ。ダレカ、オネガイダカラ)


 意思に反し、彼は剣を両手で掲げた。赤黒い皮膚の下、倍くらいの太さになった血管へドクドクと粘る魔力を流す。いくつか点灯していた魔法のランプが、魔力を奪われフッと消えた。かわりに剣と両手の火傷あとが、熱を帯びて陽炎を作る。


 バシシッ、彼を中心に発生したのは、黒く輝くバグモザイクだ。二重になり、三重になり、年輪のごとく外側へと広がっていく。魔力の収縮をあらわすそれが、老齢の木のような模様を描いた時――彼は腕を強制的に()()()()()()()()()


 閃光が空間を覆う。破壊をもたらす強い光が。


 ――ドッガァァン!


 トマーシュの一撃によって、床も壁も天井も、果物の皮がむけるように剥がれ、飛ばされた。空気と石の破片が高速でかきまわされて、あちこちへ破壊を伝播していった。激しい音は聴覚を奪い、脳を揺さぶって思考すら吹き飛ばす。


 こうして機械は、あらたな残骸をひとつ作った。


 衝撃波は一瞬でとおりすぎたのに、破壊の余韻は数分間にもわたって空間へ残り続けるもの。砂ぼこりは舞い続けるし、壁や天井は時間差で新たな崩壊を引き起こす。なんだか映画で見たことあるな、と思ったのは、現実感がなかったから。ショットガンでわき腹を撃たれた者が、即死できずに苦しみ悶えるシーンに重なった。


 幾重にもなったバグモザイクの中心で、トマーシュはガクリと膝をつく。文字どおり糸の切れたマリオネットのように、その場へくずおれた。


(アア……イマノデ、ドレクライ、シンダ? ワタシハ、コンナコト、シタクナイノニ)


 変色した体は元に戻らない。混濁する意識も一向に覚醒しない。


(モウイッソ、コロシテクレ)


 ウミヘビの操り人形は、絶望とともに涙を流し続ける。


 そしてあの日――死よりも苦しい後悔をした、転生して日も浅い時のことを思い出すのだ。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 転生した直後から今にいたるまで、彼を突き動かす最も強い欲求は「恋人に会いたい」というただ一点だけだった。転生直後に元の世界へ戻れないと知った時、彼は意気消沈してなにも話せなくなってしまったのだ。ならば2度目の生になんの意味があるのだろうと自問自答したほどだった。


 けれど天界でウルリカなる女神は、これからの人生に希望を持たせんと手をつくしてくれた。「会いたいのに会えない、お辛いですよね。せめてここにいる2日間だけは、あなたの気持ちを吐き出してください」と、つきそってくれたのだから。口に出せたおかげで、トマーシュは「自分が彼女に会いたい」という気持ちにも増して、「彼女のことが心配でたまならい」という感情が強いことに気づけた。そして2日目の最後には、「そのお気持ちは大切なものです。なぜなら、他人をおもんぱかる気持ちはやさしいかたにしか持ちえないものだから」なんて味方してくれたことは、ある程度のなぐさめにもなった。


 ウルリカから手渡された言葉は、まるで生花の花束のようにきれいなもの。勇者はそれを大切に持って地上――祖国に文化が似ているというトリグラヴィア王国へおり立つ。けれどそこには知り合いなどおらず、頼れる相手もいなかった。人が多いからよけいに孤独感も増す。だから前向きになっていた気持ちは、たった半日でなえてしまった。天使からもらった言葉の花束もしおれてしまった気がするくらいには。


 そこにあらわれたのが、他ならぬスースラングスハイムのふたりだった。イヴェルセンは自身を「転生勇者のことを支援する者」と名乗り、ディランは「同じ境遇の転生勇者」だと名乗った。地上へおり立つ金色の猪の軌跡を追ってきたのだという。それに、トマーシュはおおいに安堵させられてしまった。孤独に耐えかねていた彼は、夕食をともにしながらさまざまな感情を吐き出す。「これからどうしていいか見当もつかない」であるとか「正直、この精神状態のまま生きていける気がしない」であるとか。


