笑うストリーマー 15
2022年7月26日の夜。
「睡眠は偵察をかねる」、この言葉を次に使うのはいつになるだろう? もしかしたら2度とないのかもしれない。今からそんな貴重な経験がはじまるのだ。どうしたってワクワクしてしまう。眠りの妨げになってしまったらどうしよう。
とはいえ、まぶたは「いいから早く寝ろ!」と睡眠を急かし、重くたれさがっているのだけれど。
冒険者ギルドから戻り、場所はトリグラウ城の来客用寝室のひとつ。魔女はふかふかのベッドの誘惑に早くも落ちかけていた。
(そりゃあ調査対象が配信するなら、見ない手はないよね)
ギルドで話をしたとおり、ストリーミング勇者とアム・レスティングへの偵察なんて、その配信を閲覧するのが一番手っ取り早い。サカリもすでにこの方法で情報収集を行っているから、安全性も担保されている。もっとも、今夜トリグラウ城へ勇者が再侵入を果たしたらたまらない。お腹を満たして満足したのか「やっぱり私も見たいわ」と前言撤回を決めたシニッカは、国防大臣によって魔界へ強制送還された。「あんたは予備兵力だ」なんていう説得を受け入れて。
だから今日この城で眠るのは、自分ひとりだけだ。
シニッカと入れ替わりにきたのはアイノだった。帰ってきたバルテリと一緒に、こっそりこの国への侵入を果たしている。もちろんヤネス2世たちにもバレないうちに。姿を消しての領海侵犯、まったく便利で恐ろしい。
考えているうちにも、魔女は眠気と戦うのが難しくなってくる。意識レベルも低下してきた。
(夢魔劇場の時に似ているなぁ)
たとえるなら、自分はお風呂に放られた直径5センチくらいの入浴剤。湯船の底にころんと沈み、じわぁと輪郭をあいまいにしていく。色のついたもやを立ちのぼらせ、その分だけどんどんちいさくなっていくのだ。
けれど完全に溶け切ったころには、湯船へはっきりとした色を残す。眠りの後に夢があるのなら、そんな光景と同じなんだろう。
だからこのまどろみは湯船で、私はバスタブの底で溶かされていて……。
(頭痛・肩こり・魔腺疲労に効く……ぅ)
入浴剤『白樺の森の香り』と化したイーダは、よくばりな効能をしたためた上で、意識の輪郭を眠りの湯へ溶かした。
◆ ① ⚓ ⑪ ◆
「あなたの名前を教えてください」
(え? 名前? ええと……)
出し抜けに質問。ぼうっとした頭を抱えながらでも理解できる単純なもの。「なんだっけ?」と考えはじめれば、意識は1秒を刻むごとにしゃっきりとした外見を取り戻していった。どうやら名乗らないと先に進めない状態であるらしい。ああそうだ、思い出した。私は今ストリーミングの視聴をしようとしているのだ。
「名前……」、彼女は口の中でつぶやきながら、自分が魔女であることも思い出す。
「骨53号です」
「骨53号さん、ようこそ、ストリーミングの世界へ!」
イーダはさっそく詐称をかました。たぶん今のはストリーミングのプラットフォームから『ユーザー登録』を求められたのだろう。おそらく誰からも見える(つまり勇者も見られる)情報だろうし、真名を明かすのはあまりに無警戒というもの。そう思ったから嘘をついてみた。
気づくと(といっても寝ているけれど)そこは白い球体の内側だった。直径数百メートルもありそうな空間で、曲線を描く壁の内側には緯度・経度をあらわすような灰色の線が描いてある。空中にはふよふよ浮かぶ2メートルくらいの球体がいくつもあった。色とりどりで、きっとあれがそれぞれ夢魔たちの『チャンネル』なのだ。
自分たち視聴者は青色の魂の形をしていた。おたまじゃくしのように身をよじらせてみると、結構自由に移動ができる。しかもそこそこの速度があったものだから、広い空間にもかかわらず、イーダは他の魂と交錯してしまった。でも体同士はぶつかることなく、するりと抜けていく。衝突判定のない3Dポリゴンでできた物体同士が重なるのと同じ、現代っ子たる魔女はそんなことまで考えていた。
(ええと、アム・レスティングさんはどこかな? 一番人気らしいから、魂が集まっている場所へ行けばいいのかも)
