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笑うダンジョンマスター 15

 巫女の攻撃を防ぎきれず、イーダはついに手傷を負った。額からほほをとおってあごへたれるのは、焼けるように熱い、粘り気のある液体。つまり血液だ。


 転生して1年近く、こういう傷を負ったことはなかった。擦り傷や打撲はあったけれど、出血をともなうものではなかった。だから年端も行かぬ16歳の少女であれば、痛みに体を丸くして、叫び声を上げてもよかったはずだ。


 でも彼女はそうしない。心の中では強い戦意が、体の中ではアドレナリンが、それぞれ「早く考えろ!」と魔女へ鞭を入れていたのだから。


 相手の問いは「前に進む時は太陽と手をつなぎ、後ろに戻る時はその手を放す。その言い分は人々へ強い影響をもたらし、歩く速度を決めさせるが、常に正しいとはかぎらない」。


(太陽と一緒に進む? 戻ることもあって、その時は太陽と一緒じゃない?)


 頭で答えを探す。体は(イング)にすべてをまかす。体内で英雄――ユングヴィの加護がニヤッと笑って、敵から距離を取りたいと本能的に後ずさりを求めた両脚へ、「前に進め!」と正反対の激励を入れた。


(歩く速度を決めさせる? でも間違っていることもある? それって――)


 体の動きと思考の不一致。それはとても奇妙な行動といえた。四肢はイノシシのように猛進しているのに、表情は戦士のそれではないのだ。


 ゆえに追撃へ前進しようとしていた黒い獣は躊躇した。ほんの一瞬だけだったけれど、英雄にとって十分な時間だ。


(そうか! わかった!)


「答えは『時計』だっ!」、言い放った言葉が巫女の耳に入ると同時、両手の斧が巫女の体へのびる。「正解だ」と口にする暇なんてあたえない。


 3枚目の鎧がなくなった直後、巫女の胸へ刻まれたのは、赤くおおきなバツじるし。パッと舞い散る鮮血と一緒に。


 ギャッ! にごった声を出し、魔物はさっと飛びずさる。着地して歯を食いしばる彼女は、とうとう顔へ強い怒りを浮かべた。


 わなわなと全身を震わせながら。


「アアアッ! 腹立たしい! お前は絶対に許さない! この私に血を流させるなんて!」


(致命傷じゃない。でも怒っている。あれは深手だ。もう1撃入れれば倒せるんだ!)


 もしくはもう1問答えればそれで終わり。そうすればバルテリとリリャをあの苦戦から救い出せる。


「こい! こないなら私から行く!」


 誰かがイーダの人生を観察し続けていたのなら、それが転生して一番の怒鳴り声だったことに気づいたろう。今は本人すらその自覚がない。もう足は大地を蹴って、巫女の体にせまっているのだ。


「がぁぁ! いいだろう魔女!」、熱くなっているのは巫女も同じ。両手の武器で応じてみせる。ガガァン! とつばぜり合いが発生し、顔と顔とが接近した。


 巫女は憎々し気な目線を魔女に刺しながら、その状態で問いかける。第4問目の内容は、「紋章学における金属色! すぐれた競技者に贈られる、価値のある金属! 今日の日いづる国における500の円! その色は⁉︎」


 ギリギリと武器が音を立てた。それは魔女の斧の柄から鳴っている音だ。


 魔術で作った武器とはいえ、その強度は一般的な斧と同じ。彼女は「丈夫そう」と信じていたが、木製の柄は度重なる負荷に限界を迎えていた。


「武器が折れそうじゃない、魔女さん! 早く答えたほうがいいのでは?」


「胸が痛そうじゃない、巫女さん! 早く倒れたほうが楽になるよ!」


(なんとかしなきゃ!)


