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笑うダンジョンマスター 9

 ヴァイキングの集落、ぐるりと囲む柵へ設けられた門の前。


 しばらく待っていると、10人以上の完全武装した戦士たちが、ぞろぞろ列をなして集まってきた。フェンリル狼を見て、口々に「嘘だろ」とか「信じられねぇ」とか言っているが、魔女はそれを額面どおりに受け取らないと決めていた。


「案内します。まずはロングハウスの前まで」、口を開いたのは、ひとりの初老の戦士だった。きっと今いる集団の中で一番偉いだろうその人が「こちらへ」と先導してくれることに。


 彼は他の兵よりもずっと落ち着いていて、世話話をしながら一同の前を歩く。「驚きましたな、こんな辺境の街にフェンリル狼がこられるとは」「野暮用さ。ナグルファルが完成する前に、ギャッラルホルンを吹こうとしている、せっかちな輩がいるもんでな」「そちらの女性は隻腕ですか? まさかとは思いますが、あなたの養父が化けた姿では?」「ご想像におまかせしまス」、他愛もない、とはいえないくらいの高い文脈でもって会話は続く。


「ではそちらの黒い帽子の女性は? 我々の知る中で、幅広の帽子をかぶった神などひとりしか知りません。その黒という色はカラスの暗喩とお見受けしますが?」


(私はオージンか、もしくはフギン・ムニンだと疑われているっぽいな。……あ、そうだ! 韻律で答えればいいかも!)


 イーダの脳が高速回転。最近北欧神話の本を読んでいたおかげで、脳の引き出しからラベルのついた言葉を出せた。


「……片目の男の肩へととまり、片時離れぬ地下の墓所(カタコンベ)。私がそれらだったなら、君の戦を(しゅ)へささやこう」


(よし、私も言えたぞ韻律詩!)


 フギンとムニンの名を借りた堂々たるはったり。とはいえ韻律を踏めたことに満足な魔女。「カタコンベの部分だけフランス語になっちゃった」といらぬ反省点をちらりと思うも、老戦士が「なるほど」と納得したものだから、一時的に得意満面となった。まるでどこぞの潜水艦のようなドヤ顔である。


 とはいえ実際、魔女は戦士たちの心を少々くすぐっていた。ヴァイキングたる彼らにとって戦死は名誉だ。そして戦死者を守護するオージンを引き合いに出したことで、戦士たちは「おおっ」と強い興味をしめしたのだから。


 好印象をあたえたイーダたち一行は、そのままロングハウスの前に到着した。「このおおきさじゃ入れねぇな」と、バルテリは人の姿に戻る。すると老戦士がその場でくるりとむき直り、戦士たちに「人の輪を作れ」と命令した。


 戦士たちと、どこから出てきたか村の人々が次々に集まる。彼らは興味深げな顔をしながら、ヴィヘリャ・コカーリをぐるりと取り囲んだ。


(戦闘っていう雰囲気じゃないな)


 戦士は武器を置いているし、村民もそういうたぐいの物を持ってきてはいない。表情も戦意をやどすというよりは、会議に参加するなんて具合の色をしていた。


 彼らが集まったのを見て、老戦士は口を開く。


「さて、神の使者であるならば、ひとつ我々に力量をしめしていただきたい」


 松の木のようにしわがれた顔に、強い意志が見て取れた。フェンリルを前にしていても、萎縮することなく堂々と。「ここでは私が法なのだ」と言っているかのようでもあった。


「きたか」と表情を正すイーダの横で、当の狼が戦士へ聞く。「戦士たちよ、俺らはなにを見せりゃいい? このでかい建物を灰にしろ、なんてたぐいのことを望んじゃないんだろ?」


「無論です」


 魔女にはバルテリが()()へ誘導しているとわかった。彼らは見た目こそ本物のヴァイキングにしか見えない。が、ダンジョン生成によって創造された存在であり、つまり試練の権化たる者たちなのだ。


 なにがくるかと心で構える一行の前、突如老戦士はつま先で地面を叩き、リズムを刻む。音楽を聴く人がついつい乗ってしまったかのような、そんな所作でもって。


 まわりの人たちもそれにならう。そろって体をリズムよくゆらすから、ロングハウスの前はさながらダンスホールだ。


(え? なになに⁉︎ なんでいきなり愉快な感じになってるの⁉︎)


