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笑うウミヘビ 2

 ウミヘビの者たちが集う古城へ報告が入る、30分ほど前のこと。日が落ちて濃紺をまとう市街地を、闇の色のローブを着たひとりの女が歩いていた。


 もう夕食の時間もとっくに終わった時間帯だったから、道には人影もまばらだ。みな今日もストリーミングを楽しみにしている。飲み歩いて夜更かしするのではなく、とっとと床に入るのがこの国の流行だ。もはや文化ともいえる。


(けれど今夜ばかりは夢よりも、現実のほうがおもしろいのですよ?)


 小麦色の肌に艶やかな唇を微笑ませ、彼女は夜道を急いだ。時々フードから銀髪が顔をのぞかせて、「誰にも見られてないだろうな」とあたりをうかがっているようだった。


 カールメヤルヴィ唯一の辺境伯、ヴィルヘルミーナ・オジャ。数時間前にトリグラヴィア城の悪魔召喚魔法陣から王都メスト・ペムブレードーへ出てきた魔獣のひとり。


 目的は敵を屠るため。


 彼女は夜闇にまぎれながら傭兵団の元へとむかう。といっても夜の街には明かりも少ないし、大衆の目もない。だからその長い脚でさっさと進んでいくと、市街地なんかすぐに出てしまう。


 郊外へ抜けると、そこにあったのは農園だ。もう目的地は目の前だといえるくらいだから、いったん歩みをゆるめて進む。


(……誰もいない様子ですね)


 低い石垣が道と畑を区切っていた。周囲には木造の住宅や、収穫物をおさめているであろう保管庫なんかがあった。ならんで馬小屋も見える。が、そろってそこに人の気配はない。家畜すらいなくなっているところを見ると、住民は寝入ってしまっているのではなく、財産を持ってどこかへ避難したのだろう。戦いのうわさが立っているから、そういう選択肢を取る者も一定数いるのだ。


 非戦闘員を戦いに巻きこむのはよろしくない、と考えていたから、まずは「よしよし」とうなずいた。そこでもう少し先へ進んでいく。目的地の拠点からザワザワという喧騒が聞こえてくる距離まできた彼女は、いちど石垣の影へ身を隠した。


 傭兵たちの拠点は常設キャンプのような施設だった。木の塀といくつかの木造小屋、そして少々古くなったテントがたくさんあり、それらがいくつもあるかがり火やらたいまつやらで明るく照らされているような場所だ。木のクレーンがいくつか立っているから、まだ建築途中の建物もあるだろうと知れた。サカリの情報によると、駐屯する兵の規模は500人くらい。そのうち200人は戦士ではなく施設の維持だったり管理だったりをする者たちだそう。つまり戦力は300人ほどだ。


(万事予定どおりですね)


 彼女にあたえられた最重要の任務は、トリグラヴィア城を攻められないために、この集団から当面の戦闘力を奪うことだ。つまり300人の敵を相手に存分に暴れるというミッションだ。カラスの攻撃要請に「お安い御用ですよ」と気軽な返事をしたし、実際に彼女にとってはそう難しくない行為でもある。短く切り出された丸太を薪割りするくらいの手軽さでもって、彼女は斧をたずさえてここにきていた。


 もうひとつのミッションとして、スラヴコの誘拐があった。敵の旗印であり、クーデターの首謀者だ。少なくとも、表向きは。


 彼をウミヘビの手から奪ってしまえば、この戦いに大義などなくなる。もともと反乱という行為に大義があるのかは別にしても、傭兵たちはスラヴコがいなければ戦う理由を持たなくなる。つまり敵への痛撃だ。致命傷といってもいいくらいの。ただし相手を傷つけてはいけない上、彼をかかえて逃げなければならないのだから、難度が高い目標ともいえた。


