笑うダンジョンマスター 3
Dungeon。通常なら地下牢の意。本来の意味でいうと城なんかの地下牢を意味するから、そう広い空間を指すものではなかった。
この言葉が「迷宮」という意味を持ったのは、地球のゲームが発祥だ。冒険の舞台に古城の地下へ広大に広がる牢獄が設定され、そこへ潜っていくDungeon adventureという概念によって広められたのだ。概念自体はここ数十年内にできたもの。つまりたかだか数十年で名前の持つニュアンスがおおきく変わったといっていい。魔女がその事実を教えられたのなら、知識欲へ目を輝かせたことだろう。
ただ、そうでなくても彼女はダンジョンを楽しんでいる様子だった。
その宝守迷宮の中、夢魔のレインの心持ちは違った。片眉を上げ、なにやら複雑な表情。俗にいうなら小難しい顔。「なにかに興味を持った」という表情ではなく、「なにかを言いかけてやめた」という風だ。
言いかけてやめたのは、ささやかな「文句」だった。
それはとなりに歩く魔界の者たちが、長いダンジョンの通路へ「言葉遊び」という楽しみを覚えてしまったがゆえ。
「じゃ、そうっスね……。『オートミール』はどう言いかえられるっスか?」、魔界の夢魔リリャが出題をする。同じく魔界の連中は、すぐに思い思いの回答をそこに返した。
「『麦の苦悶の溺死』かな」「『食事の代替品』だろうぜ」「私は『必要最低限の栄養と、必要に満たない見た目のペースト』だと思うよ!」、魔女と狼と潜水艦の、それぞれ好き勝手で気ままな解釈。先ほどからずっとこんな調子だ。どうやらヴィヘリャ・コカーリではこういう遊びが日常らしく、通路へ足音を残しながら、ケニング遊びをし続けているのだ。
「魔王様はどうでス?」、あらためて問う夢魔へ、魔王はすました顔で答える。
「『料理をよそおう穀物』よ」
そして魔王の回答はいつでも切れがいい。はたから見ていてもわかるのだ。彼女ときたら容赦のなさにおいて、他の口の悪い連中に勝るとも劣らない。きっとこの青い髪の悪魔は『悪口を言う者たちの冠』なんてケニングを持つに違いないとさえ思う。
(お、オートミールだって食事の一種でしょうに……もはや存在を侵害しているじゃん。いや、狼が言った『食事の代替品』も大概ひどいけど……ああ、もう! まじめに考えてたら、ちょっとおもしろくなってきちゃったじゃない! ああ、腹が立つ!)
レインが難しい顔をし続けていたのは、この会話のせいだ。顔の半分で苦悶を描き、もう半分(魔王から死角になるほう)で笑いをこらえている。すでに魔王たちへむける殺意やら緊張感やらなどさっぱりないけれど、一緒になって笑うのは正直癪だったのだ。
(……心を落ち着かせよう。一緒になってバカっぽいことを口にする必要ないんだから)
同じ空気に染まるのが嫌だったから、口を少々開けながら、こっそり深呼吸をする。でもならんでしゃべる者たちの声は、嫌でも耳に入ってきてしまう。
「次は……『ライ麦パン』はどう言いかえられるんでスか?」
「『穀物の廃墟』はどうかな?」「『4本脚の生物の好物』じゃねえか?」「『麦の凄惨な焼死』!」、3名の回答。フェンリル狼(2番目の回答者)はなかなか知的で、つまりは「人の食うものじゃねぇ」と言っているのが伝わってくる。ついでに今回の魔王の回答は『バターの仕事の限界点』だった。バターがあればなんでもおいしくなりそうなものを……それすら不足なほどまずいと評したのだ。
(まあたしかにライ麦パンはすっぱくてまずいけどさ……)
「なるほどでスね。それなら夢魔らしい質問なんてどうでショ?『夢精』はなんて言いかえられまスか?」
ピクリ、レインの耳が動く。彼女だって夢魔なのだ。「む、夢精……」と生娘のリアクションを取る魔女なんかより、よっぽどそのお題へ答えるにふさわしいのだ。
実際魔女は「え、ええとね。うーん、パス!」なんて言って回答を拒否した。残りの連中にそんな恥じらいなんてありゃしないから、「『寝床の鉄砲水』だ」「『海洋の旅の女神』に決まってるよ!」「『まどろみの酒にして覚醒の吐しゃ物』かしら」とスラスラ答えていく。
魔女はそれを聞いて、ちょっぴり悔しそうな顔。彼女にとってはおぼこを気取ることなんかより、知的な回答をできることのほうが重要な様子。
(ああ、じれったい。私ならすぐに答えてやれるのに)
夢魔がゆえ自身の得意分野へ口出しできぬいらだちが、レインの表情をより複雑にしていく。目をそらしつつも耳をかたむけ、なにか言いたそうな顔になってしまうのだ。
