笑うストリーマー 20
2023年7月30日夜7時ころ。魔王たちが勇者に対する作戦を決めて3日後。そうとは知らないグリゴリーとレイン、そしてアムは、3人で『例の組織』と対面する機会を設けていた。
この『例の組織』というのがグリゴリーやアムへ仕事をあっせんしている裏家業の人々であることを、レインは承知している。本当は自分を抜いたふたりで会う予定だったらしい。だが今回は同行を申し出た。少々無理やりにでも参加したいと、そう思ったのだ。
(だって……)
3日前の夜、夢魔配信の機能のひとつを使ってグリゴリーから送られてきたメッセージ。「失敗した。今日は帰れないから先に寝ていてくれ」という内容の短い一文。翌朝片手を失ったアムを引き連れ帰ってきたグリゴリーに、レインは心をかき乱されてしまった。
それはグリゴリーの件がバレて配信ができなくなったのもあるし、彼の配信での相棒が傷ついたからでもあった。仲がいいとはいえないのだけれど、けがをしたとあっては同情の心も芽生えるというもの。けれどもっとおおきな理由は、夢魔ならではの勘のよさ。
きっと自分の恋人は、アムをなぐさめたであろうという確信。
言いたいことがたくさんあった。なぜ自分だけが渦中にいないのか、自分の知らないところでどんな危険に立ちむかっていたのか、そしてアムに対してなにをしたのか……。それをぐっと我慢することなどできやしない。だからその夜、いったいなにがあったのかを根掘り葉掘り聞いたのだ。ただ一点、アムとグリゴリーの間にあったことだけをのぞいて。
(たぶんドレインをしたんだな……)
失われた体力の回復を企図した、もしそう言われても納得できない。いくら自身も夢魔で、ゆえにどのような生態を持つか知っていたところで、嫌なものは嫌なのだ。
だから、今回からは同行すると決めた。戦力だって多いほうがいいに決まっている。
彼女らが待ち合わせ場所へ指定されていたのは、おおきな酒場だ。ただし酒場の雰囲気は普通と違う。大衆が仕事帰りに立ちよるところであったり、冒険者ギルドに併設されているところだったりの、ある種の無作法ともいえるにぎやかさがない。床は料理の油やこぼれた酒に汚されていないし、壁だって酔っぱらいのけんかでもたらされた傷など見当たらない。綺麗に整頓された椅子やテーブルたちが姿勢を正し、無表情の給仕がつねにホールで出番を待っているような、そんな場所だった。
その一角、間仕切りされた席に彼女らは座っていた。目の前のテーブルは丸く、椅子の数は5つ。レインにはそれが、上座やら下座やらを気にしないで商談を行うような、交渉ごとに配慮した場所に思えた。
(まだこないのかな?)
間仕切りのすきまから、ちらりと外を見やる。客はあまり多くはない。というよりも、間仕切りされた席は自分たちが案内された場所だけではないから、おそらくおのおので秘密の会話がなされている様子。証拠に、高さ2メートルくらいの仕切り板に手をやると、魔力の流れを感じられた。音を外に漏らさないよう、なんらかの魔法が働いているのだろう。
「どうかしたか?」「ううん、なんでもない」、会話も少なく、3人は『彼ら』の登場を待った。10分くらいして、彼らはようやく姿をあらわす。数は2名。ひとりは商人風で背の高い人間種の男、もうひとりはその護衛と思われる、屈強な熊獣人の女。
「お待たせしました。今日は3人ですか。ではあなたがレイン殿ですね? 私は商人のヨーエンセンといいます。以後、お見知りおきを」
「たしかに私がレインだけど、なんであなたが知っているの? グリーシャは私のことをしゃべっていないでしょ?」
「お気になさったのなら申し訳ございません。『商人ですから、取引先の情報くらい調べるのは当然』くらい言いたいところなのですが……実を言うとですね」
ヨーエンセンと名乗った商人は席へ座る。椅子の方向をわざわざレインへ正対するようにむけ、はにかみながら肩をすくめた。
「妻があなたの料理配信を見るのが好きでして。『相方がおもしろい』なんていうものですから、一緒に見たのですよ。そうしたらレインさんと一緒に、グリゴリー殿が映っていたのです。ゆえにお名前を存じ上げています」
「そ、そうだったんだ。ええと、奥さんによろしく。あ、いや、やっぱ話しちゃだめ」
