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笑うウミヘビ 7

 ヴィルヘルミーナの襲撃から2時間。王都メスト・ペムブレードーは喧騒と静寂が同居する、不思議な雰囲気にのみこまれていた。


 街の数か所では火の手が上がり、夜闇をあちらこちらでちいさく照らしている。ところどころに赤い色が見えるその光景は、ちょうどイチイの樹が点々と赤い実を実らせるさまに似ていた。その実へ群がる虫のように、火には近隣の住民が集まっている。消火をしているという雰囲気でなく、「なんてことだ」と頭を抱えているような様子だ。


 一方で、街のその他の部分にはいつもどおりの平穏があった。今日も夢魔の配信を見るため眠りに落ちているのだ。遠く離れた場所のダンジョン攻略の光景だったり、人気者が酒を飲みながら雑談する光景だったり。夢魔配信は容易には覚醒しない深い眠りをともなうことも多いから、中には1ブロック離れた場所の火事に気づかないで寝息を立てている者すらいた。


 なにやら皮肉気な光景だと、兵士のひとりがボソリとつぶやく。火事の当事者たちは騒ぎ、そうでない者は関心を持たない。まるで世界の縮図のようだ。戦争の当事国は騒ぎ、そうでない国は静観を決める、なんていう。


「今日は私たちが当事者か」、ついつい口を突いたひとりごとへ、となりへ立つもうひとりの兵士が「なんだって?」と聞き返した。「いや、戦争っていうのに私が巻きこまれるなんて思わなかったのさ」「……お前はなんのために兵士になったんだ」「でも正直、嫌じゃないか?」「いいや、俺は平気だね」、彼らはおたがいの顔を見ないまま話を進めていった。


 目線を街に固定したまま会話したのは、ふたりとも街の様子を歯がゆく思っていたからだ。自分たちの任務は王を守ること。それが優先されるとはいえ、故郷の街、それも王都で戦いが起こっている現状に手が出せないなんて、と。今すぐあの火の元へ走っていき、群衆へ「井戸の水を運んでこい!」なんて命令したい気持ちだった。もしくは近隣の家の戸を叩いてまわり、寝ている者たちを非難させるのもいい。少なくともここに突っ立っているよりかは、兵士の兵士たる本分を果たせるのだと感じていた。


 ふいに生暖かい風が吹いて、兵士の片方は顔をしかめた。「なんだか風に茶化されているみたいだな」、返事など期待しないで言葉をつぶやく。予想どおりそれに応答はなかった。ただその気味悪い風に当てられでもしたのか、めまいのような体の不調を覚えて、それを振り払うために顔を左右に振る。


 ――ガラン、となりから金属鍋が床に落ちるような音が鳴った。相方が槍でも取り落したのかと、ため息をつきながら横をむく。そこには右手で地面へ立てている槍と、2本の両脚で直立不動のまま、首から上のない者が立っていた。


 今の音は、兜をかぶったままの頭が床へ転がるものだったのだ。


「っ⁉︎ ひ、ひぃっ!」、兵士は震えながら後ずさる。いきなり目の前にあらわれた死の光景へ、なにが起こったか理解することなどできない。だから後退する彼の背中が()()に当たった時、自分がどうなるかも理解することはなかった。


 精肉屋からするような切断音が耳に入る。急に床がグッと近づいてきて、頭を殴られるような感覚と一緒に彼は転がった。


 チカチカと点滅する自分の視界で見上げたのは、頭部を失って倒れる自分の体。そしてその後ろにいる、赤黒い皮膚の人型の()()()


 遠くで光景を見ていた他の兵士たちが、一斉に叫んだ「――敵襲!」という声を聞きながら、このひとりの兵士は生涯を終えた。


 それはトマーシュ・ホルバト――()勇者の糸繰り人形(マリオネット)による、王城襲撃のはじまりだった。


     ◆  ①  ⚓  ⑪  ◆


 スロベニア第二の都市マリボル出身、首都リュブリャナで働く26歳の電気技師。数年前からWeb配信閲覧にハマっており、現在の恋人とも同じインフルエンサーが好きだからという理由で出会っていた。夜更けまで一緒にストリーミングを見て盛り上がるのだ。翌朝に眠い目をこすりながら出勤するのも一緒。当然、目の下にクマを作りながら。けれど仕事はまじめにやるから、朴訥で温厚な性格と相まって職場からの評価は高かった。


