笑うダンジョンマスター 14
ᛇのルーンが意味するところは、ペンの素材と同じ『イチイの木』。弓の材料として有名だから、矢を放つのにもちょうどいい。
ゆえに魔女はこの筆記具へ、「武器になれ」と命令したのだ。
――バシンッ! 巫女の顔のど真ん中で、激しい音がひとつ鳴った。黒い獣人になった彼女は、後ろへ吹き飛び地面を転がる。ギミックの鎧のおかげもあって、体にダメージがあるわけではない。しかし姿勢を正すと、耳まで裂けた口へ忌々しげなうなり声を上げた。「ああ、腹立たしい! 私に奇襲とは、やってくれるじゃありませんか!」
「おたがい様だと思うけど」、一方の魔女はゆっくりと席を立つ。心の中では言葉ほどの余裕もなかったが、あせってしまうと逆にすきを見せる気がして、つとめて冷静なふりをした。
(ま、まずは距離をかせげた。あんなおおきなげんこつで殴られたら、頭蓋骨が砕かれちゃうよ)
ドキドキ早鳴る心臓を落ち着けようと、鼻でふぅぅと息を吐く。目の前でふわぁっと消える机と椅子と契約書たちが、「じゃ、僕たちは退散するね!」なんて具合に立ち去ったので、ついつい「そりゃ逃げちゃうよね」と苦笑した。
とはいえ逃げられないのは自分だけじゃない。後ろのほうからは剣戟の音も聞こえる。バルテリとリリャにナグルファルの黒い獣が襲いかかったのだ。ちらりと様子を見てみると、契約どおりに2対4。彼らのことは、彼らにまかせてしまっていい。
それなら自分は自分の試練へ、全神経を集中するのだ。
魔女は腕をかかげ、振りおろした。指にはさまれたのは六本の白樺の小枝。ベルトや上着の裏側にも、なんとなれば帽子のリボンにも差してあるのだから、もはや彼女自身が白樺の木のようでもあった。
まずはこのお気に入りの杖たちで敵の攻撃を防ぐ手はずだ。
構える魔女と対峙する形で、巫女はゆらりと立ち上がる。裂けた口とゴツゴツした黒い体、ハンマーのような右腕に、剣のような左腕。そいつは雰囲気たっぷりに、瘴気をまとって魔女へと歩く。
「さあ、問いを出していきますよ。この手であなたをバラバラにするために」
それが攻撃の合図であるとイーダは悟った。狼のような敵の足の爪が、石畳へミシリと深く食いこんでいたからだ。
対応するため「<ᛒ――>」と、魔術を唱えようとした時。
――ザンッ! と地面がえぐられて、黒い獣が目の前に。両手を高く上げているのは、無遠慮に魔女を殺すため。
「<盾よあれ>!」、とっさに放つ。バァン! 耳をつんざく破裂音。
白樺の盾が打ちつけられて、たった一撃で粉々になった。
(っう!)
腕にはズキリと鈍い痛みも。この防ぎかたは失敗だったか。
「<刃よあれ>!」、けれどもすぐさま反撃に出た。振るわれた腕に蛇が応じ、刃の毒牙を相手へのばす。直撃したから重い手ごたえがあって、巫女をズズッと後退させる。だけど――
(効いてない!)
敵の口がおおきな三日月を描く。ならびの悪い牙が見えて、その奥の舌は血のように赤い。
黒い獣はその口で、魔女に対して言い放った。「問おう、魔女よ!」と飛びかかりながら。
「てりゃぁ!」、縦一文字にすぐさま迎撃。獣を大地へ叩き落とす。けれどやっぱり効果はない。巫女はがばっと顔を上げ、また斬りかかりながら問いを口にする。「それは三つ首の犬の心臓! 腕輪の主の囲い! 水にほど近い! その名は⁉︎」
(くぅ! こんのぉ!)
答える暇もありゃしない。三度、蛇剣で薙ぎ払う。けれども敵の攻撃はやまず、3秒、5秒と秒針は進む。
(すきを作らなきゃ!)
