笑うダンジョンマスター 8
イーダたちが転移したのはなだらかな丘の上だった。足元は草原になっていて、無数の若い草が身をよせあっている。太陽光はカールメヤルヴィよりも少々強め。つまりトリグラヴィアとくらべてずっと弱いけれど、魔界の夏にこんな日があったら「快晴だね!」なんて言ってしまうくらいのもの。
ヘルヘイムやヨツンヘイムといった過酷な地には見えないから、彼女らはすぐに「ここはミズガルズだ」と理解した。
「まずは求めていた場所に出られたかな。シニッカたちは狙いどおりの試練に挑めているのかな?」
「そうじゃなきゃそうじゃないで、なんとかするっスよ、あの人たちは」
「そうじゃねぇならそうじゃねぇなりに楽しむだろ、魔王様なら」
心配などしていないふたりに、魔女は「そうだよね」と苦笑を返す。どうせ考えてもしかたない。あらためて自分たちの試練へ意識をむけるべきだろう。
「しかし驚いたな。俺たちは地下迷宮にいたはずだろ? それがこんな広い空間へ出ちまった。なんか化かされているような気分だ」
「たぶん天界と同じだと思う。シニッカから聞いたけど、あそこはひと続きの場所じゃなく、葉っぱと葉っぱ、つまり街と街とが違う世界みたいな場所なんだって」
「じゃ、ここもクラシキ・ラビリントの中ってわけジャなく、別の世界に転移したみたいなことっスか」
「たぶんね」、答えてイーダは周囲を見やる。予想よりもずっと広いこの場所は、作成するのにどれくらいの魔力を使用したのだろうか。
(バグモザイクを発生させるような使いかたに見えるな。今は考えてもしかたないけれど)
当面の問題は、自分たちがどこにいて、これからどこにむかうか。
(まずは周囲の確認。次にどこへむかうべきか、だね)
丘の正面に見えるのは広大な森。目に気持ちよい緑色のかたまりは、ゆっくりと流れる青い川で真っ二つにされていた。川のほとりには集落がひとつ。炊事の煙も上がっているし、ところどころに人影らしきものも見える。どうやら森の中には道が1本引かれているようで、そこを進めばたどりつけそう。
自分たちのいる丘の左右は広大な丘陵地帯。そのずっと奥に、立ちはだかるようにそびえる山脈が見えた。もちろん後ろも同様で、森へ進むしかない状況。ロールプレイングゲームなら一本道のステージといっていい。
「まずはあの村を目指すべきだね。あきらかに『ここへこい!』って言っているし」
「だろうな。ちっと距離があるから獣化して進むとしよう」
方向性はすぐに決まった。でも集落が敵対的なのか、そうでないのかはわからない。イーダはムッと目をこらし、まずは目的地を遠景から観察してみることに。
「……村の中央におおきな建物があるよね? なんか木造船をひっくり返したような造りのやつ。北欧神話の本の挿絵で見たことがあるよ」
「ありゃ『ロングハウス』だな。ヴァイキング時代の集会場兼権力者の館みたいな施設だぜ。ま、目指すならあの建物だろう」
「あ、川の波止場には『ロングシップ』もありまスね。あれもヴァイキングの船っス」
つまりあれはヴァイキングの集落なのだ。
(フォーサスって中近世の文化や文明が多いけど……そのフォーサスとくらべても、かなり昔の時代の雰囲気だな。ヴァイキング時代っていつだっけか? 十字軍よりも前だったかも)
だとすると西暦1,000年より前の時代だ。中世ヨーロッパとは名ばかりの世界にきて、ついに本物の中世ヨーロッパが姿をあらわした。木造原料の紙なんかなくて、羊皮紙が幅を利かせていたころ。ともすれば日常生活で文字を必要としないから、紙なんていらなかったかもしれないあたり。「ひと昔前までは『中世暗黒時代』なんて言われていました」とは生前の教師の弁だ。ちなみに現在はその言葉自体が死語になりつつあることも思い出した。
(死語……。でも、ここには生きた中世ヨーロッパの一時代があるのかも)
自分の知っている知識の中で、興味があるにもかかわらず、意外と調べるのが難しかった『中世ヨーロッパ』。その中の一部、ヴァイキングが大活躍したとある時代。剣が1本見つかっただけで世界的ニュースになるような。
それが今、目の前にある。
現状に知識欲を刺激されてしまい、鼻息を荒くしたのは、あきらかに魔界の魔女の習性だった。
「行こう!」
そうなるともはや、いても立ってもいられない。もし彼女がほうきを手に入れていたら、勝手に飛んでいくくらいには前のめりになっているのだ。
「イーダさん、少々無警戒じゃないっスか? たぶん敵地っスよ?」
「『虎穴に入らずんば虎子を得ず』だよ!」
「虎の子もまさか自分の家に魔女が入ってくるとは思わなかったろうな。だがいいじゃねぇか。相手が虎なる猛獣だろうがベルセルクなるヴァイキングの戦士だろうが、狼のやることなんざカラスの餌を作ること以外にねぇんだから」
青い乱れ髪を楽しそうに振って、バルテリは「<獣化せよ>」とガンドを放る。突如あらわれたフェンリル狼に、丘の上の若草たちが「ひいいっ!」と身をのけぞらせた。
「よし、行くか!」、今回の獣化はちゃんと座席つき。「うん!」「まったく、もウ」、魔女と夢魔がベルトで席に体を固定したのを見て、フェンリル狼は大地を蹴る。一陣の風でもって草原へ一文字を描き、颯爽と駆け抜けていく。