「わきまえていますよ」と商人は笑った。そのやわらかい表情は、夢魔であるレイン――つまり表情から読心するのが得意な者のひとり――をして「本心なのかも」と思わせるほど自然だった。ゆえに心へ警戒を告げる鐘の音を、ひかえめな音量まで下げることに。ともかく相手の話をちゃんと聞こうと、姿勢を正す。
「で、今日はなんだ? この間の魔王の件か?」、横でグリゴリーが切り出した。「フェンリル狼相手に、少々失敗した感は否めねぇ。俺の名前も知れ渡っちまったし、うかつに出歩けねぇ身分にもなっちまった。そんな俺を呼び出したんだ。なにか理由があるんだろ?」
言葉こそ高圧的だったけれど、グリゴリーが微笑みを浮かべているのにはわけがある。そりゃあそうだろう。有名人になったのだから、悪い気分などあろうはずもない。
「お察しのとおりですグリゴリー殿。先日の襲撃は惜しかったですね。でも私たちが要求したのは『有名になれ』。その点でいえば、あなたは実によく期待へ応えてくださいました」
「賞賛ってんなら受け取っとこう。で、その先があると思うんだが? 有名にはなった。次はなんだ?」
「話が早くて助かりますよ。作戦は次の段階をむかえようとしています。つまり――クーデターです」
ヨーエンセンは表情を変えない。でも声色は低いものへ変化した。やわらかい水のような声が、深い枯れ井戸を思わせるものに。のぞきこむと底が見えず、乾いたエコーだけが反響するような、背すじをなでる声だ。
(この人たちグリーシャを裏切ったりしないよね?)
商人の変化はふたたびレインを警戒させる。「妻があなたのファン」なんていう、よくできた社交辞令にだまされてはならないのだと。
「といっても、グリゴリー殿たちにクーデターへ参加いただこうとは思っていません。いえ、正確に申し上げるなら『我々は戦力としてあなたに頼るかもしれないが、政治権力はお渡しできない』ということになります。少々都合がいいとお思いかもしれません。ですがあなたたちは政治に興味がないとお見受けします。私の認識は正しいでしょうか?」
「ああ、正しい。政治闘争に巻きこまれるなんてごめんだ。そのかわりに報酬はもらいたい。俺たちにもその後の生活があるからな」
「ああよかった」、返答をする前に、ヨーエンセンは手を合わせて安心した顔をする。「もちろんですとも。私は商人ですから、傭兵への支払いについては迅速に行動できます。むろんあなたが望むのなら、新しい王室から名誉勲章をお渡ししてもいい」
「勲章か……。欲しいかどうか考えておこう。とにかくヤネス2世を退位へ追いこむ件、了承したぜ」
とりあえずの合意は形成された。国内で有名になった勇者グリゴリーは、救国の士としてクーデターへ参画することに決定した。そして、そんな大それたことへ挑むのだから、具体的なプランが必要になる。
商人はその計画の輪郭へ言及しはじめた。
「このタイミングで、私たちは味方を増やそうと思います。ちょうど3公国の代表、つまり3公爵が、近日中にメスト・ペムブレードーへ到着する予定です。直接交渉するまたとない機会ですね」
属国の首領へ働きかける、そう言った。属国とはいえ国は国。騎士団なり傭兵団なりを運用するだけの資金力がある。
「属国の軍はトリグラヴィアの軍をけん制して動けなくさせる予定です。勇者トマーシュも遠征先のダンジョンに潜っていて、しばらくは帰ってこない。グリゴリー殿にはヤネス2世の親衛隊を排除いただきたいと思っています。この方法であれば犠牲が少なくてすみますから」
「犠牲が少なく? 軍同士の衝突がありゃ、そうもいかねぇだろ」
「両軍ともに主力は傭兵ないし冒険者ですよ? 戦いが行われなければ、そのほうが楽だという連中です。勝手に戦端を開くことなどないでしょう」
レインはそれほど軍事や政治にくわしくない。しかし、話としては悪くなさそうだと思えた。グリーシャも同様の考えを持っている様子だ。説明に対してうなずいてみせるなど、好意的なジェスチャーをしめしているから。
商人から聞いた『例の組織』の計画はこうだ。
クーデター側の旗印はスラヴコ。すでに死去している国王ヤネス2世の兄、その実子だ。国民から人気が高く、内政や外交の手腕もたしかなものらしい。