 とまどう魔女へ構いもせずに、戦士は地面を打ち鳴らす。そしてそのまま口を開け、歌うように試練を告げた。


(つるぎ)と盾は、壁へと立てかけ、韻とリズムで戦を紡げ。斧は君の歯、(やいば)は言の葉。試練はこれなり『口論詩(こうろんし)』!」


 提示されるは不思議な戦い。武器はおのれの舌だと言った。それに対して魔界の男は、逡巡してからニヤリと笑う。


「牙突き立てるは今日はなし、受けて立とうか老戦士。巧緻(こうち)の韻律詩の旋律を、しめしてみせるが知の証」


 ――おおっ! 取り巻く人々から歓声が上がった。一部の者は拍手までしている。それはあきらかに、見事に言い返したバルテリへの賞賛だった。


 口論詩――Flyting(フライティング)とは、いわゆるラップバトルのこと。実態はただの悪口合戦なのだが、韻とリズムを乱してはならないというルールがある。ゆえに高度な知性が要求されるし、バトルであるから強い戦意もこめなくてはならない。


(こ、こういう戦いの形もあるんだ)


 さすがのイーダもなにが行われているのか理解に時間がかかった。とはいえこちらの狼もやる気の様子。即興で言い返して見せたのだから。


 ここはまかせておいたほうがよさそうだ、そう判断し、魔女は彼へ勝負をあずける。「よろしくね、バルテリ(フェンリル)


「まかせろよ。悪口合戦は得意だぜ。魔界じゃ日常茶飯事だからな。カールメヤルヴィで俺に勝てるやつなんて、魔王様とカラスくらいなもんさ」


(たしかにあのふたりは強そう……。くそう、私も練習しておけばよかった)


 サカリの前でそんなことを口にしたら「やめておけ、悪辣がうつる」と言われたことだろう。けれど実際に「役に立てないなんて」と少々の悔しさはあった。


(でも実力がなければ足を引っ張っちゃうもんね。ここはおとなしく、頼りにさせてもらおう)


 気持ちを切り替え、狼を応援することに。魔女がそんな独白をしている前で、さっそく老戦士が言葉の剣を手にする。


 彼はまず、狼の外見を標的にした。イーダの生きた現代地球で、相手の見た目へ悪口を放ったらひんしゅくを買っただろう。しかしヴァイキングには容赦とか手心とかいったものなどない。


 端麗な容姿につけ入るすきなどなかったが、「怪我をしている」という唯一の欠点を目ざとく狙うのだ。


「血にまみれるは敗者の証。地に伏し倒れる死体のごとし。現にお前の顔色悪し。墓所(ぼしょ)墓穴(ぼけつ)へ突っこむ片足!」


 ルールはシンプル。うまく言い返せればバルテリの勝ち、そうでないなら老戦士の勝ち。これは即座の反応が求められるから、言いよどんだら失敗になる。


 けれど人々が刻むリズムに乗って、バルテリは敵へ牙をむいた。


「もうろくしたるは老戦士。蒙昧(もうまい)無知なる老人に、狼狽させたる事実が伝来。予想外にも赤きは返り血」


「おお、いいぞ!」「そうきたか!」「やるじゃないの!」、群衆が歓声を上げる。聞いていたイーダにも、この返答がうまくいったとわかった。


(ああ、うまいなぁ。相手が指摘した出血を「返り血だ」って笑い飛ばしながら、同時に相手を「老人でボケているんだろう?」って攻めたのか。こんなの私にまねできないよ。拍手を送るしかない)


 若干の嫉妬を噛みしめながら、心に尊敬の念をいだく。それは老戦士も同じこと。実に悔しそうなそぶりをしながらも、口の端を上げて「見事!」と評しているのだから。


 拍手の余韻もそこそこに、彼は「おほん」とひとつせきばらい。防がれた剣を構え直して、第二撃目を口にするのだ。


悪い狼(フローズヴィトニル)たるフェンリルは、グレイプニルにしばられる。よだれ流れるあご踏みつける、ヴィーザルによって血を流す!」


 お次の標的はフェンリル自体の存在について。グレイプニルでしばられている点と、オージンの息子ヴィーザルによって殺される未来を。


 だがこれは悪手だった。なにせバルテリは常日頃から、この部分をシニッカやサカリに茶化されているのだ。


 当然さらりと言い返す。


「フェンリル(ろう)の殺し手は、幻術・剣術・秘術の使い手。言術(げんじゅつ)しかない非才の相手、武術なきことさめざめ泣いて」


「ははは! 言われているぞ!」「これは効いたんじゃないかい?」「言いすぎよ狼さん、あはは!」、今回もバルテリに対する反応は上々。対して相手は少々うなだれる。「ヴィーザルは才能にあふれていたが、お前は口だけだな」なんて言い返されては当然だった。


