笑うダンジョンマスター 17
2022年8月8日、夕方。
王都メスト・ペムブレードーには、王城以外に3つの古城がある。古い時代は3つの国が共同統治する街だったがゆえ、おたがいを牽制するために建築されたものだ。ひとつは街を見おろせる丘の上に、ひとつは郊外の小川を取りこむように、ひとつはアクセスのよい市街地の中に。3勢力がトリグラヴィア王国としてひとつになった現在では、それぞれ有力者の居住地として使われている。
商人ロッケ・イェンス・ヨーエンセンはそのひとつ、丘の上の古城にいた。そこは今回協力関係にある貴族の居城だった。
彼はスースラングスハイムの息がかかった商人であり、トリグラヴィアでのクーデターの現場指揮官、なにより「東の蛇」イヴェルセンの腹心だ。黒幕の重要なひとりであり、となると当然肝の座った人物でもある。柔和な笑み、やわらかい物腰、されどおのが利益を追い求め、仮面の裏には冷笑をたずさえるといった、まさに悪人だった。
そんな彼も今日は落ち着かない。城が貴族の用意した私兵たちに守られているとはいえ、今からなす大事を思えばそれでも到底足りないくらい。心配ごとから心配ごとへ、思考も目線も行ったりきたり。
今はクーデターの前夜なのだから。
とはいえ、彼が恐れている相手は敵でなかった。他ならぬ味方、主人をなによりも怖がっていた。だからその男の前に立っている彼は、緊張で落ち着きがない。
ヨーエンセンがいるのは暗い部屋だった。窓もない円形の石造りの部屋で、入口は上に登るためのはしごだけ。たった3本のランプだけが明かりを放っており、およそ色彩といえるものがその火のオレンジしかないような場所なのだ。地下牢――本来の意味でのダンジョンだから、当然ともいえる。
今日ここにいるのは囚人になったから、ではない。1匹の蛇とひとりの人間に会うためだ。片方はイヴェルセン、そしてもう片方はウミヘビの国が雇っている勇者。非常に緊張を強いられるふたりだったから、ヨーエンセンは「ここは蛇牢に違いない」と冗談を考えて、精神の均衡をたもっていた。
そんな彼の心持ちを知ってか知らずか、全身に蛇のいれずみを持つイヴェルセンがゆっくりと口を開ける。すり鉢のような歯の間から出た言葉は「で、どうだ」。現状の報告と作戦の成功率を聞く、端的な言葉。同時に合流したての勇者へ、情報の共有をうながしている。
商人はイヴェルセン――自他ともに認める高速を好むウミヘビの前で、彼の知っている情報を再度報告しなければならないという事態に対し、そう命じられたにもかかわらず後ろめたい気持ちになった。むろん、そんなことで言いよどむことなどないくらいの度胸は持ち合わせていたが。
「スラヴコとは書簡――ゲッシュ・ペーパーによる契約を取り交わしました。護衛として傭兵隊の腕利きをつけています。ことがはじまったら王城に攻めこみ、王へ退位をうながす手はずとなっています。もちろん、ディラン様もそちらに合流をいただきたく」
ヨーエンセンはちらりと勇者を見やる。視線の先には黒いクロークを着た色白の男。ディラン・ドウェイン・ドイル、それが彼の名前だった。氏名の頭文字がすべてDだから、少々奇妙でもある。本名かどうか疑わしいところだ。
フードからのぞく彼の口元は弓のように笑い、肌は引き絞られた弦のように張りがある。商人はこの男とほとんど話をしたことがなかったが、若者といっていい年齢であることくらいは知っていた。
「うん、いいよ。僕の力が必要だもんね」、そのディランが返答した。「まず騎士団連中を飲みこみ殺す。次に国王へ要求を飲ませ、退位させる。最後に僕らの思うがまま、この国家を飲みこむわけだ。悪いこと考えるね、ヨーエンセンも」
「ええ、商売ですから。ともあれあなたが国王交代の舞台を用意してくれること、感謝にたえません」
余分なことを言わないよう、商人は最低限の礼を返した。すぐさま情報共有の続きを口にする。