 このままではまずいという予感、ならば解答を切っ先にしてしまえという発想の転換。正答を引ければ、大ダメージをあたえられる。


(紋章学の知識はない。でも競技者に贈られる物ならメダル? 日本の500の円ってつまり――)


 500円玉の色だ。それはきっと、一番のメダルと同じ。


「答えは『金色』!」、叫びながら両腕へ力をこめた。相手を押しのけたその瞬間、ついに斧はバキリと折れた。


 でもこれで倒せたはずだ。イーダは勝利を確信し、荒い息をはぁっと吐いた。


 けれど――嫌な予感が体をつつむ。


 それは自分の知っている知識の中にあって、きっと脳のタンスの引き出しから出し忘れたもので、ゆえに――


(しまった!)


 不正解をあらわすのだ。


「くっ!」、全力で大地を蹴り、後方へ飛びずさった。けれど「間違いよ」、あざ笑う巫女も全力で追従してくる。その腕がのび、先端のハンマーが自分の体へ食いこんだのを、魔女はまざまざと見る羽目になった。


 ドシン! 人体から鳴ってほしくない音。ついでに体へ重力加速度。ふわっと浮いたかと思ったら、ドサッドサッと地面へ転がる。さんざん体を打ちつけた後、最後に背中へ衝突したのは、魔力を感じる硬いなにか。


「あぐぅ、うう……」


 イーダは自分の展開したエオルクスの垣根の場所まで吹き飛ばされ、そこに背中をあずけて座りこんでいた。殴られた箇所を手で覆い、全部吐き出してしまった酸素を必死に求めながら。


「ああ、やっといい光景になりました」と、彼女に歩みよる巫女の顔は笑顔。さっきまでの怒りはどこへやら、実に楽しそうな足どりで止めを刺しに近づいていく。「魔女さん、教えてあげます。紋章学の金属色、オリンピックのメダル、日本の()()500円玉。共通点は『金と銀』です」


 声を聞きながら、イーダは自身のうかつさへ歯噛みした。自分が死んだ2021年、たしかに500円玉が新しいものへ変わるというニュースがあったはずだ。それを使い慣れた金一色の硬貨しか思い浮かべられなかったのは、自分の注意力散漫と知識不足のせいだ。


 その結果、今窮地に追いこまれている。泣きたいくらい無様に思えた。体には経験したことのない鈍痛。出血が頬と服とを汚す。


 けれど――


 腹を押さえる手のひらに、破れた布地のむこうから硬い金属の感触が。別にお腹にグサッと刺さっているわけじゃなくて、ぐにゃりとゆがんでしまっている――つまり防御の役目をはたしてくれたのがよくわかる。


 ブリガンディーン。内側へ金属片を縫いこんだベスト。これを着ているのは当然、天界でウルリカと対戦したシニッカのまね。


 身に着けておいて正解だった。


(痛い……。けど体は動く。大丈夫、私はまだ戦える)


 歩みよる巫女のむこう側に見えるのは、いまだ戦い続ける狼と夢魔。あんなに不利な状況なのに、彼らはまったくあきらめていない。だからズズッ、魔女は両脚を動かした。無様だろうがなんだろうが、どうしても勝利がほしいと思った。


 私は魔界の魔女なのだ。血濡れ姿も、不気味さの演出にちょうどいい。


 西部劇の登場人物みたいにハードボイルドを気取ってみせる。


(……そうだ、思いついた。うまくいくか賭けてみよう)


 左手を隠すように、腰の後ろへ移動させる。その様は、藪の中で獲物を狙う蛇が、そろりと身を這わせるよう。


 そんな所作だったら、今から呼び出す武器は使い慣れてる蛇の武器。


 彼女の体へ巫女の影が差す。「とどめですよ」、十分に近づいた化け物がハンマーの腕を振り上げたのだ。でも魔女は「ふふふ」と笑ってしまった。「その台詞を言った人、とどめを刺せたためしがないな」なんて思ったから。


 もしかしたらそれは悪手だったかもしれない。笑いに気づいた巫女が、自身の慢心に気づいたのだ。魔女が左手を腰の後ろにまわし、戦意を目にやどしたまま状態でいることにも。


(まだあきらめていない⁉︎)


