笑うストリーマー 21
商人は暗い部屋にいた。勇者グリゴリーとの対談は好調に終わり、だというのにこれから教授に叱られる学生のような面持ちで、椅子へ腰かけていた。
状況はいまだ進行中なれど、進捗は極めて順調である。計画実現のための準備は、そのひとつひとつにチェックマークを入れられている最中だ。船の建造でいうなら、竜骨が置かれ、肋骨も梁も張りめぐらされて、外板や甲板が張りつけられているところ。重要なマストの部品――勇者なる高い戦闘能力を持った者も調達済み。船員のめどだってついている。
けれど背中に流れる冷や汗が、商人――ロッケ・イェンス・ヨーエンセンを身震いさせた。先ほどまでの余裕たっぷりな表情はどこへやら。深呼吸を繰り返してずいぶんと落ち着かない。
なにせ今から船渠に雨が降るのだ。それは血の雨という恐ろし気なものよりも、もっと恐ろしい心の雨だ。天候の悪化も考慮済みで工程を組んでいるから、本来それは予想済みであり対策済みであるはず。一時的なものにすぎないのだから。なのに冷たい驟雨へ身をかじかませているのは、今から会う男が恐ろしいからに他ならない。
冷笑するように時々ゆらめくランプの灯と、それで心ばかりの光を得ている暗い個室の中。椅子に座って30分あまり経過した彼の手足は、老婆のように身を縮めていたからか、血行が失われてひやりとしていた。
そんなだから、ガチャリと扉が開く音は、彼をトビウオのように椅子から飛びはねさせる。いつ見ても冬の雰囲気をたずさえた男が、部屋に入ってきた。
ヨーエンセンは動揺を必死で隠し、男へ話しかける。「お待ちしておりました、イヴェルセン様」
「名を呼ぶな」
短い言葉は短刀か。氷でできた刃に、心臓を貫かれた気がした。「申し訳ございません」まずは頭を下げる。相手が椅子へ腰かけても、そのままに。
相手はスースラングスハイム王国の重鎮、エミール・ヴィリアム・イヴェルセンその人だ。毒蛇の刺青が全身を飾る、とおった道は枯れ木や枯草で覆われるような人物なのだ。
さっそくの失言に、商人は脂汗を禁じ得ない。今ここで自分がこの男の毒によって全身から血を噴き出しても、嘆きこそすれ驚くことはないだろう。
「座れ。報告を聞こう」、低く、おおきくない音量なのに、なんの障害もなく頭の中に入ってくる声。商人はようやく顔を上げ、そっと椅子の上へ身を置いた。緊張をやわらげるため、背もたれを使いたいところだったが、気が引ける。それどころか、座面へ体重のすべてをあずけていいものかどうかすら気になった。
だが今はそんなことを気にかけている場合でない。「報告を」と命じられたのだから、そうせねばならない。なにせイヴェルセンは自他ともに認める「せっかち」だ。気が短い、という意味ではなく、高速を好むという意味で。
「イヴェルセン殿を劇場に連れて行くな。第一幕が終わるころには、結果を『悲劇』にしてしまうぞ」というのは仲間内での冗談だが、それが現実になりうることは、ヨーエンセンも重々承知していた。
さっそく自分の義務を遂行する。
「勇者グリゴリーは魔王との対決を決めました。3公爵については、明日逐次接触予定です。スラヴコからの回答は保留のまま。おそらく今日あたり、魔王が彼に接触するでしょう。ゆえに明後日、彼ともういちど会う予定です。彼にとってどちらの蛇に着くのが得か、目に見える形――資金提供の契約書をたずさえて」
「他の連中はどうか? 貴族諸派、商人たち、教会の動向を」
「男爵10名、侯爵2名を懐柔済み。その他態度を保留している者が同数程度。大規模商人も4名、仲間へ引きこんでいます。教会は静観を決めました。手ごたえは悪くありませんが、ひと押しが必要かと考えます。ですから魔王へ勇者をぶつけ、これを排除する予定です」
