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笑うノコギリエイ 後編7

 ゴーレム騒ぎから2日経過した9月6日。フローレンスはひとりで街を歩いていた。事後処理が済んだとはいえ、まだ2日。体は疲れ、心は疲弊で押しつぶされそう。足取りもどこかぼうっとしている。


(あの時イズキさんが助けてくれなかったら、私は肉塊になっていたのでしょう。ギャエルさんたちと同じように……)


 なんとか生き残った自分を、彼は彼はいろいろな言葉をかけてなぐさめてくれた。悲しみ、後悔、自身の無力さなんかの、からみあったさまざまな感情を、ひとつひとつほどいてくれた。


 本来ならベッドで眠っているべきだっただろう。けれど失ったふたりの冒険者のことが夢に出てきそうで、外の空気を吸うことにした。


(ああ、できることであれば、ちゃんとお礼を言いたい。けれど彼はどこに……)


 それにイズキを見つけてお礼を言いたかった。いや、礼を口にするだけが会いたい理由ではない。彼にはどこか人を惹きつける魅力があって、少しでも一緒にすごしたいと感じていた。


 この広い街の中、誰かにたずねることもしないで人ごみを歩いていく。広い草原で、四つ葉のクローバーを探すかのように。見つかりっこないのに、心が疲れた彼女には、自分の行動を是正する余裕すらなかった。


 しかしそこに四つ葉はあったのだ。誰にとっての幸運かは別としても。


「荷をあらためさせてもらおう!」「お、お許しを! こんな私から荷物を奪おうというのですか⁉︎」


 声へはっとして顔を上げる。そこには荷車を引く貧しそうな商人の老人と、それを問い詰めている数名の警吏(けいり)――治安維持のための行政官がいた。


「なにが『こんな私』だ! いいからそれをこちらへよこせ!」、警吏の言いぐさは一方的に思えたし、かなり高圧的な振る舞いにも感じた。まるで強盗のような荒々しさすらあった。


「お、お願いです! これがなければ私は飢えてしまいます!」、一方の老人は気の毒に思える。薄汚れた服、細い四肢も相まって、あの荷を警吏に奪われたら本当に餓死してしまいそうなほど。


 街の人々はその光景に、見て見ぬふりをしているようだった。警吏という特権階級相手に、物申すことなどできない。だから嵐の日のように、身を潜めてじっとしているのだ。


(そんな……。これが私たちの街の情景なのですか?)


 フローレンスはショックを受けた。父が治めるこの街では、こんな()()がまかりとおっているのだと。それは決して正しくないだろうけれど、異を唱える者など誰もいないのだと。


 警吏の姿と、父の姿が重なる。厳しい義務を押しつけてくる、この地の領主のことを。


 でも――彼があらわれたのだ。


「なにしてんだ⁉︎ やめろ!」、イズキの声。窮地に誰かがあらわれるのなら、それは俺しかいないと言わんばかりに。「そんなご老人を痛めつける気か⁉︎ お前らいったいなにさまなんだよ⁉︎」


「警吏たる我らの邪魔をするか? 冒険者風情が? 我々は辺境伯の権限の元に行動しているのだぞ⁉︎」


「権力を笠に着るのかよ! 最低だな、お前ら! いいか、もういちどだけ言うぞ。その老人の元から立ち去れ!」


 バカなことを、警吏はそう口にして腰の剣を抜いた。シャラン! と鳴った刃が、するどい怒りの音をしていた。けれどイズキは動じない。「警告はしたからな」とつぶやいて、左腕を前にかざす。


「<雷魔法・感電円エレクトリック・ショック>!」


 ビシシ! そんな音がした。直後に警吏たちはギャッと叫び、白目をむいて昏倒した。イズキは強い口調で声をかける。


「誰にだって生きる権利くらいあるだろ! 命を持つ者が最優先するべきことなんだぞ! それを取り上げる行為ってのは、どんな状況だって許されるもんか! しばらく寝てろよ!」


 彼は生徒をしかりつける教師のように言い放った。彼は彼で警吏たちがどんな事情の元行動したのかを考えていなかったし、正義を振るった自分へ過剰な自尊心を感じてもいた。しかし、時に権力や権威が生命よりも重要になる世界を知っていたフローレンスにとって、それは耳の痛い言葉だ。同時に、彼の言い分が正しいこともよく理解できた。きっとこの広場にいる人々だって、本能的には理解しているはずなのだ。


 行動に起こせるか起こせないかという違い。そして行動に起こせる者は多くない。


 すぐに広場は「なにが起きたんだ!」とざわついていく。「警吏が倒されたぞ! 誰かほかの警吏を呼べ!」「おいおい、いくらなんでもやりすぎじゃないか?」「いや、正直すっきりしたね。よくやった! そこの冒険者よ!」「すっげぇ!」、口にするのはみなバラバラの意見。ともかく喧騒がその場をおおう。


「あちゃ~、またやらかしたかな? じいさん、大丈夫か? 早く逃げろ。俺もそうするよ」、頬をかくイズキ。老商人のお礼へ片手を上げて応え、彼は軽快な足音とともに走り出す。


