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笑うストリーマー 17

 勇者グリゴリーは獲物を狙う猫のように低く構え、じりっ、じりっと間合いをつめる。左手はあごの前へ構え、右手は短剣を順手で構え、かかとをほんの少しだけ浮かせて。わずか数メートルという敵との距離は、どちらかが動けば、まばたきする間にゼロとなる。だから彼は油断なく、敵を視界にとらえていた。彼の持つ武器よりするどい目線で、対峙する狼男を絶えず切りつけながら。


 フェンリル狼はそれを気にしない。あいかわらず背すじをのばし、自然な姿勢で勇者とむき合っていた。手に持つ片手持ち戦槌ホースマンズ・ハンマーを時々くるりとまわしてみせて、すらりとたたずむ姿は余裕たっぷり。むしろ無警戒なほど。


 むろん、青い両目は狩りをする獣の色を帯びていたが。


 両者はしばし沈黙する。緊迫したオーディエンスたちはコメントを忘れ、戦いがはじまる瞬間を見逃すまいと、眠りの中で両目をしっかり開いていた。


 しかし視聴者は、じらされる羽目になった。戦端が開かれるより早く、バルテリが口を開いたからだ。


「先に聞いておきたいことがあるぜ、勇者様よ。王宮への不法侵入なんてかましたんだから、職務質問へ答える義務があると思うが?」


「……言えよ」、勇者は間合いを取り直し、油断なく狼の問いに応じる。


「お前さんはなにをしにここへきた?『悪魔召喚が行われたから』なんて答えは期待していないぜ」


「期待に応えられず残念だが、それが理由だ。どんなやつらがなにをしにきたのか、偵察にきたのさ。そいつらが悪事をしているんなら、力ずくで止めるためにな」


「悪事ねぇ……」、バルテリは苦笑する。「魔界風にたとえて言うなら、ここは水辺を<ヘラジカスゲ>に囲まれた、国にとって神聖な泉だ。つまり賊の侵入を<阻害>するため、衛兵たちが王を守っている、トリグラヴィア王国で一番大切にしなきゃならない場所だ。そこへ監視の目をあざむき忍びこんだお前さんに、ぜひとも俺たちの悪事がなんなのか聞いてみたいところだぜ」


「お前だって、ヤネスの悪事くらい知っているんじゃねぇか? いや、失点って言ったほうが適切かもしれねぇが……。重税にまずい外交、乱暴極まりない言動と行動。独裁者っていうのは、本当に反吐が出る。そんなやつが悪魔をまねいたんだ。警戒して当然じゃねぇか」


 勇者の目がいらだちの色を帯びる。彼の言動は少々的外れであった。狼の言動は「不法侵入をしたお前さんこそ悪事を働いているんじゃねぇか?」という意味だったからだ。しかしグリゴリーは、ヤネス2世の存在がトリグラヴィアにとって悪影響をあたえていると信じていた。ゆえにここへきたのだ。彼の中でこれは正義であり、悪はヤネスと、ヤネスに味方する悪魔たちだった。


 純粋ではあるが、蒙昧(もうまい)な信念。意外なことに、狼はそれを笑いはしない。歩く道を間違っているとは思っていたが、少なくとも悪意で行動していないことくらいはわかっていた。


 こういうやつは利用されやすいし、ともすれば今回がそうだろう。そう思ったから、相手の言動の矛盾をとがめることはしない。かわりに、ため息混じりに国王の側を擁護することにした。


「お前さんはバイソンか<オーロックス>みたいに猪突<猛進>な考え方をしてんだな。油断ならない周辺国に囲まれてるなら国防に金が必要だろうし、大切なペンダントが盗まれたんなら悪魔に頼ってでも取り戻したいと思うだろうに」


「そんなもん方便じゃねぇか。やりすぎだって言ってんだ。他国の2倍の税率も、魔王なんかと契約したこともな。なにをするにしても限度ってもんがあんだろ」


 少々雑な言いかただった。グリゴリーはこのまま会話が続けば、いらだちが怒りへ昇華されるだろうと予感していた。相手が諭すような口調だったのも、悪い感情をかき立ててしまう。事実、先に罪を犯したのは彼のほうであり、法に照らした場合の言い分は狼の側にあったから、舌戦に負けて機嫌を損なうという部分において、その予感は正しかった。


(ち、つき合ってられねぇ)


