笑うダンジョンマスター 13
全5問のクイズ。最初の3問で巫女の鎧をはがし、残り2問でその体力を半分ずつけずる。
代償は魂。1問不正解で部分的に、2問不正解ならすべて。
そんな状況において、魔女のイーダは怖がるのではなく、ルールの詳細を聞くことに決めた。
「私の誤答、1回目の『部分的』に、というのはどういう意味?」
「具体的にいうと『私たちにいちどだけ、いうことを聞かされる』、ですね。ただしこの段階では強制力が弱く、殺人や自殺的な行為を強要できるものではありません。また、動詞が2回以上入るような複雑な命令もできません。くわえて命令は声をもってあなたに直接届ける必要があります」
「耳を塞ぐのは有効という意味だね。でもさ、もし私がそれを破ったら? シンプルでも重い命令――たとえば『ネメアリオニア王国の国王を誘拐しろ』とか無理難題を押しつけることだってできると思う。そうなったら、私はそれを拒絶したい」
「物理的に無理だったり、課題として3日間以上を要したりする命令は無効になります。ですから私たちはその点を配慮して、あなたへなにかを命じます。それでも破った時には、即座に命を頂きましょう」
(ハイリスクだな。王都メスト・ペムブレードーへ戻った直後に「動くな!」とか命令されて、行動できなくなる危険すらあるんだ)
ただ、ひるんだところで巫女の説明が終わるわけでもない。了承しなければ前に進むこともできないのだ。
表情を取りつくろいながら、魔女は「わかったよ」と口にした。
「素敵なお返事をありがとう。ところで、クイズの意味はご存じですか?」
Quizなんて説明してもらう必要もない。知識のテストとか、その質問とか、そういう意味だ。問題なのは椅子に座って机の上の答案用紙に書きこむ形ではないこと。どうやら武器を振るい、相手の攻撃を防ぎながら、知識を試されるようなのだ。
「その意味の解説は不要だよ。それよりも、どういうたぐいの知識が必要になるのかな」
「動き回っていなければ、数秒で答えられる程度のものですよ。つまり計算を必要とせず、記憶の引き出しを開けるだけですむものです。ただし、あなたは出題へオプションをつけることもできる」
「Option――それこそ選択肢、だね。内容は?」
「戦いがはじまったら、彼らふたりには獣が襲いかかります。一斉に、ではなく、順番にです。通常であればそれぞれのかたへ3頭が戦いを挑みます。ただ、あなたが選択によって出題範囲を広げれば、その数は2頭だけになる」
口角を上げながら、魔女へ選択をせまる巫女へ、バルテリが口をはさんだ。「なんだ、いっぺんにくるんじゃねぇのか。おやさしいこったな。イーダ、別に構いやしねぇよ。3匹同時に相手をしてやる。お前さんの戦いの難度を上げる必要なんてねぇさ」
「ううん、バルテリ、ちょっと考えさせてほしいんだ。出題内容をどんな形で広げるか、先に聞きたいと思うから」
魔女は了承しなかった。それは自分の試練はなるべく自分の力でクリアしたいという意地もあったし、単純にルールの把握を先にしたほうがいいだろうという考えもあった。
巫女はよろしい、とばかりに深くうなずいた。顔の前で手を組みながら、ルールの続きを静かに話す。
「通常の出題範囲は、この世界の常識から。オプションの出題範囲、つまりもし3頭を2頭にしたいのならば――」
こうやって間を作るのは、シニッカと同じやりかただ。つまりその先の言葉に集中してほしいからそうするのだ。
案の定、次の言葉は魔女の眉間にしわをよせた。
「あなたのいた世界の常識からも、出題いたします」
落ち着いた話しかたなのに、なぜか脳へ浸透してくる声。そして顔の前で手を組む姿勢。
ああ、私の知っている人だ。天界でいちどだけ見た、いれずみだらけのあの人だ。
