笑うダンジョンマスター 12
頑丈そうな石造りの土台の上、太い柱がなん本も空を目指してのびている。白い素材に緑のツタを着飾って、なんとも堂々とした建造物だ。けれどその先にあるべき天井はなくなっていた。古くは全面石畳だったろう床もあちこちはがれて、床材の段差の下へ茶色い土が露出している。
そこはまぎれもなく遺跡だった。かつての栄光が盛衰したのを一目で見られる、畏敬の念と哀愁とが混じりあった場所なのだ。
(……誰もいない? どこかに隠し部屋でもあるの? でも全体的に壊れちゃっているから、入口みたいなものも見当たらないな)
あたりに人の気配はない。時々聞こえる鳥のさえずりや、風が梢をゆらす音以外はずいぶん物静かだ。あれほど感じた敵意も、近づいてみると消えてしまっている。おかげで試練を受ける場所がどこなのか、どうやってはじまるのかと少々気をもんだ。
「ここが神殿だね」、イーダが口にする必要もない台詞を言ったのは、なんらかの反応が返ってくるかもと思ったからだ。「ああ」と短く応えるバルテリの声以外に、なにか変化が起こらないだろうかと。
と、ぺたり、ぺたり。音がした。それは底の薄いサンダルかなにかで歩く人の足音だった。イーダたちが声の下ほうを見ると、いつの間にか太い柱のかたわらに女性――おそらく巫女が立っている。
「ああ、待っていましたよ、戦士たち。そして見ていました。あなたがたがどのような選択をされたのか」
ゆったりとしたグリーンの布の衣装、頭には銀色のサークレット。眠そうにも座っているようにも見える目をたずさえた、浅黒い肌の女が口を開いた。
「あなたたちは腰の剣を振るうことなく、口の刃で舌鋒を振るった。なるほどと感心しました。血を流さぬ、賢い選択ですから」
「巫女さん、お褒めいただき光栄だよ。けれど私たちはまだ続きがあるって知っている。血の残り火をかざすのも、口の剣を振るうのも、両方準備はできているんだ」
そう応じた魔女へ巫女は「大変結構」と言って目を閉じた。そのまま両手を胸の前で組み、さらに「まずは舞台をととのえましょう」と続ける。
彼女はパッと目を開けた。瞬間、空の色が濃い灰色へ変わる。
「っ⁉︎」、イーダたちは一瞬なにが起こったのかわからなかった。まばたきをする程度の短い時間で、自分たちのいる場所が曇天の下へと変わったのだから。
ぞくりとして、冷や汗が出た。つい「これは……」と口の中でつぶやいてしまう。そして魔女はすぐ、もうひとつの変化に気づいた。
それは自分と巫女との間に、今までなかった机が姿をあらわしたこと。その上に開かれた羊皮紙と木製のペン、インクが置かれていることも。
「――魔法契約書だね、巫女さん。あなたは私たちとなんらかの勝負をする気なんだね」
「いいえ、勝負をするのは私とあなただけ。なぜなら、あなたはまだ試練を受けていないのだから」
巫女はゆっくりと手をほどくと、片手で魔女を差ししめす。なにか挑戦的な所作にも見えて、イーダはグッと奥歯を噛んだ。
バルテリとリリャの力を借りられないのは少々心細い。とはいえ彼らはふたつの試練を、ひとりっきりでクリアしてみせた。なら私もそうでありたい。自分ひとりで戦おうと、意を決することにした。
「わかった。でもふたりは?」
「それは――このように」
パチンとひとつ、指の鳴る音。直後にズズズと嫌な音。
神殿の外側の地面から、無数の獣がはい出した。それは人の姿をしている者もいれば、狼だったり、はたまた獅子だったり、それらの混合だったりと形がバラバラだった。共通しているのはそのまがまがしさ。黒く燃える炎を切り取ったように鋭利な外見、らんらんと光る赤い目、裂けた口には白い歯がずらり、その奥の口内は溶岩のようなオレンジ色。
それが数えきれないくらい――おそらく数百ではすまないほどの群れをなして神殿を取り囲んでいる。