魔女が思うに、その速さは病みつきになるものだった。内臓へいつもと違う重力加速度がかかるから、その違和感でお腹が笑ってしまいそう。しかも目指す先はヴァイキングの集落。ワクワク感でますますお腹がうずいてしまう。
黒い帽子の下でヘラヘラと笑う魔女と、その顔へ苦笑する夢魔を乗せて、青い狼は駆けて行った。草をえぐっていた足は、すぐに土の塊を宙に放る。獣道よりはだいぶ広い土の道、あっという間に森へ入った。
木々のアーチをくぐりぬけながら狼は魔女へ問う。「で、イーダ。俺たちは間違いなく歓迎を受けると思うがどうするんだ? ぶちのめすのは簡単だ。でもこれは武の試練じゃねぇよな」
「まずは話ができる状況を作ろう。相手が戦う気なら、命を奪わない形で応戦して欲しいよ。試練がどういうものかわからないけど、選択肢が戦闘だけっていうのはありえないと思うんだ」
「同感だ、まかせておけ。オンニ、ああいやリリャ。お前さんはあれこれ目を光らせておいてくれ。他のことはこっちにまかせて、偵察に集中するんだ」
「了解っス。でもイーダさんの護衛はいいんスか?」
「必要か? 大概の人間はガーゴイルよりも脆弱と思うぜ?」
遠回しにイーダを「大概の人間以外の人類」へ分類したバルテリの言に、魔女は魔女で「人外あつかいしないで!」なんて言わない。「大丈夫だよ」という気持ちが少々、残りの大半は目前に近づいているヴァイキングへの興味に割かれていて、それどころじゃない。
ものの10分ていどで、彼女らは集落の近くまで到達した。いちど停止した狼は背中からふたりをおろし、人の姿へするりと戻る。3人ならんで道なりに歩いていったところ、地面はなだらかなのぼり坂になった。上には村を囲む柵が見える。
近づいていくと、そこにはふたりの兵士がいた。チェインメイルの上から毛皮を首に巻き、頭には鼻当てのある鉄兜。右手に柄の長い片手斧、左手には丸い盾を持つ。腰には鍔のちいさな片手剣。そしてあごには三つ編みにしたひげ。
まごうことなきヴァイキングの戦士だ。
「止まれ!」、彼らは大声で制止し、斧を肩に乗せて言った。「なに者だ⁉︎ ここになにをしにきた⁉︎」
「誇り高き戦士よ! 気前のいい主人へ告げよ! フェンリル狼がきたことを! 狼が君をたずねてきたと!」
威風堂々、バルテリが要求した。戦士たちにむかって「フェンリル狼が主人をたずねてきた」と伝えたのだ。
(戦闘よりも会話を『選択』したんだ)
それは少々芝居がかっていた。けれどイーダの目には、ここにふさわしい立ち振る舞いだと映った。
(そうか、詩的な言いかえって、まさにヴァイキングたち古ノルド語圏の文化だったね。だからわざわざ韻律を踏んで要求したんだ。これはなかなかおしゃれかも!)
郷に入らば郷に従え。敵が用意したであろう試練の中にあっても、その姿勢を取ったバルテリへ魔女は尊敬の念をいだく。もちろんフェンリル狼たるバルテリが、その文化の中から生まれた存在だというのもあるだろう。けれどカッコいいことに違いはないのだ。
そしてそれは相手にも伝わった様子。虚を衝かれたか、数秒間あっけに取られていたヴァイキングたちは、すぐに両目へ戦士の炎をやどした。「お前がフェンリル狼なのなら、この場でフェンリル狼であることをしめせ!」、こちらもこちらで韻を踏む。ただでとおしてくれるわけじゃない。
「よかろう、俺は証拠を見せよう。お前は両目でしかと見よ。その目を必ず驚かせてやろう。この場を<獣化せよ>よ」
ゆらりと視界が青くなる。ゆがむ景色と入れ替わりに、姿をあらわすは青い巨狼。さっき乗っていたばかりだというのに、前口上を経たせいか、イーダには特別な瞬間にも思えた。
相手からしたらよけいにそうだろう。体格のいい戦士ふたりが、そろってぽかんと口を開けた。手に持った盾が地面へポトリ。ついでに斧もドサリと落ちる。
「ほ、本物か⁉︎ どういうことだ⁉︎ ラグナレクでもはじまったってのか⁉︎」
「いいや違う。お前らが戦死者の館へ行く前におっぱじめるなんて、野暮なことしねぇさ。ロキの遣いでここにきたんだ。ここにいる白樺の枝をあやつる魔女へ、ちょいと道を教えちゃくれないか?」
「す、すぐに人を呼んでくる! そこで待っていてくれ!」
(効果てきめん。そりゃそうだよね)
もし彼らが本当にヴァイキングなら、自分たちがなんども聞いた神話生物がいきなり目の前へあらわれたことになる。生前自分が九尾の狐なんかに出くわしていたら、同じように恐縮してしまっていただろう。
なんだか試練そのものを丸呑みしてしまっている雰囲気だ。さすが天にも届く口を持つ者。立ちむかうべきは自分たちだったはずなのに、ここでは立場が逆転しているのだから。
(……いや、そうともかぎらないか。フェンリルがいることなんて、敵にとって既知の事実なんだし)
魔女はゆるんでいた自分の頬を両手でポンポンと叩いた。同じくゆるんだ心へ「相手はウミヘビなんだぞ!」と一喝してやるために。
(ひとつ、戦闘は回避できた。けれど相手はシニッカと同じくらい性悪だ。こっちの油断を誘うために違いない。注意深く行こう)
一行は試練の入口へ立った。




