笑うダンジョンマスター 1
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
幅と奥行きが広い石造りの部屋。しかし天井は3メートルくらいと低い。つまりバルテリはフェンリルの姿をとれないし、シニッカも槍を振るうのに気をつけなくてはならないだろう。
その上、多くの石像――おそらくガーゴイルのように突然襲いかかってくるであろうモンスターたちが、侵入者へ注意深く意識をのばしている。少なくとも魔女にはそう感じられた。もう少し進めばいきなり動き出して、長いかぎ爪とするどい牙がいくつも来襲するに違いないのだ。部屋の奥50メートルくらいの位置にある緑色の炎を消させないために。
そんな悪意がむき出しの空間においても、イーダが「ずいぶん乱暴そうな見た目の灯台守だな」なんて余裕ある思考を働かせたのは、自分で放った戦意のおかげ。「ここは失敗にいたる唯一の建造物。誰にとっての失敗かは別として」と、魔女は決して負けてやらないと決めていた。
戦意は伝播するものだ。ヴィヘリャ・コカーリの魔獣ふたりと夢魔ひとりは、魔女の言葉へ口の端を上げた。ならんで歩く勇者とその恋人にも、その雰囲気が伝わってくる。ちらりと魔族らの顔を見ると、戦意はまっすぐに石像たちへむかっているから、言われなくたって共闘の姿勢を取っているとわかるのだ。
(さっきまでの敵は、今や味方ってわけか。複雑だぜ。だが――)
グリゴリーは意を決した。「レイン、俺を援護してくれ」「もちろん、まかせておいて!」、勇者たちは各々の剣をすらりと抜く。立ち位置の都合、集団の左側を請け負う形となった。
もちろん魔王たちの意識もとっくの昔に戦いへ。「バルテリ、あなたはリリャと一緒に右側を。アイノは自由に。私は先頭に立つわ。イーダ、一緒にきて」「もちろん。私かシニッカであの炎を消そう」、集団の前方と右側をなす。くせ者たる潜水艦に自由裁量権をあたえた上で。
ちょうど矢じりのような陣形だ。ゆえにいちど放たれたなら、標的目がけてまっすぐ飛んでいくだろうと全員が自信を持っていた。横風なんかが邪魔をしたってかまわない。勇者とフェンリルが、各々夢魔の援護を受けて防風林になってくれる。そして目の前に立ちはだかる者に対しては、魔女と魔王で二枚重ねになった分厚い切っ先がどこまでも切り裂いていくのだ。
先頭にいる魔女は物怖じしなかった。テュールが彫られた剣はリリャへ渡してしまっているのに、自信満々といった顔でコツンコツンと歩を進めていく。なにせ彼女にはまだ武器があるのだ。魔女はなにも持たない両手を袖の内側へ折りたたむようにしながら、顔の高さまで上げた。
フォン! 振りおろす。「出番だね!」と元気に飛び出してきたのは、袖の下に隠していた白樺の小枝。指の間へはさんだ数は片手で3本、両手で6本。暗殺者が隠し持った投げナイフを手にするかのように、魔女は信頼に足る杖を構える。
そのまま歩みを止めず石像たちの真ん中へ。四肢に白樺を香らせて、長い帽子のつばから油断なく目を光らせて。
(そろそろくるかな?)
思った矢先、ピシッと石のひび割れる音。刹那、押しよせる濁流のような殺気。
「<ᛒ、刃よあれ>!」
魔女が両手へ刃を展開した瞬間、ガァァ――! 無数の声が響いた。ゴツゴツした皮膚に長いかぎづめの魔物が、四方八方から襲いかかってくる。
(予想どおり!)
その光景は一匹の鹿へ数十頭ものコヨーテたちが群がるようだった。囲んで飛びかかり、食いちぎって糧とするのだ。しかし現実には違う点もある。それは黒い無数の殺意の中心にいたのが非力な鹿ではなく大角鹿だったこと。巨躯と巨大な角を持った、草食なれど猛獣のたぐいの。
(負けてやらない!)
