笑うダンジョンマスター 16
Bifröstは虹の橋。「ぐらつく橋」という意味を持つ、人間の世界ミズガルズと神の世界アースガルズをむすぶ橋のことだ。そこの一番上にある赤い表面へ、青い毛並みを持つ足が、川を進むロングシップのようななめらかさでもって歩を進めていた。バルテリ――魔界のフェンリル狼だ。
背中にしつけられた座席には、魔女と夢魔が寝息を立てる。イーダは戦いの直後に気を失って、リリャはその手当をした後に疲労困憊で眠ってしまった。ついでにカメラがわりのネコヘビもイーダの外套の下で丸くなっているから、狼は会話相手もいないままに虹の橋を渡っていた。
(虹色か……。これはなんの暗喩なんだろうな)
「ここが虹色なのはダンジョンメーカーがなにかをたくらんでそうしたのかもしれない」と、いらぬ警戒をしているわけではない。「ものごとすべてに意味がある」などと哲学的なことを考えるつもりもない。ただ単に少々時間があったから考えてみただけなのだ。
なぜなら全力で走ることができないから。自分もけがをしているからあまり速度を出したくないし、背中の負傷者ふたりに強い衝撃をもたらしたいとも思わない。
(たとえば橋が軍隊だったなら、それぞれの色は各種兵科か。赤はパイク兵、オレンジはハルバード兵、黄色の両手剣兵に緑の弓兵。水色の散兵に青い騎兵。一番下ですべてをささえる紫色は、輜重兵とでもしておくか)
軍務大臣らしいたとえかた。魔王だったら虹色を見て、ポリティカル・コネクトレスをからめ、気の利いた台詞のひとつも言っただろう。が、少なくともバルテリはそうしない。ただ、虹を社会にたとえることくらいは考えてみるのだ。
(橋が国家だったらどうだ? 農民、狩人、職人、商人。一番下は政府になるのか?)
7種類をそろえることもできなかったのは、考えがまとまらなかったからだ。たとえる対象がおおきすぎて「獣の手にゃ、ちとあまるな」と、ひとりで苦笑してしまった。
ならばとばかりに範囲をしぼる。たとえばカールメヤルヴィ、いやヴィヘリャ・コカーリならどうだ、と。
そしてそこまで思考を進めると、いつぞやの魔王のため息が聞こえた。「青、黒、緑、黒って。かぶっているし、暖色が欲しかった」
「ははっ!」、ついつい声を出す。「ああ、そういう意味だったのか」と今さらながらに納得したのだ。きっと魔王様は虹色を作りたかったのに、いつまでたっても寒色だらけの魔界へ肩をすくめたのだと。ドクを入れたところで灰色(もしくは白黒のまだら)が増えるだけだし、クリッパーやノエルも暖色とはいえない。
(なら、この魔女は何色なんだろうな?)
黒い帽子に黒い髪。トレードマークは白樺の枝。どこをどう切り取ってみても、やはり暖かみのある色はない。
とはいえ――
(本当は、この虹のどこかみたいに、あざやかな色を持っているんじゃないのか?)