魔女は小枝を1本落とした。先端が三つ又にわかれた、とあるルーンと同じ形のものを。
「<ᛉ、罠よあれ>!」
噛みつこうと飛びかかった黒い巫女のあごへ、地面から出た草がするどくのびる。見事に決まったアッパーカットが、肉叩きのような音を残した。のけぞる獣は体勢も立て直せず、どさり、音を立てて消える。魔術で作った草の垣根のむこう側へ。
(今だ! ええと『三つ首犬』はケルベロス、その『心臓』なら政治の中心。『腕輪の主』は国王のこと。その『囲い』は……カルロス6世の住む場所、王都か!)
セルベリア王国の首都、それが答え。普段なら中学校の地理のテストみたいに簡単な問いへ、少々の滑稽さを覚えただろう。けれど出題者は殺人鬼。これは笑えない冗談だ。
「答えは『おおきな入り江』、すなわち『カラ・グランデ』!」
「正解だ」、エオルクスのむこうから、泥水のような巫女の声。魔女は視線がとおっていないのをいいことに、足でルーンをひとつ描いた。それが終わった直後には、草を飛び越えた敵がせまる。ホラー映画のモンスターみたいに、気味の悪い情景だった。
予想された攻撃だったがゆえ、魔女はひらりと身をかわす。指の小枝はあと3本。「からめ、<ᚦ>!」といばらの鞭で、相手をギュッと拘束した。
一歩下がって助走をつけて、ドシン! と蹴りを入れてやる。おもちゃみたいに吹っ飛んだ敵は、一度エオルクスの垣根へ衝突する。弾かれ落ちた先は土の上。体がひどく汚れてしまった。
巫女は即座に立ち上がりながらも、口の中で呪詛を吐いた。敵意をむき出しにし、こちらをにらみ、忌々しそうにブツブツと。
(怒ってるって感じかな?――違う! 詠唱⁉︎)
嫌な予感に地面を蹴ると、炎の槍がかすめていった。直撃してたら命はない。「魔女だけに火刑」なんてごめんだ。
「逃がしません!<黒き投げ槍>!」
即座にもう1本飛んできた。魔女は蛇剣を横薙ぎにする。炎へ飛びこんだ蛇の体が投げ槍をバラバラにするかわり、苦しそうに燃えてしまった。
(防御しなきゃ!)
イーダは枝1本ずつを両手に残し、それ以外の武器をぱっと手放す。防御魔法が必要なのだ。できればしばらく持続するやつが。
枝と枝とを縦に持ち、平行にして近づける。片手だけ指を2本のばし、枝の間に橋をかけるのだ。無理な持ちかたをしたせいで、少々手が震えてしまったが、これでまたひとつルーンができた。
「<ᚻ,ᛋᛖᚢᚱᚪᚪ:ᛗᛁᚾᚢᚪ>!」
声を聞いたバルテリが、遠くで「おおっ⁉︎」と感嘆していた。これは彼から教わった技、自分へ追従する宙に浮く雹だ。
彼と違って、数はたったの3つだけれど。
「さあ、2番目を出題しましょう」、黒い巫女は片手へ3本目の投げ槍をたずさえ、ぐぅっと振りかぶりながら言った。「羽根はあるがいつも地を走る。はばたくのに空気ではなく泥水を必要とする。恋も悲恋もくちばしで歌える。その名は?」
ごうっと来襲する炎と一緒に、獣も爪をかかげてせまる。魔女は右腰へ右手をのばし、早打ちガンマンよろしく白樺を抜いた。
「<ᛒ、矢よあれ>!」と名を受け、腰の位置から白樺の矢が飛ぶ。矢は正確に巫女の眉間へ。頭部がガクンと後ろへ倒れ、まずは獣の動きを止めた。
同時に雹のひとつが炎の槍へ。相手の攻撃の迎撃にも成功。氷と高熱とがぶつかり合って、割れる風船のような水蒸気の塊が、その場へもやを作り出した。
(羽根、泥水、走る、歌う。これは暗喩をふくむな。共通項は?)
