笑うノコギリエイ 後編5
屋敷を出ると、モンタナス・リカスという街の広さに気づく。この世界の中では大都市のひとつといっていいらしい。川沿いに作られた旧市街地は城壁で囲まれ、人口の増加とともに入りきらなかった建物たちが、その外縁へ新市街地を構成している。そちらにも新しい城壁が。旧市街地のものにくらべると、新しいけれど高さは控えめ。そのかわり石造りの円塔が四方それぞれにあって、街の内外を監視していた。
街の真ん中を流れる川、城壁、防衛塔。お城だけはないけれど、これぞ異世界、これぞ欧州なんて具合の場所だ。
でも今、イーダたちは人気のない場所にいる。
「ルンペルス……なんだっけ?」
「ルンペルシュティルツヒェンよ」
2021年9月11日。ジラールの屋敷を出た後、むかったのは近所にあった自然公園のような散歩道。ちょっと脇道にそれれば林の中。生えているのはBeechとかOakとか、名前のわからない低木や茂みとか。曲がりくねった枝葉をのばし「お手洗いかい? 秘めごとかい? 悪だくみだって構いやしないさ」なんて(ちょっと悪ぶって)気をつかい、街からの目線をよく遮断してくれている。
イーダはその木々の間、アイノとならんで立っていた。目の前にはなにやら雰囲気たっぷりのシニッカ。柳のように、ゆらりと正面へ立つ。「抵抗しちゃだめよ? これから魔法をかけるんだから」、なんて言う魔王に、イーダは少々驚いてしまった。「わ、私たちに魔法をかけるの?」
「ええ、そうよ。この魔術は他者からの認識を阻害するものなの。外見を偽り、名前も『正しく読み聞きできない』ようにする、なんていう。魔王と仲間がその辺をウロウロしてたら、勇者にバレちゃうかもしれないでしょう?」
「う、うん」、とまどいながら生返事。魔王はそんなものを気にしない。「では、かけるわね。アイノもいいかしら?」
「了解、魔王様!」、潜水艦少女が元気よく応じると、悪魔はさっと手をかざす。有無を言わさずはじまるようで、緊張する暇もないとイーダは感じていた。
少しだけ怖くなり目を閉じる。すると木々の間を抜けていく風ような、シニッカの澄んだ声が聞こえた。
「――<柱をガタゴト打ち鳴らし、お前はわらを金に編む。カール、カール、エーミール、すべてお前の名前じゃない。小人よ悪魔が名づけてやろう。その名もルンペルシュティルツヒェン。パンを焼いてもビールを飲んでも、粉屋の娘に近づくな>」
さあっ、サウナで名前をもらった時と同様、白樺の香りの風が血管を吹き抜ける。あの時と同じやさしい感触に、魔術への不安は溶けて消えた。顔も知らない小人「ルンペルなんちゃら」さんが、ウインクをしながらとおりすぎて行った気がする。
おかげでイーダは自分がどんな外見になったのかと、心をワクワク躍らせたのだ。
(髪とか、なに色になったんだろう? 顔は? シニッカみたいな、かわいい外見にしてくれたかな?)
期待を胸に、ぱちりと目を開けると……おかしい。アイノとシニッカはいつもどおりの外見だし、自分の四肢も髪もなんら変わっていない。髪を引っ張って視界に入れても、いつもの黒い色のまま。
「あれ? 外見が変わるんじゃないの?」、怪訝そうな顔で聞く。そんな彼女に「変わっているわ。ただし、この魔法には弱点があるの」、期待させて悪かったわねとばかりに、シニッカの手が肩に置かれた。
「あなたのことをすでに知っている人や、なんらかの方法で知った人には効果がないのよ。そういうルールにしばられた魔術だから」
つまり、自分はアイノもシニッカも知っているから、外見が変わって見えることもない。自分で自分も知っているから、知らない誰かから見た時に、どんな姿になったのか自分で確認できないのだ。
「ええと……かわいくしてくれた?」
猫耳やらしっぽやら、『異世界あるあるのかわいいアイテム』でもつけてくれていないだろうか? そんな淡い期待を質問へ乗せて。
「街中にフレイヤみたいな絶世の美女が歩いていたら、嫌でも注目されちゃうでしょう? なるべく目立たない、普通の外見になるようって念じたわ。だから路傍の石くらいには、人目を引かない外見になっていると思う」
答えは『路傍の石』。あんまりにもあんまりなたとえに、「私は石……」と口の中で繰り返してしまう。よせばいいのに潜水艦が「イーダ・石子! 石田ハルコ!」などと改名をせまってきたので、イーダはとりあえず「やめてね、アイノ」と中止させた。
