笑うストリーマー 29
「勇者グリゴリーは死んでいない」という言葉に、恋人のレインは大声で応じる。
「な、なんで? どういうことなの⁉︎ あなたたちは私たちを殺すって言っていたじゃない!」
「それは私が話すわ」、すぐに会話へ割って入ったのは魔王だ。状況を落ち着かせるためか、先ほどまで激しく戦闘していたことを思わせないような、湖面のような声で語る。「あなたたちがただの加害者だったなら、死体にしていたでしょうね。けれど被害者でもありそうだから、まずは話を聞かないと」
「ど、どういう意味?」
「それもこれから話してあげる。まずは剣をしまいなさいな。イーダ、カメラをこちらにむけて」
魔女はいわれるとおりにした。ネコヘビから手を離すと、ふよんと宙へ浮かんでオーディエンスたちへ映像を提供しはじめる。その中央で魔王は勇者の石像の横に立ち「<旗を我が手に>よ、言葉を運び<我が声を届けよ>をもたらせ」と、お決まりの文句を口にする。
【こ、これがうわさの終結宣言?】【はじめて見るわ。ちょっと感動してる】、コメントも少なめ。なにもつぶやかなかった者は、かわりにごくりとつばを呑んだ。
そんな視聴者たちの前、魔王は堂々と宣言をはじめる。
「枝嚙み蛇の旗の下、この魔王が宣言する。『勇者グリゴリー・イワノヴィチ・クズネツォフ』によってもたらされた災害は、ここに終結した」
広いホールにも彼女の声は負けない。むしろ反響を残すくらいに力強く、水辺へいくつも波紋を描いた。
「トリグラヴィア国王ヤネス2世を襲った強盗に対し、彼の盟友たる者たちの剣が振るわれていたことを私はあきらかにする。盟友とはバジリカゼミリャ公爵ニコリーナ・クネジェヴィチ、バートラグラッド公爵ヴカン・ミトロヴィッチ、フェニクシア公爵ネナド・グリシッチ。彼女らがなした勇敢な行為は必ずや詩人によって謳われると約束しよう」
まず魔王は3公爵との約束を守った。彼女らが協力する条件に「オーディエンスたちの前で貢献者として宣言すること」が盛りこまれていたからだ。
それに【見えないところにも英雄っているんだな!】なんて尊敬のまなざしをむける者も、【政治劇じゃねぇか】と疎ましく思う者もいた。
ともあれ魔王は次の話題へうつる。
「そしてグリゴリーとレインの罪は、強盗の枠を出ることがないと私は保証する。そして彼らがより強大な者――トリグラヴィア王国の敵によって利用されていたことを、私は証明する」
不穏な内容。すぐにオーディエンスたちは、魔王が勇者たちの命を奪わなかった理由に思い当たった。その「強大な敵」なる正体不明の相手、つまり日ごとうわさがおおきくなっている王国内の不穏な空気について。
「この旗を見る者たちよ、今は惨事から目を背け、心を慰めることを許そう。しかし努々忘れるな。災厄がいつもお前たちを見ていることを。そして――」
魔王がいちど言葉を切るのは、その先に注目すべき事実がある場合。いつもながらの手段は実に効果的で、視聴者たちへしっかりと聞く姿勢を取らせていた。
当然、内容は彼らを驚かせるものだ。
「その災厄は悪意ある者たちによって引き起こされようとしている、トリグラヴィアの内乱だ。これを見ている貴族、商人のいくばくかは、そこに荷担していると私は確信している。たとえばエミール・ヴィリアム・イヴェルセンなどの狡猾な蛇たちが、今回の件を裏で操っていたのだ。私がここから帰った後、証拠がお前たちの王によって語られるだろう」
【おいおい、冗談じゃねぇぞ】【イヴェルセンってウミヘビの国の名士じゃなかった?】【これは魔王の悪辣な嘘? それとも容赦のない事実?】【だとすりゃぁ、反乱軍ってのが国内にいるってことだよな? 今、この街にも?】
「お前たちが昨日と同じ味のワインを飲みたいと思ったり、今晩と同じベッドで眠りたいと思っているのなら、卵の入ったかごをあつかうように注意しろ」
口調は少しずつ強くなっていく。目の前で聞いているイーダは、スースラングスハイムの名がいつ出てくるかと期待していた。しかし、事態は思わぬ展開を見せる。
「お前たちの見ているより多くの蛇が、トリグラヴィアの麦畑へとぐろを巻いて――」