飛んではねて、腕を振って。激しい運動に必死な呼吸。そこへᚩのルーンが手助けをする。魔女の口を乗っ取って。
そうやって口を動かすのはルーンにまかせられるので、イーダの脳は高速回転に集中できた。ゆえに点と点とを線でつないで、星座のように答えの形を作り出す。
(――あ! シニッカがよく使っているやつだ!)
おそらく『羽根』はそのままの意味。『泥水』は黒い液体。『飛ばずに走る』のは、きっと紙の上だから。そしていろいろな物語を詠う。
「答えは『羽根ペン』!」
「正解です――やりますね!」、巫女の次の一撃は左腕と同化した剣。刀身がギザギザしているから、切られたら悲惨な傷が残るだろう。
魔女がトンッと地を蹴りそれをかわすと、案の定、地面へ痛々しい溝が刻まれる。土煙が血煙に見えて、悲痛な悲鳴を上げているよう。
(まだまだ迎撃手段が足りないか)
手になにも持っていなかったから、上着の下から小枝を2本。「<ᛒ、斧よあれ>」と手斧をふたつ呼び出す。それを両手にそれぞれ持って、魔女は次の攻撃にそなえた。
(斧は頑丈だから、しばらくは持つかな。防御に専念しよう)
「3問目。行きますよっ!」、魔獣は剣の腕を引く反動で、逆の腕をズワッと突き出してきた。ハンマーのようなその先端は、刺すのに適していない。にもかかわらずそうした意味を、魔女は目ざとく看破した。
(フェイントだ!)
左腕の斧でそれを外側に弾く。案の定、相手は剣の腕を突き入れ突進してきた。
斧を振った勢いそのまま、魔女はくるりと半回転。敵の懐へ潜りこみながら、同時に両脚を折ってしゃがむ。頭上を敵の攻撃が空振りすると同時、自分の背中と相手の腹がドスンと音を立てて当たった。
直後、背負い投げの要領でもって両脚をぐっと立ち上げる。
巫女はぐるりと投げられて、その顔面から大地へ突っ伏した。普通の人なら痛いですまない、非常に危険な角度だった。でもやっぱり効いてはいない。ギミックの鎧があと1枚残っているのだ。
ザッとすばやく体勢を立て直し、巫女は魔女をにらみつけた。「ああ魔女よ! 本当に腹が立ちますね!」
「そっくりそのままお返しするよ!」、応じたイーダは斧を振るって間合いを作る。当たる間合いじゃなかったが、次の質問までの時間稼ぎにはなる。
牽制に巫女はぴたりと動きを止めて、次の1合へそなえる構え。腰をずうっと落としながら、3つ目の課題を魔女へ課す。
「前に進む時は太陽と手をつなぎ、後ろに戻る時はその手を放す。その言い分は人々へ強い影響をもたらし、歩く速度を決めさせるが、常に正しいとはかぎらない」
出題しながら目線をちらり。巫女はバルテリたちのほうを見た。魔女もつられて目線をうつす。そして奥歯をぎりっと鳴らした。
(押されてる!)
彼らは苦戦している様子だ。リリャは隻腕がゆえ、どうしても手数が足りなくなる。おかげで3体をバルテリが請け負う形になってしまっていた。しかも倒せばすぐに次がくるのだ。これでは3対1の戦いを休憩なしでやり続けなければならない。
オプションをつけてよかったと思う半面、早く終わらせなきゃという「焦り」の気持ちが湧き出てしまった。イーダにとって足かせでしかない、けれどあらがいようもない感情が。
すきを見逃す巫女でもない。「その名はなんだ⁉︎」と飛びかかる。
「くそっ!」、振りおろされるハンマーを、2本の斧を交差させ弾く。でもそれはよくない動きだ。敵にはもう1本腕があるのだ。
視界が一瞬黒くなって、かぁっと右目の上が熱くなる。まず「傷を負った」という予感が腹の底を震わせて、次にするどい痛みが予感を実感へ変えた。
「あっ、くぅ!」、声にならない声が出て、右目の視界が赤く染まる。
それは、額の傷から噴き出した真っ赤な血液だった。