一方のシニッカは話を続ける。
「さ、勇者の情報を調査しましょう。『冒険者ギルド』へ行くわよ」
聞き捨てならない組織名。「え! 冒険者ギルドがあるの!?」とおおきな声が出てしまう。
異世界における冒険者ギルドは、本における目次、外出における地図アプリ、受験における過去問集で路線バスの時刻表。もしくはビジネスパーソンにおけるネクタイ。なくても世界はまわるけど、あったらメリーゴーランドのように楽し気な雰囲気を出してくれるやつ。
「もちろん。冒険者ギルドは害獣と同じく世界が転生勇者のために用意したもの。利用しない手なんてないわ。規模はちいさいけれど我が国にもあるのよ」
うなぎ屋に行ったらうなぎが出てきてほしいのだ。うなぎを食べたことがないならなおさらのこと。だからイーダは少々はしゃいだ。
「カールメヤルヴィにもあったんだ! 私、ちょっと興奮してるかも!」
「Isekaiならでは、の組織だものね。それに私だって便利に使わせてもらってるわ。国家をまたがるやっかいな組織だから、取り扱いには十分注意が必要だけれど」
3人は話しながら、林の出口へ。やわらかい土へ足跡を残しながら進んでいく。約1名の足跡が乱れているのは、興奮した少女のものだからだった。
「ヴァランタンの話を聞いたかぎり、猶予はあまりないわね。勇者が辺境伯領にいるうちに仕留めないと。国境線を越えられたら面倒よ」
「それなら冒険者ギルドへ行く前に、勇者が街から出ていないか聞いたほうがいいんじゃない? 街の入口ってなにかしらの施設があるよね?」
「大丈夫、私たちは3人だけじゃないから」
シニッカはイーダを見たまま、空を指さした。視線を空に上げたイーダの目には、木漏れ日を点滅させる黒い影。日本にいたよりもおおきなカラスが、風をつかんで悠々と旋回しているのが見えた。素直に「私の知っているカラスより、ずいぶんおおきく見えるよ」と言って、視線をシニッカに戻す。
「この前話した4大魔獣の一角よ。北欧神話に出てくる『フギン』『ムニン』という2羽のワタリガラス。主神オージンに仕える、思考と記憶の化け物ね。人型の時は『サカリ』っていうひとりの男だけど、獣化すると2羽にわかれて、おたがいが情報を共有できるの。今頃、もう片方が勇者を探しているわ」
イーダは「すごいなぁ」という感想とともに心強さを感じた。目に見えているふたりだけでなく、目に見えない場所で仲間がサポートしてくれていたのだ。自分の知らないところで働いてくれているカラス、もといサカリへ、ありがとうのひとつでも言いたくなった。
「わかった、調査しよう。テキパキやらなきゃね」
お礼を言っても空の上まで声が届かない。かわりに自分は自分の仕事をがんばろう。短い言葉でスイッチを入れ、はじめて訪れる冒険者ギルドへむかうこととした。想像どおりなら人がたくさんいるのだろうけど、3人で行けば緊張もせずにすむ。
ちょうど林がとぎれて街の広場へ出た。どこにいたのか、人どおりがずいぶん多い。露天商はまさに冒険者という風体の戦士たちを応対しているし、馬車やら荷車やらが石畳をゴロゴロと鳴らしてにぎやかな光景だ。広場の真ん中を占拠する屋根つき井戸のまわりには、文字どおりの井戸端会議をしているご婦人がたの姿もあった。
「仕事熱心なのはあなたの名前どおりかしら。なんにしてもいい心がけよ。さ、行きましょう」
3人は人ごみに消えていく。ルンペルシュティルツヒェン――いじわるなコボルトが周囲の人々へ、その姿を幻惑してまわる。もちろん魔法であるから、目に見える姿も精神も持ち合わせてはいない。けれどこの場にいる誰しも、魔界の住人が歩いていることに気づきもしない。
その後彼女らは、丸1日をかけて勇者たちの目撃情報を手に入れた。そこにはカラスからもたらされた情報もふくまれていた。現在彼らが簡単な害獣退治依頼を受けて街にいないこと、報酬を受け取るだろうからすぐに街へ帰ってくるだろうこと。
「2、3日は帰らないでしょうね。明日、勇者が倒したというゴーレムを調査しておきましょうか」というシニッカの提案を受け入れ、宿屋で一晩をすごす。
そして翌日、冒険者ギルドで案内人を雇ってから街から出た。
行き先は、郊外の戦場あとだ。