体をくねらせキョロキョロ探す。その場所はすぐ見つかった。餌に群がる鯉のように、魂たちの集まっている箇所があったから。一直線にその場を目指す。空を飛んでいるようで、少し楽しい。
魂だかりへ体をねじこみ、桃色の球体へ体をよせる。ポーンと電子的な音がして、意識の中へ画像と音声と文字が飛びこんできた。
「アム・チャンネルへようこそ! ここでは普段スポットの当たらない、いろいろな人たちのお仕事風景を配信中です! あなたが見たいのは盗賊やスリ師? それとも警吏や憲兵隊? いやいや冒険者だよって人も、実は暗殺者を見たいんだって人も、アム・チャンネルならみんな満足!」
視界を占領したのはアム・レスティングが映った一枚絵。彼女は胸をよせるようにして、両腕をこちらへ広げていた。事前に聞いてはいたけれど、ただよう色気は少々行き過ぎなくらい。背景は簡素なものだったから、彼女自身の魅力を前面に押し出した絵なのだろう。
語られた内容は動画の前口上とおんなじだ。正直、現代地球の動画配信者たちに比べ、洗練されているというほどではない。けれど、どんな配信を見られるのかはよくわかったし、なによりこの文化はできて日が浅いのだ。少々上から目線だが、これはこれでよくできている。
「過去の配信を見たい人は、投げ銭機能を使って、アーカイブを見てね! ブックマークと高評価ボタンもお忘れなく!」
(このへんも動画投稿サイトと同じだよね。でもアーカイブって有料なんだ……)
頭の中でつぶやいたイーダは、絵の右上でカウントダウンを告げている数字に気づく。残り10分と少々。ポップなフォントの数字が1秒1秒刻まれていた。ぽわんぽわんと、泡のようにあらわれては消え、あらわれては消え。まわりの魂たちはそれがゼロになるのを楽しみにしているようで、同じリズムで身をよじっている。「ごきげんだなぁ」と横目に見ながら、イーダは他に情報がないか探した。
登録者数は20万人以上。いくら人口密集地で配信されているとはいえ、この数がかなり多いことくらいイーダにもわかる。現在同時接続数は2千人くらい。まわりにそれほどの数の魂がいるようには見えないけれど。
(同接数は詐欺でもしているのかな?)
と思ったが、周囲の魂をよく見ると、数字が書かれているのが見えた。100とか50とかいうのは、魂ひとつでそれだけの数がいることをあらわしているのだろう。つまり自分から見るとまわりのアバターは集約して見えるしくみなのだ。
次に投げ銭であるとか、仮想通貨Lifespayであるとかの痕跡を探す。これは、視界の左下にあるちいさなアイコン――設定をあらわす巻物のマークの先がそうだった。これを心の指でもってポチッとすると、半透明の紙が目の前に開くのだ。
で、魔女は驚くと同時に安心した。紙の一番上に「骨53号」という名前を見つけたからだ。
(あ、危なかったぁ。あそこで本名を名乗っていたら、ここに書かれちゃっていたんだ。なんなの、このシステム)
システムは勇者がもたらしたもの。となるとシステム上にある情報は、すべて勇者へ筒抜けになるだろう。サカリやオンニから真名を名乗る危険性は多少なりとも聞いていたし、生前に情報処理の授業で情報リテラシーを学んでおいてよかったと胸をなでおろした。
安心したところで、肝心の金銭的な機能について確認する。
投げ銭機能は、その名のとおり現金を投げるシステムだった。睡眠時、枕元へ置いた金銭を、配信主へ贈与することができるのだ。検証のために10枚ほどの銀貨を用意してあったから、今手元にはそれが表示されている。
仮想通貨Lifespayについてはよくわからない。配信をする側だけに用意されている機能のようだ。
(とにかく、できることはやってみよう)
いくばくかの銀貨をにぎりしめ、イーダはストリーミング開始の時間を待つ。そこで気づいた。もうひとつ注目すべき機能、コメント欄について。