貴族たちや大商人たちに対しては政治工作の最中とのこと。すでに一定数が賛同をしめしており、それは今後も広がるだろう。
属国の3公国についても商人は勝算が高いと感じている様子。彼らには彼らなりの武器、つまり人脈だったり資金だったりがあり、それを活用すればうまく丸めこめると自信をのぞかせていた。レインはそこへ深く首を突っこまなかったし、話題へ興味を引かれてしまったグリゴリーに「それはまかせておこうよ」と制止さえした。実施時期だって未定とされているが、本当に未定かどうかはわからない。でもそういう部分への深入りは、将来へ暗い影を落とすだろうと思ったのだ。
「――と、目下計画は順調に進んでいます。そしてここからが重要な部分なのです。当面の目標にして、もしかしたら本計画の肝ともいえる部分ですね」
計画全体の話がはじまって1時間くらい。ヨーエンセンはもっとミクロな視点の話題を口にする。つまり、グリゴリーに対する次の依頼だ。
「グリゴリー殿、あなたには魔王を排除していただきたい」
「それはこっちとしてもそうするつもりだった。が、あえて口にした理由を聞こうか」
「お話ししましたとおり、私たちは今後仲間集めの交渉を本格化させます。そこで障害になるのが魔王の存在です。ヤネス2世と我々とのあいだでゆれ動く、いわば浮動票のような連中に対しては、なんらかの説得材料が欲しいところ。『カールメヤルヴィの魔王を倒した英雄が味方にいる』というのは、かなり心強い武器となりますから」
「なるほどな、納得した。だがどうやって決着の舞台を用意する? また殴りこみでもかけるのか?」
「おや? 魔王の配信をご存じないのですか?」
「なんだって⁉︎」「はぁ⁉︎」「嘘でしょ⁉︎」、勇者とふたりの夢魔は同時に前のめりになって、商人を驚かせた。3人の勢いに、両手を降参のポーズに上げた彼は、「いえ、昨晩の話でしたから無理もないかもしれません」とフォローを入れる。そして「お話ししておきましょう」と3人をいったん座らせて、話題を魔王の配信へ。
「昨晩から魔王シニッカが夢魔配信をはじめたのです。チャンネル名が挑発的でして……たしか、『国王に召喚されて勇者と戦うことなったけど、私は魔王だから楽勝です』というような題名でした」
「ふざけやがって!」
「まあまあ。昨晩の内容としては、現状の解説が主でしたね。『勇者』グリゴリー殿がどのような仕事をしたか、それによってどんな不利益が生まれているか、という。だから私たちは国王に呼ばれたのだと」
「あなたも見たんだね? 同接はどれくらい? 正直、おもしろいとか興味深いとか思った?」
レインも口をはさむ。自分の土俵に魔王が上がってきたのだ。見すごすわけにはいかなかった。
「同時接続数は3千から4千ほどでした。先日グリゴリー殿がフェンリルと戦った時は5千くらいでしたか? 最初の配信にしては、飛びぬけて多い数字でしょう。おもしろさに関しては……あなたがたを前にして少々言いづらいですが、なかなかのものでしたよ。みなさんが『待機場所』と呼んでいる配信前の空間では絵が楽し気に動きまわり、くわえて頭に残る音楽もかかっていました。語りも大勢の前で話し慣れているだけのことはある。軽妙で、内容はわかりやすい。衣装もずいぶん凝ったものでしたね」
カチン、怒りのスイッチが入る音。
「それはちょっと無視できないな。こっちに対する当てつけじゃん。アムもそう思うでしょ?」
問いかけると、彼女も「うん。正直怒りが湧いてる」と言って、桃色の髪をふわぁと逆立てた。瞳にも隠しようのないいらだちの色。配信で感情を出すのがうまい彼女は、こんなところでも正直に振る舞う。
「私たちは挑発されているんだね、グリーシャ」、レインは感情のおもむくまま、恋人にも同意を求めた。1年間だけとはいえ、密度の濃い時間をすごした相手だ。この場において、自分とアム以上に彼が怒っていることなど目をむけなくたってわかる。
「決まったな。俺たちはやつらを叩く。俺にまんまと逃げられたこと、やつらに後悔させてやる」
かくして勇者は魔王との直接対決を望んだ。
「頼もしいですね。私もあなたたちの覚悟にふさわしい、見事な仕事をすると誓いましょう」
商人は3人へ微笑みをむけた。
細くなった目の中へ、井戸の底の色を浮かべたまま……。