「――エミール・ヴィリアム・イヴェルセン!」
「それは私の主の名です」
巫女の返答の一部に隠された事実があるだろうことを、魔女は見逃すはずもない。おそらくあのウミヘビ男はダンジョンの外にあって、しかし今この巫女の両目のむこうからこちらを見ていることを。
なんて嫌な気分なんだ。今、敵の黒幕と至近距離で対峙しているというのに、決してこちらの手は届かないのだ。余裕そうで、大胆不敵で、そして傲岸不遜な態度でもって。
イーダは自分の奥歯から、ギリッとちいさな音が鳴ったのを聞いた。戦意の色が黒ずんで、殺意に変わりそうな気配すらある。
と、「イーダさん! 気負わないでくだサい!」、夢魔の声。幸運なことに、魔女は人の心を読むのが上手な仲間を引き連れてきていた。冷静さを取り戻させるような、明るく色気のある声が響く。「挑発に乗っちゃダメっスよ! 僕らは1対3でも構わないっスからね!」
「……ありがとう、リリャ。でもね――」
おかげでイーダは心を鎮められた。その上で彼女は、強く出るほうの選択をすることにした。
ひとつは相手になめられたくないという、浅はかな気持ち。もっと厳密にいうのなら、難度を下げるという選択をして逃げたくないという闘争心だった。
もうひとつは当然、仲間のことが心配だから。バルテリはけがをしているし、リリャも今は隻腕の状態。そこに負担をかけるなんてことできやしない。
ただ、最後のひとつこそが、いちばんおおきな理由だった。
「この物語には登場人物が足りないんだ。私たちの見えていない情報があって、もしかしたらそれは放っておくと致命傷になりうる罠かもしれないって思うんだ」
彼女が口にしたのは、昨日シニッカの言葉をメモに取った時、内容不明のままになっていた「3」の項目のこと。なぜイヴェルセンが『転生者』という概念を知っているのだろうかという、おおきな疑問をそのままにしておいてはならない。もしかしたら彼自身は転生者を知らなくて、彼のかたわらにいる勇者が出題してくるのかも。オプションを受け入れたのなら、勇者の情報もわかるかもしれない。
これは餌のついた釣り針だ。けれど釣り人を水の中に引きずりこみたいならば、けがをしてでも食いつかなければならないのだ。
「だから私は出題範囲を広げようと思う。相手の情報を間近で探るチャンスだから。ザ・カニングなら、きっとそうするだろうって」
バルテリとリリャは言い返さなかった。魔女の決意は固いし、明確な狙いも持っている。彼らは彼らで「魔女にまかせておいたほうがよさそうだ」と、イーダのことを信頼していた。
「よろしい」と、巫女はうなずく。すぐにゲッシュ・ペーパーが今の内容の追記を命じられた。羊皮紙の上へ、まるでちいさな蛇が這うように、文字がスルスルッと追加されていった。
「完成したなら、読ませてもらうよ」、悪魔の国に生きる魔女は、契約の確認に時間を使う。「問いには10秒以内に答えよ」なんてことが書いてあって、「うかつにも質問していなかったな」と気づかされたから、よけいに慎重になった。
時間と場所の記載に不備はないか、代償に関して細かく記述されているか。命がかけられているのは自分と巫女だけか、死の抜け穴になるような文面はないか、逃走を禁止する条項が盛りこまれているか。「ついでにイヴェルセンを巻きこめないか」なんて考えたのは、魔族っぽい考えかもしれない。
「条項に『問いの出題は、戦いの開始時点、ないし前の問題が提示されてから10秒以降かつ15秒以内にされなければならない』って追加してもらえるかな? 戦いを長く引きのばされるのは困るからね」
「目ざといですね。いいでしょう」
「1問の中に複数の問いかけを入れないように。たとえば『AとBをそれぞれ答えよ』なんていう」
「ええ、それもいいですよ。ただし『ひとつの問いはふたつ以下の答えを持つ』とさせてもらいますが」