 だから思考を切り替える。


 どうせ戦いが起こるなら、そのタイミングは自分で計ったほうがいい。いっそいらだちを怒りに変えて、勢いのまま戦端を開いてしまってもいい。


 体へ魔力を流していく。相手の言葉を待つ間に、深呼吸をして準備するのだ。いつでも加速魔術の名を唱えられるように。


 会話の空気が彼に味方したか、次の狼の発言は長めのものだった。


「国の未来を案じるあまり、<対象――>ひとりの老人を痛めつけるのが、限度を超えてないってなら、そうだろうな。まあいいぜ、聞きたいことは聞けた。お前さんは、形はどうあれ信念ってやつを持っているようだし、それによって俺と戦う気だろう。戦場へきたからには剣を抜きたいものだし、剣を抜いたのなら振るいたいと思うもんだ。自分の力を見せつけられる環境が整っている時にはとくにな」


 皮肉たっぷりの言いぐさは、まだ続きがありそうだった。が、グリゴリーは狼の台詞が終わる前に力をこめる。準備をしておき、相手の話が終わった直後に戦いをはじめようと決心したのだ。


 詠唱を口で唱えるため、魔術を腹の中で練る。魔腺がドクドク脈動し、速さを増して爆発にそなえる。


 そして「<Speedrun(スピードラン)>」という言葉がのどのところまで到達した時、狼は会話をしめくくった。


「気持ちはわかるぜ、目つきのするどい狩人さんよ。いったん狩りへ出たのなら、手ぶらで帰るのはしゃくだものな。そうだろ? 勇者<グリゴリー・イワノヴィチ・クズネツォフ>」


 予想外の言葉。


「っ⁉︎……どこでそれをっ⁉︎」


 勇者の魔術は中断された。かわりに狼がにやりと笑う。


「悪魔に真名を明かすべきじゃねぇな」


 ――強い殺気。


「っ!<Speedrun(スピードラン)>!」


 グリゴリーは即座に反応した。瞬間的に敵をスローモーションの世界へ叩き落とし、一直線に首元へ刃を走らせた。しかし――


 ガクン! 四肢になにかがからみつく。魔術でできた、鋭利な葉のような形をしたなにかが。それも1枚や2枚ではない。数十枚、いや数百枚の葉が、魔の色で部屋中を覆いつくしている。


 部屋の中、数えきれないほど書かれた(エオルクス)、すなわち()()()()()()のルーン。狼に()()せよと命じられていた文字は、()()たるグリゴリー・イワノヴィチ・クズネツォフの動きだけを邪魔していた。


(いつのまに⁉︎)


 思うも瞬時に答えは出ない。そんな彼をあざ笑うかのように、悪魔の舌のような葉の1枚1枚が、ベロベロと視界を覆いつくしている。性悪な魔術にからまれて、今や自分もスローの世界の住人だ。


「さぁて」


 そして魔の草の間から飛び出してきたのは、魔獣たるフェンリルの男。すらりと跳んで間合いをつめる。ハンマーを持つ腕を、思いっきり後ろへ振りかぶりながら。


「さっそくだが、ご退場願おう」


 横なぎ一閃、かぎ爪のように鋭利な先端が、虚空を勇者の腹目がけて突進する。空気たちは雄牛の突進を避ける群衆のように、あわててその軌道から逃げていく。スローモーションの世界の中、勇者の腹に当たったかぎ爪は、まず皮鎧へ穴を穿った。そのまま深く突き刺さり、鎧下に着こんだチェインメイルのリングを、ぶちりぶちりとほぐしていく。


(っぐ!)


 くわえて、先端の側面に光る文字がひとつ。ルーン文字、()()()()()()を意味する『(ウル)』が、命じられるままハンマーを()()させる。


 ――ズドン! 人を殴り飛ばしたとは思えないほど、重い音。部屋に反響を残し、侵入者の男を吹き飛ばした。


「ぐぁぁっ!」


 勢いそのまま、グリゴリーは開け放しだった部屋のドアをくぐり、廊下へと飛んだ。壁と窓が巻きこまれ、ドガシャッ! と断末魔の悲鳴を上げる。


 落下する勇者をいろどるのは、バラバラ落ちる壁材と、きらきら光るガラスたち。スピードランの効果が残っていたのは、グリゴリーにとっておおいに皮肉だったろう。生前の最後の瞬間と、今の無様な現実を、たっぷり比較する羽目になったのだから。


 ドサッ、バラバラ。勇者は残骸と屈辱をかぶりながら、あおむけに地面へ落ちた。「痛っぅ!」、痛みへ舌打ちが混じった悪態のような声が、食いしばった口から漏れる。


 それを吐ききった後、彼は上体を起こし壁に開いた穴を見上げた。憎々し気なその視線の先には、破壊孔へ腰かける青い狼の姿。片膝を立てて座りながら、心底あきれた顔をしている。