 判断の遅れは致命傷になりうる。一瞬のうちに巫女は理解した。だから「魔女よ、我らの――」、()()()()()と、不正解の代償を支払わせると決めた。


 仲間にしたら殺せないし、それは気分がよくないもの。けれど勝利にくらべればささいなことだ。躊躇などしない。『私たちにいちどだけ、いうことを聞かされる』という権利を速やかに行使して、安全に勝ち星を手に入れるのだ。


 けれどなぜか――言葉が最後まで放たれることはなかった。単語にして「仲間になれ」の1語分、時間が足りなかったのだ。それはちいさくとも重大な慢心の代償だった。


 なにせ魔女は、そこまで計算していたのだ。血が流れこみ真っ赤になった目をカッと見開いて、今からなにが行われようとしているか理解していたのだ。


 これは()()()()()だと。


「――<(ラグ)>!」、ルーンの押印行使。武器を持たない右手をかかげて。


 心臓がポンプのようにドッと魔力を押し出した。血管を勢いよく抜け、火傷あとの残る手のひらから魔を放つ。「湖」の意味を持つ言葉が実体を持ち、弾丸のごとく発射された。「残念だったなぁ、巫女さんよ!」とばかりにその顔面へ炸裂したのだ。


 バケツ1杯分の水は、要求を口にする機会を奪い取った。少なくとも絶好の機会は去って行った。それが巫女にもわかったから、あわてた彼女は視界を失ったままに槌の腕を振りおろす。


 ドシンという重い手ごたえ。腕がミシリと痛むくらいの。これは地面の感触だ。すぐに右の方角から「<(ベオーク)縄よあれ(首の蛇)>」と魔女の声も。


 やっとのことで目を開けると、もう3メートルも逃げている。


 魔女は半身になって蛇を構え、白樺を香らし立っていた。威圧感のある堂々とした姿。足でザッザッと地面をかくのは、地ならしをするイノシシのよう。額から流れる血をぬぐいもしないから、真っ赤に染まったその顔は狂戦士(ベルセルク)そのものだった。


(――攻撃してくる!)


 巫女はすぐさま相手を止めようとした。今この場では必殺になりうる、魔法の言葉が手中にあるのだ。でも「我らの――」、自分が言葉を抜き放つ前に、早撃ちの得意な相手は、ふたたび魔を放っていた。


「<(ラド)>!」、短い響きが鼓膜を震わせた時、魔女の姿は消えていた。


(っ⁉︎)


 ――強い寒気がした。


 まただ。あとひとこと、「仲間になれ」と続けられない。のどまで出ていたその言葉が、のど元あたりで足止めを食らう。なぜかいくら腹に力を入れても、川に架かる橋が増水で流されてしまったかのように、その先へ進むことができないのだ。


 すぐ巫女は理由を知る。首全体へ鈍く走る痛み。視界の両方の隅にある火傷あとのひどい両手。そして背中へ密着した誰かの体と、息を切らせるそいつの吐息。


 相手は自分の後ろにいて、自分は首を絞められて。


(――なぜ⁉︎)


 どうやったのか、魔女は一瞬で自分の後ろへとまわりこんでいた。両手で縄の端を持ち、首をギリギリと絞めつけていた。


(ラド⁉︎ ルーン⁉︎……ああ、そうか!)


 1問目の回答直後、魔法の生垣のむこう側から、なにかを地面に描く音がした。今自分は、ちょうどその前に立っている。


 さっきはイノシシのように地面をならしていると思った。だがそうではなかったのだ。きっと同じルーンを足で描き、今この場所と接続していたのだ。


 あれは騎乗や旅を意味するルーン文字だったはず。スレイプニルのように速くて当然、魔術で転移してきたのだ。


 なんとこざかしい。


「あがっ! がっ!」、身をよじらせる。まだ両手がある。この槌と剣を背後へ振るい、こんどこそこの性悪な魔女へとどめを刺して殺すのだ。


 顔の高さへ両手を上げて、自分の後ろへ振りおろそうとした、その時。


「<蛇よ、より深くからめ>」――恐ろしい響きの命令。


 一瞬首を絞めつける縄がゆるんだ。しかしそれは赦しなどでない。それこそ地を這う蛇のようにすばやく両手首にも巻きつくと、さっきよりも強い力で3つの首を万力のように絞めつけた。