ふと、そんなことを思ってしまう。時々見せるひまわりのような笑顔だったり、オージンの隠し子かと思うくらいの情熱的な知識欲だったり。なんというか彼女の存在は、暗殺者集団である自分たちをずいぶんと明るくしてくれているように感じているのだ。
裏を返せば「彼女は魔界にいるのが一番幸せなのか」という、少々胸にもやのかかる疑問もあった。たしかに彼女は勇者イズキの対抗召喚で呼び出された者で、魔界の戦力になるため地球から連れてこられたといっていい。だがそれは彼女の本質を無視しているような気もする。
彼女のいた『日本』という国は、地球上でもトップレベルに平和で、かなり裕福といえ、そこだったらいくらでも生きるための選択肢がある場所だと聞いていた。そんな環境からフォーサスにきてしまったから、彼女の生きる道――人生の分岐路が、いくつか通行不能になってしまったのかもしれない。
狼がそんなことを思ったのは、大けがした彼女を見たからだった。正直、彼女は死にかけたといっていい。狼は「それが正しい道だ」と思えなかったのだ。
(本当はやりたいことがあるんじゃないのか? たとえばどこかの大学で教鞭を取りながら研究を続けたいだとか、それこそドクの下で働き、将来的には自分の工房を持ちたいであるとか)
それが虹のどの部分の色かはわからない。けれど寒色以外の選択肢だって、彼女にはあったはずだ。
(しかし……ジレンマだな。実際のところ、俺らはイーダを戦力として当てにしている。今のところ彼女に変わる魔女なんて、カールメヤルヴィにいやしないんだから)
それに、時々顔を出す太陽みたいな明るい笑顔の者も、ヴィヘリャ・コカーリにいやしないのだ。
思考が一周まわって、結局のところなにを考えていたのか、ようやく狼は理解した。
つまり自分は、イーダ・ハルコという人物が魔界を去ってしまうことに少々恐れをいだいているのだ。曇り続きの毎日に明るい日差しを入れてくれる彼女のことが気に入っているのだ。きっとドクに言わせれば「ビタミンD」なる栄養素だろう。人間、それがないと鬱になるらしいから。
きっとそれは2羽ガラスも同じ。あいつもイーダを気に入っている様子。
(いやいや……やめておこう。ドクに止められたばっかりだ)
戦闘での疲労のせいか、だんだんと思考も弛緩してきた。とはいえ登り切るまではまだ30分以上かかるだろう。
そこで彼は「ひとりでケニング・クイズでも考えておくか」などと、これまたくだらない遊びをはじめた。
最終的にイーダ・ハルコへ「魔族たちのビタミンD」なる不名誉な別名を思いついたところで、ようやく虹の橋は終わりを告げたのだった。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
魔王たちと勇者たち、魔女の一味は、1時間程度の時間差で全員が合流をはたした。
「さすがにまだ起きられないでしょうね」、3つの道が合流した広間の中、魔王が魔女の顔をのぞきこんでいる。心配そう、というものではなく、どこか満足そうなことに潜水艦アイノは気づいていた。
あの顔は「いたずらでもしてやろうか」という意味だ。いや、もはやいたずらするのは決まっていて、「顔のどこになんて書いてやろうか」という具体的なことを考えているようにも見える。
そこでアイノは迷いなく、イーダの腰の荷物を漁った。きっとペンとインクがあるはずで、それはもうワクワクしながら「まぶたに目♪ まぶたに目♪」と悪戯音頭を口ずさみながら。
「やめてやれ、アイノ」、止める国防大臣の声には耳をふさぐ。
ついでにこそっと「<Hydrophone>」、聴音魔術で心音を確認。ちゃんと元気に動いているから、魔女はそのうち目を覚ますだろう。
もうひとつ、ついでがある。えへら、と顔をゆるませながら、彼女は右手へダガーを持った。
――シャッ! 空気を切り裂くするどい音。着弾地点でギャッという鳴き声。
天井にいたウミヘビのカメラが、ふたつになって落ちてきた。Hydrophoneを立てた潜水艦の間合いで、無警戒にニョロニョロ動いたのは失策といえた。
「命中。ようやくしとめられたよ」「お手柄よ、アイノ」、喜んでいるのだろうが、もともと笑顔だったため、彼女たちの表情は変わらない。まるで田舎道を楽し気に歩く際、邪魔になった石ころを足で蹴り出したくらいの感覚だ。