「では私の仕事を受けないか?」、そう口火を切ったのはイヴェルセンだ。「このディランという男へ、君の手足を、その能力すべてを貸して欲しいのだ。かわりに私たちは君があるべき場所へ行けるように協力しよう」


「ありがたい。しかし気になることもあります。イヴェルセン、私は女神ウルリカから『勇者同士が同じ勢力に属してはならない』と聞いています。それは問題ないのですか?」


「ないさ」、答えたのは先輩勇者ディランだ。「それはガイドラインであって法律ではないんだよ。僕らは例外にうまく対処するためにここへきたんだ。例外とは、つまり君さ。普通は転生者ってもっと希望に満ちあふれているはずなのに、君ときたら今にも自分の墓石を石屋へ発注しそうな顔してるもん」


「そういうことなら、ぜひお願いしたい。私は……なにをすればいい?」


 その後、話はトントン拍子に――というよりも少々拙速気味に進んでいった。羊皮紙に書かれた契約書を「とはいえ天界に情報が漏れるとまずいから、守秘義務だけ課させてくれ」と出されたり、サインが済めばさっそく場所を古城へと移動して、彼らの仲間の商人に装備を調達してもらったり。かなりあわただしい数時間だった。


 その日の夜更け。最後にイヴェルセンは申し訳なさそうな顔をして言った。「すまんが、この世には魔王という存在がいる。勇者に敵対する者で、いろいろなところに間者を放っているのだ。ゆえに敵味方の区別をつきやすくするため、焼き印を一文字だけ入れさせてほしい。痛みをともなうが……早いほうがいいだろう」


「それなら今からで構わない。時間がたつと怖くなるかもしれないから」


 古城の敷地内にある鍛冶場へむかった。すでにディランが炉に火を入れていて、「念のため、布を噛んでおいたほうがいいかも」と気をつかってくれる。手拭いを丸めて口へ入れると、目の前に出されたのは金属の棒。先端を熱で真っ赤にした、皮膚に押印するための器具だ。


 コクリ、うなずくと同時、右肩からジュゥと容赦のない音。熱さではなく灼熱の痛みに耐えること数秒、ディランはひとつつぶやいた。


「<(フェー)奴隷よあれ(鎖の飾り)>」と。


 北欧ルーンの最初の文字「(フェー)」、すなわち財産のルーンを刻まれたトマーシュは、こうして()勇者になった。


 彼は悲しき操り人形――奴隷へと、なり果ててしまったのだ。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 謁見の間の崩壊はようやく落ち着きを見せた。人でたとえるなら死亡直前の痙攣が終わり、瞳孔が開ききった状態だ。天使が降臨して死者へとひざまずき、輝く金色の環を頭へそっとかぶせていた。


 しかしそれを引き起こした張本人は黒い円環の中心において死ねずにいる。悪辣な甘言にまどわされた操り人形は、ダークな物語に改変されたピノキオのよう。だから悪事を働いて長くのびた鼻を嘆くのではなく、いっそ首をノコギリで切り落としてくれと懇願していた。


 そんな彼の後方――元々広い出入り口のあった方角から鳴ったのは、ザリッと石を踏むちいさな音。うめき声をたずさえていないゆえ、死にぞこないがもがいているわけではなさそうだ。証拠にザッザッと地面をならすような音も聞こえるから、誰かがそこに立っている様子だった。


 つまりこの破壊の中心へわざわざ足を運んだ者がいるのだ。そんな連中、この場所に1種類しかいない。


 魔王の手の者だ。


 元勇者は立ち上がり、できの悪いからくり人形のようなぎこちない動きで振り返る。新しい殺人を予感し、命令に拒否する心が彼をそんな所作にさせてしまった。


(ダレダ⁉︎ ナンテ、バカナンダ! ワザワザ、コンナトコロニ、クルダナンテ!)