「それは受け入れる。でも要求はまだあるよ。次は――」
知識を総動員して、魔女はたっぷり時間を使った。かなり細かい部分まで書いてあったからだ。「物理的に発声ができない状態の場合は、問いや回答の制限時間を超えてもよい。ただし発声可能となったらただちに問いや回答をしなければならない」であるとか、「答えは解答者が知っているもの、もしくは過去に聞いたと認識できるもの、ないし内容を理解できるものでなくてはならない」とか。
いくつかの条項を追加させ、なるべく自分が不利にならないようにしなければ。
しばらくの後、その契約書が自分の思ったとおりに働くだろうと確信した。「よさそうだよ。あなたも確認を」、紙を机に戻し、巫女へ返す。受け取った彼女の顔がいよいよイヴェルセンのような妖しさになったのを、両目でしっかり見つめながら。
「では魔女よ。お決まりの文言を使いましょう」、彼女はそう言って、迷いなく自分の指を噛む。にじみ出た血を契約書へ押しつけて、自分の同意を赤く刻む。
それは魔王と同じ動作だった。押印をすませた巫女は、羊皮紙を魔女に差し出したのだ。
聞き覚えのある、例の言葉をたずさえて。
「――あなたの分を、イーダ・ハルコ。血判か、真名で」
魔女は表情を変えなかった。けれどその実、腹の底が動揺にブルルッと震えるのを感じていた。
自分が言われる立場になって、ようやく実感する。これは魂をしばる契約書であり、命をかけた取り決めであり、後戻りを禁止した恐ろしい足かせであると。
でも動揺など敵に見せてやらないと決めていた。
(あらためて思うと、血判と真名、どちらを選ぶべき? どちらも私の存在を証明するものだし、相手に渡すにはリスクがおおきすぎるものだ。なら、どっちのほうがマシ? 名前かな? 日本人だから姓名がみんなと逆だ。生前の名だって私の名前――真名に違いない。「契約は成立するけど、いざとなったら効果がない」なんて都合のいい状況を作れるのかも。なにせこの契約書は誰に対しても――きっと巫女にもいじわるだから)
思案する魔女。悪だくみ、といっていい。しかし相手もカールメヤルヴィに住む者がどういった思考を持つか、理解しているのだ。
選択肢をしぼらせるかのように、巫女がつけ加える。
「真名を使うのであれば、この世で最初にあたえられた名を。生前のあなたのものではなく」
(先まわりされちゃったか)
けれどそれでも、血を渡すのは気が引けた。プラドリコの北の森で、自分がなにをしたのか忘れるわけもない。血は類感呪術なり感染呪術なりで使われるもっともポピュラーな素材だ。呪いに使われたりでもしたらたまったものじゃないのだから。
(真名を相手に明かすことになる。けれどもうバレちゃっているなら、被害の少ない選択肢だ。くやしいけど……)
相手の思いどおりに動かされている感触に、魔女は「ふんっ」と鼻を鳴らした。自分でもらしくない行動だと思うが、今はこれでいい。敵に気おされるのは悪い結果を生むだろう。それに相手も自分たちも蛇なのだ。きっと飲みこみ合いになり、ならより大口を開けたほうが勝者なのだ。
「『戦いの前に魔術を使ってはならない』とは契約になかったね。きっとあなたはすでに行使しているから、条項に書けなかったんだと思う。どうかな?」
「それはご想像におまかせします」
「じゃあ私も準備させてもらうよ」
帽子のつばから片目だけ見せて、魔女はおもむろにGandを練った。心臓から指の先へ白樺の香りを導くと、手の甲を相手にむけたまま、両手でそれぞれVサインを作る。
裏ピースは、竜人アールに教わった英国由来の挑発だ。中指を立てるのと同じ、相手を激怒させるたぐいの。