勇者と恋人は肩をすくめた。「そろそろノリにも慣れてきたな」なんて具合に。
悪童潜水艦はそのリアクションがちょっと物足りなくて、わざわざ死んだ蛇(の前半分)を手に取り、夢魔レインへ差し出す。「食べる?」
「いら……ない」、夢魔は顔をしかめた。けれどそれにしては、あきらかにのどが痛いといった声だ。さっきから時々咳払いもしている。ならば、と勇者へ蛇の顔をむけた。こちらもこちらで「やめ……ろ」と、ざらついた声を返してきた。
(本当にのどを痛めてるな)
先ほど本人たちから聞いた話では、ニヴルヘイムの試練を乗り越える時、毒の瘴気を吸いこんでしまったのだという。命に別状はないものの、しゃべるのはかなり難しそう。
これは罵詈雑言を浴びせかけるチャンスなのかもしれないと、妖怪悪辣娘はほくそ笑んだ。もしくは聞いているほうが恥ずかしい台詞を吐いて試練へ挑んだことに、冷やかしの言葉をたっぷり浴びせかけるのもいい。それはもう、バケツ1杯2杯といわず、悪口のメインタンク・ブローを行って。
その空気を読まないたくらみは、潜水艦に比べれば多少空気の読める魔王によって阻止される。
「さて、勇者。私はあなたに聞かなければならないことがあるわ」、魔王はそう言ってグリーシャの顔をのぞきこむ。彼が無言のまま、表情で「なんだ」と返すと、「それはね――」と言葉を続けた。
「いわゆる『本人性確認』よ。あなたが敵と入れ替わっていたりしたら、たまったものじゃないもの。のどを痛めているから話せないっていうのも、なにかあやしいし。ゆえに質問をひとつさせてもらうわ」
なるほどなぁ、とアイノは思った。リリャ(オンニ)がアム・レスティングと入れ替わったのと同じく、もしかしたら勇者とその恋人がウミヘビと入れ替わっているかもしれない。
了承するようにうなずいた勇者へ、魔王は突拍子もない質問を放る。「オーストラリアの首都は?」
「シド……いや」、あきらかにいいよどむグリーシャ。地球の知識がある潜水艦には、この楽しい状況がよく理解できた。
(そっかそっか。地球の知識ならウミヘビたちがわからないもんね。でもさ魔王様。きっとそれって半分くらいの地球人が間違える問題だと思うんだよね! いいね! いいチョイスだよ!)
なにもいいことはない。正答を言わせるための問題において、ややこしい質問をする必要などないのだ。しかし性悪潜水艦は、この絶妙に意味のない嫌がらせのような質問をおおいに気に入った。しかも勇者が答えを知らないらしいのがまた、「とてもよい塩梅だな」と思った。
「シドニー、では……ない、はず」「キャンベラよ。勉強なさい」、予想どおりに楽しい反応。くやしがる勇者の顔が心地いい。もっと困らせたいと思って、潜水艦も質問を出す。
「パプワニューギニアの首都は⁉︎」「しら……ねぇ」「ポートモレスビー!」、無意味な会話。
好き勝手絶頂な潜水艦は手に負えなくなってきた。悪いことに制止役のイーダも寝ている。
引き続き潜水艦が「スリランカの首都は!」ととびっきりの一問を出そうとした時、見かねたバルテリが口を開いた。もっとも、彼には口を開く別の理由もあった。「魔王様よ、それからアイノ。今のは本人性確認とやらの質問としちゃあ、よくねぇかもしれねぇ」
「あら、それはどうしてかしら?」
「イーダと戦った相手から聞いたんだが、やつらも地球の知識を持っている様子だ。その知識の裏には、まだ見ぬウミヘビの勇者が一枚噛んでいるんだろう。もしこいつらが化けているとしたら、今の問題には答えられて当然なのさ」
「そう。それならまず、あなたは本物ね。そうじゃなきゃそんなこと教えないでしょうし」
即座に切り返した魔王へ、バルテリは苦笑を返す。ついでに「あんたが偽物じゃなかったらな」と皮肉もひとつ。しかし状況は好転していないから、表情をまじめに戻して「別の質問を」とうながした。
「実はね、バルテリ。私もそれは予想していたわ。けれど残念ながら効果的な質問がないのよ。ゆえに、今は『不要でしょう』と判断しておく。地球人でも回答に困るような質問をしたのはそのためよ。迷いなく答えられたら、逆にあやしいって判断しようと思って」
「ああ、わかったよ、魔王様。たしかに妙案が思い浮かばねぇや。となると、もうひとつ伝えておきたいことがある」