「やっぱりこんなんじゃ効かねぇよな、勇者様よ。腹筋に鉄板でも埋めこんでんのかよ。厚いのは面の皮だけにしてほしいもんだぜ」


 手に持った武器を勇者へ、そして視聴者へよく見えるよう、頭の高さに掲げてみせる。全金属製のそのハンマーは、硬い柄が途中でぐにゃりと折れ曲がってしまっていた。


「こんなんになるんなら、私物じゃなく官給品を持ってくればよかったってもんだ」


「……狼、俺の腹を殴るのに代償が高くついたな。これでお前の武器はなくなった」


「ああ、お気づかいありがとうよ。でも俺は、()()()()()()()()()()だ。寝室と違って、城の庭は俺にちょうどいいおおきさだぜ」


 武器をぽいっと投げ捨て、狼は立ち上がる。呼応して勇者も立ち、ふたたび短剣を構えた。そこでようやく、息を呑んで一部始終を見ていたオーディエンスたちが発言を再開する。


【さすが魔獣! 今までの敵とあきらかに違う!】【うっわぁ! すごい一撃だったね!】【あれ耐えられるんだ……】【「彼」もすごくない? あれを食らっても元気そうじゃん】【バルテリ様ぁ! 私ですバルテリ様ぁ!】【さっきから狼信者がうるせぇんだけど】


 同時に、アム・レスティングも我に返った。ごく短時間で行われた戦闘にしては、あまりにも情報量が多い。許されるのなら時間を戻して、もういちど最初から注意深く見直したいくらいに。なにしろ、そうやって相手の戦力を分析しなければ――


(いくら彼でも……今回は危ないかも)


 自分の相方が負けてしまうかもしれないから。


(グリーシャ! 撤退したほうがいいって!)


 配信魔術の機能を使って、アムは勇者へ思念を送る。配信主の仕事など後回しでいい。今は彼の身の安全を最優先するべきだと感じていた。


(ふざけんなアム! あんなやつに負けるかよ!)


(1対1ならそうかもだけど、相手がひとりとはかぎらないって! スピードランも封じられちゃってるんだよ⁉︎)


 あわてる夢魔へ、いらだつ勇者が「黙ってろ!」と言いかけた時。


 ちゃぽん、水に小石が落ちる音。次いで――


 チッチッチッチッ――。時計の秒針の音。


「⁉︎ なんだ⁉︎ なにをした!」


「俺らがひとりで戦うとでも?」


(グリーシャ!)


 対峙するふたりの動きは再び止まり、秒針の音だけがリズムよくその場へ時を刻んでゆく。


【なになに⁉︎ なんの音?】【フェンリルがなんかやってるっぽいね】【「ひとりで戦うかよ」って言ってたから、仲間じゃない?】【ベヒーモス? もしかして魔王様⁉︎】


 さわがしいのはコメント欄だけ。仮にも戦闘中だというのに、夜の涼しい風がすまし顔で駆け抜けて、狼の青い髪を、勇者の覆面から出た布の端をゆらめかせる。「ま、今日はこのへんにしときなさいな」なんて言っているかのように。


 月明かりの強い日とはいえ、夜らしくあたりは暗い。動きのない戦場の絵を数十秒にわたって見せられたオーディエンスたちは、わずかばかり残っていた色彩すらも白黒に感じてきて、この状況がいつまで続くのだろうかと心配になってしまう。


 そんな沈黙を破ったのは、またしてもフェンリル狼だった。モノクロ世界へ、色があるなら群青の、落ち着いた声が静かに響く。


「これは提案だが、引き分けってことにしておかねぇか? 少なくとも俺たちは敵の顔を知れた。せっかくみんなが見ている舞台なんだ。見どころってやつを作ってやらねぇとな。おたがい準備をして、再戦としようじゃねぇか」


「…………」


(グリーシャ、お願い! あの時計みたいの音の正体は私にもわかんないんだって! 今は要求を呑んで!)


「……ああ、わかったぜ。俺としても今の武器じゃ、てめえを殺し切れねぇかもしれないからな」


 構えを解く。サーベル(シャシュカ)のような視線で相手を切りつけながら。


 彼は狼から目線を外さずに、ゆっくり身をひるがえした。そしてふたたび風になり、一瞬にしてその場から消えた。


【お、終わった?】【続きがあるみたいだけど、今日じゃなさそうね】【あっという間すぎる! もっと見たかったのに!】【バルテリ様ぁ!】【狼教徒は滅びろよ】


 オーディエンスたちの余韻もわずかに、アムも言葉少なげに配信を終わらせた。残されたのはのびをして、舌をぺろりと出す狼ひとりだけ。


「さて、サカリ。出番だぜ」


 そして彼は、事前の取り決めどおりならここにいないはずの、盟友の名をボソリとつぶやいた。

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