次に魔女は指をそのままに、おのおのの手を内側へ横倒しにした。顔の前にあるのは、「く」の字とその逆の字。なんだかアイドルが決めポーズでもしているようだったが、彼女は魔女。両方の手を近づけ、指を重ねる。ちょうど真ん中にひし形ができるように。
ルーンをひとつ、描くようにして。
「――<ᛝ、英雄の力よあれ>」
イングとはユングヴィ・フレイ、すなわち北欧神話の豊穣神フレイのこと。「雄鹿の頭の枝」は雄鹿の角。彼が巨人と戦った時に手にした武器をあらわす。
過去、ᛝの8面体魔石をささやかな勇気を得るためだけに使用してしまっていた。だから今回は自前の魔力だけで唱える必要があった。けれど体がその時の効果を覚えていることを、彼女はちゃんと理解している。
要するにあの時の魔石行使によって、自分の体は強化されていたのだ。ひとたびᛝのルーンを使ったのなら、基礎戦闘能力(体力とか敏捷力とか)を上げられるのだから。先日のベースボールの試合直後にそのことへ気づき、「使っておけばよかった」なんて思っていたが、ついに活躍の機会を得た。
もうひとつ、魔女は唱えるべき魔法を隠し持っていた。懐から赤いベルベットの袋を出し、まだ使っていない8面体の魔石を手に取る。ラテン・アルファベットでいうなら「F」に似たもののひとつ、口のルーン「ᚩ」の出番だ。
ポイッと口に放りこみ、奥歯でガシッとはさみこむ。首をかしげて力を入れて、バキッとそれを噛み砕く。
「<ᚩ、弁舌の力よあれ>」
口の端からざらぁと灰をこぼしながら、自身の舌を魔に染めた。舌の上に残った灰を「ふぅっ」と吐き出したのと相まって、それはまぎれもなく気味の悪い所作だった。
巫女の表情が警戒に変わるくらいには。
「……魔女というものは不気味ですね」、巫女は魔女をにらみつける。口から砂を吐く魔女の行動に気おされまいと、感情を敵意で上塗りしたのだ。
(この女……私を恐れようともしない。見かけはただの少女だというのに、なぜこんなにも堂々としている?)
状況はこちらが有利のはずだ。戦いの方式も戦場もこちらが決定し、なおかつ人質まで取っているのだから。けれど相手はまったく動じていないように見えた。小柄で童顔なこの魔女は、次に起こることを予見しているようでもあった。
だから巫女は舌戦を開始するのだ。相手のささいな失点へ鋭く指摘を突き入れてやり、動揺を誘ってやろうと決めた。「あなたが使ったルーン文字は、口――転じて『言葉』のルーンと見えます。舌戦を前にして言葉を噛むだなんて、少々不吉ではありませか?」
「違うよ。私は言葉を噛み砕いたんだ。舌戦において言葉を飲むよりマシだと思わない?」
魔女は即座に切り返す。ルーンのおかげで、すでに舌鋒のするどさは剃刀かと思うほど。その上で魔女は、巫女が目元を引きつらせたのも見逃さない。言い返されて少々の怒りをたずさえた、不安定な雰囲気を。
「……なるほど。それではカールメヤルヴィの魔女、あらためて契約書へあなたの分を」
「わかってる。敵意のペンを悪意のインクにつけて、害意の紙へサインするんでしょ。この性悪な羊皮紙さんをよろこばせてあげなきゃね」
ちょんちょんとペン先にインクをふくませ、魔女はさらっと名を記す。黒い筆跡が「Iida Halko」を描き終わると、赤い舌の契約書がベロリとばかりにくちびるをなめた。
同時に、その場の全員が理解した。
戦いがはじまり、殺人が許可されたことを。
バァン! 机の片側、椅子が弾き飛ばされた。黒き獣人へ豹変した巫女がやったのだ。すでに魔女へ襲いかかろうとしていて、片手はハンマーよろしく振りかぶられ、目の前の頭蓋を帽子ごと押しつぶさんとしていた。
口を三日月のように笑わせ、目を悪意で真っ赤に燃やして。
そんな顔の前、くるりとむけられたのは木のペンの先。
「――<ᛇ、矢よあれ>」
イチイのペンへ白樺を香らせ、黒髪の魔女もニッと笑った。