「本日の深夜23時、作戦は開始されます。傭兵隊はのろしを上げ、トリグラヴィア王城や兵の駐屯地に殺到します。貴族たちも同様に。一方テクラ・エレフテリア系の両冒険者ギルドには、本クーデターに対してあえて態度を保留させます。事情を知らない所属冒険者たちへクーデター阻止の動きをさせないためと、知っている冒険者たちが先走るのをふせぐために。ちなみに世界樹のギルドには接触していません。あそこは魔王たちの息がかかっていると思われますから、この際無視します」
「いいんじゃない? 世界樹のギルドは戦力も少ないし、まとまりもないしね。続けて?」
「商人たちも同様に動きません。彼らにはことが終わったら新国王を支持する役割がありますゆえ。教会は中立をたもつでしょう。こちらも動くことはないと断言できます。そして最後に、その他の民衆たち。彼ら彼女らこそ重要な者たちです。なにせ観客なのですから」
もういちど、商人は顔の正面をディランへむけた。「民衆に対する扇動については、あなたのお力を借りることになります」と、勇者が持つとびっきりの剣を抜き放つように要請するために。
「ははっ! わかってる、わかってる。楽しみだね、ヨーエンセン。僕はみんなをだまくらかして、君は利益を手に入れる。イヴェルセンは栄光を、我がスースラングスハイム国王のエルフレズ10世は国家の安定をつかみ取るってわけだ」
フードの下でニコニコと、屈託のない笑みを浮かべる。「それにしても君たち蛇は怖いね。地球でもあっちこっちで蛇は悪者に仕立て上げられていたよ。神話なんかでさ」などと口にして、クロークのすそを上機嫌にゆらした。
けれど彼はそこに懸念をつけくわえる。「でもさ、魔王も蛇でしょ? 彼女だって怖いんじゃない? すべてが僕らの思いどおりに進むと思えないな」
「そうでなくてはならん」、いれずみ男が低い声で割りこんだ。「懸命に死へあらがい、手にした手段を出しつくし、最後の血の一滴まで大地へこぼしてもらわねば。そうやって赤黒く染まった床の上へ、我々は玉座をすえるのだ。今後我らを見る者すべてが畏怖をいだくようにな」
「はぁ、もう。イヴェルセンさ、意外とヒロイックだよね。君がただ成功するためだけに――演出なんかに力を割かないで行動したのなら、もっと効率的にできたんじゃない? 正直、今回はちょっと拙速に思うよ? もっと準備してからでも、『王座』は逃げないと思うけど」
王座の部分を強調するような話しかた。あきれるように、けれど楽しそうに。彼がそうしたのは、王になることがイヴェルセンの願望だったから。
ウミヘビ男はその言動にあやしげな笑みを浮かべた。ほほのいれずみがぐにゃりとゆがんで、そこに刻まれた蛇の身を楽し気によじらせる。
そして堂々と言い返すのだ。
「魔王の座は簒奪されるものだ。そのためには前の王の劇的な最後が必要だ。英雄的であろうとすれば、英雄のように血を流さねばな。それが元国家守護獣たる、私の考えなのだ」
「『考え』じゃなくて美学でしょ? ま、恋人としては『僕は君のそんなところに惚れたんだよ』って言ってあげようかな」
「毒のように甘い言葉をささやくものだ」
もしなにも知らない者がふたりの会話を聞いていたのなら、その情報量にめまいすらしただろう。イヴェルセンは魔王の座を狙っている。彼は元国家守護獣である。そして勇者と恋人の関係にあるのだ。同性同士、というのはこの世で珍しくもないが。
ある程度事情を知っている商人ヨーエンセンですら、頭へクラリとした感覚を覚えた。立ち眩み、といっていい。しかし椅子を求めている場合ではない。自分だって悪事をなそうとする一味の一員なのだから。
喉元まで出た「おふたりとも、よろしいですか?」などという無礼な言葉を飲みこんで、詳細な作戦に話をうつした。そして報告しながら思い出すのだ。
自分もこのイヴェルセンとディランというふたりに魅力を感じ、ことを働こうとしていることに。
このふたりなら世界を、悪人なりの矜持でもってうまく統べるだろうという、うろ暗い予感を持っていることに。




