笑うダンジョンマスター 2
重武装のガーゴイルを倒したイーダは、となりで戦う魔王をうかがう。
(こっちは勝った! シニッカは?)
さっと魔王へ目をやると、そちらはそちらで残酷な光景。どうやったのかは知らないが、彼女は両の槍を倒れた敵の両目へ突き刺したところ。舌でぺろりと唇を濡らすのは、獲物の魂を味わっているかのよう。でも目線はすでに別の獲物へ。
地を蹴りシニッカは次の敵へ襲いかかった。槍が4回振るわれて、2体の魔物が地に伏した。それはちょうど、魔女と目標――緑の炎の間に立ちふさがっていた相手。つまり彼女は魔女からの射線をとおしたのだ。
(――今だ!)
イーダが左の拳を炎へむけたのは、それを見逃さなかったから。
「<ᛚ、矢となれ>!」、最後の白樺へ魔術を唱える。湖のルーンへ矢のケニングを接続して。炎を消すよう命じられた小枝が、鷹匠の命を受けた猛禽のように獲物へ飛びかかっていく。空気を切り裂くその音は、するどく鳴いた鷹の声。
――しかし、今や魔物は手負いの獣だ。1体のモンスターが壁になることを選んで立ちふさがった。魔女の目には胸に鷹の一撃を受け絶命した魔物と、倒れるそいつの後ろでいまだ光を放つ緑の炎が見えた。
(防がれた⁉︎)
なんて惜しい! と舌打ちをひとつ。攻撃は失敗、即座にもう一撃くわえる必要がある。この機を逃せば、また敵がワラワラとよってきて、最初からやり直しなのだ。けれど手の中に杖は残っていない。キッと奥歯を噛んで、次の攻撃手段へ思考をめぐらせた。
白樺の枝はまだ持っている。けれど上着の内側だ。ならばこのまま直接魔術を放つ? 少々距離があるけれど。
と、魔女は目の端に黒い線が一筋のびるのを見た。それは軌跡が残像になって尾を引くくらい高速で飛んでいくダガーだった。見覚えがある。潜水艦が愛用している、真っ黒に塗られたするどい刃だ。
そして意外にも「<氷属性付与>!」、勇者の恋人の声。炎の元へまっすぐ目指す潜水艦の刃に、炎を消すための力を付与してみせた。
(これはうまい!)
数体の魔物が阻止しようと手をのばす。けれど短剣の飛翔速度は羽をたたんだ隼のように速くて――
ドシャッ! 燃え盛る炎が、まるで氷を石畳へ落としたかのように砕けた。破片がキラキラ輝きながら、たっぷり時間をかけて床へ散る。同時、窓ガラスが叩き割られるような音があらわれた。空間を一瞬で満たす魔力の波も。
ザバァと音を立てるかのように、魔力が部屋中を駆けまわる。それが魔腺へ強く働きかけてきたものだから、魔女はなんだか洗濯桶の中でかきまわされている手ぬぐいのような気分になった。そして、なぜそんな気分になったのかを知るのにも時間がかからなかった。
魔物たちは怨嗟の言葉を残すこともなく、1体残らず霧散したのだ。ギジエードラゴンの消滅時と同じ、無数の光の粒になってさぁっと宙へ消えていく。泥の汚れが洗い流されたかのように、それはもうすっきりと。
(勝った⁉︎)
不思議と戦いの時には冷静だった心臓が、勝利を実感してドキドキと高鳴る。すぐに辛抱たまらなくなり、魔女は「勝ったぁ!」と両手を掲げた。「やったよ! ナイスだよアイノ!」
「でしょ! 魚雷もダガーもお手の物なんだ!」、いつもの得意満面になりながら、潜水艦はその顔を勇者の恋人へむける。そして「それになかなかいい援護もあったしね」、めずらしく人をほめた。
言われた夢魔は「ふんっ、協力は一時的よ。私もグリーシャもここから出られないと困るんだし」と照れくさそう。それがあまりに普遍的な態度だったので、もうひとりの夢魔はすかさず茶々を入れた。「絵に描いたようなツンデレっスね。国宝にしてもいいくらイに。勉強になりまス」
「ああもう! その外見も、うるさいのもアムと一緒! そろそろ元に戻ったらどうなの」