「てぇりゃぁ!」、魔女は両腕を交互に振るう。近場の敵へ目いっぱいに。手にした白樺は刃の鞭になりかわり、ズバン! 敵を切り裂いた。上下ふたつになった相手は、生き別れの上半身をくるりとまわして地に伏せる。魔女の手からのびる刃の蛇が、それを地面の上から見上げていた。
それこそ彼女のおおきな角だった。刃の数は両手で4本。残り2本は予備戦力だ。
「<ᚠ, ᚱᚨᚾᛃᚨ, ᚷᚨᛟᛁᛊ>」、となりで魔王も戦闘準備。天井の低さなどものともせずに、ゲルマン・ルーンで双槍を手にする。Ranja――早駆ける者と、Gaois――吼ゆる者。彼女も彼女で大角を構える。
掲げられた2本の武器にも、魔物たちは躊躇しない。1体が真正面から魔王へせまる。が、バチン! と肉が弾かれる音。魔王は襲いかかる敵の攻撃を早駆け槍で防いでみせ、直後に逆の手の槍が相手の胸元へ咆哮を飛ばす。胸から入ったその一撃は、背中へ続く大穴を穿つ。血肉がバッと飛び散って、後ろにいた魔物を赤くいろどった。
そうやって1体を絶命せしめた魔王は、すぐに次の獲物を求めて走る。矢じりの先端は戦果も上々。雪へストックを差しこむかのように、敵へ楽々突き刺さっていった。
むろん左右の刃も負けてはいない。
「<Speedrun>!」「<炎属性付与>!」
勇者は高速疾走の魔術を、恋人は彼に火炎で援護を。燃える剣を手にしたグリゴリーは隼のように駆け、1体2体3体と敵を骸へ変えていった。近場の敵を倒したら元の位置へ。陣形を矢じりの形へ維持するために。
逆の側には吼える狼。両手には片手持ち戦槌を1本ずつ。「武器が渋い」と言われても、重量があって頑丈で、あつかいに手加減を必要としないこの武器は狼の好むところ。
ドシンッ! 右手の武器を振りおろし、鋭利なほうの先端を相手の肩へ突き刺した。そいつを自分の脇へぐっと引きよせながら、反動で左腕を振り出す。こんどはグシャリと鈍い音。平らなほうの先端が、相手の頭蓋を殴りつぶす。
狼が敵を屠ってできたすきまへ、魔界の夢魔が飛びこんだ。すばやく、そして姿勢を低く。敵と敵の間へ体を入れた彼女はヤマネコのようにヒョイとはね、まわるコマのように剣を振るう。襲いかかった刃のつむじ風は、ふたつの個体の頭をわずかな時間差とともに胴から切り離した。
もちろんこのふたりも陣形を乱さない。鋼のような結束力で、鋼鉄の矢じりをなしている。あくまで目指すは緑の炎。敵を乗り越え走って進む。追いすがってくる敵など目もくれない。そこには潜っている時よりもずっとすばやい潜水艦がいて、敵の目かのどか心臓かへ投げナイフを次々に打ちこんでいるのだから。
「シニッカ! 私たちはうまくやれている⁉︎」「ええ! 敵にとってまずい状態よ!」、言葉を交わすふたりの表情が「我々は強いのだ」という事実を雄弁に語っていた。
敵の胸元へ飛んでいく時、道草を食う矢などない。そう言いあらわして差し支えないほど、彼女たちは直線で目標へ走った。止めるには物量と肉弾しかない。感情を持たないモンスターたちは、本能でもってそれを理解する。
飛翔する矢が行程の3分の2まで目標へせまった時。
「イーダ! ひと工夫必要そうよ!」、死骸から槍を抜きながら魔王が魔女へ警告をした。言われたイーダは敵を切り伏せながら、視線をぱぱっとめぐらせる。そしてなぜシニッカがそんなことを言ったのか理解した。
他の個体よりひとまわりおおきい2体。屈強な門番か、はたまた騎士か。そいつらは鈍色の鎧と剣で武装していた。そのどちらもが肉厚で、「我々はただ者ではないのだ」と風体で語っているかのよう。けれど魔女は気おされない。冷静に敵を見て取るのだ。
(あの装甲じゃソーンの刃は効かないか)
テュールの意識が残滓となったか、彼女は一瞬で判断した。「シニッカ! 左を!」、片方は魔王へまかせると決め、自分は右側の個体へ疾走する。まずは立ちはだかる一般の魔物へ、4本の鞭の斬撃を見舞い倒す。直後その亡骸へ駆け上がり、身をかがめながら空中へおどり出た。
「――っ!」、頭上は天井へスレスレだ。帽子が固い石の表面をなでる。でも意識している場合ではない。視線を鎧のモンスターへ。両腕を後ろへ引いてから、「てやぁっ!」と一気に前へ振る。
バシシン! 相手の体へ4本の鞭がからまった。着地して相手をにらむ。案の定、効いてはいない。けれどこれはただの仕込みだ。
「<ᚼ、絞首台よあれ>!」
口にしたのは蛇のルーン。そして絞首台の言遊魔術をひとつ。
魔女は4本の鞭を手から離した。すぐにそれは意志を持ったかのように、ズルルッと相手の首へまとわりついた。「今からお前を処刑するのだ」と言わんばかりにギリギリ音を立てながら、首鎧と兜の間――頸動脈のあたりを絞めつけていく。
魔物は振りほどこうと絞首縄を両手でつかんだ。酸素を求める口が声にならない叫びを上げる。けれどアナコンダのように太くなったいばらの蛇は、そんなことでちぎれてくれない。それに魔女も、そのさまを最後まで見たりしない。
「たぁっ!」、ふたたび魔女は跳躍した。空中で敵へ半身に構えたまま、全力でボールを投げる直前のような姿勢でもって。敵の目の前へおどり出た彼女は、振りかぶった右腕を相手の顔へ突き入れる。薬指と小指ではさんだ小枝を、鎧通しの切っ先に見立てて。
おおきく開いた、相手の口へ。
「<ᛁ、剣よあれ>!」
――ガァン! 金属音がしたのは、のどの奥を貫いた氷の刃が兜の裏側に当たったから。頭と胴とが一瞬で分断されて、鎧の魔物はあおむけに倒れた。
(よしっ!)
上々な戦果をたずさえながら、魔女のイーダはとなりで戦う魔王へ視線をうつした。