 相手をすっかり視界にとらえたなら、すぐさま体が勝手に反応して斬りかかることだろう。トマーシュは頭蓋骨の内側へこびりつくように残った人間としての意識でもって、全力でそれを拒否した。むろん、そんなことでどうにかなるわけがない。でも拒絶する心を失えば、自分の残滓すら体から消え失せるだろうと思っていた。


 そうやって抵抗したがゆえに、彼の両目はとある男の姿を正面からとらえられたのだ。


「君が勇者だね。僕は医者だよ」


 ペストマスクがこちらを見ている。灰色のローブを身に着け、頭上に金色の環を浮かべて。背中には2色に塗りわけられた翼。重そうなバッグをたすきがけにして、なにやら道具をたくさん持っていそうだ。腰の前へぶら下げているのはノコギリだろうか?


「医者だと?」とトマーシュは思った。それが本当ならば妙な現実だ。ここは先ほど戦場になった空間なのだ。彼は軍医だとでもいうのだろうか、と。


 おかげで赤黒い怪物は動きを止める。一種の困惑と相手がなにをするかわからない警戒心は、悪魔召喚魔法陣の破壊という任務を終わらせたトマーシュのすきを突く形になった。


 天使はそのわずかな時間へ、得意の早口でもって心へ揺さぶりをかける。


「肌の変色は自然のものではないね。それは呪いのたぐいでもたらされたものだ。君の四肢からうっすら魔術で編んだ糸のような物が見えるよ。色は毒のような緑と、裏切りを連想させる黄色。まるで操り人形みたいだね。でも完全に意識を失っているわけではない。じゃなきゃそんなに泣いていないだろうし。そしてその右肩のルーン『(フェオ)』――もしかしたらフェフかフェーかもしれないけれど、それは財産を意味するものだ。君は誰かの所有物にされていると見たよ。しばしば魔界で使われることもあるし、よくわかる。ああ、お察しのとおり僕は魔界の天使だよ。医者をやっていて、錬金術師もかねていて、生体へルーンを彫ることも多くって、だからさ――」


 トマーシュは飛びかかれなかった。自分のされたことを事細かに解説する天使の言動を止めることなどできなかった。それは「かすかな希望」という名の光が見えたからだ。「彼は私の現状を理解している」「彼は医者である」「彼は隠れていればいいところに、わざわざ姿をあらわした」という情報に、「なぜ? もしかしたら……」という淡い期待をかき立てられてしまったのだ。


 そしてこの時目の前にいた医者は、まさにトマーシュの求めていた者だった。


「――君さえよければ、治療しようか?」


 言葉が耳に入った。直後、自分の脚元から地を蹴る音も聞こえた。右手には剣。ペストマスクの天使はもう目の前にいて、腕は彼の首を寸断せんとおおきく振りかぶっている。


(ヤメテクレ!)


 自分の意志ではない。勇者ディランからの「殺せ」という命令だ。体は即座にそれへ反応し、トマーシュにとっての最後の希望を切って捨てようとしている。


 抗えない。けれど抗いたい。


(――ヤメロォッ!)


 魂からの叫び声を上げた。腹の底から全身へ強い感情が伝播した。それは、ささやかな奇跡をおこす。


 四肢にからむ操り糸を、ほんの一瞬だけゆるませたのだ。


「――<(ラド)>」


 だから天使は逃げおおせた。騎乗のルーンをひとつ放って。残されたのは砂ぼこりへ描かれたルーン文字と、静寂の戻った空間だけ。


 体の自由を奪われているから、胸をなでおろす所作すらトマーシュには許されない。けれど頭蓋骨の片隅へ、ちいさな希望の光をやどすくらいのことはできる。


(アア、マダオワリジャナイ。オネガイダ。タスケテクレ……)


 新たな涙を流す彼に、傀儡師からの命令が届く。天使を追撃するのではなく、王を探せとの命令だった。


(オネガイダ。ドウカ、ワタシヲ、タスケテ……)


 絶望の闇に見つけた唯一の灯りは、マッチの火のようにはかないもの。


 彼はそれを、やけどあとの残る両手で大切そうに覆い、ふたたび意識を混濁とさせた。

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