 彼が狙ったわけでもなかったろうに、その方向は不思議とフローレンスのいる場所だった。


「い、イズキさん!」「フローレンス⁉︎」


 おたがいの驚く表情。なんでここに? と同時に口にしてしまう。しかしおのおの状況を話している暇などなさそう。騒ぎを聞きつけた別の警吏が、遠くから走ってくるのが見えているから。


「イズキさん、こっちです!」、勇者の手を取りながら、領主の娘は走り出した。「普段冒険者が利用しない宿があります! そこなら警吏もきません!」


「い、いいのか? すまん、ありがとう!」


 手を握っていたのは、ほんの1分にも満たなかった時間。けれどその時間は、フローレンスにとって忘れられない時間になった。


 1時間後、宿屋の1室へ2名の仲間――フルールとフェリシーという冒険者が合流した。そしてその片方に「このトラブルメーカー!」と怒られるのをかたわらに聞きながら、フローレンスは微笑みを浮かべていた。


 領主の娘として、罪人をかばうというやってはならない行為をしたにもかかわらず、彼女は荒野で気のいいキャラバンと出会った時のような安堵の表情をしていたのだ。


(ここは……暖かい場所ですね)


 けんかしている光景をうらやましく思った。自分もそこに入れるなら、そうしたいとすら思った。そんな自分へ「なにを寝ぼけたことを」と苦笑する。いつまでも彼らの元にいられないのだから。


 けれど冒険者たちはそんなものを気にしない。「ごめんなさい、イズキが迷惑かけちゃって」、赤紫の髪をした軽戦士フルールが、心底申し訳なさそうに謝罪する。「なにかおわびに、と思うけど、とりあえずお昼ご飯をおごろうかなって」


「いいえ、悪いですよ」と言いかけて、フローレンスは言葉を呑みこんだ。4人で食卓を囲む楽しそうな光景が脳裏へ浮かんだから。だから「ええ、ありがとう」と受け取ることにして、昼食をともにした。


 1階にある食堂の奥まった場所。フルールは「あなたが領主の娘だったんだ! うわさに違わずたしかに美人ね!」と目を丸くしつつも、拒絶する様子はない。水色の髪の斥候(スカウト)、フェリシーにいたっては「いいねぇ、お礼ならいくらでも受け取るよぉ」と状況を楽しんでいる様子だった。


 そしてイズキも。「いやぁ、人助けになりゃいいかなって思ったけど、助けられたのは俺だったってオチだな。フローレンス、ありがとう」


「お、お礼なんて。私が生きているのは、あなたのおかげなんですから」


 領主の娘は、あらためてお礼を言った。それに「いいさ」と応じるイズキ、「無事でよかった!」と自分のことのように喜んでくれるフルール、「お礼ならいくらでも受け取るよぉ」とさっそくデジャヴを味わわせてくれるフェリシーが続く。肩ひじ張らないでいい雰囲気に、フローレンスはめずらしくおしゃべりを楽しんだ。


 自分の取り巻きを遠ざけて4人ですごす時間。今までの人生で味わったことのないほど楽しく、開放的なひとときだった。でも1時間ほど経過したころ「そろそろ家に戻らなければならないかも」と、フローレンスはさみしそうな顔をした。


 それを3人の冒険者は見逃さなかった。私たちでいいなら聞くよ、心配ごとがあるなら話しちゃいなよぅ、そんな言葉が彼女へかけられる。それはゴーレムに殺されてしまったふたりの冒険者と同じ、安心感のある響きをしていた。


「実は……私の生活は――」、フローレンスは抑圧された現状を打ち明ける。長年ためこまれた水が堤防の上を乗り越えるかのように、一気にしゃべる。


(会ったばかりのかたに、私はなにを……)


 そう思うも止まらない。思いをこめすぎたか涙までにじんできた。


 けれど3枚の葉は、もうひとつの葉を歓迎した。それは幸運のしおりが人生に差しこまれるかのように。


「そんな親父ほっとけよ! よかったら、俺たちと一緒にこないか?」「冒険者になっちゃいなよ!」「そうだねぇ。いいかもねぇ~」なんて、3人は口をそろえる。


 フローレンスの心へ、彼らの提案がなんどもエコーをかけながら鳴り響いた。繰り返し鳴る音が心へ溶けこむようにちいさくなっていき、ついに聞こえなくなった時、彼女は「ああ、もう今しかないんだ」と感じた。


 学生寮や家はいつも私に暗い顔をむけて出迎える。目の前の人たちは違う。底抜けに明るく、自分で道を選んで歩いている。


 彼らは違う。もしかしたら、自分も。


 問題になるだろう。でもこの機会を逃したくない。


「もう一度言うぜ? 一緒にこい!」、そう言って差し出されたイズキの右手を、彼女はぎゅっとつかんだ。


 それは、母親の手と同じ温かさに思えた。


 少なくとも彼女は、()()()()()()()()()のだ。

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