 それが彼――トマーシュ・ホルバトの前世だった。高望みをせずに今の生活に満足している、穏やかな青年だ。「屋上にいる鳩よりも、手のひらにいるちいさなスズメ」を座右の銘にするような。


 その日の朝、朝日をまぶたの裏へ感じながら、彼は聞き慣れた目覚まし時計のけたたましい音に鼓膜を叩かれた。ジリリリと鳴る古風なやつだ。それをガツンと乱暴に止めると、となりには目をこする恋人の姿。


「トマーシュ、この目覚ましはうるさすぎない?」


「でもお気に入りなんだ。手心のある携帯電話のアラームより確実だからね」


 その会話も何度目か。着替え、朝食をすまし、出勤するため一緒にマンションを出た。トマーシュは左手にゴミ袋を持ち、脇に恋人からもらったバッグをはさみこんで、ノソノソと重い足取りで歩く。むかう先は歩道に置いてあるゴミ回収ボックス。回収業者と契約することで、ここへゴミ出しができるシステムだ。


 ごみ箱の前に立つと、口から「ふわぁ」とあくびがひとつ。昨日も夜遅くまでゲーム配信を見てしまった。手際よく敵を撃ち倒していく光景が脳裏に残りながらも、彼はポケットから回収契約者のカードを取り出してリーダーにとおす。ドアを開け、袋を放りこんだ彼へ、恋人の「あっ!」と言う声が聞こえた。


「ネル、どうかした?」、振りむいた彼の目に入ってくる、恋人の「しまった」という顔。「携帯電話を忘れてきちゃった」


「取ってきなよ。私はここで待っているから」


 ごめんね、と返した彼女は、唐突に2本の指を唇へ当てる。そして朝っぱらから投げキッスをするのだ。トマーシュはパッと笑った。あれは昨日見た動画のサムネイルだ。ネルはそれが気に入ったらしくて、昨晩からしきりにあの所作を繰り返している。


 人どおりが少なくてよかった。人前でやられたら、少々照れくさいから。今視界に入る他人は、そっぽをむいて忙しそうに通勤するスーツの人が数名、それから駐車スペースへバックでノロノロ進んでいる、トラックの運転手くらい。誰もこちらを見ていない。


「毒されているね、君は」、走っていく恋人の背中へ声をかけ、トマーシュは携帯電話を取り出した。そういえば今夜の配信は何時からだったかな、なんて考える彼も、十分に毒されていた。


 今日は仕事が忙しくなりそうだ。市内のいくつかの場所をまわらなくてはならなくて、その上同僚が休暇を取っていたから。「次は私が取得する番だな」と心でつぶやき、配信者のホーム画面からカレンダーへアプリを切り替えた時だった。


 突如耳へ打ちつけてきたのは、身がすくむほどのうなり声。それはディーゼルエンジンをふかす、やかましく太い音だった。トマーシュはハッとして、駐車しているトラックを反射的に見る。自分から10メートル程度の位置にいたはずのそれは――一体なにをどう間違えたのか――一直線にこちらへとすっ飛んできていた。


 あわてて身を翻す。けれど彼にはかわすだけの身体能力も、逃げるための時間もあたえられていない。勢いよく体を押され、瞬間バシャァンという耳障りな響きが耳から脳をゆらした。


 のび切った自分の腕の先から、持っていた携帯が手から飛ぶ。手にしたバッグも放り出されて、地面の上をすべっていった。けれど自分だけはその場に残る。トマーシュは大切にしていた物が二度と手に戻らないような気がして、ひどく悲しくなった。でも、すぐにそれは悪寒へと変わる。


 理解したのだ。自分だけが動いていないのは、ゴミ箱とトラックの間にはさまれてしまったからだと。そして口から信じられないくらいの血液があふれ出ていて、どこか大切な臓器が完全に破壊されてしまったのだと。


「トマーシュ!」、恋人――ネルの叫び声。荷物を地面へ落とし、悲痛な顔でこちらに駆けてくる。彼女のそんな顔なんて見たくない。でも自分は今死にかけていて、それを元気づけることができない。


 四肢がまったく動かなかった。声もひとことも発せない。ただ体がガクガクと激しく痙攣するのは、死への階段を高速で登っているからか。


(ネル、君を、悲しませたく……ない)


 だらんと投げ出された両手に、青く燃えるような感覚があった。それが死の前段階だとしたら、今すぐ水に突っこんで消したいと思った。


(嫌だ……いやだ……)


 けれど無情な現実は、死の鎌で彼の命を狩った。


 彼はあの世――異世界フォーサスの天界へと送られてしまったのだ。

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