ライブ開始前のざわめきみたいに、すでにいくつものコメントがそこには流れていた。「今日もアムちゃんに会うのが楽しみ」とか、「あの男のことを応援している」とか。ご丁寧にも発言者が誰かちゃんと記されてしまっている。多くの人々は本名らしき『ユーザー名』を登録している様子だった。もしかしたら、骨53号は目立ってしまうかもしれないけれど、ここに「イーダ・ハルコ」が表示されるよりいくぶんかマシだろう。
「私も今夜をすっごい楽しみにしてたよ!」
念じてみると、即座に一語一句たがわぬコメントが骨53号の名前とともに書きこまれる。感嘆符までついているのはなかなかおもしろい。このしくみは『気の利いた翻訳』と同様に、ある程度の感情をもくみ取るのだろう。しかもノータイムで。地球の同様のしくみでは、コメントを打ちこんでから「決定ボタンを押す」という1動作がはさまる。この世のストリーミングはそれがないせいで、より素直な感想が飛び交うに違いない。それは時に過激な発言をも生むのかも。禁止ワードが設定されているかもあやしいのだから。
(さて……)
周囲の様子やこのシステムの大枠はなんとなく理解できた。姿は見えないけれど、サカリもどこかの拠点から、レインの配信に参加しているはず。後は開始を待つだけなのだ。
待機時間はあっという間になくなって、カウントダウンがゼロになった時、視界は突然変化した。テレビの番組がはじまったのと同じく、黒い背景にポップな「アムチャンネル」の文字がおどる。それが徐々に薄くなると、画面の左半分にはアム・レスティングの姿が。
「待ってました!」そんな歓迎の言葉が、コメント欄をざぁっと流れていく。鉄砲水でも発生したかのようだ。
「さぁ! 今夜もアム・チャンネルのはじまりです! はじめましてのかたはアムちゃんって呼んで! そうじゃない人もアムちゃんって呼んでね!」
お決まりのあいさつなのだろう。おおきく身振り手振りをし、配信の開始を告げている。その動きはおおげさにすぎて、教育チャンネルのお姉さんが児童たちへ呼びかけている時のようだった。そういう文化なのだろうけれど、イーダはそのわざとらしさがあまり好きになれない。それは敵意とか悪意とか、嫌いの側の感情にもとづくものでなかったのは意外だったが。
好きになれなかったのは、アム・レスティングから視聴者を喜ばすための所作を感じ取ってしまったからに他ならない。彼女は「こうすればオーディエンスが盛り上がるだろう」動作を意識しているように思うのだ。相手に気にいられようとするその動きが、なんだか少し恥ずかしいような気がして……。
イーダ自身は、それに『共感性羞恥心』という名前がついていることを知らない。他者の恥ずかしい行為を、自分のことのように感じてしまう心情のことだ。好きで見にきている者たちの中にあって、アムが恥ずかしい思いをしているわけもないのに、おおげさな所作が「イーダの感じる普通の行動の枠」を飛び出してしまっていたものだから、至極勝手に羞恥心をかき立てられていた。
(……私、ちょっと場違いなのかも)
一方で、地球でのストリーミング配信では感じたことがなかったことに違和感を覚える。もしかしたらフォーサスに突然あらわれたという異物感が、深層心理で邪魔をしているのかもしれない。要するに、なんだかんだいって警戒心をいだいているのだ。
地球ならともかく、この世ではこの文化になじめそうにないな、そう思っている間にも夢魔の配信は進んでいく。
「さてさて、予告どおり、今日も『彼』の追跡を続けていきますよぉ! で、今夜はどこにきていると思います?」
画面の右側、背景になっている部分には、彼女の言う「きている場所」がぼんやりと映っていた。立体的に組み上げられた白くて高い壁に、3本の高い鐘楼。星空の下で存在感を増すその建物は、舞台の上でスポットライトを浴びる売れっ子役者のよう。
そんな場所だったから……フォーカスが当たってその輪郭をはっきりさせた時、魔女は背すじに冷たいものを感じた。
(――トリグラウ城!)
ああ、まずい。私は今、あの中にいるのだ。
ぞっとする魔女をそのままに、ストリーミングは続くのだった。