バルテリは倒れているイーダを見ながら、鼻で息を吐いた。日本生まれの彼女にとって、3番目の同郷の敵を予想していたからだ。
「敵からイーダへ、日本の硬貨についての質問があった。もしかしたらその勇者は日本人かもしれねぇ」
「また日本人? 彼らとIsekaiとは切っても切れない仲なんでしょうね。彼らから異世界を取り上げたら、なにが残るというのかしら?」
「少なくともこの世は残るぜ。異世界人たる俺たちにとっちゃ、これからどうするかが問題だ。まずはここを出ねぇとな。で、その後だが……」、狼は主人を見て、その意思を確認する。「あらためて聞くが、クーデターを阻止するってことでいいのか? 言っちゃ悪いがよその国のことだ。報酬だけ受け取って帰る選択肢もあると思うが?」
「答えはわかっているでしょう? ヤネスがいいっていうなら、あいつの味方をする。ウミヘビの関与は間違いないって判明したし、やつらは私たちにも牙をむいたのだもの。それに国益も守らなきゃ。トリグラヴィアがキマイラ同盟5つ目の国になるのは、2大大国との摩擦をおおきくするわ。間違いなくカールメヤルヴィにも影響がある」
「ま、そうだよな。わかったぜ」、狼はすぐに了承した。彼にだって見すごせない事態だとわかっていた。それでも聞いたのは、国を背負うひとりの大臣としての責任感だ。国家間の紛争への介入をするのだから、ちゃんと言葉にしてもらいたいと思ったのだ。
バルテリは身をかがめると、イーダを背中へひょいっと背負い、視線を潜水艦に移動させた。「アイノ、さっそく任務だ。リリャを頼む」
「了解大臣!」、こちらも夢魔をささっとかつぐ。意外と馬力はあるのだと、ふんすと鼻を鳴らしながら。
魔獣の姿になってふたりを背負えれば楽だったが、この先の通路はそれほど広くない。だから人の身でエッチラオッチラと歩いていくしかなさそうだ。とはいえ地上へむかう1本道のように見える。出口だって、そう遠くないはず。
一行はぞろぞろと連れ立って、広間から通路に入っていった。ふたたび飾り気も分岐路もない道を、ただひたすらに歩いていく。
そうやってしばらくした後、バルテリは「そろそろいいか」と魔術をひとつ行使した。青歯王の力を借りて、魔王と精神会話をするために。
(魔王様よ、イーダはペナルティを受けている様子だ。聞き耳を立ててたところによれば、ウミヘビからの簡単な命令に1回だけ従わなきゃならんらしい)
(それが本当だとしたら、これ以上イーダを任務に就かせるのは危険ね。なにが起こるかわからないし)
(同意見だ。それにけがもしている。トリグラウ城に戻ったら、いちどカールメヤルヴィに返すべきと思うぜ)
(許可するわ。それにリリャもね。魔界でドクに治療させましょう)
話の内容は今後について。ふたりはイーダとリリャを戦線離脱させると決めた。魔王の反応がどうであれ、バルテリはこの意見を押しとおすつもりだったから、まずはほっと胸をなでおろす。
これ以上、この少女を戦わせるのはよくない。少なくとも治療させ、「簡単な命令」なる言葉ほど軽くない敵の必殺の一撃から遠ざけてやるべきなのだ。そうでなければ、最悪彼女を失うことになる。
この期におよんで、戦力ダウンは非常に痛いが。
(で、どうするんだ? アイノは魚雷を使い果たしている。スースラングスハイムにも勇者がいるんだろ? どうやって対処する?)
(サカリ次第ね。あいつが集めた情報を精査して、私たちがどこまでやれるか考えなきゃならないもの。けれど墓地へ歩を進める時、影におびえ続けるわけにもいかないでしょう?)
(まだ姿を見せていない相手に対して過剰な心配をするべきじゃない、か。もしヤバくなったら?)
(ハンカチを噛みながら、尻尾を巻いて逃げるのよ。私があなたたちに「死ね」と命令する時は、そうしないとこの世界がなくなるって時くらいにしようと思っているから)
(承知した。なんにせよ、まずはサカリを当てにするか)
ここにいないカラスがどれくらいの仕事をしているか想像もつかない。しかしあの男のこと。
どうせこちらが驚くような結果を手に入れているに違いないのだ。
「ま、今はゆっくり進むとしようぜ」
狼は早くも戦意を感じ、アドレナリンを分泌する体へ待ったをかけるように言った。
戦い続きで疲れた体を少しでも癒し、次の戦い――国防大臣としてなんとも楽しい時間へ、舌なめずりをするために。