(ヴァイキングにとっては武力が一番だもんね。「口先がうまいだけ」とか言われたら心がえぐれちゃうよ。しかしバルテリ容赦ないなぁ)


 さっきの嫉妬心はどこへやら。イーダは「バルテリが私の敵じゃなくてよかった」とあらためて思ってしまう。もし勇者春子としてこの世へ顕現していたとしたら、今ごろあの悪い狼に散々な目に遭わされていただろう。そして苦悶の表情とともに、墓の下でグズグズ泣いているのだ。


 きっと「丸太じゃないよぅ……」とか言いながら。


 ともあれ2回連続でバルテリは相手に勝ってみせた。口論詩の応酬がどれくらい続くかイーダにはわからなかったが、場の雰囲気からして決着はそう遠くないと思えた。


 続く老人の3撃目。彼はふたたび標的を外見へとうつす。あえて端麗な容姿を持っている点へ、「戦士なら傷のひとつもあるだろう」という意味をこめて。


「傷なき顔立ち非戦の(しるし)(いくさ)に挑まぬ気弱き(あかし)。幾多の戦場くぐった私、貴様に見せるは我が腕っぷし!」


 そう言って彼は右腕の袖をめくり、二の腕を露出させた。太い腕には、全力で造った力こぶが「むうん!」と背のびをして凄んでいた。


 けれど老戦士の言い分へ、イーダが思うのは「これは強引すぎるかな」という感想。だって実際バルテリは、勇者との戦いで負傷している。「戦いから逃げた」という指摘は、少々的はずれなのだ。


 こそっとバルテリの表情をうかがう。ニカッと口を開けた笑顔が見える。これは彼にとってイージーだ。ズバッと切るに違いない。


「我が牙、輝く煌々(こうこう)と。我が目は光る、爛々(らんらん)と。簡単たる判断すらできぬは、燦々(さんさん)たる我が目の前の男」


 三度歓声。そして拍手。「俺が戦ってきたのは見りゃわかるだろ?」という堂々とした立ち振る舞いに、どうやら勝負はあったご様子。


(3タテされちゃ終わりだな。老戦士さん、どうするんだろう? 素直に「負けました」って言ったら、ちょっと恥をかいてかわいそうかも)


 イーダは敵を心配していた。このままだと彼の誇りとか権威とかが砂の城のようにザラザラと崩れ落ちてしまいそうなのだ。


 すると、老戦士は両手をパンパンと叩いて注目を集める。「どうした?」と観客たちの視線が集まると、てのひらを上へむけた片手を相手の前へ差し出した。「攻守交代だ」、彼は心底まいったという顔をしながら、剣をバルテリに渡したのだ。


「いいぜ」、狼は短く応える。そして背すじをのばし直し、相手へ体の正面をむけた。止めを刺す気なのだろうと、イーダならずとも誰もがそう思っていた。


 しかし彼の韻律詩が帯びていたのは、誰もが意外に思う色。


「――なんと手強き老戦士。ひやりとさせられたこと実に多し。名士の闘志たるやまさに勇士。汝の語り叙事詩(サガ)にふさわしい」


 魔女は「はっ」と息を呑む。バルテリが相手を口撃しなかったからだ。むしろ賞賛をあたえねぎらい、いわゆるRepres(レペゼン)entation(テーション)の姿勢をしめしたのだ。


 老戦士は一瞬驚き、しかしすぐにその意図をくんだようだった。ふっと力が抜けたかのように微笑むと、右手をそっと胸の上へ置いた。


 そんな所作だったから、彼が返したのもまたレペゼンテーションだ。


「光栄に思う、フェンリル狼(フェンリスウールヴ)。栄光は君に、フローズヴィトニル。成功の歯牙が捕らえる太陽、青狼(せいろう)に栄えあらんと願おう」


「見事! よく言った! よく認めた!」「立派です、あなた! 惚れ直したわ!」「さすが我らが老戦士!」、今度の賞賛は彼のものとなった。潔く負けを認めながらも、韻律詩にはしっかり応じたから。


 そんな彼へ、狼が右手を差し出す。すぐにそこへ老戦士が右手で応じ、ガシッと音の鳴るような握手がなされた。


「あんたはいいエインヘリャルになるぜ。なにせオージンは詩人でもあるからな。ヴァルホッルでも引く手あまただろうさ」


「あなたとラグナレクで相まみえることを、私は楽しみに生きて行こうと思います。今生(こんじょう)でもう少々研鑽しながら」


(うん! ふたりともカッコいい!)