暗記していた戦果をすらすらと読み上げる。イヴェルセンはあいまいな報告を嫌う。所感をまじえるのであれば、それに対する対抗策をセットにしておく必要があった。
しばし、相手の言葉を待つ。たった5秒間だけの沈黙、なのに商人には野を駆ける少年が杖を片手に歩く老人になるくらいの時間に思えた。いっそこのまま棺桶に入ったほうが楽なのかもしれないと、そう考えはじめるくらいに。
「重要なことだ」
返ってきたのは主語のない台詞。いったいなにが重要なのか、判断に迷う。けれど沈黙が怖くて、「と、申されますと?」とあいづちを入れることにした。
その商人の目の前で、イヴェルセンは口の端を上げた。
「魔王の死だ。なによりもそれが優先なのだ」
声には若干、満足した響きが混じる。それは残酷な黒い発言の中へ差し色を入れる、血と同じ赤色をしていた。
ヨーエンセンはそれを間近で見て、声が上ずりそうになるのをこらえながら返答する。「はい。今回の計画の肝でもありますゆえ、その点には細心の注意と最大の労力を注ぐと約束します」
「知っているか? 魔王という身分の者は、その3分の2が非業の死を遂げている。戦死、暗殺、処刑……。死因はさまざまではあるが」
ゆっくり語る男の顔の上、口の端が徐々に上がっていく。いれずみがグネグネとおぞましく動いているようにも見える。
「私はせっかちでな。死をあたえるとあれば、即座に実行してきた。浅瀬に泳ぐウミヘビが、自分のテリトリーへ入ってきた人間の足首へ噛みつくようにな。そして今、あのまむし女が我が水辺へ足を踏み入れた」
商人はランプが炎をゆらゆらとゆらめかせているに気づいた。密閉された秘密の部屋へ、すきま風など吹きこもうはずもないのに。
「やつが即位して20年あまり。第一幕としては冗長だったし、陳腐かつ平凡でもあった。もう飽きた。終幕としよう」
ヨーエンセンはついに頬を引きつらせた。目の前にいる男の目が、間違いなく蛇のそれになっていたのに気づいたのだ。そして影も。明かりを背負っているから、こちら側へおおきな影が落ちる。それは船などひと呑みできるくらいおおきな、海蛇の形をしていた。
その中にいる自分は、すでに食われてしまったのだろうか……。
「お前の役目、努々忘れるな。なにせ図々しいことに、この私へ国家転覆の計画を提案してきたのだから」
「はい、深く心臓へ刻みます」
妙な言いぐさになった彼へ、イヴェルセンが鼻を鳴らす。そしてゆらりと立ち上がる。あわてて商人も椅子からはねると、ウミヘビの男は深海へ潜るように部屋を出た。同時におおきな影も消える。ランプの灯も、背すじをのばす。
ウミヘビの男の姿が消えてたっぷり1分、直立不動をたもちつづけたヨーエンセンは、緊張の糸が切れたかのように椅子へ崩れた。ドカッと乱暴に座られた椅子も、冷たい空気に唇が張りついたのか、今は文句を言うことなどなさそうだった。
はぁぁと息をおおきく吐いて、体の中にたまった冷気を出す。もし吐息に意思があったなら、室温の低くないこの部屋へ、白いもやを発生させただろう。
(なんとか乗り切ったか)
まずはひとつ安心した。あの男の前に出るという苦痛は、真冬の雪の上に裸で寝転がるのと同じ。つまり拷問と表現して差し支えないのだから、終わったとあれば生を実感してもよいだろう。
なぜこんなに怖がらなくてはならないのか。外見としてはちょっと刺青がすぎるくらいの、ただの中肉中背の男相手に、断頭台に立つような気分をいだかなければならないのか。
答えですぐに思いつくのは、1年ほど前の失敗。ネメアリオニアのモンタナス・リカスと王都ル・シュールコーで、ひとりずつ勇者が殺された。裏で地元の商人を使い干渉を試みたが、これは見事に失敗してしまったのだ。事の顛末をイヴェルセンへ報告するのが、どれほど苦痛だったことか。