 ふたたび荒縄の蛇が死の拘束を開始する。ギリギリという不気味な音。それと一緒に耳元で、「逃がさないよ、巫女」、毒牙のように冷血な言葉も。


 ――万事休す。


(ああ、殺されるのか。この小娘に私は殺されるのか。こんな年端もいかぬ……)


 視界がだんだん黒くなっていった。それとともに意識は白濁にかすれていく。時間とともに感情は起伏をなくし、色でいうなら灰色の、平坦な野へ変わっていく。


 冥府の主(ヘラ)の手まねきが見えた頃、耳元へ静かな声がした。「聞いているか、ダンジョンメーカー」、蛇の声が鼓膜をなでる。毒牙のある口を見せつけるように、魔女がゆっくりとささやいているのだ。


「死にゆく巫女に罪はない。だからダンジョンメーカー、私はお前を標的に話をしている。よく聞け。今から五つ目の問いを出すのだから。――それは『藪の縄』を踏みつけた者におとずれる。罪とともに『大口の紐』によって飲みこまれる。罰が警吏であるならば、それは司法権を持たない『水辺の暗殺者』といえる。その名は?」


 小柄な背丈と愛嬌のある顔。ただ立っているだけなら、おおよそ恐ろしさを感じない外見。なのに今聞こえるそいつの声は、恐ろしい魔界の色を帯びていた。彼女の流す血のように、粘り気のある響きをしていた。


「答えは求めていないから、私はお前に、それが『(むく)い』だと伝えよう。私がお前に、それもたらすと言わないでもおこう。きっと誰ともなく報いを受けさせるだろうから」


 ここにきてようやく、巫女は理解した。自身の主から聞いていた、魔王たちの評価について。


 その蛇男――イヴェルセンはこう言っていた。「魔王は()()()女だ。小柄ながら毒牙はおおきい。それによく噛みつく。一方、魔女はヤマカガシ。毒牙は口の奥にあって、めったに人を殺さない。だが深く噛みつかれたのなら、まむしよりも致死率は高い」


 彼の言葉どおり、自分を締め上げている少女はカールメヤルヴィの蛇の1匹だった。そして自分は深く噛みつかれてしまったがゆえ、猛毒で体を壊死させられるのだ。


 もう視界は失われている。絞り出していたうめき声も出ない。脚はせまる死を恐れるがごとく、ガクガクと痙攣している。


「巫女さん」、最後に聞こえたのは魔女の言葉。声色からはさっきまでの毒蛇の響きが消え、少女のものに戻っていた。


「私は感謝しているよ。ヴァイキングの生きるこの場所で、あなたのような強敵に出会えたことを。だから私は保証する。戦いで死んだあなたには、死後の栄光があることを」


(残酷な……けれど)


 けれど、なんと寛容な。


 その意識を最後に、巫女はこと切れた。縄でしばられた彼女の体は、ほうっと輝く光の綿毛になって、宙へ散華していく。


 残されたのは傷だらけの魔女がひとり。


(勝ったんだ……)


 両腕がだらりと下がり、蛇の縄も地面へ落ちた。そこに額から流れる鮮血が、ぴちゃりと赤い血痕を残す。


 魔腺の疲労は困憊だ。呼吸はとても苦しくて、視界はどんどん狭くなって……。


(バルテリ……リリャ……)


 ぺたりと彼女はその場へ崩れた。なんだか巫女の後を追っているようで、「それはまずいなぁ」と苦笑いを浮かべる。


「イーダ!」、駆けつけた狼と夢魔に体をささえられた頃、彼女は意識をミルク粥のように溶かした。

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