パツン! テレビを消した時のような音。同時にストリーミングが停止したことに魔女は気づいた。「もしや」と思ってもうひとりの配信主であるリリャを見る。驚いている顔と目が合った。
「そっちも?」「こっちもっス」、確認をひとつ。すぐさま被写体へ報告を入れる。「シニッカ、ストリーミングが切れた!」
「ああ、妙な感じがしたと思ったら、やっぱりね。しゃべっている最中だというのに失礼しちゃうわ。で、ふたりとも同時に切れたってことは、ストリーミングの機能そのものが切れたということかしら? なんらかの魔術の干渉を感じた?」
「ううん、感じなかった。でもどうなっちゃったんだろう? リリャはなにかわかる?」
「プラットフォーム、っていうんでシたっけ? ストリーミングの魔術空間そのものにアクセスできなくなっている感じっス。レインちゃんはどうっスか?」
「気安く呼ばないで。……私も同じ」
「妙だよシニッカ。ストリーミングって概念自体が不具合を起こしているみたい」
「これがウミヘビの干渉なら、彼らの首は意外と長いのかもね。ともあれ、先に勇者グリゴリーの件を片付けましょうか」
(放っておいちゃうんだ)
配信機能のストライキに対し「プラカードに書かれた主張はなんだろう?」と考えていた魔女は、気味の悪さを残しながらも魔王の言へしたがうことに。ストリーミングが切れた理由と同じくらい、シニッカが「勇者とレインを殺すな」と命令した理由も知りたいと思っていたから。
「シニッカ、言われたとおりにレインさんは傷つけてない。それからグリゴリーさんも生きている。私たちにそうさせた理由を聞かせてほしいよ。人が死なないに越したことはないけれど、最初は倒すつもりだったよね?」
「理由はふたつあるわ。ひとつは彼の能力が他の勇者よりも不自然に低く感じられたこと。私が優位に戦いを進められるくらいにはね。『バルテリの呪いがあったから打ち合いで優位に立てた』ことは理解できるの。けれど『固有パークらしき力をまったく使わなかったこと』に関しては理解ができないわ」
「スピードランは? あれも凶悪だと思ったけれど」
「彼の力は高速起動と壁抜けだけ。他の勇者に比べて少なすぎると思う。それに固有パークって直接的な戦闘にかかわるものは少なかったじゃない? 君の右腕、真新しい伝統、主人と従者、獣と人の橋。どれも対象範囲が勇者本人にかぎらない、勇者をまわりにどう見せるかっていう内容だったもの」
「一理あるかも。もうひとつの理由は?」
「それは今から確認する」、魔王はそういって石像になったグリゴリーへ近づいた。レインに「彼は右利きだったわよね?」と確認を入れ、相手から「そうだけど」と返答があった直後――。
ポキリ、左手の薬指、第一関節から先をもぎ取った。当然恋人からは「あなたなにしてるの⁉︎」と非難する声。
「たぶんあなたたちのために、これが必要よ」、魔王は悪びれもしないで薬指の一部をレインに見せながら言った。「それに石化を解除してからじゃ、すごく痛い思いをするじゃない? イーダ、公爵からもらった霊薬を」
「うん」、魔女はけげんな顔をするレインをひとまず置いておくことにして、腰の小物入れから小瓶を取り出した。キュポン、いい音を立ててふたを外し、まずは中身を数滴だけ指のかけらにかける。指はみるみる肌の色とやわらかさを取り戻していった。
驚くレインの目の前で、残りの中身をグリゴリーへかける。頭から雑にかけたので、やはり勇者の恋人から「ちょっと!」と抗議されてしまった。「ご、ごめん」、思わず謝る彼女の横、勇者もやわらかい体を取り戻す。
ぼうっとした表情の彼は、意識の覚醒をうながすように、頭を左右に振った。
「……ああ、元に戻ったのか。……会話は全部聞こえてたぜ。どういうことか教えろ」
「話が早くて助かるけれど、まずは腹ごしらえをしたいと思うの」
言うが早いか迷わず「ぽいっ」。魔王はあろうことか、人の指の一部を飴玉のように口へ放った。指が「せっかく石化から元に戻ったのに!」と抗議するように舌の上をはねたが、すぐにごくりと呑みこまれてしまう。人肉食というあまりにもあまりな光景に、勇者も恋人も頬をヒクヒクさせ後ずさった。
もちろん魔王様は知ったこっちゃないという顔。「ふうん、なるほど」と意味深なつぶやきをして、しばらくじっと黙りこむ。