 けれどそれに舌なめずりをするのがヴィルヘルミーナという人物だ。ヴァルキュラであり魔族である彼女が、戦いに心を躍らせないわけがない。「さて」とひとつつぶやいて、思考の色は戦場に。どうやって登場してやろうか、どこから切り崩してやろうか、なんて。


(堂々名乗りを上げてみたい気もしますね。あっけに取られる敵兵の顔が見られれば、どんなに心地よいことか。けれど今回は奇襲を優先すべきでしょうね。驚きに恐怖が混じった表情も、また甘美なのですから)


 現代日本風に表現するのなら「サイコパス風」の思惑。とはいえ正確な「精神病質者」としてのサイコパスと彼女は違う。感情――良心の欠如が見られるわけではないからだ。


 彼女は他者を殺める行為に対し罪悪感もあるし、利己主義的な考えを持っているわけでもない。ただし善人とは程遠い。なぜなら罪悪感がある状態は、イコール口へ甘い蜜が流れている状態だからだ。つまり狩りにおけるスリルを楽しむがごとく、悪事における罪悪感へ身を震わせて楽しんでいた。


 結局、彼女は彼女の言うとおり「度し難い」存在なのだ。フードの下からのぞく端麗な顔へ微笑を浮かべているのも、今から人を殺める者の表情としては、まったくもって度し難かった。


(やはり壁を突き破って入るのがいいでしょう。()()()()()()()()()()と思われている部分こそ、奇襲における絶好の位置と相場は決まっています)


 彼女は低い姿勢のまま身を翻し、石壁を沿って移動をはじめた。夜風が彼女を「この女は危険だ!」と避けてとおり、収穫直前の麦畑をさぁっとなでていく。それがすっかり去った頃に、小麦色の肌の女は駐屯地の側面へまわりこんでいた。


 駆ければ数秒で高い柵へと到着する距離。彼女はひとつ、魔術を放る。


「――<獣化せよ(我は魚にあらず)>」


 緑の霧がざわりとあらわれ、円を作って収束した。ずしりとおおきな音がしたのは、4本の太い脚が地面へと突き立ったから。そして――


 ――ドッ! 直後、彼女は暴風と化した。


 大量の土が地面と生き別れになったのを嘆きながら舞い上がる。目指す先は駐屯地をぐるりと囲む柵。目指す、といっても、もう文字どおりに目と鼻の先。


 木の柵の砕ける騒々しい音がした。破片がバァンと四方へ飛び、数人の命を串刺しにした。


 なおも止まらぬ巨獣ベヒーモスは、点呼のため整列していた数十名の兵士たちへ減速なしに突進していく。


「――な、なんだぁっ⁉︎」、そう口にできた兵士はおよそ10分の1程度。巨獣の進路から逃走できたのは、さらにその3分の1程度。残りは音も発せず、完全に立ちすくんでしまっていた。


 そんな兵士たちの表情――困惑、驚愕、恐怖を足し合わせた顔を嬉し気に見おろしながら、ヴィルヘルミーナは命の集団へ突入した。


 ――悲鳴、金属音、断末魔に破裂音。そんな死の音色がベヒーモスのまわりのそこかしこで響く。楽器の演奏としては乱雑にすぎ、合唱としては混沌すぎるそれは、まさに戦場の音だった。


 魔界のヴァルキュラが好むところの。


 10名ほどの兵士を殴殺した彼女は首を上へそらし、おおきな頭を天へ掲げる。思いっきり息を吸うと、風呂の栓を抜いた時のような、というよりも池の底に栓があり、それが消失したかのような、ごぉぉという音が響き渡った。


 たっぷり息を吸ったあと、彼女は頭を振りおろす。同時に、腹の底から吼える。この世の管楽器をすべて集めて一斉に吹き鳴らした音に負けない、大地をゆるがす咆哮を。


 それはこの戦いにおけるギャッラルホルンの音だった。


 今からトリグラヴィア王国首都メスト・ペムブレードーは、戦火に包まれるのだ。

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