もうひとつ畏怖の理由を上げるのなら、イヴェルセンの異名だろう。『東方の毒蛇』、それがあの男の通り名だ。
彼は謀略を得意とする。ある時はラタトスクのように流言を使い、傭兵隊長同士を殺し合わせた。傭兵隊長を失った傭兵団はその場で解散せざるを得ず、結果大量の無法者がその地へ放たれることになった。おかげで領主の人望は失われ、その地に反乱という新たな戦争が。イヴェルセンはそこへ大量の輜重馬車を送りこみ、多くの利益と、そして勝者からの信頼を得た。
またある時はアポローンよろしく、人気者だが怒りっぽい王妃に自分の愛人を殺させた。あわれな彼女は深く悲しみ、ついには短刀で自刃した。ゆえに王は目をつけていた美しい娘を新たな王妃に迎え入れ、イヴェルセンは王室の秘密と、王家からの服従を手に入れたのだ。
そして先日、4月から5月初旬にかけて、あの男は大粛清を行った。国内にいる反国王・反イヴェルセンと思わしき人物を片っ端から捕縛し、プラドリコでの勇者騒ぎの首謀者に仕立て上げ、皆殺しにした。
(……げに恐ろしきは彼の行動力よ)
いつもそうだ。彼はやると決まったら神速で行動する。それは当然、今回の件も。
クーデターのたくらみが進行中に、あの毒蛇はまったく偶然に、勇者と呼ばれる男――グリゴリーに出会った。どんなに悪知恵が働く者でも、通常ならば相手の情報収集をして終わりだろう。しかし彼にやらせるとそうならない。
彼は一晩で勇者グリゴリーを利用する方法を練り上げた。そこに魔王暗殺の表題をつけて、それを首謀者たる商人の手へ渡してきたのだ。
要約するなら、「まずグリゴリーを罠にかけろ。次に夢魔配信で有名な存在にしろ。その上でヤネス2世の元からなにかを盗ませるのだ。おそらく魔王がくるだろう。グリゴリーを餌に、隠し持った短剣で『枝嚙み蛇』を刺し殺せ」。
クーデターという実行中の計画へ、無理なく組みこまれた詳細な計画。ついでに必要な費用、関連する人物相関図まで同梱されては、了承せざるを得ない。商人は、禁制品の独占取引を狙っていた自分が、その実イヴェルセンの手駒のひとつにすぎないと思い知らされる羽目になった。
そんな彼の美徳は、「長い物には巻かれよ」という言葉を知っていたこと。それが巨大な蛇のように、長いだけでなく毒牙を持っているのならなおのこと。
(逆らうことは許されない。逆にいえば、逆らう以外なら自由に生きられるのだ)
わずか数分の会談で失った自尊心を、ヨーエンセンはようやく取り戻しつつあった。少なくとも自分は、この世で最も恐ろしい蛇と会話をし、ともに歩くことを許されている。
その彼に比べれば、北方の毒蛇――魔王シニッカなど、ずいぶんかわいらしく思えてきた。
「さて魔王様、あなたの手札はなんでしょう? フェンリル狼が描かれたスペードのエース? それとカラスが描かれたクラブのジャックでしょうか」
ならば魔王はハートのキング、潜水艦なる魑魅魍魎は、ダイヤのクイーンあたりだろうか。あの魔女が10のカードなら、いやはやこれは油断ならない役となる。
けれどこちらにはワイルドカードが3枚。イヴェルセンと、もうふたり。そして同じ方向を見る多くの手札――自分を含む――がいるのだから、5枚の手札が同じ数字をあらわすことだって可能だろう。
「負けはないでしょうね。レベルの高い戦いで、その一翼を担えたのなら、私もそれなりに楽しいその後の人生を送れそうです」
一世一代の大博打に、挑む心は楽しく踊る。
さあ、船を完成させよう。勇者なる者が乗る、魔王の船と戦う1隻を。
そして船倉に、たっぷり油の入った樽を敷き詰めておくのだ。両者が接舷した時に、もろとも激しく燃えるよう。
むろん心配することなどない。
きっとウミヘビが、その残骸を海流へ消し去るのだろうから。