沈黙の時間が長かったから、イーダは「……シニッカ?」と恐るおそる顔をのぞきこんだ。
「味の感想を聞きたいのなら、なんとも気の利かない風味だわ。ソフホーズで作られたキャベツみたい。労働と労働と、労働の味がする」
「その感想、純粋に怖いよ。でもそうではなくて、グリゴリーさんのことはなにかわからなかったの?」
「わかったわ。それに予想どおりだった」
魔王は青い髪をゆらして勇者にむきなおる。その目が白青白旗――反戦を意味する旗のように輝いていたから、グリゴリーは顔を神妙な面持ちへ変化させた。
「お前は俺の肉を食って、俺の情報かなにかを調べたんだな? 正直気味が悪い。だが、興味があるのも事実だ。聞かせろ」
「ねえグリゴリー。時事ニュースにはくわしいかしら? トンガの海底火山の爆発を覚えている?」
「……ああ、覚えてる」
「それは西暦何年に発生した?」
「去年だ。2021年の年始だったはずだ」
「いいえ、違う」、魔王はぴしゃりと否定する。異論など認めないといわんばかりに。そして真実を告げるのだ。「2022年1月15日よ。あなたには1年の偽の記憶がある」
「馬鹿言うな。俺がこの世界にきて1年以上経っているんだぞ。いったいなにを根拠にそんな――」
勇者が言葉につまったのは、魔王が彼の目の前に物を差し出してきたから。幾重にも重なった黒い筒状の物体で、先端にはなにかを固定する金具がついている。
「お、俺の使っていた自撮り棒じゃねぇか! なんでそんなもん持ってんだ⁉︎」
「これはあなたの対抗召喚で呼び出された物なの。魔界で対抗召喚が行われていることは、転生の時に大天使ウルリカから聞いているでしょう? バーコードのシールを見て。製造年か販売年か知らないけれど、4桁の数字が書いてあるでしょう?」
「2022……。つまり俺が死んだのも2022年? いや、こんなもんで信じられるとでも思うか⁉︎」
「私がこんなくだらない嘘をつくと思う?」
言い返され、彼は黙りこんでしまった。いつもであれば「ああ思うね!」であるとか「どうせこれは偽物なんだろう!」であるとか言い返すのが常だったのに。自分でも短気だと思う彼が、怒りにまかせて否定を繰り返すような行為をしなかったのだ。
それは彼自身が嫌な予感に心をつつまれていたからだった。「2022」の文字を見た瞬間、自分がなにか忘れているような感覚に陥ったのだ。デジャヴを感じて「前にこれを見たのはいつだったっけな?」とモヤモヤする気持ちにも似ていた。
そして彼は魔王の言動にひとつのヒントを見出す。「なあ、あの転生の女神のことを『ウルリカ』って言ったよな? そいつは俺にも名乗ったと思うか?」
「過去に彼女と殺し合った身としては、確実に名乗ったと思うわ。形式は大切にするタイプだから」
「俺は彼女の名前も、顔も覚えてねぇんだ。最初から、あのダンジョンの中に転生してからずっとそうだった」
「その転生場所だっておかしな話よ。あなたが天界から地上におりる時に乗ったスリーズルグタンニ――黄金色の毛の猪は、そんなところの奥深くまであなたを運んだりしないと思うもの。ねえグリゴリー、たぶんだけれど――」
もったいつけられて、勇者は魔王の顔を見た。彼らしくもない、闇夜の森で迷ったような不安に満ちた表情で。
予感は正しく、次の魔王の言葉は彼が決して聞きたくなかった言葉だった。
「あなたは誰かに記憶を改ざんされてる」
ぞわり、背中が冷たくなる。理由はないのに確信がある。きっと俺は正体不明の者にだまされていて、いいように使われたのだと。消えた記憶の残滓というべきか、幻肢痛のようなものが全身を駆け抜けていった。
「お、俺は……。俺の最初の1年間が嘘だったって? だって俺はそこでレインと会ったんだぞ? 長いこと一緒にここをさまよって、一緒に出口を探して……」
「改ざんの内容はわからないわ。けれどレインがあなたと同じ記憶の改ざんを受けたまま生まれたのだとしたら、説明はつくと思う」
勇者は言葉を失った。魔王――自身の敵にして先ほどまで殺そうとしていた者――の言が真実を告げていると、体が理解しているようですらあったから。