「これらはナグルファルに乗った死者の軍勢。体が黒いのは太陽を食いつくされた闇の世界をあらわす。目や口が輝いているのは、スコルとハティが太陽や月を飲みこんだことをあらわす」
「なるほどな、休ませちゃくれねぇわけだ。だがこのフェンリルに戦いを挑むってんなら相手しよう。襲う相手を間違えた冥府の連中、とくに俺の子たるスコルとハティなんぞ、ラグナレクに連れて行ってもしかたねぇからな」
「僕はあまり戦闘が得意じゃないんでスが……今回は受け入れましょウ。フェンリルの養父にお力を借りていることでスし。まあいわゆるif展開ですね。主神オージンに「あんたが狼をぞんざいにあつかわなかったら、こういう光景もあったかもしれない」っテ、しめしてやりまスよ」
ふたりが動揺していなかったことは、魔女にとって助けになった。不必要に心をかき乱されないですむ。それにくわえ、戦意を増す結果にも。
仲間を人質に取られた気分になったから。
「私とあなた、一対一の戦いのはず。なのに、あなたはふたりを巻きこんでくるんだね。少し腹立たしい気分だよ」
「その心意気は結構なこと。ではルールを説明いたしましょう」
巫女の顔が笑ってゆがむ。ぐにゃりと上がる口角に、下賤な線を描く口元のしわ。穏やかだった先ほどまでの表情から、本性をあらわにしたようだ。
彼女は机へ歩みよりながら、どうぞ、とイーダに座るよううながした。応じて魔女も机の位置へ。椅子に手をかけると、ぴたりと張りつく感触が。どうやら魔術がかけられている物品だ。虚空からいきなりあらわれたのだから当然か。
たがいに腰かける。相手との距離は1メートルもない。机の上には自動筆記型のゲッシュ・ペーパー。今日もぼやっと赤い光を放ち、悪そうに舌なめずりをしている。
浅い陶器の瓶に入ったインクは闇のように真っ黒。悪意でも集めて抽出したように思う。木製のペンの材質はイチイだろうか。切っ先でこちらの目を狙っているように見えた。机の上は、残酷な連中が契約書というボスに率いられている盗賊のアジトかのようだ。
その羊皮紙の契約書へ、巫女は指をトントンと鳴らした。その所作は巫女というよりも交渉人。すきを見せたら不利な条項を盛りこんでくる、油断ならない相手。
「サインが終わると同時に、私とあなたの殺し合いは開始されます。しかし私には『ギミック』と名づけられた、それはもういじわるな鎧があたえられています。これをはがさなければ、あなたは私にダメージをあたえられない。意味をご理解いただけますか?」
Gimmickとはしかけの意。戦場の構造が変わるスイッチだったり、部屋の攻略目標だったりと、このダンジョンでさんざん出会ってきたもの。魔女は当然、巫女がなにを言っているのか理解できた。
「私はそれを解除しながら戦わなければならない、という意味だね。続けてもらえるかな」
「ギミックは単純。私はあなたへ『クイズ』を出します。あなたは戦いながらそれに答える必要があります。問いは5問。1問正答するごとに、私の鎧を1枚はがせる。鎧は3段階しかありませんから、4つ目の正答以降はそれぞれ私の体力を半分けずり取ることができると」
「もし私が誤答したらどうなるの? なにかしらのペナルティは発生する?」
「もちろん。不正解なら、あなたの魂は私によってしばられることになります。1問で部分的に、2問で完全に」
これには背すじが反応した。「魂をしばられる」という抽象的な表現ではあるが、意のままに操られるであるとか、精神を操作されるであるとか、ロクな結果にならないことくらいわかる。
「2回目は死と同義だね」、そう口にした魔女は、しかしこの戦いへ正面から挑むつもりでいた。そのためには、まずルールの把握が必要だ。
(さて、しっかり確認しよう。悪魔種の国に生きるんだから、契約で後れを取れないし)
魔女は目を、企業の法務部門社員のように、油断を忘れたものへと変えた。