「で、プロの意見はどうっスか?」、そういう違和感を見逃すリリャでもない。意識を読まれて「ぐっ」と変な声を出した勇者の恋人は、我慢できなくなって口を開いてしまった。「『脚絆の災厄』よ」
「フッ」、まっさきに応答があったのは、他ならぬ自身の恋人。レインの表情が「しまった」と「しょうがないじゃん」のふたつの感情により、いよいよもってピカソの人物画のように抽象を描く。おかげで「な、なんて顔してんだよ」とグリゴリーを困惑させた。
そんなふたりの耳に聞こえる、クスクスといった笑い声。「やっぱ気になってるんじゃないか」とか「仲がいいね」とか、そんなニュアンスが伝わってくる。それにはさすがのレインでも「ぐぬぬ」と悔しがるしかない。
(ああ、もう。今のこいつらの前にいたら、ベラドンナすら毒を抜かれちゃう)
はぁっとひとつため息を。レインは、もうどうやっても敵意とか害意とかを魔王たちへむけられなくなったと理解したのだ。
そこへとどめを刺すように、魔女が一声かけてきた。「レインさん。属性付与魔術、見事だったよ。あれは冒険者の魔術?」
「え? ええ、そうよ。別にめずらしくなんてないでしょ?」
「魔術自体はめずらしくないかもだけど、あのタイミングですかさず放てる人はめずらしいと思うな。ありがとう」
「い、いいのよ、別に。あのガーゴイルは私たちにとっても敵だったんだし」
プイッと顔をそむけながら、レインは耳を赤くした。魔女のほめかたと謝礼があまりにも真っすぐだったから、受け止めかたがわからなかったのだ。
「……あなたもね、魔女。あんなトリッキーな戦いかたをする言遊魔術師なんてはじめて見た」
照れくささを隠すため、思いついたまま口に出す。むろん「鞭の刃を絞首台にするなんて」と感心したのは本心だった。
夢魔として相手がどう受け止めるか気になったから、ちらりと魔女の顔を見やる。そこには「え、えへへ」とこれまた賞賛の受け止めかたを知らない少女の姿。それがなんだかかわいらしくて、レインは「ふふっ」と笑みをこぼしてしまった。
どうやらこのイーダなる魔女は、その肩書に似合わない素直な心を持っている。戦いの時に感じた不敵な雰囲気というのは、きれいさっぱり失われていた。あれはきっと敵にだけむける戦意のあらわれなのだろう。
動物にたとえるならフクロウあたりなのかもしれない。普段は木の上でのんびりとしているのだ。人間やら自然やらの観察にいそしみ、知恵の象徴と言われるだけの思慮深さも持ち合わせていることだろう。少なくともケニングに関しては深く勉強していると感じられる。
けれど夜――つまり狩りの時間になると、とたんに彼女は猛禽類の表情を見せる。すぐれた観察眼とするどい爪でもって、敵の命をわしづかみにするさまは、暗い夜の支配者にふさわしい立ち振る舞いだと思えた。証拠にグリーシャは石にされ、自分は歯噛みをする結果となった。だから魔女へ夜の猛禽を重ねるのは間違いではないはず。当の自分たちの感想なのだし。
「ま、ありがと」
レインはお礼を言った。この魔女に対しては素直な感情を出してもいいと思った。「うん!」とこれまた素直に応じる少女へ、「やっぱりさっきと同一人物とは思えないな」と口にし肩をすくめる。
「同一人物か……」、意外にもその言葉へ反応を返したのは恋人だった。顔をむけると、彼は少々思い悩んでいる。同一人物という一文に、自分の境遇を重ねてしまったといった雰囲気だ。
「グリーシャはあなただけでしょ?」
「ああ、そうだな。けれど俺の知らない、俺の記憶がある気がするんだ。そいつがもうひとりの自分に思えちまう」
吐露といっていいだろう。彼らしくもない弱気な台詞。そして自分を納得させるように言葉を続けるのだ。「俺はいったいなにをされたんだろうな。固有パークを奪われ、1年間の偽の記憶を植えつけられて」
「問題は誰がなんのためにそうしたかね」、悩む勇者に魔王が応じる。「少し状況を整理しましょうか。あなたの身に起こったことと、これからトリグラヴィア王国で起ころうとしていることはつながっているはずよ」
「うん、シニッカに同意だよ。敵の姿もかなりはっきり見えてきていると思うんだ」、魔女もその会話にくわわった。「けれどそろっていない駒があるよね。そこのあたりを整頓したいかな。このダンジョンから出た後、どうやって動くべきかにもかかわってくるし」
「ああ、同意だ。なあ魔王。やはり黒幕はスースラングスハイムだと思うか?」
「他に考えようもないわね」、そう答えた魔王は、歩きながら現状というものを規則正しくならべはじめる。
その言動に、魔女はサッと日記を取り出し、忘れないようにメモをはじめた。