(どうしたらいい? 俺は勇者なのに、魔王の言葉を「嘘だ!」と言えない。もし真実だとしたらどうなる? 俺は自分の意思じゃなく、他人の意思によって盗みや強盗をしたことになるのか? レインと一緒にダンジョンの出口を求めた冒険も、すべて嘘だったのか?……あぁ、吐きそうだ。気分が悪い)
飲みこんだ生唾がごくりと音を立てる。地面を見つめ、奥歯を食いしばる。そうしてないと口から吐瀉物なんかと一緒に、ぐちゃぐちゃになった感情が叫び声となってあらわれそうだった。
けれど彼にとって幸いだったのは、信頼できる人間がそばにいたこと。「グリーシャ……」、レインは彼のとなりに立って、体へそっとよりそった。その口にグリゴリーが一番聞きたかった言葉をたずさえて。
「大丈夫だよ、グリーシャ。私はあなたの味方だから。状況は……私にもよくわかんない。でもさ、私はあなたの恋人だから」
彼女が夢魔であるゆえん。「あなたは私の恋人」ではなく「私はあなたの恋人」と言った。グリゴリー――気力を失ってしまった者にとって、それは自分への自信を取り戻す助けになる。たとえわずかばかりの助力であっても。
レインがもたらした、ほんの少しのポジティブさ。それはすぐ、劇的な効果を生んだ。
「臭ぇな」、狼のつぶやき。グリゴリーはそれにふんっと応じる。「悪かったな、狼」
「そうじゃねぇ。敵の臭いだ」
――ガコン! 地震のようなゆれ。水面がバシャバシャ波立った。
全員が一瞬止まり、そしてすぐに理解した。見えていたほうのギミックだ。「あ、上! 天井のスイッチのところ!」と、魔女が叫んだ先を見る。
いつ、どうやって登ったのか。スライム人間の1体が、そこにあるスイッチを押しこんでいた。つまり、足場が外側から水中へ没しはじめたのだ。
それは全員の直観へ「どうやら自分たち全員へ害意を持った行動だ」と働きかける。
「Paska! 全員乗れ!」「レイン、俺につかまれ!」、反射神経のよいふたりが真っ先に反応した。バルテリはイーダ、シニッカ、リリャの3名とネコヘビ1匹を背中へ。グリゴリーは恋人をだきかかえた。
今日、青い毛並みの狼は背中から鞍を外している。「きた道を戻るぞ! しっかりつかまっていろ!」と3人に注意をうながした。足をザッザッとかいて、今すぐにでもロケットのように加速しようとしている。
「待て!」、勇者はそれを止めた。冷静さを取り戻していたがゆえ、1年間もすごしたダンジョンの構造を思い出していたのだ。「だめだ! そっちに行くんじゃねぇ!」
「おっと。どうしてだ、勇者さんよ」
「このダンジョンの広い空間はな、決まって退路がふさがれるんだ。ずっと前に進むしかねぇんだよ。だからここは冒険者ギルドによって難度Aに分類されてんだ」
「なるほどな。非常に助かる情報だが、じゃあ出口はどこだ? 俺らが入ってきたところと、お前さんたちが入ってきたところ。他に出入口なんてなかったはずだが?」
「あそこだ」、勇者の指さす先、1か所だけやや色の薄い壁面があった。「ここは『ボスモンスターがいない状態』かつ『天井のスイッチが押された状態』で前に進める部屋なんだ。早くしねぇと泳ぐはめになる」
「俺らはいいが、お前さんたちは大変だろうな。いいぜ、手伝ってやる。まずは端の足場まで競争といこうか」
その会話を最後に、バルテリとグリゴリーは駆けた。両者とも人外のスピードで出口を目指したから、もし配信が続いていたのなら多くのコメントを生んだだろう。ただ、今は視聴者に気をつかう必要もない。カメラたるネコヘビが目をまわすような速度で走り、あっという間に外縁部へと到達した。
外側の足場はすでに失われ、2、30メートルほどの水辺になっている。激しい波が立っていて、泳ぐのだったら苦労する状態だ。
「悪ぃが口でいくぞ?」「勝手にしやがれ」、目くばせのように短い会話の後、ガブリ、フェンリルが走りながら勇者をくわえた。そのまま水の上に踏み出して、無数の波をヒョイヒョイとかわす。
ものの数秒で彼らは部屋からの脱出をはたした。ずいぶん狭くなった通路をしばらく走ったバルテリは、「もういいだろう」とつぶやいて全員を床へおろす。人型に戻って「ああ、痛ぇ」と、満足げに笑いながら。
こうしてひとまず戦いは終わった。全員が息を吐き、体の余熱をふぅっと冷ます。
同時に心のすみに感じるのだ。
まだ敵はいるのだろうな、と。