 人々に混じって拍手を送る魔女は、彼らの握り合った手へ満面の笑みを浮かべた。そしてこんなことを思うのだ。「攻守交替の時に片手を差し出したのは、老戦士の『敗北だ』という白旗と同義だったのかもしれない」、と。


 フェンリル狼の前に片手を出すのは、軍神テュールの故事からすれば「噛み千切ってくれ」と言っているのと同じだから。


 その老人が、人々の輪の中心で声を上げた。「さあみな、我らは彼らに道を開こう! 彼らは我らが主君と会うにふさわしい!」


「そのとおりだ!」「支持しよう!」、戦士たちもそうでない人たちも、口々に同意する。


 最初の試練は達成されたのだ。おおきな拍手喝采とともに。イーダはそれを嬉しい気持ちで聞いていた。仲間が手放しに褒められている光景は、ちょっと誇らしかった。


「さて……」、祝福の波がおさまるのを聞いて、老戦士はバルテリへ言う。「『試練をくぐる者たち』よ、まずは主人にお会いください。この先に進むにはロングシップが必要です。彼がそうしろと命じたら、私たちはあなたたちのために船を出しましょう。しかしそれより先に、主人の歓心を買う必要がありますゆえ」


「今、俺らのことを『試練をくぐる者』って言ったか? お前さんたちは、俺らがくることを知っていたのか?」


「ええ、先日巫女の予言があったのです。彼女は突然この地にきて『次の旅人へ試練を課すように』と言い残しました。そうすることで私たちの集落はオージンの加護を受けることができるのだと。そしてこうも言いました。『もしその旅人がお前たちの試練を突破したのなら、川上にある神殿へ歩を進めるように伝えよ』と」


「お前さんたちは神殿のことや、その巫女のことを知っているのか? ここに住んで長いんだろう?」


「残念ながら知りませぬ。なんともお恥ずかしいのですが、彼女がきてからというもの記憶がおぼろげなのです。しかし真実だろうということだけは確信しています。彼女は、彼女のことをあやしく思った我々と戦い、たったひとりで全員を打ちのめしてしまったのですから」


 魔女は「なんだか奇妙な話だな」と思った。要領を得ない話しぶりに思えたのだ。けれど理由ははっきりしている。ダンジョン精製能力がある勇者に創られた人々であるのだから、過去の記憶がおぼろげでも、わけのわからない巫女なる登場人物の話をしても、つじつまがあうからだ。


 感じた奇妙さは「変だな」というよりはむしろ、そうやって創られた人々にさえ生き生きとした側面があったから。喜怒哀楽、そして相手を敬う気持ちなんかを持っていて、数十年間ここで暮らしてきたのが嘘じゃないとすら錯覚したから。


(……なんだか、ちょっと腹が立つかも)


 スースラングスハイムの勢力が、自分たちの都合のためだけに創造した人々。真実をなにも知らせれず、ただ利用されるためだけにいる人たちを、ダンジョンメーカーが嘲笑っているかのように思えた。だから感じたのだ。「やつらは、この世界を踏みにじっている」と。


「まあ、承知したぜ。まずは主人にお会いしようか」、イーダの心を察したか、バルテリが声のトーンを落とす。街の人によって開かれたロングハウスの扉へ、冷たい視線を放ちながら。


 と、その重くなってきた雰囲気へ、夢魔が明るい花を咲かした。


「楽しみまショう、おふたりとモ。きっと巫女なりその背後にいる者なりは、僕らが現状へ気をもんでいることに蜜を味わっていますかラ。そんな食事を提供する義務なんてないでショ? むしろ領主の館へまねかれたんなら、僕らがもてなしを受けるべきっス」


 まあ力を抜きましょうと、そういう意味だ。「そうだな」、狼は肩をすくめ受け入れる。もちろん魔女も、彼女なりに心を落ち着かせた。「そうだね、ありがとう。戦意を燃やすにはまだ早いよね。薪の形に切り分けて、手の届くところへ置いておこうか」


「なかなか素敵な詩的表現っスね。どこかの本からの引用でスか?」


「たぶん白樺大好きな魔女の言葉かな。()()たるその人は、薪を作るのも得意だから」


「ははっ! きっとその女は、物騒な火遊びも得意だろうさ!」


 冗談を言ってクールダウン、さりとて火種は心の内へ。


 まずは村の主人と話をするため、彼女らはロングハウスへと入った。

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