「いえいえ、このままデ。今ストリーミングが復活しちゃうと顔もバレちゃいまスし、うっかり女公爵が僕に惚れたりするとバルテリさんに悪いっスから」
戦いの直後とは思えないほど、緊張感に欠けたゆるい会話。イーダはそれを聞きながら「これはこれで、なんだかいい雰囲気かもな」と頬をゆるます。勇者グリゴリーと夢魔のレインが敵であった時間はとっくに終わり、どうやら今は共闘できる程度の間柄だと実感したのだ。だったらコミュニケーションは円滑なほうが好ましいというもの。たとえば今の無駄口のような。
肩の力をふぅっと抜いた。途中で一瞬ヒヤッとしたけど、戦いは大成功だったといっていい。達成感もひとしおで、それはもう両手いっぱいにかかえるくらい。自分の立ちまわりを思い出すと、正直爽快な気分といえたから。
満足そうな魔女を見て、魔王はつぶやくように言う。
「魔界の魔女には軍神テュールの加護が残っている様子ね。剣はとっくに手放したのに」
「魔王様よ、俺の養父は義理堅いやつなんだ。約束のために右手を差し出すくらいだからな。ゆえにまじめな少女が熱心に彫ったルーンを忘れたりしないだろうさ。そいつが戦いに真摯ならとくにな」
仲間からのねぎらいの声。少女は「でへへ」とだらしなく笑った。ついでに軍神へお祈りを。「勝利をありがとうございました」なんて。
そうしていると、炎の会った場所の奥から石と石とがゴリゴリこすれる音が聞こえた。別にテュールが姿をあらわしてくれたわけではなかったが、かわりに石の壁の一部が口を開け「試練は終わったのだ、さあとおりたまえ」とねぎらいの言葉をかけてくれている。
ひとつの戦いが終わったのだ。冒険者風にいうのなら、「部屋の攻略に成功した」となる。
「まずは一部屋完了ね。次の相手はなにかしら?」、魔王が先頭に立って出口をくぐった。まだ一部屋目、きっと性悪な試練は続く。事実、勇者は表情を崩さずに魔王の言に答えた。
「ここが俺の知っている場所とおおきく変えられていねぇなら、こんな調子で部屋ごとに課題があたえられるんだ。今回みたいなモンスター相手なら気は楽だが、頭を使わなきゃならねぇ場面も、技術を問われるような場面もある。『カルストの迷宮に入るのならば、すべてのモノを持っていけ。腕力、知力、技術力。武器、防具、さまざまな道具。忘れていいものがあるのなら、それは油断だけなのだ』ってのが、冒険者ギルドにおける、このダンジョンの評価だ」
(さすが最高難度のAクラスに分類されるだけのことはあるな)
踏破には総合的な力が必要なのだろう。それを持たずに侵入した者には、ここは巨大な墓石と違いがない。でもイーダは心配していない。今いるメンバーを見まわせば、きっと足りないものを探すほうが難しいのだ。
とくに知識においては我らが魔王様がいる。それにはおよばないけれど、もちろん自分だって。
と、魔女は人影がひとり少ないことに気づいた。キリリとした顔をキョトンとした表情に変えて、その行方をみなに問う。「あれ? アイノは?」
「待ってぇ!」、自分たちのずっと後ろ、部屋の真ん中くらいから声がした。ダークグレーのコートの持ち主、炎を消した張本人、武勲艦たる潜水艦だ。「ダガー! ダガーの回収させて!」と彼女はめずらしくあわてている。「資源は有限なんだよ! 油の一滴、血の一滴! 短剣一本、火事の元!」
「いいから早く探せ」、つきあいのよいバルテリが駆けよっていく。一緒になって探すつもりだろう。「あんなにバラ撒くからだ」と肩をすくめているのが聞こえた。
「時は金なりよ」、魔王様はボソリと言う。「弾丸を撃ちすぎて怒られた軍艦の話、アイノがしてくれたんじゃないの」と、まったくつれない態度でいるのだ。
その言いぐさに、残りのメンバーは苦笑いを重ねた。
もちろん勇者とその恋人も。




